第1話 召集
「日本、四・二倍か」
信号待ちの男が、スマホを見ながら呟いた。
隣にいた友人らしい男が画面を覗き込む。
「高くね?」
「今回アメリカ強いからな」
「でも日本に一万」
「マジかよ」
「勝ったら四万二千だぞ?」
「負けたらゼロだぞ」
「だから賭けるんだろ」
信号が青に変わった。
二人は笑いながら歩き出す。
その頭上。
ビルの壁面を覆う巨大モニターに、一人の男が映っていた。
迷彩服。
短く刈り込んだ金髪。
右手には大型のライフル。
その横に大きな文字が浮かぶ。
《UNITED STATES》
《DAVID WALKER》
《SKILL:UNKNOWN》
そして画面が切り替わった。
青い地球を背景に、二つの国旗が向かい合う。
日本。
アメリカ。
《PACIFIC RIGHTS MATCH》
《開戦まで――72:13:44》
秒数が一つ減った。
72:13:43。
その下には、さらに大きな文字。
《現在オッズ》
《USA 1.62》
《JAPAN 4.20》
「四・二倍ねえ」
神崎レンは巨大モニターを見上げた。
「ずいぶん信用されてないな、日本」
もっとも。
レン自身も日本には賭けない。
ポケットの中でスマホが震えた。
取り出す。
メッセージだった。
《日本代表選抜局》
レンは一度画面を閉じた。
そして歩き出した。
三秒後。
また震えた。
《至急》
「……うるさいな」
今度は電源を切った。
*
駅前の牛丼屋は混んでいた。
レンはカウンターの端に座り、大盛りの牛丼を食べていた。
店内のテレビではニュースが流れている。
『――政府は本日、北太平洋海底資源区域について、アメリカ政府との最終協議が不調に終わったと発表しました』
箸を動かす。
『これに伴い、三日後に予定されている日米戦の結果をもって、今後十年間の採掘比率が決定されます』
レンの隣に座っていたサラリーマンが顔を上げた。
「十年かよ」
その隣の男が言う。
「日本負けたらヤバいらしいぞ」
「だから昨日アメリカに三万入れた」
「お前、日本人だろ」
「国籍と金は別だよ」
二人が笑った。
テレビ画面が切り替わる。
《専門家による戦力予想》
日本代表。
五つのシルエット。
まだ名前は出ていない。
対するアメリカ代表。
四人の顔写真と、一つのシルエット。
『今回もっとも注目されているのは、アメリカ代表の新メンバーです』
画面に先ほどの金髪の男が映った。
デイビッド・ウォーカー。
『公式戦への出場経験はありません。しかし選抜リーグでは――』
「お待たせしました」
店員がレンの横に味噌汁を置いた。
「あ、どうも」
レンはテレビから目を逸らした。
『――驚異的なキルレート、九・八を記録しています』
店内がざわついた。
「九・八!?」
「化け物じゃん」
「日本終わっただろ」
「今からアメリカ買っとく?」
「もうオッズ下がるぞ」
レンは味噌汁を飲んだ。
そして小さく呟いた。
「九・八ねえ」
たいした数字だった。
だからといって、撃たれないわけじゃない。
食事を終える。
「ごちそうさま」
会計を済ませ、店を出た。
その瞬間だった。
「神崎レンさんですね」
目の前に女が立っていた。
黒いスーツ。
三十代くらい。
いかにも役人という格好だった。
「違います」
「本人確認済みです」
「じゃあ聞く必要ないでしょ」
レンは横を通り過ぎようとした。
女が並んで歩き始める。
「スマートフォンの電源を切りましたね」
「休日なんで」
「今日は土曜日です」
「だから休日なんです」
「あなたは現在無職です」
「毎日休日とも言います」
女の眉がほんの少し動いた。
「三日後、空いていますか?」
「デートの誘い?」
「戦争です」
レンが立ち止まった。
女も止まる。
頭上の巨大モニターには、まだカウントダウンが表示されていた。
72:02:18。
72:02:17。
レンはそれを見上げた。
「嫌ですよ」
「まだ何も説明していません」
「戦争って言ったじゃん」
「ネット戦です」
「もっと嫌です」
再び歩き出す。
「神崎さん」
「引退したんですよ、俺」
「二年前ですね」
「知ってるなら帰ってください」
「国内ランキング一位のまま」
レンの足が、一瞬だけ止まりかけた。
だが歩き続ける。
女もついてくる。
「公式戦二百十二試合。百九十八勝」
「昔の話です」
「平均生存率九十二・六パーセント」
「よく調べましたね」
「あなたのスキルについても」
レンが止まった。
今度は完全に。
振り返る。
女は無表情だった。
「それは公開されてない」
「政府ですから」
「便利な言葉だな」
