変わらぬ日常
月曜日。
スマホのアラームが鳴り、ソーマは布団の中から手を伸ばした。
画面に表示された時刻を確認して、数秒だけ天井を見つめる。
昨日まで異世界にいた。
エステルと街を歩き、買い物をして、最後はいつもの扉を通ってこの部屋へ戻ってきた。
それなのに朝になれば、待っているのはいつもの大学生活だ。
「……切り替え早すぎだろ」
異世界では冒険者。
現代では大学生。
我ながら、とんでもない2重生活をしている。
もっとも、大学を休むわけにもいかない。
ソーマは身体を起こし、眠気の残る顔を洗いに向かった。
◇
午前中の講義を終え、昼休み。
ソーマは学食で定食を食べながら、スマホを眺めていた。
開いているのは、いつもの単発バイトアプリだ。
異世界で稼いだ金をこちらへ持ってくることはできない。
当然、異世界で身につけたスキルも現代では使えない。
どれだけ向こうで冒険者らしくなっても、こちらに戻れば普通の大学生だ。
家賃も食費も、自分で稼がなければならない。
「今週も働くか……」
画面をスクロールしていく。
飲食店。
倉庫。
清掃。
引越し。
イベントスタッフ。
その中で、1つの募集が目に留まった。
『イベント会場設営スタッフ』
勤務時間は午後から夜までの6時間。
長机や椅子の搬入、パネルの組み立て、会場内の備品配置が主な仕事らしい。
時給も悪くない。
「これでいいか」
ソーマはそのまま応募ボタンを押した。
◇
午後。
講義を終えたソーマは、その足でイベントホールへ向かった。
現場には大量の長机や椅子、折り畳まれたパネルが並べられている。
受付を済ませると、作業着姿の男に声をかけられた。
「こういう仕事、初めて?」
「何回か似たようなのはやったことあります」
「じゃあ大丈夫そうだな。まず、そこの机を奥のエリアまで運んでくれ」
「はい」
2人1組で長机を運ぶ。
次は椅子。
その次はパネル。
さらに案内用のスタンド。
作業そのものは難しくないが、会場が広いため、何も考えずに動いていると何度も同じ場所を往復することになる。
ソーマは作業を続けながら、少しずつ運ぶ順番を変えていった。
先に奥で使う物をまとめて運ぶ。
入口近くで使う物は後回しにする。
空になった台車で戻る時には、別の場所で使う資材を載せる。
以前にも似たような現場へ入った経験がある。
だからこそ、どう動けば少し楽になるのかは何となく分かっていた。
「兄ちゃん、手際いいな」
隣で机を運んでいた男が感心したように言った。
「バイトばっかやってるんで」
「大学生?」
「一応」
「一応ってなんだよ」
笑われながら、ソーマは次の机を持ち上げる。
6時間後。
何もなかったホールには、いくつもの区画と受付スペースが出来上がっていた。
腕は重く、腰にも少し疲れが残っている。
それでも、自分たちが運んだ物で会場が完成していくのを見るのは意外と悪くなかった。
帰りの電車。
ソーマは明日の授業時間を確認すると、再びバイトアプリを開いた。
「……もう1個入れるか」
◇
火曜日。
この日の仕事は物流倉庫だった。
大学の講義を終えたあと、夕方から5時間。
段ボールに貼られた番号を確認し、指定された場所へ仕分けていく。
似たような仕事は、これまで何度も経験していた。
番号を見る。
置き場を確認する。
荷物を運ぶ。
やることだけなら単純だ。
ただ、作業を続けていると自然と無駄な動きが減ってくる。
近い場所へ運ぶ荷物をまとめる。
重い物は下に置く。
次に使う台車を空いているうちに確保しておく。
異世界なら《仕分け》や《運搬》として力になる経験も、この世界ではただの経験でしかない。
スキルとして使えるわけではないし、ステータスを確認することもできない。
それでも、これまで覚えてきたやり方まで消えるわけではなかった。
「ソーマ君、もうその列終わったの?」
近くにいたスタッフが声をかけてきた。
「終わりました」
「早いね」
「似た仕事、結構やってるんで」
最近、この台詞をよく使っている気がする。
作業を終えて外へ出ると、すでに夜だった。
スマホで時間を確認する。
「月曜6時間で、今日5時間か……」
2日で11時間。
誰かに強制されているわけではない。
全部、自分で応募している。
それでも数字にすると、少し働きすぎている気がした。
◇
水曜日。
この日は朝から展示会の設営へ入った。
勤務時間は8時間。
会場へ入った瞬間、月曜日とは規模が違うことが分かった。
大量のパネル。
企業ごとに分けられた展示スペース。
