第2話 日本代表
第2話 日本代表
翌日、午前九時五十八分。
神崎レンは、指定された建物の前で立ち止まった。
「……ここ?」
東京湾岸。
巨大な倉庫のようにも、研究施設のようにも見える建物だった。
看板はない。
国旗もない。
入口には警備員が二人。
スマートフォンを見る。
《日本代理戦争代表選手・専用施設》
住所は合っている。
「もうちょっとこう、日本代表! って感じの場所かと思ったんだけどな」
レンが近づくと、警備員が一歩前へ出た。
「神崎レン選手ですね」
「昨日からそればっかり聞かれるな」
顔認証。
網膜認証。
最後に手のひらを読み取られる。
「確認しました。どうぞ」
重い扉が開いた。
中へ入る。
白い廊下。
思っていたより静かだった。
壁には過去の代理戦争の写真が並んでいる。
《第十二回日英代理戦争》
《日本勝利》
《第十八回日仏代理戦争》
《フランス勝利》
《第二十一回日加代理戦争》
《日本勝利》
どの写真にも、選手たちが映っていた。
笑っている者。
肩を組んでいる者。
泣いている者。
スポーツ大会と変わらない。
その下に書かれているものさえ見なければ。
《獲得権益――北極海航路優先利用枠》
《移転権益――次世代蓄電技術共同特許》
《獲得権益――太平洋海底通信網敷設優先権》
「…………」
レンは歩きながら写真を眺めた。
「ほんとに戦争なんだよな」
突き当たりの扉が開いた。
「遅い!」
いきなり女の声が飛んできた。
「まだ十時前だろ」
レンが時計を見る。
九時五十九分。
部屋には四人いた。
一人目。
短い黒髪の女。
二十代半ばくらい。
椅子に座らず、壁にもたれて腕を組んでいる。
「集合時間の十分前には来るのが普通でしょ」
「学校じゃないんだから」
「国家代表よ」
「昨日まで無職だったんだけど」
「知ってる」
「なんでみんな俺のことそんなに知ってんの?」
女が睨んでくる。
その隣で、大柄な男が笑った。
「相変わらずだな、神崎」
「……ん?」
レンが男を見る。
百九十センチ近い。
坊主頭。
太い腕。
顔を見る。
数秒。
「あ」
「おい」
「田所」
「忘れてただろ」
「下の名前なんだっけ」
「慎吾だよ!」
田所慎吾。
レンが現役だった頃、何度かチームを組んだことがある。
「お前、代表やってたんだ」
「三年目だ」
「へえ」
「興味持てよ!」
残る二人。
一人は細身の青年。
眼鏡。
レンと目が合うと、小さく頭を下げた。
「三枝ユウキです。索敵担当です」
「よろしく」
最後の一人は――。
部屋の隅のソファに寝転がっていた。
小柄な女。
パーカーのフードを目深に被り、スマートフォンをいじっている。
レンが田所を見る。
「あれも代表?」
「そう」
「寝てるけど」
「起きてる」
するとソファから声がした。
「聞こえてる」
女がスマートフォンを持ったまま片手を上げる。
「白石ナナ。よろしく」
「軽いな」
「七千万円」
「え?」
「今回勝ったらもらえるお金。七千万円。よろしく」
「目的同じじゃん」
ナナが初めて顔を上げた。
「仲良くできそう」
「できそうだな」
「できない!」
黒髪の女が割って入った。
レンが見る。
「で、あなたは?」
「昨日聞いたでしょ」
「……?」
女の眉間に皺が寄る。
「だから最悪だって言ったのよ!」
レンはしばらく考えた。
そして。
「ああ!」
指を差す。
「橘!」
「思い出すの遅い!」
橘アヤ。
レンが現役だった頃、何度も同じ大会に出場した選手だ。
ただし、ほとんど敵として。
「久しぶり」
「二年ぶり」
「元気?」
「あなたが引退してからね」
「嫌われてるなあ」
「当たり前でしょ。決勝で三回も私を落とした男よ」
田所が笑う。
「いいチームになりそうだな」
「どこが?」
その時。
自動ドアが開いた。
昨日のスーツ姿の女が入ってくる。
「全員揃いましたね」
レンが手を上げた。
「名前聞いてなかった」
「黒崎です」
「下は?」
「必要ありません」
「怖いな」
黒崎は無視して前へ進む。
壁一面の大型モニターが点灯した。
日本国旗。
そして五人の名前。
《JAPAN NATIONAL TEAM》
《橘アヤ》
《田所慎吾》
《三枝ユウキ》