女が薄い端末を取り出した。
画面に一つのマークが表示されている。
日本代表。
「一名、欠員が出ました」
「補欠使えば?」
「使えません」
「なんで」
「あなたの方が強いからです」
レンは女を見る。
冗談を言っている顔ではない。
「代表なんて興味ないですよ」
「報酬は出ます」
「金にも困ってない」
「勝利報酬とは別に、出場だけで二千万円」
「…………」
「勝利した場合は追加で五千万円」
「金で釣るのやめてもらえます?」
「効果はありそうですね」
「ないです」
レンは即答した。
その横を高校生らしい二人組が通り過ぎた。
「俺、日本に五千円!」
「やめとけって! アメリカだって!」
笑いながらスマホを操作している。
レンはそれを目で追った。
女が言った。
「今回、日本の勝率は二十三パーセントと予測されています」
「へえ」
「あなたが参加すれば三十一パーセント」
「八パーしか上がらないの?」
「国家間戦で八パーセントは異常です」
レンは頭を掻いた。
「俺、一人で戦うわけじゃないでしょ」
「もちろんです」
「他の四人は?」
「すでに招集されています」
「知ってる奴?」
「一人は」
嫌な予感がした。
「誰?」
女が名前を告げる。
レンは空を見上げた。
「……最悪だ」
「相手も同じことを言っていました」
「でしょうね」
「明日午前十時。集合してください」
「まだ出るって言ってない」
女が端末を操作した。
レンのスマートフォンは電源を切っている。
なのに。
ポケットの中で震えた。
「おい」
取り出す。
画面が勝手に点灯している。
《日本代表招集》
《神崎レン》
《ENTRY:PENDING》
「政府ってこんなことしていいの?」
「緊急招集権限です」
「怖い国だな、日本」
レンは画面を見た。
その下。
《対戦相手》
《UNITED STATES》
さらに、その下。
今回の戦場が表示された。
《FIELD》
《TOKYO》
レンの表情が変わった。
「……東京?」
「正確には、二〇二六年八月時点の東京二十三区を完全再現した戦場です」
「趣味悪いな」
「アメリカ側の希望です」
レンは画面を指で動かす。
渋谷。
新宿。
池袋。
東京駅。
見慣れた街が、そのまま戦場になっている。
もちろん、本物ではない。
撃っても。
壊しても。
燃やしても。
誰も死なない。
だからこそ、何でもできる。
「アメリカ側の五人は?」
「明日開示されます」
「スキルは?」
「非公開です」
「こっちも?」
「当然」
レンは少し考えた。
そして画面上部を見た。
現在オッズ。
《USA 1.59》
《JAPAN 4.31》
さっきより日本が上がっている。
つまり、さらに期待されなくなった。
「四・三一倍か」
レンが呟いた。
女が尋ねる。
「何か?」
「いや」
レンはスマートフォンを操作した。
「まさか」
初めて女の無表情が崩れた。
《BET》
《JAPAN WIN》
レンは自分の国に十万円を賭けた。
《BET COMPLETE》
「代表選手本人による賭博は禁止されています!」
「まだ代表じゃないでしょ?」
「今エントリー処理を――」
レンは続けて画面を操作する。
《ENTRY:ACCEPT》
表示が変わった。
《WELCOME TO JAPAN NATIONAL TEAM》
女が絶句した。
レンはスマートフォンをポケットに突っ込む。
「これでダメ?」
「……順番が逆です」
「賭けた時は一般人。代表になったのはそのあと」
「そういう問題ではありません」
「じゃあ取り消しといてください」
レンは歩き出した。
「神崎さん!」
女が追いかけてくる。
頭上の巨大モニターでは、ちょうど広告が切り替わった。
東京の街が炎に包まれている。
もちろん、作り物だ。
戦車。
銃撃。
爆発。
ビルから飛び降りる兵士。
空中でスキルを発動し、別のビルへ飛び移る。
そして画面いっぱいに文字が現れた。
《JAPAN VS UNITED STATES》
《PACIFIC RIGHTS MATCH》
《LIVE WORLDWIDE》
その下。
《あなたは、どちらに賭ける?》
街を歩く人々がスマートフォンを取り出していた。
三日後。
日本とアメリカは戦争をする。
誰も逃げない。
誰も避難しない。
誰も怯えていない。
むしろ――
楽しみにしている。
レンも巨大モニターを見上げた。
そして笑った。
「久しぶりに戦争するか」
カウントダウンが、また一秒減った。
《71:58:02》
《71:58:01》
《71:58:00》
世界は今日も、平和だった。