長机や椅子だけでなく、展示用の台や案内看板も積まれている。
床には電源ケーブルまで這っていた。
「そこの3人、この区画お願い!」
現場責任者から図面を渡される。
ソーマは同じアルバイト2人と一緒に作業を始めた。
最初は図面通りにパネルを並べていたが、途中で1人が手を止める。
「これ、どっちから組む?」
ソーマは奥に積まれた資材と、これから作る壁の位置を見比べた。
「奥からやった方がよくないですか? 入口側から作ると、あとで資材入れにくくなりそうなんで」
「ああ、確かに」
作業順を変える。
奥からパネルを組み、手前へ進む。
パネルが終わったら机を置き、そのあとで椅子と看板を配置する。
1度流れができてしまえば、作業は早かった。
午後には別の区画へ回され、そこでも似た作業を繰り返す。
組み立て方だけではない。
どこに資材を置けば邪魔にならないのか。
何を先に終わらせれば、後の作業が楽になるのか。
同じ仕事を続けるうちに、少しずつ分かることが増えていった。
「今日、設営初めてじゃないよね?」
責任者から聞かれる。
「月曜も別の会場でやりました」
「それだけ?」
「前にも何回か似たようなのは」
「なるほどな。慣れてるわけだ」
別に特別なことをしているつもりはない。
ただ、何度もやっているだけだ。
8時間の勤務を終えた頃には、さすがに全身が重かった。
帰宅すると、そのままベッドへ倒れ込む。
「明日は……」
スマホを見る。
すでに次の仕事を入れていた。
イベント会場の設営と撤去。
6時間。
ソーマは画面を見つめたまま、小さく息を吐いた。
「入れすぎたかもしれない」
そう思ったが、今さらキャンセルするほどでもない。
そのままスマホを置き、目を閉じた。
◇
木曜日。
今週3度目の設営現場。
今回は小規模なイベントで、設営だけではなく終了後の撤去まで行う仕事だった。
テーブルを並べる。
椅子を配置する。
看板を立てる。
簡単な仕切りを作る。
イベントが終われば、そのすべてを片付ける。
設営だけをやっていた時には気づかなかったこともあった。
最初に資材を適当に置いてしまうと、撤去する時に邪魔になる。
逆に、片付ける順番まで考えて配置しておけば、最後の作業がかなり楽になる。
「これ、最初からこっちに置いとけばよかったな」
一緒に作業していたスタッフが呟く。
ソーマも周囲を見ながら頷いた。
「次に使うなら、まとめてこっちに置いた方が早そうですね」
「だな。そっち寄せとこう」
作るだけではない。
終わったあとまで考える。
同じ設営でも、現場によって考えることは少しずつ違う。
撤去作業が始まる頃には、ソーマも次に何を片付けるのか、いちいち指示を待たなくても分かるようになっていた。
6時間の作業を終え、帰宅する。
月曜日から数えて、設営だけで20時間。
火曜日の倉庫作業を合わせれば25時間になる。
「あと1日か……」
明日は金曜日。
そして夜になれば、あの扉が現れる。
疲れているはずなのに、そう考えると少しだけ気分が上がった。
◇
金曜日。
この日の仕事は、今週の中でも1番規模が大きかった。
週末に開催される大型イベントの前日設営。
勤務時間は8時間。
会場となる広場には、大量のテントや柵、長机、椅子、案内板が運び込まれている。
「今日は長いぞ! 事故だけは気をつけろよ!」
責任者の声が響いた。
作業はテントの設営から始まった。
骨組みを広げる。
脚を伸ばす。
屋根を固定する。
位置を合わせて杭を打つ。
1つ終われば、次のテントへ移る。
最初は指示を受けてから動いていたソーマも、昼を過ぎる頃には次に何が必要になるのか予想できるようになっていた。
「ロープ持ってきます」
「おう、頼む!」
「次、向こうのテントですよね?」
「そうそう。それ終わったら机な」
何度も繰り返している仕事だ。
慣れて当然だとソーマは思っていた。
午後になると、テントの設営がほぼ終わり、今度は机や案内板、柵の配置へ移った。
そんな時だった。
「すみません!」
主催者側のスタッフが慌てた様子でやってくる。
「ここの通路、もう少し広くできませんか? 思っていたより人が集中するみたいで」
責任者が図面を見る。
すでにテントと案内板の配置はほとんど終わっていた。
「今からか……」
単純に通路だけ広げればいいわけではない。
テントを横へ動かせば、隣の区画にはみ出す。
案内板も邪魔になる。
柵の位置まで変えるとなれば、かなりのやり直しだ。
「こっち全部動かします?」
