今日は依頼じゃなくて買い物
Dランク推薦用の依頼候補を受け取ったあと、ソーマとエステルはギルドを出た。
まだ昼を少し過ぎたくらいだったが、さすがのソーマも今日は追加の依頼を受けるつもりはなかった。昨夜は初めての野営で、朝から街まで戻ってきたばかりだ。身体に強い疲れが残っているわけではないが、今日は少しくらい仕事以外の時間を過ごしてもいい気がしていた。
ギルドを出て少し歩いたところで、エステルがこちらを見る。
「今日はもう依頼を受けないんですか?」
「今日はいいかな。夜にちょっと用事あるし」
エステルがわずかに目を見開いた。
「ソーマが自分から休むんですね」
「そんな珍しい?」
「かなり」
即答だった。
少し納得がいかないまま歩いていると、今度はエステルの方が何か言いたそうにこちらを見た。
「どうした?」
「それなら……買い物に付き合ってもらえませんか?」
「買い物?」
「鎧の下に着る服を何枚か買いたくて。昨日の野営でも少し汚れましたし」
そう言ってから、エステルはソーマの服にも目を向けた。
「ソーマも、いつも似たような服ですよね」
「服なんて着られればよくない?」
「よくないと思います」
「この服買う金で宿何泊できるか考えるとさ」
「また宿代ですか?」
最近、このやり取りにも慣れてきたらしい。
呆れられてはいるが、エステルの口元は少し笑っていた。
◇
エステルが選んだのは、冒険者や職人がよく利用するという服屋だった。
華やかなドレスが並ぶ店ではなく、丈夫なシャツや動きやすいズボン、鎧の下に着ても擦れにくい服が多い。
「もっと女の子っぽい店に行くのかと思ってた」
「冒険者が着る服を買いに来たんですよ?」
「エステルって、見た目の割に実用性重視なんだな」
言った直後に、少し嫌な予感がした。
「見た目の割に?」
エステルがこちらを見る。
「いや、悪い意味じゃなくて」
「じゃあどういう意味?」
「その……綺麗だから、もっと服とかこだわるのかと思ってた」
今度はエステルが少し黙った。
「……そういうことなら、いいです」
どうやら許されたらしい。
店員に案内され、エステルは何着か服を選んで試着室へ入っていった。
ソーマはその間に自分用の服も眺めてみる。
生成りのシャツ。
濃い色のズボン。
薄手の上着。
値札を見る。
「高くない?」
思わず声に出したところで、試着室の布が開いた。
「……どう?」
エステルが出てくる。
いつもの重装備ではない。
白っぽいブラウスに、淡い青のロングスカート。腰には細い革ベルトを巻いていて、長い金髪もいつもより少し柔らかく下ろしている。
ソーマは一瞬だけ言葉に詰まった。
鎧がないだけで、印象がかなり違う。
いつものエステルは、綺麗な顔立ちより先に重装備が目に入る。今は、本当に同年代の普通の女の子に見えた。
「似合ってる」
「ほんと?」
「うん。鎧の時と全然違うな」
「それ褒めてる?」
「褒めてるつもり」
エステルが小さく笑った。
話し方が少し砕けていることに、ソーマは特に気づかないまま会話を続ける。
「じゃあ、これにする」
「早いな」
「気に入ったから」
エステルはもう一度鏡の前で服を見ると、満足そうに頷いた。
そのままこちらを向く。
「次、ソーマ」
「俺?」
「せっかく来たんだから買えばいいでしょ」
「いや、俺は――」
「いつも同じような服だし」
逃げ道を塞がれた。
◇
結局、ソーマも服を選ばされることになった。
エステルが持ってきたのは、生成りのシャツと濃い灰色のズボン、それに薄手の上着だった。
「こっちの方がいいと思う」
「これ?」
「うん。革鎧の下にも着やすそう」
「値段は?」
エステルが呆れた顔をする。
「またそこから見るの?」
「大事だろ」
「ちゃんと似合うかも見て」
言われるまま試着してみると、確かに悪くなかった。
普段着としても使えるし、革鎧の下に着ても邪魔にならない。
「どう?」
今度はソーマが聞く。
エステルは少しだけ考えてから頷いた。
「うん。そっちの方がいい」
「じゃあ買うか……」
最後まで値段は気になったが、さすがに服くらいは必要だ。
何着かまとめて、銀貨3枚。
支払いを済ませたあと、ソーマは財布の中身を確認した。
残りは銀貨19枚と銅貨5枚。
「……銀貨3枚か。銀鹿亭1泊分じゃん」
「服を全部宿代に換算するのやめない?」
「でも同じ銀貨3枚だぞ」
「そういう問題じゃないと思う」
エステルが呆れながら笑う。
◇
店を出ると、エステルが持っていた袋をソーマが自然に受け取った。
「持つよ」
「ソーマも自分の分あるでしょ」
「これくらいなら全然」
《運搬》もある。
そもそも、この程度の荷物で困ることはない。
「……本当に荷物持ちが板についてるね」
「褒めてないだろ」
「褒めてるよ」
「最近それ信用できなくなってきた」
