Aランク冒険者
日曜日の夜。
いつもの木の扉を抜けると、
ソーマは自分の部屋へ戻っていた。
腰にあった短剣は消え、
異世界で着ていた装備も見えなくなる。
代わりにポケットにはスマホと財布。
いつもの現代が戻ってきた。
「……今週も濃かったな」
ベッドへ倒れ込みながら、
ソーマは天井を見上げた。
護衛をして、森へ人を探しに行き、
旧鉱山ではCランクの魔物から逃げた。
挙げ句、新しい《索敵》まで増えた。
平日になれば大学生へ戻るとはいえ、
最近は週末の方が忙しい気がしてくる。
「明日、普通に大学か……」
ソーマはスマホのアラームを設定すると、
そのまま目を閉じた。
◇
月曜日。
大学の講義を終えたあと、
ソーマは短時間の設営撤去バイトへ入った。
仕事は4時間。
イベントが終わった会場から、
机や椅子、パネルを片付けていく。
少し前なら十分な仕事だったが、
最近は設営の現場に慣れすぎている。
「これ、先に台車にまとめますね」
「助かる!」
指示される前に次の作業が分かる。
ただし、現代では《設営》は使えない。
純粋に何度も同じ仕事をして、
身体が流れを覚えているだけだった。
火曜日は大学のあと、
飲食店で4時間。
皿を運び、注文を取り、
閉店前の片付けまで手伝った。
水曜日は倉庫で5時間。
商品のピッキングと仕分け。
どれも以前に経験している仕事だったが、
今週は勤務時間が細かく分かれていた。
同じ仕事を長時間続けているわけでもない。
「今週は新しいの、
増えそうにないな」
もっとも。
現代ではステータスを確認できないので、
本当に増えていないかは分からない。
それでも今までの感覚から、
新しい経験が足りていないのは分かる。
最近はスキルのために働くことまで
考えるようになっていた。
「いや、バイトは普通に
金のためにやるもんだろ……」
自分で自分に突っ込みながら、
ソーマはバイトアプリを閉じた。
◇
木曜日。
この日は1限だけで大学が終わった。
いつもなら午後から単発バイトを
探しているところだったが、
ソーマは珍しくアプリを開かなかった。
代わりに向かったのは駅だった。
久しぶりに実家へ帰ることにした。
最近は大学とバイト。
そして誰にも言えない、
週末の異世界生活。
気づけば実家にも、
しばらく顔を出していなかった。
電車に揺られながら、
ソーマは窓の外を眺める。
異世界では森や鉱山ばかり見ているせいか、
ビルや住宅が流れていく景色まで
少し新鮮に感じてしまう。
「感覚おかしくなってるな……」
実家へ着くと、
そこにあったのは何も変わらない日常だった。
久しぶりに家で食べる夕飯。
何気ない会話。
大学はどうだ。
ちゃんと食べているのか。
バイトばかりしていないか。
「……してるな」
「何が?」
「いや、何でもない」
まさか、
平日は単発バイトをして、
週末は異世界で冒険者をしています。
とは言えない。
久しぶりに自分の家以外でゆっくりして、
その日は実家に泊まった。
異世界で野営したり、
安宿の硬いベッドで寝たりしていると、
実家の布団が妙に快適に感じる。
「これが一番贅沢かもしれないな」
そんなことを考えながら、
ソーマは久しぶりに何も考えず眠った。
◇
金曜日。
朝に実家を出て大学へ向かい、
2限の講義を受ける。
そのあとはバイトを入れなかった。
今日は金曜日だ。
夜になれば、
あの扉が現れる。
夕方には自分の部屋へ戻り、
軽く食事を済ませて準備をする。
現代から持っていける物はない。
それでも金曜の夜になると、
何となく出かける前の気分になる。
そして。
見慣れた壁に、
ゆっくりと木の扉が現れた。
「今週はあんまり働けなかったな」
設営撤去4時間。
飲食4時間。
倉庫5時間。
普段と比べれば、
かなり大人しい1週間だった。
新しいスキルが増えるほどの経験を
積めた感覚もない。
「まあ、毎週増える方がおかしいか」
ソーマは扉の取っ手を握った。
開けば、その先は異世界。