「でも、それだと柵もやり直しですよ」
「時間足りるか?」
スタッフたちが相談を始める。
ソーマも少し離れた場所から、完成しかけた会場を眺めた。
通路。
テント。
机。
案内板。
柵。
そして、実際に人が歩くであろう方向。
今週、何度も設営をしてきた。
物を運び、組み立て、配置し、撤去まで経験した。
そのせいなのか、以前よりも会場全体を見る癖がついている。
ソーマはしばらく考えてから、責任者へ声をかけた。
「あの」
「ん?」
「このテント、横じゃなくて少し後ろに下げたらどうですか?」
責任者がテントを見る。
ソーマは続けた。
「案内板を反対側に移して、机を90度回せば通路を広げられると思います。柵も全部じゃなくて、この2枚だけ動かせばいけそうです」
責任者が図面と現場を交互に見る。
数秒後。
「……いけるな」
「ですよね」
「よし、それでやるぞ!」
周囲のスタッフが一斉に動き出した。
ソーマもテントの移動に加わる。
先に机を動かし、案内板を移す。
そのあとでテントを後ろへ下げ、最後に柵を調整する。
全部を壊してやり直す必要はなかった。
しばらくして作業が終わる。
通路は最初よりも広くなり、それでも隣の区画には干渉していない。
主催者側のスタッフが確認し、何度も頷いた。
「ありがとうございます。これなら大丈夫です」
責任者がソーマの肩を軽く叩く。
「助かったわ」
「たまたま思いついただけですよ」
「その、たまたまが大事なんだよ」
そう言われ、ソーマは少しだけ照れくさくなった。
別に、自分が急に何か特別なことをできるようになったとは思わない。
今週だけで何度も似た現場に入った。
だから、少し慣れただけだ。
結局、その日も夕方まで作業を続けた。
勤務時間は8時間。
今週の設営バイトは合計28時間。
火曜日の倉庫作業まで含めれば、5日間で33時間働いたことになる。
「……さすがに疲れた」
帰りの電車で座った瞬間、身体から力が抜けた。
◇
夜。
ソーマが自宅へ戻った時には、すっかり外も暗くなっていた。
コンビニで買った夕食を済ませ、シャワーを浴びる。
そのままベッドへ倒れ込みたいところだったが、今日は金曜日だ。
ソーマは壁を見る。
しばらく待っていると、何もなかったはずの場所に、ゆっくりと木の扉が現れた。
「来たか」
何度見ても、不思議な光景だ。
今では驚くよりも、週末が始まる合図のように感じるようになっていた。
ソーマは立ち上がり、扉の前へ向かう。
「今週は働いたな……」
月曜日から金曜日まで、ほぼ毎日バイトを入れた。
特に設営は28時間。
机を運び、パネルを組み、テントを立て、撤去もした。
最後には、会場全体を見て配置まで考えた。
その経験が異世界でどう反映されるのかは分からない。
現代では確認する方法がないからだ。
扉の取っ手を握る。
「まあ、行けば分かるか」
ソーマは扉を開けた。
◇
1歩向こうへ踏み出した瞬間、空気が変わった。
見慣れた部屋は消え、代わりに石造りの路地が広がっている。
服装も変わっていた。
腰には短剣。
現代で持っていたスマホや財布はなくなっている。
「戻ってきたな」
ソーマは軽く身体を動かしてから、自分の状態を確認する。
そして、ふと思い出した。
今週はかなり働いた。
もしかすると、何か変化があるかもしれない。
ソーマはステータスを開いた。
並んだ項目を上から確認していく。
そこで、視線が止まった。
見覚えのない文字が増えている。
《設営 Lv2》
「……設営?」
もう1度見る。
間違いない。
しかもLv1ではない。
最初に確認した時点で、すでにLv2になっている。
「いきなりLv2かよ」
思い当たることは1つしかない。
今週ずっとやっていた、イベント会場の設営だ。
机を並べた。
パネルを組んだ。
テントを立てた。
撤去もした。
最後には、会場全体を見て配置まで考えた。
おそらく、その経験がそのまま反映されたのだろう。
「28時間もやれば、そりゃ上がるか……」
ソーマは《設営 Lv2》の文字を眺める。
戦闘に使えそうな名前ではない。
魔物を倒せるわけでも、身体能力が上がるわけでもなさそうだ。
それでも、これまでの経験から分かっている。
地味に見えるスキルほど、思わぬところで役に立つ。
《運搬》もそうだった。
《仕分け》もそうだった。
そして今回も、おそらく同じだ。
「まあ、使い道はそのうち分かるか」
ソーマはステータスを閉じる。
今週もまた、異世界での週末が始まった。




