chapter 5
5
ハムレットは腹の底から低い笑い声を上げた。
「これが美しき翼竜のアンドロメダ、か。一撃じゃあないか。これまでさんざん手こずらせていた灰炎のジュリエットがあっけない」
「聞き及んでおりました、が実物を見るのは初めてです……」フィディーリの顔は引きつっている。「正直、あれと真正面か戦おうというのは、わたしにはできません」
「狭いフィールドでは無類の力を発揮するな」眼鏡を直して、プロスペロが感想を漏らす。
「ドクタ・プロスペロならば勝てると」
フィディーリの質問には、彼は答えなかった。
「いずれにせよ、いい幕間です」
ハムレットの合図に、二人の代表CEOは無言で頷いた。
「ジュリエットは氷結の焔が使えた……。どうやらヴェロナ事件からいまにいたるまで、ジュリエットの行動解釈に、また補正をかけなければならないようですが、まずもっては果実の収穫へ参りましょう」
「ハムレット様……」オフイーリアがそっとハムレットの肩に手を添える。眉を垂らし、心配顔だ。
「安心しろ。そうそう食われはせんよ」ハムレットは力を込めて、観客席から舞台中央まで一足で飛んだ。
銀河舞踏会は変わり果てた姿になっている。
全壊の闘技場はもちろん、ワルキューレ化した白銀の娘に、氷結の焔によって凍らされた科学者。そして壁に打ち付けられ、瓦礫を枕に横になるジュリエット。ぴくりとも動いていない。
ハムレットはむき直す。
コーディリアR3――。
ジュリエットは大きなネコ科と喩えたが、とんでもない。かつてのどの世界でも地上を支配していた四足歩行の肉食恐竜のほうが相応しい。人間を一噛みにする強力な顎。その牙がハムレットを狙っている。赤色の眼光は片時もハムレットから離れず、噛み砕いてやろうか、どうしようか、と獲物を前に舌なめずりしているようだった。
観客席から眺めても巨大だが、さすがに対等な舞台に立って比べると圧巻である。
答えを誤れば、喰われるのはこちら側……。
ハムレットは警戒しつつも、表向き冷静さを装い、同時にコーディリアの戦果を称えながらアクションを起こした。
「まずは『おめでとうございます』と祝いの言葉を贈らせていただき――」
ハムレットの言葉はそこまでだった。
分厚く鋭利な前足がハムレットを叩きつけた――。正確には、指と指の間で、踏みつけられるのを回避している。もしハムレットが恐怖に怯え、一歩でも動いていたならば、本当につぶされていた。
ハムレットは久々に流れる冷や汗を感じた。
殺すつもりか、この女――。
そうやって自分を偽るのが下手だからこの状況なのがわからない愚かな女に、しかし紳士に接することが得意なのがハムレットである。
「なにか、お気に障りましたか。コーディリア、王女」頭を下げたまま、そっとコーディリアの顔色を伺う。
喉を鳴らしながら、コーディリアが顔を近づける。
「目的は果たせました。ジュリエットもワルキューレも持ち帰りましょう。ひとまずは、そのアンドロメダの宝石を脱いでいただきたい。わたしは、コーディリア様のお顔が見たいのです。それとも、ジュリエットの言葉が気がかりですか。我々がアンドロメダを狙っている――、と」
コーディリアの両翼に変化が生じはじめる。赤黒い色から徐々に白色へ明るい色へ変わっていくのだ。これはR2状態で見せた、光学誘導出力砲の前兆だ。
「一つの卓を囲んだ我々より、嘘ばかりの赤の魔女の言葉を信ずるか、悪夢の王女――」ハムレットは身体の機械化した部分の出力をあげる。背中から多重層放熱フィンを急いで伸ばし、片翼を生やす。
「出力、モード・アイドルからプライマリへ、そしてミリタリへ」
説得は失敗――。
といっても、ジュリエットの指摘どおりアンドロメダを奪うつもりでいたのだから、最強の陸戦兵器との戦闘は覚悟のうえである。
コーディリアは吠え、両腕を広げ羽ばたいた。
熱を蓄えた両翼から、扇状で光学誘導出力砲を発射する。
その一刹那にハムレットはコーディリアR3の片腕を弾く。
「ハムレットソード、〈アルイカイドライト〉」
太く重いコーディリアR3の獣の腕が跳ね上がり、ハムレットを狙ったはずの光学誘導出力砲は上空に放射される。
「一撃は防いだ。パック――」
「はいはーい。呼ばれて飛び出てじゃじゃじゃジャーン」パックが舞踏会の真上から飛来して、獣姿のコーディリアの背中に降り立った。「どもっ。悪戯好きな妖精、パック・ロビン=グッドフェロウでーす。気軽にパックって呼んでね」
