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H.E.L.R  作者: アラック
9/9

第八話 沙羅樹

 瓦礫の下に埋まる、という経験は貴重だとは思うが、出来れば一生無縁で在りたかった。

 しかも、今は子供をひとり庇った状態だ。この瓦礫、家だったものに住んでいた彼。

 沙羅兄弟、その弟である少年。名前をまだ聞いていなかったが、今はそれどころではない。

 この家が倒壊する直前に桐生が口にした魔法少女という単語。そしてこの惨状を見れば、自然と結び付く。

 その魔法少女とやらが、家屋を倒壊させる程の力を振るったのだろう。

 瓦礫の下は暗く、かすかな光が差すばかりだが、その光景を見る事は叶った。

 音はイヤホンマイクが拾ってくれているので、外の状況を正確に把握できるのがありがたい。

 だが、状況は最悪だ。

 桐生は今、その魔法少女と対峙しているのだ。


 ◇


「なんでこんな事……」

 呟くように桐生が言う。

 彼の目の前には、倒壊して瓦礫の山となった家屋があり、そしてその山の頂点へとゆっくり降り立つ者がひとり。

 魔法少女。そう桐生が口にした通り、彼女はそうとしか言えない背格好だった。

 白とピンクのひらひらふりふりの衣装に、拳大の大きさの宝石のようなものが輝くステッキを手に、浮遊する少女はゆっくりと瓦礫の頂に降り立った。

 栗色のショートボブは風になびき、堅く引き結ばれた口元以外を隠して揺れる。

 それを見上げる桐生はもう一度言う。何故、こんな事をと。

「キミの妹が、まだ家の中に居たんだよ……!?」

 妹と聞いて、俺は一時息を止めた。

 腕の中で身動き出来ずにいる彼は、彼ではなかったのか。

 問うように意識を向ければ、腕の中の”彼”は小さく震えているのが分かった。正体を知られる事への恐れか。それとも、こうして敵対した者もろとも、葬り去ろうとされた事か。

「沙羅、樹くんだよね。妹は椿ちゃん。この家に昔住んでいた兄妹の……」

 桐生の言葉は途中で遮られた。魔法少女、沙羅樹が振るったステッキから衝撃波のようなものが放たれ、細かな瓦礫を巻き込んで桐生を打ち据えたのだ。

「ボクたちの事を調べたの? そうやってみんな、ボクたち兄妹を悪者にするのかよ!?」

 発せられた声は確かに、変声期前の少年のものだった。悲痛な響きに心臓のあたりが軋むような感触がする。彼らのこれまでを察するには、先に桐生から聞いていた話で充分だった。

「誰も彼もがボクたちを悪者にした。誰も助けてくれなかった。ねえ、お兄さん」

 魔法少女問いかける。よろよろと立ち上がる桐生に向けて、腹の底から絞り出すように声を作る。

「犯罪者の子供は、同じ犯罪者なんだってさ。酷い事言われて、酷い事されて、死ななきゃならないんだって……」

「違うだろ! キミたちのお父さんは殺人犯なんかじゃない! 冤罪だ、無実だよ! あんな酷い仕打ちの果てに死んでいいような人じゃなかったはずだ!」

「でもこうなった! 正しい事なんてどこにもなかった! みんな正義の味方のふりして父さんたちを追い詰めたんだ!」

 立ち上がった桐生は再び衝撃波を食らってブロック塀に打ち据えられる。一撃で命を奪うほどの威力はないようだが、何度も続けて食らえばそうも言っていられないだろう。

 考える。体を動かせない状態で出来る事を。あの魔法少女の少年、樹くんに迷いはあるか。梅宮や檜山さんの時の様なやり方で制圧できるか。

 ふと、服の胸元が引かれる感触を覚えた。椿ちゃんが、こちらの服を握りしめているのだろう。すすり泣く声も聞こえてきた。

「兄ちゃん……。もう、やめようよ……」

 頭に血が上る。確かに、沙羅家に起こった彼是に関しては同情の念に堪えないし、この兄妹は救われ、幸福を得るべきだ。しかし、彼は妹もろとも俺たちを殺そうとした。自分の妹を泣かせたのだ。

