倒さないという判断
暗闇の奥で、何かがゆっくりと動いた。
ズ……。
ズズ……。
岩でも引きずっているような重い音が、坑道の奥から響いてくる。
ソーマは動かなかった。
隣にいるエステルも、剣の柄を握ったまま暗闇を睨んでいる。
手にした灯りでは、まだその姿までは届かない。
ただ、《危機察知》だけははっきりと反応していた。
今までとは違う。
フォレストウルフやフォレストボアと向き合った時よりも、明らかに強い。
胸の奥を押さえつけられるような嫌な感覚だった。
「エステル」
ソーマは小さな声で呼んだ。
「何?」
「これ、戦ったらまずい」
「……私もそう思う」
エステルも声を落とす。
ズズ……。
音が近づいてきた。
やがて、灯りの端に何かが映る。
最初に見えたのは、岩のような表面だった。
だが、それがゆっくりと動いた。
「でか……」
ソーマは思わず呟く。
太い胴体。
地面すれすれを這う巨大な身体。
節のある外殻は灰色で、岩壁と見分けがつきにくい。
頭部には大きく開く口があり、その周囲に細かな牙が並んでいた。
坑道の半分近くを塞ぐほどの巨体。
エステルの表情が険しくなる。
「ケイブワーム」
「知ってるのか?」
「Cランクの魔物よ」
ソーマはもう1度、目の前の巨体を見る。
「……帰ろう」
「即決ね」
「Eランク2人でCランクと戦う理由ないだろ」
依頼は討伐ではない。
調査だ。
しかも受付嬢から、危険なら撤退するように言われている。
ここで無理に戦う方がおかしい。
ソーマはゆっくりと1歩後ろへ下がった。
ケイブワームはまだこちらに気づいていないのか、壁際で身体を動かしているだけだった。
「でも、もう少しだけ見たい」
エステルが小声で言った。
「俺も」
何も分からないまま戻れば、魔物がいたという報告しかできない。
なぜここへ魔物が集まっているのか。
その手がかりくらいは欲しかった。
2人は音を立てないよう、少し離れた岩陰まで戻った。
そこから周囲を見る。
すると、さっきまでは暗くて気づかなかったものが次々と見えてきた。
地面に落ちた灰色の毛。
折れた牙。
砕けた骨。
乾いた血。
さらに奥には、小型の魔物らしい骨がいくつも散らばっている。
ソーマはしゃがみ込んだ。
「これ……」
見覚えのある毛だった。
「フォレストウルフじゃない?」
エステルが言う。
「ああ」
少し離れた場所には、太い牙も落ちている。
おそらくボア系の魔物。
入口で見た足跡と一致する。
ソーマは痕跡へ意識を向けた。
《追跡 Lv1》。
鉱山へ入ってきた魔物たちの痕跡が、少しずつつながっていく。
入口。
坑道。
そしてこの場所。
「なるほどな」
「何か分かった?」
「出てこなかったんじゃない」
ソーマは散らばった骨を見る。
「出てこれなかったんだ」
エステルも理解したようだった。
「ケイブワームに食べられた?」
「たぶん」
これで1つの謎は解けた。
鉱山へ入った魔物たちは、ここまで来てケイブワームの餌になっている。
だから戻った足跡がほとんどなかった。
だが。
「おかしいわね」
エステルが呟いた。
「やっぱり?」
「ええ」
魔物だって生き物だ。
自分より明らかに強い存在がいる場所へ、好き好んで何匹も入っていくとは考えにくい。
しかも、足跡は1種類ではなかった。
「ケイブワームが外まで狩りに出てるとか?」
「それなら、入口の周りにも痕跡が残るはずよ」
確かにそうだ。
ソーマは再び周囲を見る。
フォレストウルフ。
ボア系。
小型の魔物。
種類の違う魔物たちが、自分からこの旧鉱山へ入ってきている。