コーディリアR3は躰にくっついた小さな虫を払うようにもがく。ただ、その巨体がゆえに、手足を左右に振るだけで、周囲は甚大な被害がでる。尾や爪にでも触れればたちまち切り裂かれてしまうから、ハムレットはこの隙に距離をとった。
「ハハッ、暴れ馬に跨がった気分だよ」パックは暴れるコーディリアから振り落とされんと硬い体毛に捕まった。
そこに大きな手のひら――人間に骨格に例えると、それは手のひらではなく第一関節に相当するのだが――が迫った。これをパックは〈ヒダカミドウ〉潜入戦でもみせた不可思議な歩法によって回避した。パックの通る道筋に残像を発生させ、無数に分身する。
「躾けの成らないネコちゃんだなぁ」パックはいつのまにか――無数に分化した残像の一つに、あとからこれを実態に決めた、とばかりにコーディリアR3の背後に位置情報を定める。
コーディリアR3が尾を振った。
闘技場の壁をスナック菓子のように砕きながらパックを追ったが、それもパックには届かない。
不可思議な歩法は、彼の存在を不確かにしているようで、その最中には彼に触れることすら出来ないようだった。
しびれをきらしたコーディリアR3は口を開く。
これを見たパックは邪悪に微笑んだ。
〈咆哮波〉である。
獣の雄叫びは、食物連鎖で下位動物のすべての自由を支配する。
ジュリエットが指先一つ動かせなかった〈咆哮波〉は――、しかしパックには通用しなかった。
「それやってるあいだはさ、自分だって動けなくなるの知らないの。おばかさーん」パックは再び、コーディリアR3の背に乗っていた。そして右の指先を揃えて天に向ける。「〈なにものをも貫く妖精の右腕〉」
コーディリアR3が絶叫する。
獣の雄叫びが舞踏会に鳴り響き、いままで以上にその巨体を暴れさせた。
パックは〈なにものをも貫く妖精の右腕〉で、コーディリアR3の頸椎部へ腕を突っ込んだ。その狙いは――、
「獲ったどー」パックが右手を高々と掲げる。その手に握りしめているのは、大きな漆黒の宝石。アンドロメダだった。
鬼石を奪われたコーディリアがどうなるか、それは明白だった。
翼竜の躰を造っていた深緑の体毛が、パックの右手の鬼石へ吸い込まれていく。零したペンキの映像を逆再生するように、鬼石の一点へ逆流しているのだ。
十メータを超える巨体が鬼石へと流れていくと、残されたのは床に倒れるコーディリアだった。
「こんの……、返せ」コーディリアは手をつきながら立ち上がる。ただでさえR3への変身は体力の消耗をともなうのに、鬼石の強制終了による反動を受けたのだ。
「えっ、なにを返せって」パックは嘲笑いながら、アンドロメダを見せびらかしながらコーディリアの周りを踊る。
「お母様から受け継いだ、わたしの、最後の希望――」コーディリアは首から提げたネックレスに手をかけた。「貴様が触れてよい物ではない。蒼穹のアトラス――」
コーディリアがアトラスを起動よりも速く、三人の強者が彼女を押し倒した。
ドクタ・プロスペロ、フィディーリが彼女の身動きを封じ、もう一人が首筋に冷たい刃を当てていた。
コーディリアは怨霊のように呪詛の言葉を吐き出した。
「エドマンド――、お前もか」
「これでキング・リアの悪夢は確固たるものになるでよう。気の迷いほどの娘の愛も、もはやその悪夢に飲まれたはず。姫様、これはケント伯も望まれることなのです。アンドロメダを手放し、ただの娘になりましょう」静かな舞踏会で、エドマンは感情を押し殺す。
だがコーディリアに、彼の真意が届くことはなかった。
「裏切ったな……」コーディリアが力の限り叫んだ。「裏切ったな――ッ」
ハムレットは口を斜めにする。
「弱き者よ。その元凶は愛情なり」
裏切られ続けた女の末路が、これか――。
コーディリアは惨めさよりも、弱さを呪った。
弱い自分が悪いのだと。
兄のように信頼していた騎士に裏切られ、父のように愛した恩人にも見限られ、最後の希望のアンドロメダさえ奪われた。
あとに残るものはなんだろう。
もはや抵抗する気もなく、コーディリアは握った手のひらを開く。
そこになにもない。
いまの自分のように――。
目をつぶると、堪えきれなくなった涙が、一滴流れ落ちた。
お父様――。
「まだだ――」
そこに、すべての筋書きをぶちこわす少女が名乗りを上げた。