 まともな思考が遠退いてゆく。同情はここまでだ。子供相手に大人げなく、こちらの我を押し付ける事にする。粉塵を吸い込まないように慎重に呼吸し、一息に叫ぶ。

「桐生! 瓦礫を駆け上がれ!」

「櫻井!? 無事だったのか!?」

「早くだ!」

 弾かれた様に桐生は走り、倒壊した家屋の上に飛び乗った。

 魔法少女はふたつの対応を求められる事になる。瓦礫の上を、自分目掛けて駆け上がってくる桐生への対処。そして、瓦礫の下敷きになりながらも生存が確認された俺への対処。

 それぞれの事象に個別に対処する事を思いつかれてはそれまでだったが、魔法少女は横着にも、ふたつの事象へまとめて対応しようとした。衝撃波を上方から下方へ向けて、叩きつけたのだ。

 魔法少女の挙動を幾度か目にしていた桐生は、衝撃波の叩きつけを寸前で横に転んで回避。桐生という目標を外した衝撃波は、その下にいた俺たち目掛けて叩きつけられた。瓦礫が勢いをつけて体にのしかかる。腕の中で震える椿ちゃんが潰れないようにと体勢をわずかに変えようとしたところで、その椿ちゃんに胸倉をつかまれ引き寄せられた。

 突然の事に、思考が冷静になってしまった。よって、俺の真上に落ちてくるはずだった瓦礫が体を逸れていく現象が、彼女の異能力によるものだと理解する。

「この異能力があるから、家ごと吹き飛ばされたのかい?」

 わずかに差した光の元、椿ちゃんは首を横に振った。

 真偽は兎も角として、彼女に助けられてしまった。頭もすっかり冷えてしまった。

 いや、頭の中に、何か冷たい液体を流し込まれたかのような、強烈な違和感が残る。感情の高ぶりを操作されている。そう、確かに感じた。

 先ほどの様に自棄に近い思考や手段が遠退いてゆく事を自覚し、目の前の異能力者に取引を持ち掛ける事にする。

「キミのお兄さんを助けたい。力を貸してほしい」

 椿ちゃんはじっと、何かを堪える様に表情を強張らせる。こちらの取引に応じる事を逡巡しているのかと思われたが、少し違うと思い至った。

 しょうがないから力を貸してやると言えるほど、彼女はひねくれものではなかったのだろう。

 お前たちになんか力を貸さないと突っぱねるほど、彼女は強がるだけの支えを持たなかったのだろう。

 だから、強張る顔が少しずつ崩れて、目元に涙が浮かぶ様を、しっかりと目に焼き付けた。涙声で告げられる願いを、しっかりと聞き届けた。

「兄ちゃんを、助けて」

「心得た」

 上に載っていた瓦礫がほとんど取り除かれる。

 少しぶりの陽の光を背に浴びて、俺はゆっくりと身を起こした。

 これから反撃を開始する。


 ◇


 こうして再び立ち上がる事で自分の負傷具合を再確認する事が出来る。瓦礫に押し潰されたものの、ほぼ無傷と言って良い状態だった。咄嗟に椿ちゃんを守ろうとして、逆に彼女に守られた結果だろう。その直前に負っていた左掌の傷が、今更ながらに痛みを主張する。出血は止まらない、どころか、左手の感覚そのものがなくなっている。

 鼓動に合わせて出血を続けている左手は、患部から青黒く変色してはいる。確かに血の気は引いているが、感触が無くなる程かと疑問は生じる。何分、刃物を掌で受け止めたのは初めてだ。経験がない。

