増えていないスキル
扉をくぐった瞬間、夜だったはずの空気が一変した。
眩しい朝日が石造りの街を照らし、通りでは商人たちが露店の準備を始めている。荷車の車輪が石畳を擦る音や、遠くから響く鐘の音まで聞こえてきた。
現実世界では、ついさっきまで金曜日の夜だった。
それなのに、こちらは朝。
「……やっぱり時間は繋がってないんだな」
先週は異世界から戻った時、現実側も日曜日の夜になっていた。
だから何となく時間の流れは近いのかと思っていたが、少なくとも時刻そのものは完全に別らしい。
ソーマはしばらく朝の街を眺めたあと、何気なくポケットへ手を入れた。
何もない。
「……あれ?」
反対側にも手を入れる。
ない。
扉を開ける直前まで持っていたスマホが消えている。
「スマホは持って来れないのか……」
財布もない。
自宅の鍵もない。
現実世界で持っていた物は、こちらへ来ると消えるらしい。
その代わり。
腰に違和感があった。
手を伸ばす。
「……ナイフ?」
ガルドからもらった古いナイフが、前回と同じように腰へ下がっていた。
現実へ戻った瞬間に消えたはずの物だ。
さらに革袋もある。
中身を確認すると、前回持っていた銅貨までちゃんと残っている。
「消えたんじゃなくて、こっちに置いてあった扱いなのか?」
現実の物は異世界には持ち込めない。
異世界の物も現実には持ち帰れない。
ただし、元の世界へ戻れば前回の状態で再び手元に戻ってくる。
そんな仕組みなのかもしれない。
正確なところはわからないが、少なくともナイフをなくしてガルドに謝らずに済む。
それだけで少し安心した。
「そうだ。スキル」
今回はこちらの方が気になっていた。
この1週間、現実世界ではかなり働いた。
月曜日は清掃。
火曜日は飲食店。
水曜日は引越し。
木曜日はイベント設営。
そして金曜日に、もう1度引越し。
先週は倉庫と警備の経験がスキルになった。
なら今回も何か増えているはずだ。
清掃なら《浄化》。
飲食なら《接客》や《配膳》。
イベント設営なら《設営》。
少なくとも1つくらいは増えていてほしい。
ソーマは期待しながら、自分のスキルを意識した。
《運搬 Lv1》
《仕分け Lv1》
《警戒 Lv1》
「……あれ?」
もう1度確認する。
変わらない。
《運搬 Lv1》
《仕分け Lv1》
《警戒 Lv1》
「嘘だろ……」
清掃もない。
飲食もない。
イベント設営もない。
あれだけ毎日働いたのに、新しいものは何ひとつ増えていなかった。
「何でもスキルになるわけじゃないのか?」
かなり期待していた分、落胆も大きい。
特に清掃は少し楽しみにしていた。
《浄化》なんて能力になれば、毒や汚れを消すことができるかもしれない。
もちろん勝手な想像ではある。
それでも、何もないとは思わなかった。
「結構働いたんだけどな……」
小さく息を吐く。
その時だった。
見慣れない文字が、他のスキルの下に浮かび上がった。
《重量軽減 Lv1》
「……え?」
ソーマは目を見開いた。
増えている。
1つだけ。
重量軽減。
言葉の意味はわかる。
ただ、どの仕事から生まれたのか。
思い当たるのは――。
「引越し?」
冷蔵庫。
棚。
テーブル。
大きな家具を何度も持ち運んだ。
しかも今週、唯一2回入った仕事だ。
「なんで引越しだけなんだ……?」
清掃も働いた。
飲食も働いた。
イベント設営もやった。
なのに、なぜ引越しだけ。
まだ答えは出なかった。
◇
とりあえず、実際に使ってみることにした。
市場へ向かう途中、商店の前で男が大きな木箱を荷車へ載せようとしていた。
かなり重そうだ。
「手伝いましょうか?」
「ああ、悪いな。そっち持ってくれ」
反対側を持つ。
《運搬》を意識する。
いつも通り、どこを持てば安定するのかがなんとなくわかる。
そのまま持ち上げた。
「……ん?」
重い。
普通に重い。
だが、少しだけ違和感があった。
自分が想像していたより、わずかに軽い。
《運搬》は重い物を軽くする能力ではない。
持ち方や重心を自然と理解できるだけだ。
これは、それとは違う。
「兄ちゃん、どうした?」
「いや、なんでもないです」
荷車へ載せ終える。
男に礼を言われ、その場を離れた。
「軽くなってる……?」
とはいえ、劇的な差ではない。
10kgの荷物が5kgになるようなものではなさそうだ。
ほんの少し。
重いものを持った時に、身体へかかる負担が減っているような感覚。
Lv1なら、この程度なのかもしれない。
「もっと重い物じゃないとわからないな」
そんなことを考えながら、ソーマは冒険者ギルドへ向かった。
◇
朝のギルドはすでに混雑していた。
ソーマはFランク用の依頼板へ向かう。
今回も、できれば街中の仕事がいい。
ゴブリンとの戦闘以来、わざわざ危険な仕事を選ぶ気にはなれなかった。
依頼を眺めていると、いつもとは少し違う紙が目に入った。
【邸宅移転に伴う家具・美術品運搬補助】
依頼主:ベルナール家
募集人数:8名
条件:Fランク以上
報酬:銅貨60枚
「60枚?」
思わず声が出た。
街中の仕事としてはかなり高い。
薬草採取で命を落としかけて稼いだのが40枚だった。
それより高い。
内容は引越しに近い。
しかも、ちょうど《重量軽減》を試してみたいと思っていたところだ。
「これしかないだろ」
依頼書を剥がし、受付へ持っていく。