「何かに引き寄せられてる?」
ソーマが言う。
エステルは答えず、坑道の奥へ目を向けた。
しばらくして、眉をひそめる。
「……魔力が濃い」
「分かるのか?」
「少しだけ。奥から流れてきてる」
エステルが指したのは、ケイブワームがいる場所よりさらに奥だった。
灯りの届かない暗闇。
そこから、通常より濃い魔力が流れてきているらしい。
「こいつも、それでここまで来た可能性ある?」
「あると思う」
だとすると。
魔物が集まっている原因は、ケイブワームではない。
さらに奥に何かある。
ソーマは暗闇を見つめた。
《危機察知》はまだ強く反応している。
むしろ、奥へ意識を向けるほど嫌な感覚が増していく。
「……ここまでだな」
「ええ」
今度はエステルも迷わなかった。
「この先は私たちが調べる場所じゃないわ」
それでいい。
原因が完全に分からなくても、情報は十分に集まった。
Cランク魔物。
大量の魔物の死骸。
奥から流れてくる濃い魔力。
これだけ持ち帰れば、ギルドが次の判断をできる。
2人はゆっくりと来た道を戻り始めた。
◇
しばらく進んだところで。
背後から音がした。
ズズッ。
さっきより速い。
ソーマが振り返る。
「……気づかれたか?」
遠くの暗闇で、巨大な身体が動いた。
次の瞬間。
ズズズズッ!
「走れ!」
2人は一斉に駆け出した。
後ろから、地面を擦るような音が追ってくる。
見た目に反して速い。
「ケイブワームってこんな速いのかよ!」
「私に聞かないで!」
「知ってたんじゃないのか!」
「名前とランクだけよ!」
「役に立たねえ!」
「今それ言う!?」
走りながらも、ソーマは《警戒》を広げる。
坑道は途中で何度か分かれていた。
来た道を間違えれば、そのまま奥へ迷い込む。
右。
左。
正面。
周囲の気配を探る。
さらに足元を見る。
《追跡 Lv1》。
自分たちが通ってきた痕跡を拾う。
「次、左!」
ソーマが叫ぶ。
2人は左の坑道へ飛び込んだ。
直後。
《危機察知》。
強い反応。
「待て!」
ソーマが急停止した。
エステルも慌てて止まる。
「何?」
「このまま行くのはまずい」
灯りを前へ向ける。
数m先。
地面が崩れていた。
そのまま走っていれば、深い穴へ落ちていたところだ。
「……危な」
「じゃあどっち?」
ソーマは周囲を見る。
右側に細い坑道。
だが、そこへ入っていいかは分からない。
《警戒》。
何かいる感覚はない。
《追跡》。
薄いが、自分たちが通った痕跡が続いている。
「右!」
再び走る。
後ろからケイブワームの音が迫る。
細い坑道へ入ると、巨体では曲がりにくいのか、少しだけ音が遠ざかった。
「効いてる!」
エステルが後ろを見る。
「そのまま!」
出口方向へ進む。
ただ、まだ安心できない。
途中で崩れかけた支柱が見えた。
ソーマの《危機察知》が一瞬だけ反応する。
「そこ触るな!」
エステルが伸ばしかけた手を引く。
「分かった!」
壁際を抜ける。
後ろでは、ケイブワームが狭い坑道へ無理やり身体を押し込んでいた。
古い支柱が軋む。
嫌な音が響いた。
「まずい、崩れる!」
2人はさらに速度を上げる。
外の光が見えた。
「出口!」
あと少し。
背後で大きな音がした。
支柱が折れる。
岩が崩れる。
ソーマとエステルは最後の距離を一気に駆け抜けた。
◇
外へ飛び出す。
直後。
背後から轟音が響いた。
旧鉱山の入口付近から土煙が上がる。
ソーマは地面へ手をつき、荒く息を吐いた。
「……死ぬかと思った」
エステルも肩で息をしている。
「戦わなくて正解だったわね」
「当たり前だろ」
Cランク。
