初めての野営
翌朝、ソーマが銀鹿亭の1階へ降りると、マルタはすでに朝食の準備を始めていた。
焼いたパンの匂いが漂う食堂には、早起きの宿泊客が何人か座っている。ソーマもいつもの席へ向かおうとしたが、革鎧まで身につけた姿を見たマルタが先に声をかけてきた。
「また朝から仕事かい?」
「まだ何も決めてないけど」
「その格好で降りてきて、仕事じゃないは無理があるよ」
言われて自分を見る。
革鎧に短剣、その反対側にはガルドからもらったナイフ。確かに、朝食を食べて二度寝する人間の格好ではなかった。
「今日はギルドで相談してから決めるんだよ」
「何を?」
「Dランク目指すなら、どんな依頼やった方がいいのかなって」
マルタはスープの入った器をテーブルへ置きながら、感心したのか呆れたのかわからない顔をした。
「この前までFだったのに、もう次の話してるのかい」
「すぐ上がるってわけじゃないよ。目標として」
「だったら、たまには休むって目標も作りな」
「最近それ、いろんな人に言われるな……」
「いろんな人に言われるなら、あんたの方がおかしいんだよ」
反論できなかった。
ソーマは大人しく朝食を食べると、マルタに見送られながら銀鹿亭を出た。
◇
ギルドへ着くと、エステルはすでに受付近くにいた。
最近は待ち合わせを決めていなくても、朝に行けばだいたい会えるようになっている。
「おはようございます」
「おはよう。今日はまだ依頼取ってない?」
「ソーマが来るまで待っていました」
「俺、信用されてる?」
「勝手に3件くらい取られる前に止めようと思って」
「そっちかよ」
2人で受付へ向かうと、エレナが笑いながら迎えてくれた。
「今日はどうしました?」
「ちょっと聞きたいことがあって」
ソーマはエステルと顔を見合わせてから続ける。
「俺たち、Dランク目指すなら、これからどんな依頼をやった方がいいですか?」
エレナは少し驚いたようだったが、すぐに真面目な表情になった。
「そうですね。討伐依頼をたくさんこなせばいい、というわけではありません」
やはり、そこは以前聞いた通りらしい。
冒険者ランクは戦闘力だけで決まるものではない。
護衛、調査、救助、依頼主とのやり取り、危険な状況での判断。そうしたものを含めて、安定して仕事を任せられるかが見られる。
「特にDランクになると、街から少し離れた場所への依頼や、日帰りでは終わらない仕事も増えてきます。2人とも討伐や護衛は経験していますから、そろそろ野営を伴う依頼を経験してもいいかもしれませんね」
「野営?」
ソーマとエステルの声が重なった。
エレナは依頼書の束を確認し、その中から1枚を抜き出した。
【北西伐採地・作業員避難護衛】
推奨ランク:E上位
受注人数:2名以上
予定日数:1泊2日
北西にある伐採地で、最近の地震によって斜面が不安定になっているらしい。
さらに周囲で魔物の目撃も増えたため、作業を一時中断し、残っている作業員たちを近くの村まで移動させることになったという。
「目的は魔物の討伐ではありません。作業員8人を無事に村まで送り届けることが最優先です」
「避難させる仕事か」
「はい。距離がありますので、帰りは無理に夜道を進まず野営を推奨します」
エステルが依頼書を読み込む横で、ソーマは別の部分に反応した。
「……1泊?」
「そうですね」
「ということは」
エステルが嫌な予感を察したらしい。
「ソーマ?」
「今日、銀鹿亭の宿代いらない?」
一瞬、沈黙が落ちた。
エステルがゆっくりこちらを見る。
「最初に気になるのがそこなんですか?」
「1泊銅貨30枚だぞ。普通に大きいだろ」
「初めての野営ですよ?」
「でも宿代は浮く」
受付の向こうで、エレナまで笑いを堪えていた。
「……やっぱりちょっと引きます」
「最近それ言われ慣れてきた」
依頼内容そのものは、今の2人には悪くない。
エステルが前を守り、ソーマが周囲を警戒する。戦闘にならなくても、《警戒》《追跡》《収納》《運搬》は使えるし、Dランクを目指すなら野営経験も必要になる。