1歩踏み出す。
部屋の空気が消え、
代わりに石造りの路地が現れる。
服装が変わり、
腰には短剣が戻っていた。
「よし」
ステータスも軽く確認する。
予想通り、
目立った変化はない。
「やっぱりな」
毎週必ず新しい力が手に入るわけではない。
働いた時間。
経験した内容。
それらが積み重なった時に、
初めてスキルとして現れる。
最近ようやく、
その仕組みも少し分かってきた気がする。
ソーマはステータスを閉じた。
そして、
冒険者ギルドへ向かって歩き出した。
次の週末が始まった。
◇
ソーマが冒険者ギルドへ入ると、
いつもとは少し様子が違っていた。
朝から冒険者が多いのは珍しくない。
だが今日は、依頼板の前ではなく、ギルドの奥にある広いスペースへ人が集まっている。
装備も明らかに違う。
使い込まれた鎧。
大きな盾。
杖を持った魔法使い。
周囲を観察するように壁際へ立っている軽装の男。
どう見ても、昨日までソーマが一緒に依頼を受けていたEランク冒険者たちとは雰囲気が違った。
「……何かあるのか?」
「ソーマ」
声の方を見る。
エステルが手を上げていた。
「おはよう」
「おはよう。あれ何?」
「たぶん、昨日の鉱山」
「もう?」
昨日の夕方に報告したばかりだ。
ギルドの動きは思ったより早い。
ソーマがエステルの隣へ行くと、受付嬢が2人に気づいた。
「ソーマさん、エステルさん。ちょうどよかったです」
「旧鉱山ですか?」
「はい」
やっぱりだった。
受付嬢が2人を奥へ案内する。
集まっている冒険者は、全部で10数人。
「昨日いただいた報告を受けて、ギルドで調査隊を編成することになりました」
「結構多いですね」
ソーマが周囲を見回す。
「Bランクパーティが1組、Cランクパーティが2組。それから、お2人にも現場案内役として同行をお願いしたいと思っています」
「俺たちも?」
「昨日、実際に中へ入っていますから」
戦力としてではなく、案内役。
それなら分かる。
ただ。
ソーマは人数を数え直した。
「これ、リーダーは?」
「もう来ていますよ」
受付嬢が視線を向けた。
ソーマもそちらを見る。
壁際に1人の男が立っていた。
年齢は40代くらい。
短く切った黒髪。
少し無精髭がある。
装備も、思っていたほど派手ではない。
革鎧の上に必要な部分だけ金属防具を着け、壁には長い槍を立てかけていた。
「……あの人?」
「はい」
受付嬢が当然のように答える。
「Aランク冒険者のディーン・アルバレスさんです」
ソーマはもう1度男を見る。
「Aランク?」
「そうです」
「この街にいたんだ」
エステルが少し驚いた様子で言う。
その反応で、ソーマにも何となく分かった。
「そんな珍しいの?」
「珍しいわよ。Aランクなんて、街に数人いれば多い方なんだから」
「そんなに?」
Fから始まり。
E。
D。
C。
B。
その上がA。
さらにSがある。
ランク制度について聞いた時から上位冒険者が少ないことは知っていたが、実際に目の前にすると印象が違った。
「もっとこう……」
「何?」
「Aランクって、見ただけでヤバそうな感じするのかと思ってた」
エステルが小声で言う。
「聞こえたら怒られるわよ」
「悪口じゃないだろ」
そう話していた時だった。
「聞こえてるぞ」
ソーマの身体が固まる。
ディーンがこちらを見ていた。
「……すみません」
「別に怒ってない」
ディーンは壁から離れ、槍を手に取った。
近くで見ると、やはり普通に見える。
槍もそうだ。
宝石が付いているわけでも、光っているわけでもない。
柄には細かな傷が無数に残っている。
何年も使い続けているのが分かるくらいだった。
ディーンがソーマを見る。
「お前がソーマか」
「はい」
「昨日、ケイブワームを見て撤退した」
「そうです」
「そうか」
ディーンは短く頷いた。
「正解だ」
「え?」
もっと何か言われると思っていた。
逃げた。
倒せなかった。