まだ自分たちが相手にするには早い。
ソーマは鉱山の入口を見る。
ケイブワームが追ってくる気配はない。
崩れた場所を越えられないのか。
それとも、外まで出る気がないのか。
どちらにしても助かった。
「戻ろう」
ソーマが言う。
エステルも頷く。
今回の依頼で必要なのは討伐ではない。
持ち帰るべき情報は、もう十分にある。
◇
夕方。
2人は冒険者ギルドへ戻った。
受付嬢は報告を聞き始めると、すぐに表情を変えた。
「Cランクのケイブワーム?」
「はい」
ソーマは順番に説明する。
旧鉱山へ複数種類の魔物が入っていること。
戻った足跡がほとんどなかったこと。
内部に魔物の死骸が大量にあったこと。
ケイブワームがそれらを捕食していた可能性。
そして。
「ケイブワームより奥から、かなり濃い魔力が流れてきてるみたいです」
受付嬢がエステルを見る。
「間違いありませんか?」
「少なくとも、普通の鉱山で感じるようなものではなかったわ」
受付嬢はすぐに記録を書き始めた。
「分かりました。この件はギルド側で改めて調査隊を編成します」
「依頼はどうなります?」
ソーマが聞く。
「成功です」
「倒してないですけど」
受付嬢が顔を上げる。
「今回お願いしたのは討伐ではありません」
そして、少し笑った。
「生きて情報を持ち帰ってくることです」
ソーマは黙って聞く。
「むしろ、Cランク魔物を確認した時点で深入りせず、必要な情報を集めて撤退した判断を評価します」
「逃げたのに?」
「逃げられるのも実力ですよ」
その言葉に、ソーマは少し納得した。
倒せない敵と戦って死ぬ。
それでは依頼を達成したことにはならない。
自分たちの力を判断して、戻る。
それも冒険者の仕事なのだ。
受付嬢は書類へ何かを書き込む。
「これで、お2人のDランク昇級に必要な評価はかなり揃いました」
ソーマが反応する。
「かなり?」
「あと少しですよ」
またそれか。
ソーマは苦笑する。
隣を見ると、エステルは少し嬉しそうだった。
◇
その夜。
宿へ戻ったソーマは、ベッドへ腰を下ろした。
今日はさすがに疲れた。
Cランク魔物から全力で逃げ回ったのだ。
「明日、筋肉痛になりそうだな……」
何となくステータスを開く。
今回の調査では、《警戒》も《追跡》も何度も使った。
何か変化があるかもしれない。
上から順番に眺めていく。
そこで、ソーマの目が止まった。
「……あれ?」
もう1度見る。
ない。
《警戒》がない。
《追跡 Lv1》も見当たらない。
「消えた?」
一瞬焦った。
だが、その代わりに見覚えのないスキルが1つ増えている。
《索敵 Lv1》
ソーマはしばらくその文字を見つめた。
周囲の気配。
残された痕跡。
今日、何度も2つを組み合わせて使った。
「もしかして……」
試しに《索敵》へ意識を向ける。
宿の外。
廊下。
少し離れた場所に人の気配がある。
さらに、自分がここまで歩いてきた痕跡のようなものも以前より捉えやすい。
《警戒》と《追跡》。
その両方に近い。
「融合したのか」
これまでにもスキルが増えたり、派生したりすることはあった。
だが、元のスキルそのものが消えたのは初めてだ。
ソーマはステータスを眺めながら呟く。
「スキルって、融合すると元のやつが消えることもあるんだな」
《索敵 Lv1》。
また1つ。
現代で積み重ねてきた経験と、異世界での経験が混ざり合って、新しい力になったらしい。
ソーマはステータスを閉じ、ベッドへ倒れ込んだ。
Dランクまで、あと少し。
そして自分のスキルも、少しずつ変わり始めていた。