栗色の髪の受付嬢が内容を確認した。
「ベルナール家の移転ですね」
「報酬高いですよね」
「貴族街のお仕事ですから。家具や調度品も高価なものが多いので、破損させないように注意してください」
「壊したら?」
「物によっては報酬どころでは済まないかもしれません」
笑顔で怖いことを言われた。
「……やめようかな」
「丁寧に作業すれば大丈夫ですよ」
その言葉を信じるしかない。
◇
貴族街へ入るのは初めてだった。
街の中心部とは明らかに景色が違う。
道幅が広い。
建物も大きい。
石造りの塀の向こうには庭まである。
目的地のベルナール家も、悠真の感覚では「家」というより小さな屋敷だった。
門をくぐると、すでに何人もの作業員が家具を運び出している。
冒険者ギルドから来たのは、ソーマを含め8人。
責任者らしき男から説明を受ける。
「小型の荷物は2人。大型家具は4人以上で運べ。美術品は勝手に触るな。指示された物だけ動かせ」
全員が頷く。
最初は比較的普通の家具だった。
椅子。
机。
木箱。
本棚。
ソーマにとっては、現実の引越しバイトで経験したものとそれほど変わらない。
むしろ《運搬》がある分、動きやすかった。
持つ場所。
曲がり角での角度。
他の人間との歩調。
現実世界で教わったことが、そのまま役に立つ。
「ソーマ、そっち少し上げてくれ」
「はい」
4人で大きな本棚を持ち上げる。
それなりに重い。
ただ。
「……やっぱり」
前より少しだけ楽だ。
自分以外の3人を見る。
額に汗を浮かべている。
腕にもかなり力が入っている。
ソーマだって重いことには変わりない。
だが、少しだけ余裕がある。
《重量軽減 Lv1》
間違いなく効いている。
◇
作業が半分ほど終わったころ。
屋敷の奥から責任者が声を上げた。
「次、これを6人で運んでくれ!」
呼ばれて向かった先で、ソーマは足を止めた。
「……これ?」
床の中央に置かれていたのは、大きなオブジェだった。
高さは1mほど。
何かの動物を象った彫刻らしい。
問題は色だった。
どう見ても金色。
塗装ではないように見える。
光を受けて鈍く輝いている。
台座まで同じ色だった。
「これ、まさか……」
近くにいた作業員が小声で言った。
「純金じゃねえだろうけど、かなり使ってるらしいぞ」
「マジか……」
値段を考えたくない。
壊したら報酬どころでは済まないという受付嬢の言葉を思い出す。
「6人。絶対に落とすなよ!」
責任者の声。
ソーマを含め6人が配置につく。
台座の下へ手を入れる。
隣にいた大柄な冒険者が言った。
「せーので行くぞ」
全員が構える。
「せーの!」
持ち上げる。
「ぐっ……!」
周囲から同時に声が漏れた。
重い。
今までの家具とは明らかに違う。
腕に一気に力が入る。
前にいる冒険者の顔が赤くなる。
隣の男も歯を食いしばっている。
「お、重っ……」
「止めるな! そのまま!」
全員が苦しそうに歩き始める。
ソーマも同じように力を入れ――。
その時、妙な感覚がした。
「……あれ?」
重い。
確かに重い。
6人でなければ持てないだろう。
それでも。
周りの5人ほど苦しくない。
大柄な男の腕は震えている。
正面の冒険者は額から汗を流している。
なのにソーマには、ほんの少しだけ余裕があった。
「若干……軽い?」
最初は気のせいだと思った。
《運搬》のおかげで持ちやすい位置を選べているだけかもしれない。
だが、それだけではない。
腕へかかる重さそのものが、わずかに少ない。
朝の木箱では確信できなかった。
これだけ重い物なら、はっきりわかる。
《重量軽減 Lv1》
効果は小さい。
劇的ではない。
それでも確実に、重さが軽減されている。
「ソーマ! 段差!」
声をかけられ、我に返った。
「はい!」
考えている場合ではない。
目の前には階段の小さな段差がある。
《運搬》で重心を意識する。
《重量軽減》で負担が少し減る。
「右、少し上げます!」
「了解!」
全員で声を合わせながら、慎重に運ぶ。
数分後。
オブジェを荷車の上へ置いた瞬間、周囲の5人が一斉に息を吐いた。
「重すぎるだろ……」
「腰やるかと思った」
「貴族ってなんでこんなの家に置くんだよ」
全員が疲れ切った顔をしている。
ソーマも腕は疲れている。
だが、思ったほどではない。
自分の手を見る。
「……これが重量軽減か」
ようやくスキルの違いがわかった。
《運搬》は、重い物をどう扱えばいいのかを助ける。
《重量軽減》は、重さそのものをほんの少し減らす。
似ているようで、まったく違う。
2つが合わさると、かなり便利だった。
それでもソーマの中には、もう1つ疑問が残った。
なぜ。
なぜ引越しだけなのか。
清掃もした。
飲食もした。
イベント設営もした。
なのに新しく生まれたのは《重量軽減》だけ。
「……やっぱり、何か条件があるのか?」
まだ答えは出ない。
ただ1つだけ確かなことがある。
今週やった引越しバイトは、確かにこの世界で力になった。
ソーマは金色のオブジェを見ながら、小さく笑った。
「働いた分、ちゃんと強くなってるんだな」
ほんの少しだけ。
それでも、それが妙に嬉しかった。
最後までお付き合いいただき感謝します。
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