《白石ナナ》
《神崎レン》
レンは自分の名前を見上げた。
「本当に入ってる」
「昨日あなた自身が承認しました」
「そうだった」
黒崎が端末を操作する。
画面が切り替わる。
五人それぞれの横に文字が表示された。
《SKILL》
橘アヤ。
《ACCEL――加速》
田所慎吾。
《WALL――障壁》
三枝ユウキ。
《ECHO――残響》
白石ナナ。
《COPY――複製》
そして。
神崎レン。
《REWIND――巻き戻し》
アヤがレンを見る。
「やっぱりそれなのね」
「変わってないよ」
「最悪」
「昨日からそればっかりだな」
黒崎が言った。
「神崎選手の《巻き戻し》については、アメリカ側も当然研究していると考えてください」
三枝が眼鏡を直す。
「何秒ですか?」
「三秒」
レンが答えた。
「発動した瞬間から三秒前の自分へ戻る」
「位置だけ?」
「いや」
レンは自分の胸を指差した。
「身体状態も」
田所が補足する。
「つまり撃たれても、死ぬ前なら戻れる」
「便利ですね」
「便利だけど無敵じゃない」
レンが言う。
「撃たれたことに気づく前に即死したら終わり。あと連発できない」
「再使用まで?」
「六十秒」
ナナがスマートフォンから目を上げた。
「長っ」
「だから逃げるんだよ」
「ダサ」
「生き残った方が勝ちだろ」
黒崎が咳払いした。
「スキルの確認は戦場でも行います。まず、今回の代理戦争についてです」
モニターに太平洋の地図が映った。
日本とアメリカの間。
海底に赤く囲まれた巨大な区域。
《北太平洋海底資源区域・第七鉱区》
「推定埋蔵量については非公開ですが、日本政府は今後十年間における国家戦略上、極めて重要な区域と判断しています」
レンが尋ねる。
「勝ったら全部日本?」
「いいえ。現在の採掘比率はアメリカ六、日本四」
数字が表示される。
《USA 60%》
《JAPAN 40%》
「日本が勝利した場合、これが逆転します」
《JAPAN 60%》
《USA 40%》
田所が口笛を吹いた。
「二割動くのか」
「金額にすると?」
ナナが即座に聞いた。
黒崎が答える。
「国家機密です」
「つまんない」
「少なくとも、あなた方五人への報酬が誤差になる規模です」
ナナがスマートフォンを置いた。
「急に緊張してきた」
「七千万しか見てなかっただろ」
レンが笑う。
その時だった。
部屋のテレビから音声が流れた。
壁際に設置されていたモニターだ。
ちょうどニュース番組が始まっている。
『いよいよ明日に迫りました、日米代理戦争』
画面の下には、
《開戦まで24時間》
大きな文字。
『今回初めて代理戦争をご覧になる方も多いと思いますので、改めて制度を確認しておきましょう』
アナウンサーの横に四つの項目が表示された。
《国際代理戦争協定》
《一、双方の国家による合意》
《二、争われる権益の事前確定》
《三、結果の絶対履行》
《四、違反国家は代理戦争への参加資格を永久剥奪》
若い女性アナウンサーが解説者を見る。
『つまり、どちらか一方が戦いたいと言っただけでは成立しないわけですね?』
『その通りです。双方の合意が必要です。そして何を賭けて戦うのかも、開戦前に確定させなければならない』
『負けたあとで、やっぱり渡したくない、ということは?』
解説者が笑った。
『認められません』
画面に古い映像が流れた。
国旗にはモザイクがかかっている。
『過去には、敗戦後に権益の移転を拒否した国家も存在しました』
『その国はどうなったのでしょう?』
『代理戦争への参加資格を永久に失いました。現在に至るまで復帰は認められていません』
『非常に重い処分ですね』
『現実の武力衝突を回避しながら国家間の争いを決着させる。そのためには、結果が絶対に履行されるという信用が必要なんです』
画面が切り替わる。
日米両国の国旗。
『そして今回争われるのが、北太平洋海底資源区域――』
突然、アナウンサーが手元を見る。
『あっ、ここで速報です!』
部屋にいた全員がテレビを見る。
『日本代表五名が正式発表されました!』
画面に顔写真が並ぶ。
アヤ。
田所。
三枝。
ナナ。
そして。
レン。
『神崎レン!?』
アナウンサーの声が少し裏返った。