Aランクから見れば、そう思われてもおかしくない。
だがディーンはそれ以上何も言わなかった。
代わりにエステルを見る。
「お前も一緒だったな」
「はい」
「今日は2人とも戦闘要員じゃない。昨日通った道と、ケイブワームを確認した場所まで案内してくれ」
「分かりました」
ディーンは全員へ向き直った。
「出るぞ」
それだけだった。
説明は短い。
だが、周囲の冒険者たちがすぐに動き始めた。
ソーマはその様子を見ながら、小さく呟く。
「本当にAランクなんだな」
「まだ疑ってたの?」
「ちょっとだけ」
エステルが呆れた顔をした。
◇
旧鉱山へ向かう道中。
先頭には斥候役の冒険者。
その少し後ろをディーンが歩いている。
中央に魔法使いたち。
後方にも戦闘要員が配置されていた。
ソーマとエステルは先頭寄り。
昨日の道を説明するためだ。
「昨日はこの先から山側へ入りました」
ソーマが指す。
ディーンは頷くだけ。
必要以上に口を挟まない。
途中でBランクパーティの男がソーマへ声をかけた。
「昨日、2人だけで入ったんだって?」
「依頼だったんで」
「Cランクがいるって分かってて?」
「分かった時点で逃げました」
男が笑う。
「そりゃそうか」
からかわれている感じではなかった。
むしろ普通の判断として受け取られている。
やっぱり、昨日受付嬢に言われた通りなのだろう。
倒す必要のない敵とは戦わない。
それも冒険者の仕事だ。
昼前。
調査隊は旧鉱山へ到着した。
昨日と変わらない。
山肌に開いた暗い入口。
腐りかけた支柱。
そして。
「まだ残ってるな」
ソーマは地面を見る。
魔物の足跡。
昨日確認したものに加え、新しい痕跡まで増えている。
ディーンがしゃがみ込む。
「これがお前たちが報告した足跡か」
「はい」
「複数種だな」
「分かるんですか?」
「この程度ならな」
さすがAランク。
そう思った直後。
「ここから先はお前が見ろ」
「俺?」
「昨日通ったのはお前だろ」
確かにそうだった。
ソーマは少し緊張しながら、入口へ目を向ける。
そして新しく増えたスキルを意識した。
《索敵 Lv1》。
昨日までとは感覚が違う。
《警戒》のように周囲の存在を探る感覚。
そこへ《追跡》で感じていた痕跡のつながりが重なる。
入口の奥。
複数の移動痕。
右側にも何かが通った跡。
さらに少し奥には、生き物らしい反応がいくつかある。
「……すごいな」
「何か分かった?」
エステルが聞く。
「昨日より分かりやすい」
ソーマは坑道を指す。
「正面に何匹かいると思う。あと右側にも痕跡がある」
ディーンがこちらを見る。
「何の魔物だ?」
「そこまでは分かりません」
「強さは?」
「それも」
少し考え、ソーマは《危機察知》にも意識を向ける。
今のところ、昨日ケイブワームを見た時ほどの反応はない。
「少なくとも、入口付近はすぐ逃げるほどじゃないと思います」
ディーンは短く頷いた。
「進む」
それだけ。
自分の言葉がAランクの判断材料になっている。
そう思うと、少し緊張した。
◇
調査隊は旧鉱山へ入った。
昨日とは違う。
ソーマとエステルだけだった時とは、圧倒的に人数が多い。
灯りも複数ある。
前衛もいる。
後方にも冒険者がいる。
安心感がまるで違った。
ただし。
坑道は広くない。
場所によっては2人並ぶのが限界。
人数が多い分、むしろ動きにくいところもあった。
「思ったより狭いな」
誰かが呟く。
ディーンは周囲を見ながら進む。
「奥へ行けばもっと狭くなる可能性がある。間隔を空けろ」
全員が隊列を少し伸ばす。
ソーマは《索敵》を使いながら進んだ。
「正面、2体」
声を出す。
先頭の冒険者たちが武器を構える。
少し進むと、小型の魔物が姿を見せた。
Cランクパーティの前衛が難なく処理する。
「合ってたな」
エステルが小声で言う。
「便利だな、これ」
昨日までの《警戒》より具体的だった。
しかも、戦闘が終わったあとも痕跡を拾える。
《索敵》だけで何でも分かるわけではない。