 生じた疑問はすぐに氷解する。椿ちゃんが泣きそうな顔のまま「ボクが殺した」と告げたのだ。

「ボクの異能力は殺す事。刃物で刺したり切ったりしたものを殺せるし、”勢い”を殺したりもできる……」

 なるほど、さっきは瓦礫に押し潰される衝撃を、あるいは方向性を殺したのだ。椿ちゃんは自分の異能力を良く理解している。”異能売り”から力を得る時に、そこまで考えていたのだろう。そこまで、思いつめていたのだ。

 流血の止まらない左手を見て、椿ちゃんは申し訳なさそうに顔を歪ませる。彼女の言葉通りなら、僕の左手は「殺された」。ならば、感覚がもうないのも頷ける。

「椿! お前も僕を裏切るのか!」

 声の限りの悲痛な叫びは上空から届いた。

 宙に浮いた樹くんが、強い失望の表情で下界を、この場にいる唯一の肉親を見下ろしている。怒りの視線に晒された椿ちゃんは苦しそうで、しかし、兄から目を逸らそうとはしない。

「兄ちゃん、もうやめようよ。誰も殺したくなんてないよ……」

「ふざけるな! もう後戻り出来るわけないだろ! その為に貰った力だ! 僕らがやらなくても、向こうから襲ってくる! 戦うしかないんだ!」

 兄の一言一言に身を竦ませる椿ちゃんの、痛みが伝わってくるような気がする。自分の兄妹関係に置き換えて考えてしまっているからかもしれない。だから、脳内に冷静さを強いてくる何かを今は少しだけ押しのけて、俺自身の我が主張を開始する。

「……それに比べて、キミはなんだ。樹くん」

 視線を彼へ、魔法少女の姿となった彼へと向ける。決して年下の少年に向けていい視線ではなかったが、それを自覚してなお、自分の目付きを改める事は出来なかった。

「キミの異能力は”変身”か。特撮ヒーローなどに成らなかったのはキミの趣味じゃなかったか、いや。おそらくはそういったヒーローの名のもとに、同級生にいじめられていたかい?」

 図星とばかりに樹くんの表情が歪むのを確認して、俺はゆっくりと瓦礫の上に足を掛けた。

「キミの趣味であるという可能性も、百歩譲ってそうだとしよう。だが、ならば何故、椿ちゃんの様に”殺す異能力”じゃなかったんだい?」

 俺以外の者の表情が凍るのがわかった。そのまま瓦礫の上を大股に歩む。

「まさか、妹ひとりに手を汚させて、キミはその力で他の異能力者たちをいたぶる事だけを考えていたのか」

「ち、違う! そんな事は……!」

「そうだ、違うね」

 言葉を受けての、動揺と混乱は目にも明らかだった。もはや攻撃する気力もなく、近付いてくる僕を恐ろし気に見つめる樹くんに、着実に一歩ずつ近づいていく。

「そう、違う。キミはこの異能戦で、他の参加者の事なんて考えていなかった。妹の椿ちゃんの事も。キミが考えていたのはキミ自身の事だけだ」

 ようやく、動きは生まれた。これ以上俺に言葉を発せぬようにと、ステッキを振るって衝撃波を叩きつけようとする。幾つかは外れたが、幾つかは体の端をかすめ、うちひとつは顔面に直撃した。

 砕けたメガネが下に転がってゆくのを気にも止めず、ゆっくりと歩みを進める。レンズの破片が瞼を切って出血し、鼻からは血が溢れてくる。鼻は確実に折れた。そんな俺の顔を見て、樹くんが表情を歪ませる。

「キミは逃げたんだ。ご両親が亡くなられて、守ってくれる人が居なくなって、でも自分一人で妹を守らなきゃって、思ったんだろう。それが想像を絶する重圧だとは、俺も理解できる。理解できるよ。すべての責任を放り投げて、異能力に逃げた事も」