2人はその依頼を受けることにした。
◇
出発前に、必要な物資を確認した。
毛布。
水。
保存食。
火打ち石。
簡単な調理器具。
予備の縄。
ランプ。
野営自体が初めてのソーマは、何を持っていけばいいのかよくわかっていなかったが、エレナから最低限必要なものを教えてもらい、《収納》を使って袋へ詰めていく。
隣で見ていたエステルが、途中から少し不思議そうな顔になった。
「まだ入るんですか?」
「入る」
「さっき毛布も入れましたよね?」
「うん」
「水も?」
「ある」
「火打ち石は?」
「ここ」
ソーマがすぐ取り出すと、エステルは感心したように袋を見る。
「……何でも出てきますね」
「《収納》かなり便利なんだよ」
「ソーマ、本当に荷物持ちに向いてますね」
「やっぱ戻るの? 俺の役割そこに戻るの?」
思わず聞くと、エステルが笑った。
「褒めてます」
最近、この言葉を聞く回数が多い気がする。
◇
伐採地までは街から数時間かかった。
途中で一度休憩を挟み、昼過ぎには目的地へ到着する。
山の中腹を切り開いて作られた作業場には、切り倒された木材や簡素な小屋が並んでいた。地震の影響なのか、斜面の一部には新しい崩落跡があり、作業員たちも落ち着かない様子で荷物をまとめている。
避難するのは8人。
怪我人はいない。
荷物をまとめ次第、山を下りた先にある村へ移動する予定だった。
「ソーマさん、周囲の確認をお願いできますか?」
作業員のまとめ役に頼まれ、ソーマは伐採地の周辺を歩いた。
《警戒》に強い反応はない。
《追跡》を使ってみると、森の縁に小型魔物らしい足跡はいくつか残っていたが、今すぐ近くにいる様子もなかった。
問題は斜面だった。
ところどころ地面が崩れやすくなっていて、帰り道として使わない方がよさそうな場所もある。
「こっちの道は避けた方がいいかも」
ソーマが伝えると、作業員の1人が頷いた。
「昨日の揺れで崩れたところだ。少し遠回りになるが、東側の道を使おう」
こういう仕事なら、自分のスキルがかなり役に立つ。
敵を倒すことだけが冒険者の仕事ではない。
エレナが言っていた意味が、少しわかった気がした。
◇
避難は午後から始まった。
エステルが先頭近くを歩き、ソーマは列の中央から後方を行き来する。
8人いる作業員の中には年配の者もいて、全員が同じ速度で歩けるわけではない。
ソーマは後ろへ遅れ始めた者がいれば荷物を受け取り、《重量軽減》と《運搬》でまとめて持つ。
「それ、持てるのか?」
「大丈夫です」
気づけば。
自分の荷物。
野営道具。
作業員の荷物まで。
かなりの量になっていた。
少し前を歩いていたエステルが振り返る。
「……やっぱり荷物持ちですね」
「言うな」
「似合ってますよ」
「フォローになってない」
それでも、作業員が歩きやすくなるなら悪くはない。
順調に進んでいたが、村まであと1時間ほどというところで《警戒》が反応した。
右側の林。
距離は少しある。
「止まって」
ソーマが声を出すと、エステルがすぐに振り返った。
「どちらですか?」
「右。まだ遠いけど、こっちに近づいてる」
作業員たちを道の左側へ寄せる。
数十秒後、木々の間から獣型の小型魔物が数体現れた。
数は4。
Eランクの2人で対処できる程度だ。
エステルが前へ出る。
「ここは私が止めます」
「じゃあ俺は後ろ見る」
「お願いします」
以前なら、ソーマも目の前の敵ばかり見ていた。
今は。
作業員。
後方。
森の反対側。
逃げ道。
それらを確認しながら、エステルの戦いを見る余裕がある。
1体が彼女へ飛びかかる。
盾で受ける。
2体目も近づく。
エステルは無理に倒そうとせず、進路を塞いだ。
その間にソーマの《警戒》が別の反応を拾う。
左後方。
「もう1体!」
列の後ろへ回り込もうとしていた魔物がいた。
ソーマが《軽歩》で距離を詰める。
《刃物扱い》を意識して短剣を走らせ、前脚へ傷を入れる。