それでも探索にはかなり使いやすい。
道を進む。
昨日通った分岐。
崩れかけた支柱。
ケイブワームから逃げる途中で危うく落ちかけた穴。
ソーマは1つずつ説明していった。
「昨日はここで左へ」
「その先で地面が崩れてます」
「右側の坑道から戻りました」
ディーンは何度か立ち止まり、地形を確認している。
「よく覚えてるな」
「必死だったんで」
「そういう時の道は忘れない」
ディーンの返事はそれだけだった。
◇
やがて。
昨日の場所が近づいてきた。
ソーマの足が少しだけ重くなる。
「この先です」
ディーンが槍を構えた。
周囲の空気も変わる。
Bランク。
Cランク。
全員が戦闘態勢へ移った。
昨日。
ソーマとエステルがケイブワームを確認した場所。
骨。
毛。
血痕。
それらはまだ残っていた。
そして。
ズ……。
聞き覚えのある音。
「来ます!」
ソーマが叫ぶ。
直後。
奥の暗闇から、巨大な身体が現れた。
「ケイブワーム!」
昨日と同じ。
いや。
明るい灯りが複数ある分、今日はその全貌がはっきり見える。
坑道を埋めるほどの太い身体。
岩のような外殻。
無数の牙。
ソーマの身体が無意識に後ろへ下がる。
昨日、あれから全力で逃げた。
《危機察知》も強く反応している。
前衛たちが一斉に武器を構えた。
だが。
「下がってろ」
ディーンが1人で前へ出た。
「え?」
ソーマは思わず声を漏らす。
ケイブワームが身体を起こす。
巨大な口が開いた。
「ちょっと、1人で――」
言い終わる前だった。
ケイブワームが突っ込んだ。
速い。
昨日と同じ。
巨体からは想像できない速度。
ディーンは動かない。
ギリギリまで。
本当に直前まで。
そして。
半歩。
ただそれだけ横へ動いた。
ケイブワームの頭がディーンの横を通過する。
同時に。
槍が動いた。
1度。
ソーマには、それくらいしか見えなかった。
穂先がケイブワームの目へ入る。
そのまま深く。
巨体が暴れた。
ディーンは槍を抜く。
もう1度。
今度は口の内側。
深々と突き刺さる。
ケイブワームの身体が大きく震えた。
そして。
ズンッ。
地面へ倒れた。
静かになった。
ソーマは口を開けたまま、倒れた巨体を見る。
「……終わり?」
誰も答えない。
というより、周りの上位冒険者たちはそれほど驚いていなかった。
隣のエステルを見る。
エステルも少し呆然としている。
「俺たち昨日、あれから全力で逃げたよな?」
「……ええ」
「2回くらい死にかけたよな?」
「ええ」
ディーンが槍についた血を払う。
「何してる。進むぞ」
ソーマは改めて男を見る。
派手な魔法もない。
必殺技らしいものもない。
たった数回、槍を突いただけ。
「Aランクって、あんななのかよ……」
思わず呟いた。
◇
倒したケイブワームを調べるため、調査隊が少し止まる。
魔法使いたちが魔力の状態を確認。
別の冒険者たちが周囲の死骸を調べ始めた。
ソーマも《索敵》を使う。
「……やっぱり奥だ」
ディーンが振り返る。
「何が?」
「魔物の痕跡です」
昨日と同じ。
いや。
昨日よりさらにはっきりしている。
複数の魔物。
種類も違う。
それらの移動した痕跡が、この場所よりさらに奥へ続いている。
「ケイブワームで終わりじゃないです」
魔法使いの1人も顔を上げた。
「魔力も奥の方が濃いですね」
ディーンは暗闇を見る。
その先には。
昨日、ソーマとエステルが進まなかった道がある。
「隊列を組み直す」
ディーンが言った。
「ここから先は未知の区域だ」
全員の表情が引き締まる。
ソーマも暗闇へ目を向ける。
《索敵》には、さらに奥へ続く複数の痕跡。
そして。
まだ距離はある。
だが。
どこかに、生き物の反応もある。
1つではない。
ソーマは小さく息を吐いた。
昨日は2人でここまで来た。
今日はAランクを含む調査隊がいる。
それでも。
旧鉱山の奥がどこまで続いているのか。
まだ誰にも分からなかった。