「やめろ! もうしゃべるな!」

「こんなはずじゃなく、ステッキの一振りで綺麗サッパリ粉微塵がお望みだったかな。じゃあ、なぜそうチケットに願わなかった。これよりも酷い事をするつもりだったんだろう? キミは!」

 衝撃波の放出は再開される。命中率は先ほどよりも格段に落ちたが、一撃食らった時のダメージは確実に蓄積される。二撃目を右胸に食らった衝撃で骨が折れる音がした。あばら、肋骨がどれかやられたかもしれない。

「よせ! 櫻井よせ! お前、まだ異能力決めてないだろ! 死んじゃうよ!」

 下方、椿ちゃんを庇うように、瓦礫の山から距離を取っていた桐生が叫ぶ。

 その声で、樹くんの動きが再度止まる。

「どうして……。どうして異能力を……」

「俺も、桐生も巻き込まれたんだ。この異能戦に。殺し合いなんてまっぴらごめんだ。だから……」

 その先を言葉にしようとして、足を滑らせた。

 瓦礫の山を、下方へ転がって行きはしなかったが、仰向けで大の字の無様な姿をさらしてしまっている。今、衝撃波を上から叩き付けられればひとたまりもないだろう。だが、言うべきことは最後まで言わなければ。

 だが、吐血が喉に絡んで声が出ない。態勢も悪い、頭が下の方を向いている。軌道が塞がるのを避けるので精いっぱいだ。

 焦りが生まれる。言葉による畳みかけは、相手に落ち着く暇を与えてはならない。ここで連打を止めてしまっては、ここまで積み上げた数秒と、ここから先の数秒が無駄になる。

 声をと、全身に力を込めた時、声は発せられた。

「俺たちは!」

 桐生が叫ぶ声は、この瓦礫の山に、敷地内に良く通った。

「誰にも死んでほしくないし! 殺してほしくない! だから、俺たちはこの異能戦を、無効試合で終わらせる事に決めたんだ! 本気で叶えたい願いを持っている人には申し訳ないけどさ!? まだ間に合う人には! 手の届く人には、手を差し伸べたいんだ……!!」

 どうやら、俺の代わりに言葉の限りに叫んでくれるらしい。ありがたいと同時に、申し訳なくもなる。

 この期に及んで、ひとりで戦っている気になっていた。今は、桐生が一緒に戦ってくれる。桐生だけではない、こちらの意思に賛同したみんなが力を貸してくれる。

「だから! 戦うのは、もうやめにしよう!」

 情けない震え、響きを帯びる叫びが、頼もしく思えた。普段から声を張り上げる事などないだろう彼が、こうして力の限りに叫んでいる。それが、ひどく心強かった。


 ◇


 結果から言えば、魔法少女は戦いを止めた。

 変身を解いた樹くんは変身した姿と差ほど変わりない美少女の容貌であり、俺も桐生も「素材か」「素材だな」と頷き合った。

 力なく膝をついた樹くんは顔を上げる事無く、自分の肩を支える椿ちゃんに「ごめんなさい。逃げてごめん」と繰り返す。椿ちゃんの顔にもようやく笑みが浮かび、徐々にではあるが涙を押しのけようとしているのがわかる。

 さて、問題はこちらだ。

 咳込み、吐いた血を右手で握りつぶし、体中から血の気が引いてゆく感触にいよいよ恐怖する。

 椿ちゃんの“殺傷“を左手で受け止めたのが、文字通りの致命傷となった。止血こそ行ったものの、傷口から即座に壊死が始まっていたのだ。白く腐ったように変わり果てた左手を袖に隠すようにすると、目の前に影が落ちる。桐生が思いつめた顔で立っていた。