解説者まで身を乗り出した。
『これは驚きましたね』
『二年前に引退した神崎選手です!』
《神崎レン、電撃復帰》
テロップが出る。
レンは頭を抱えた。
「もう出たの?」
黒崎が淡々と言う。
「情報公開時刻です」
『神崎選手といえば、かつて競技ダイブ界で――』
画面が変わった。
過去の映像。
若いレンがビルの窓から飛び出す。
空中で銃を撃つ。
敵を一人落とす。
看板を蹴り、そのまま下の階へ飛び込む。
田所が笑った。
「懐かしいな」
アヤが呆れる。
「相変わらず頭のおかしい動き」
「褒めてる?」
「褒めてない」
テレビでは解説者が興奮している。
『神崎選手の復帰となれば、日本のオッズにも大きな変動が――』
画面下。
《LIVE ODDS》
《USA 1.59》
《JAPAN 4.31》
数字が動く。
《USA 1.71》
《JAPAN 3.86》
さらに。
《USA 1.82》
《JAPAN 3.51》
ナナが笑った。
「レンさんだけでめっちゃ下がってる」
「俺の十万円が」
アヤが振り向く。
「十万円?」
黒崎がレンを見る。
「その件については後ほど話があります」
「忘れてなかったか」
「忘れるわけがありません」
その瞬間。
テレビのアナウンサーが再び声を上げた。
『続いて、アメリカ代表です!』
五人の顔が並ぶ。
レンの笑顔が消えた。
一人目。
二人目。
三人目。
そして――。
五人目。
金髪。
短髪。
青い目。
《DAVID WALKER》
田所が腕を組む。
「こいつか。例のキルレート九・八」
三枝が画面を見る。
「公式戦経験なし。データが少なすぎますね」
ナナが呟く。
「強そう」
アヤは黙っている。
レンだけが違った。
「…………」
デイビッドの顔を見つめている。
田所が気づいた。
「どうした?」
「いや」
「知ってんのか?」
レンが少し笑った。
「知ってるよ」
全員がレンを見る。
「昔、よく殺された」
沈黙。
ナナが顔を上げる。
「神崎レンが?」
「うん」
三枝が聞く。
「どのくらい?」
「覚えてない」
「そんなに?」
「まあね」
アヤが画面を見る。
「勝てなかった相手?」
レンは少し考えた。
「いや」
笑う。
「俺も同じくらい殺したから」
田所が吹き出した。
「なんだそれ」
レンはテレビを見続けていた。
デイビッド・ウォーカー。
二年前。
最後に戦った時も、決着はつかなかった。
レンが引退したからだ。
「……まだやってたのかよ」
テレビ画面のデイビッドが、ちょうどこちらを見ているように映る。
もちろん録画だ。
それでもレンには、目が合ったように感じられた。
すると黒崎が言った。
「神崎選手」
「ん?」
「ウォーカー選手から、あなた宛てにメッセージが届いています」
「は?」
「アメリカ代表発表後、日本側へ送信されました」
「俺が代表になるの知ってたの?」
「発表を見て送ったのでしょう」
モニターに短い英文が表示された。
その下に日本語訳。
たった一行だった。
《今度こそ、決着をつけよう。レン》
レンはしばらく黙っていた。
そして。
「……七千万じゃなくても来たな、これ」
アヤが呆れた顔をする。
「子供?」
「楽しくなってきた」
「国家の権益がかかってるのよ」
「分かってるって」
レンは立ち上がった。
大型モニターを見る。
日本代表五人。
アメリカ代表五人。
その中央に表示された戦場。
《TOKYO》
そしてカウントダウン。
《23:41:08》
《23:41:07》
《23:41:06》
黒崎が五人を見る。
「これより最終調整に入ります」
「明日午前十時」
「日本とアメリカは、正式に開戦します」
誰も答えなかった。
ナナがスマートフォンをしまう。
三枝が眼鏡を外す。
田所が首を鳴らす。
アヤがレンを見る。
そしてレンは――。
画面の向こうにいる、二年ぶりのライバルを見ていた。
戦争まで。
あと二十三時間。
世界中では今も、
日本に賭けるか。
アメリカに賭けるか。
大勢の人間がスマートフォンを眺めている。
その金額など知る由もない五人は、
明日、自分たちが殺し合う東京へ向かった。
もちろん――。
本物ではない東京へ。