エステルが笑う。
そのまま街を歩いていると、甘い匂いのする屋台の前で彼女が足を止めた。
焼いた生地に、果物を煮詰めたものを挟んだ菓子らしい。
「食べる?」
ソーマが聞く。
「いいの?」
「そのくらいは」
2つ買い、近くのベンチへ座った。
ひと口食べたエステルが、少し目を細める。
「これ、おいしい」
「甘いの好きなんだ」
「好き。ソーマは?」
「俺も嫌いじゃない」
依頼の途中でも、訓練中でもない。
ただ座って食べているだけ。
考えてみれば、エステルとこんな時間を過ごすのは初めてだった。
「Dランクになったら、何したい?」
ソーマが聞く。
エステルは少し考える。
「少し遠い町への護衛とか。今より長い依頼も受けてみたいかな」
「泊まりなら宿代――」
「それ以上言ったら帰るよ」
「すみません」
思ったより本気だった。
「ソーマは?」
「俺?」
「Dランクになったらやりたいこと」
すぐには答えが出なかった。
強い魔物を倒したいわけでもないし、有名になりたいわけでもない。
ただ、できることが増えていくのは楽しい。
「今より色んな依頼できればいいかな。知らない場所にも行ってみたいし」
「じゃあ一緒だね」
「そうかも」
そんな話をしながら、しばらく街を眺めていた。
沈黙になっても、以前ほど気まずくない。
それが少し不思議だった。
◇
店を出た時にはまだ昼だったのに、気づけば空が夕方の色へ変わり始めていた。
「そろそろ帰るね」
エステルが立ち上がる。
「うん」
買い物袋を返す。
受け取ったエステルが少しだけ迷ったあと、ソーマを見る。
「今日は楽しかった」
「依頼じゃないのに?」
「依頼じゃないから、かも」
その答えに、ソーマも少し笑った。
「俺も楽しかった。また行く?」
「うん。また行こう」
依頼以外で次に会う約束をしたのは、これが初めてだった。
エステルが少し歩いたところで振り返る。
「次に来た時も、ちゃんと休んでね」
「それは約束できない」
「そこは変わらないんだ」
笑いながら手を振り、エステルは人通りの中へ消えていった。
ソーマは自分の買い物袋を見る。
異世界で、普段着を買った。
最初にこの世界へ来た頃なら、考えもしなかったことだ。
いつ帰れるかわからず、宿代を稼ぐだけで精一杯だった。今は、次に来た時に着る服まである。
その事実が、妙にこの世界での生活を実感させた。
◇
夜。
ソーマは一度銀鹿亭へ戻った。
今日は泊まるつもりはない。帰還の扉が出るなら、そのまま日本へ戻る予定だからだ。
食堂ではマルタが片付けをしていた。
「今日は泊まらないのかい?」
「うん。夜にちょっと用事あるから」
「昨日は外で寝て、今日は服買って、そのまままた出かけるのかい。相変わらず忙しいねえ」
「俺もそう思う」
「自覚あるなら少し休みな」
結局、ここでも同じことを言われた。
ソーマは苦笑しながら、今日買った服を軽く確認する。
異世界の物は、日本へ戻れば見えなくなる。
それでも次に来れば、また戻ってくるはずだ。
「じゃあ、また来るよ」
「ああ。次はちゃんと泊まりな」
「たぶん」
「そこは“はい”って言うところだよ」
マルタに呆れられながら、ソーマは銀鹿亭を出た。
◇
夜の街を歩き、いつもの路地へ向かう。
今日は依頼を受けなかった。
戦ってもいない。
服を買い、甘いものを食べ、エステルと話しただけだった。
それなのに、不思議と満足感がある。
路地へ入ると、石壁の一角には予想通り木製の扉が現れていた。
日本側では10月25日、日曜日。
これまでの流れが変わっていなければ、向こうへ戻る時間だ。
ソーマは取っ手へ手をかける前に、少しだけ街の方を振り返った。
次に来たら、Dランク推薦のための依頼を受ける。
エステルともまた組む。
買った服も着る。
この世界へ来ることが、もう特別な出来事ではなくなり始めている。
ソーマは扉を開いた。
向こう側には、見慣れたワンルームが広がっている。
境界を越えた瞬間、新しく買った服も短剣も革鎧も見えなくなり、代わりにスマホや財布、鍵が戻ってきた。
画面を確認する。
10月25日、日曜日。
23時台。
「やっぱり日曜か」
予想通りだった。
明日は月曜日。
また1限から大学が始まる。
ソーマはベッドへ腰を下ろし、少しだけ今日のことを思い返した。
異世界で服を買って、女の子と甘いものを食べて、また一緒に買い物へ行く約束をした。
「……普通に遊んでたな」
自分で言って、少し笑う。
数時間後には大学生へ戻る。
その後は、またバイト。
そして金曜日になれば、また扉が現れる。
次に向こうへ行く理由が、以前より少しずつ増えている気がした。
最後までお付き合いいただき感謝します。
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