「櫻井……」

「どうやら、そろそろ俺自身の異能力を決めなくてはならないみたいだよ……」

 荒くなりだした呼吸で弱音を吐けば、桐生の表情が苦しそうに歪む。

 考えろ。その場凌ぎではない最適解を。俺たちがこの異能戦を無効試合で終わらせるにあたって、どんな異能力を決める事が最適解だ。

 考えが纏まらない。こんな時こそ冷静になど、差し迫った命の危機には無意味か。なんて考えが及ぶほど余裕があるくせに、肝心の最適解に辿り着かない。

 切り替えろ。生存を最優先にして、生き延びてからの進め方にどう異能力を生かすかに考えを切り替えろ。死んでしまっては元も子もない。

「兄ちゃん! 魔法の力で、治せないの!?」

「無理だよ……。魔法少女は怪我なんて治せないんだ……!」

 沙羅兄妹の声が遠くに聞こえる気がする。なるほど、樹くんが見知る魔法少女観は戦闘系に偏ったものらしい。これは再履修が必要だ。

「ねえ、なんで。あんなこんな無茶したの? なんで……?」

 霞み始めた視界の先、樹くんと目が合った。

「大人って、信じられないだろう?」

 樹くんの疑問に、正確な答えを用意したかったが、血の気の引いてしまった頭ではうまく取り繕う事が出来ないらしい。思った事、そのままの言葉が吐き出された。

「俺も、まだ自分が大人だなんて自覚はないけれど、ふたりから見れば立派な大人なはずだから、年上だからさ。信じてほしかった。体を張ってでも、届かないかもしれないけれど、言葉を……」

 言葉に出来たのはそこまでだった。咳込み、吐血し、呼吸すら覚束ない。

 要は意地だった。彼等よりも年上であり、大人が信じられなくなった心に訴えかけるには、体を張るしかないと思った。甘い考えだ。この兄妹が人の痛みを、自分の痛みをも感じられなくなってしまっていれば、もう何をしても無駄だったろうに。

 ふたりが人を殺める前に、取り返しがつかなくなってしまう前に、瀬戸際で留める事が出来た。だから、このまま死ぬわけにはいかない。絶対に。彼等を人殺しになどさせない。

 震える右手はブラックチケットを形にする。

 念ずる概念はシンプルに。蘇生、再生、回復、復活。どれだ! ひとつにしろ! 早く……!

「櫻井、ごめん」

 桐生の言葉は、謝罪の言葉は重い響きで降りて来た。

 彼の左手には今や、小型の銃のようなものが握られている。

 デリンジャー銃。護身用の小型の銃。装弾は2発。それが何故、桐生の手にある。

 記憶の引き出しから、梅宮が語った”銃の異能力者”の話が引き出される。

 今の桐生とは別人かと思える雰囲気だったと梅宮が証言していたが、今こちらに銃口を向けている桐生に、それはない。俺たちが良く知る、桐生静司の顔だ。

「櫻井、頼む。信じてくれ……!」

「信じるよ」

 返答は、思いのほか即座に発せられた。易きに逃げたのかもしれない。だがそれでも、例え彼の行いに間違えがあったとして、彼の意志に間違えがあるとは、どうしても思えなかったのだ。

 その時を待つように目を閉じる。

 くぐもった、泣きそうな嗚咽の後に、銃声は一発だけ響き渡った。


 ◇


「おー、あにき―お帰りっす……。ってなんか増えてません?」

 思わず、と言った調子で変な敬語を口走る火花を軽く小突いてやっつけると、その背後、動きを止めて動向を見守っていた梅宮たちも、ほっとして動きを再開した。

 火花と梅宮は一度交戦区画を出て身なりを整えてきている。梅宮の服装が動きやすいパンツルックの軽装に変わっていた。ミリタリー風味な仕上がりは檜山さんのアドバイスか。髪もきれいに纏められていて、最初誰だか分らなかった。その事を梅宮に話すとむっとされたもので、首をかしげていると火花と桐生に「そういうとこだぞー」「そういうとこだぞー?」とお小言頂くもので、さらに首の角度が傾ぐ。

 時刻は夕暮れ。檜山さん指示のもと公園にベースキャンプが構築され、今は夕飯の支度が開始されていた。葛巻さんが手際よく飯盒を並べているが、あの熟練度はなんだ。

 先ほどの交戦、一部始終はドローンと通信機で檜山さんには伝えてある。沙羅兄妹を味方につけた事と、そのうえで、幾つか伏せて置いてほしい事、所謂口止めも済ませている。

 桐生が、銃の形をした異能力を発現させた事。それを用いて俺の負傷を完治させてしまった事。そして、俺が瀕死の重傷を負った事だ。前者ふたつは梅宮に要らぬ不安を与えかねないし、最後のひとつは火花がキレて手が付けられなくなるので駄目だ。

 異能力を発現させた桐生自身が、仕組みが良く分かっていないというのも難点だ。あの時は咄嗟に「出来る」と思い、実際そうなったというだけで、桐生自身は異能力を選択した記憶もなければ、それが「修復」の異能力、「異能力によって破壊されたものを修復する」という力だとは、まったくと言っていいほど考えが及んでいなかったのだ。ただ、俺のあの状態を目の当たりにして、「自分にはこれを何とかする事が出来る」と咄嗟に思い至ったのだから都合がいい。その異能力が銃の形をしていたという事も。

 桐生の異能力は、俺の左手の傷も、砕けた鼻の軟骨も、折れて刺さった肋骨と肺も、元通りに修復して見せた。メガネもだ。だが一方で、瓦礫に手を付いた際に付けた傷は治せなかった。異能力による損壊しか修復できない証拠だ。

 兎も角、沙羅兄妹を含めた自己紹介を経て、夕食という運びになった。

 沙羅兄妹を含め、これで参加者14名中8名の確認が取れた。残り6名についても、暫定3名までは確認が取れている。内ふたつは、檜山さんが展開したドローンによる空撮で、異能力によってしかありえないだろう現象を確認したのだ。

「家の敷地が丸まるでっかいクマのぬいぐるみぃ?」

 夕食のカレーライスにスプーンを立てながら、伝え聞いた情報に桐生が語尾を跳ね上げる。

「薄いブルーの大きなクマのぬいぐるみだったよ。材質や構造まではわからなかったが、こんなものは異能力でないと説明がつかないと思うが……」

 語尾を尻すぼみにした檜山さんがタブレットを桐生に手渡し、皆でそれをのぞき込む。確かに、水色のクマのぬいぐるみが空撮するドローンに向けて頭をゆっくりと向ける様が映し出されていた。

 この交戦区画に住んでいた沙羅兄妹をして、やはりこれは異質なものだったようで、目で問えば首を横に振って答えとされた。

「そして、謎の箱と、謎の男だ」

 桐生がタブレットを操作して次の映像を再生すると、こことは別の公園だろうか、その敷地の真ん中に七色にグラデーションする五メートル四方の正方形が鎮座していた。そして、その近くには人間と思わしき影もあった。

 漆黒の燕尾服で奇術師のような装いの、おそらくは男。仮称”箱の男”はドローンのカメラに気が付くと、まるで観客に向けてそうするかのように一礼して見せた。頭が正方形の箱状になっていて、その箱こそが頭部だとばかりに帽子を被っていた。意味不明だ。

「えっと、この、正方形頭で燕尾服の人って、もしかして”異能売り”?」

 桐生が怪訝そうに周囲に問うが、反応は総じて否。

「この箱、なんかの異能力すかねー?」

「その可能性が高いだろうな。これで暫定、勢力はふたつか。ぬいぐるみの主と箱の男につながりがあるか、あるいはぬいぐるみも箱の男の異能力によるものか、彼らは俺たちの様に複数人でこの異能戦に挑んでいるのか……」

 スプーンを止めてしばし考えに耽るも、視界の端で火花と桐生がニンジンをこちらの器によけようとしてくるので手刀で窘めた。何をさせるいったい。

「それで、檜山さん。最後のひとりは」

「あにきー、それ、あたしらの方に接触あったんすよね」

 スプーンを咥えたまましゃべる火花を小突いて先を促せば、公園の時計台に視線を移して「そろそろ来る頃っすねー」と呟くように告げる。新たな異能力者の存在に、しかも火花にコンタクトが取れていたという点で警戒レベルは引き上げられたが、思考する前に相手の出方を待つべきかと心を落ち着かせる。

 火花は莫迦だが、良し悪しを雰囲気、直感で、しかし確実に当てる。お莫迦な妹において唯一信頼がおける部分であり、その火花が大丈夫と判断したのならば大丈夫だろうと、そう考えるも、やはりさすがに安易過ぎる。

 だが、もう件の人物はこちらに合流する時間らしい。ならば、相手の対応を見て即決するか。聞けば、火花と梅宮以外はその人物に会った事がないとの事で、葛巻さんなども目に見えてそわそわしているのが頭を抱えるところか。

「確かに、夕食がひとり分多いとは思っていたけれど」

『私の取り分を用意してくれていたのならばありがたいが?』

 女の声が、檜山さんの用意していたスピーカーから聞こえてきた。咄嗟に立ち上がって周囲を見渡せば、公園にひとり、細身の人影が歩いて入ってくるところだった。

 立ち上がろうとする各々を、火花と梅宮がまあまあと制す。ふたりがここまで取りなすとなると、ふたりの共通の知り合いか。ふと、学校の先生という単語が頭を過ぎる。確かに連休中であり、学校は休みだ。

 しかし、その予測は当たらず遠く、という結果に終わる。現れたのはグレーのパンツスーツ姿で、髪を後頭部で一纏めにした背の高い女だった。髪の纏め方が梅宮のものと同じだったため、もしや梅宮の姉かとも思ったが、これもハズレ。

 こちらの警戒を解く事を意図したものか、彼女は両手を上げ、その右手にはあるものを掲げていた。警察手帳だ。葛巻さんが「げえ」とカエルが踏みつぶされたかのような悲鳴を上げて仰け反り、沙羅兄妹が身を固くする。

「今日から三日間は非番だ。と言っても、こんなものを持ち出しては、説得力はないかな」

 苦笑気味に笑む彼女は、野茨と名乗った。野茨紗枝(のいばら・さえ)、刑事課の刑事。

「……なんで刑事課の刑事と面識があるんだお前は」

「いや、あの、あにき、あたしに前科があるとかじゃなくてですね? ノイさんちょっとこの辺りに眼を光らせているというか……」

「私も、度々補導されかけたご縁で……」

「梅宮?」

 予想外の方向から何かが飛んできたが、要は刑事課の刑事が夜回りさんの様な事までしていて、ふたりともその折に接触があったのだという事。

 そんな馬鹿な話があるかと、警戒心が高まる。そうして縁があった彼女は、異能力者なのだ。

「今回の異能戦、聞けば参加は13名という事だったが、蓋を開けてみれば2名多い。ひとりは火花の兄、櫻井水樹くん」

「うちの莫迦妹がいつもご迷惑を」

「苦労は察するよ」

「ちょっちょっちょ、そこ結託されるとあたしに勝ち目がないんですけれど!?」

 勝つ気でいたのかこの妹。いったい何に。咄嗟に反応してしまったが、俺の情報は火花を通じて彼女に筒抜けという事か。そこまで火花が内情を話すとなれば、確かに疑いの目は薄らぐ。

「ご一緒しても?」

 首を傾げて問う野茨さんに、俺は頷き返す。

「皆、話を聞こう」

 それで、一部渋々ではあるが、了解は得られた。

 葛巻さんは早速飯盒を開けているのだから変わり身が早い。




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