敵が止まったところへ、もう一度踏み込む。
倒す。
振り返ると、エステルも前方の魔物を押さえ切っていた。
2人で残りを処理し、戦闘は短時間で終わった。
作業員に怪我はない。
「大丈夫そうだな」
「はい」
エステルが剣を拭きながら頷く。
以前より。
こういう確認すら自然になってきた。
◇
村へ到着した頃には、空が赤く染まり始めていた。
避難してきた作業員たちは村人に迎えられ、その場で依頼完了の証明も受け取ることができた。
これで仕事そのものは終わり。
ただし。
街へ戻るには遅すぎる。
「今日はここから少し戻った場所で野営ですね」
エステルが言った。
「村に泊まれない?」
「宿はないそうです」
「そっか」
少し残念。
しかし。
よく考える。
「でも銀鹿亭の宿代は浮いてる」
エステルが無言でこちらを見る。
「まだ言います?」
「大事だから」
「野営で一晩過ごす方が大変だと思いますけど」
「銅貨30枚」
「はいはい」
もう相手にしてもらえなかった。
◇
村を少し離れたところに、旅人がよく野営に使うという開けた場所があった。
水場も近く、周囲も見渡しやすい。
エステルが場所を確認し、ソーマは《警戒》で周囲に危険がないことを確かめる。
そこから。
初めての野営が始まった。
枯れ枝を集め。
火を起こす。
毛布を広げる。
簡単な食事を用意する。
思っていたよりやることが多い。
ソーマは《収納》から必要な物を次々に取り出した。
火打ち石。
鍋。
保存食。
水。
毛布。
エステルが途中から感心するのを通り越して呆れたような顔になる。
「本当に何でも入ってますね」
「ちゃんと準備したからな」
「これなら野営向いてるかもしれません」
「冒険より野営の才能あるってこと?」
「便利という意味です」
「また便利か……」
最近。
自分の評価が完全に便利枠へ固まりつつある。
火が安定した頃には、周囲はすっかり暗くなっていた。
2人で焚き火を挟み、簡単なスープと保存食を食べる。
依頼中はずっと誰かが周囲にいた。
今は。
森の中。
焚き火。
2人だけ。
不思議と、沈黙は気まずくなかった。
「こういうの初めて?」
ソーマが聞く。
「野営ですか?」
「うん」
「何度か訓練ではあります。でも、冒険者の依頼では初めてです」
「俺は完全に初めて」
「意外です」
「なんで?」
「色々な仕事をしているので、何でも経験してそうです」
「ああ……」
また危ない話題だ。
日本のことまで話すつもりはない。
「やったことない仕事もあるよ」
「例えば?」
「……いっぱいある」
「今考えましたね」
「気のせい」
エステルが笑った。
少しして。
今度はソーマが尋ねる。
「エステルってさ、Dランクになったらどうする?」
「どうする、とは?」
「レオンたちと正式に組む話」
「私は楽しみです」
答えは早かった。
「レオンさんもリナさんも強いですし、勉強になると思います。それに……」
少し間が空く。
「ソーマもいますから」
「俺?」
「今さら何で驚くんですか」
エステルは少し呆れたように言う。
「一緒にDランクを目指してるんでしょう?」
「そうだけど」
「だったら、その先も一緒に組むのは自然だと思います」
それだけの話。
なのに。
妙に嬉しかった。
「そっか」
ソーマは焚き火へ視線を戻す。
薪が小さく爆ぜる。
「俺も、結構楽しみかも」
「結構?」
「かなり」
言い直すと、エステルが少し笑った。
◇
食事を終えると、夜番について決めることになった。
「俺が最初やるよ。《警戒》あるし」
「では私は後半で」
「俺、長めでもいいけど」
「駄目です」
即答だった。
「《警戒》があっても、眠らなくていいわけではないですよね?」
「まあ、そうだけど」
「なら交代です。明日も歩くんですから」
こういうところは。
本当に真面目だ。
「じゃあ半分ずつ」
「はい」
エステルが毛布に入る。
少し離れたところで横になった彼女を確認してから、ソーマは焚き火へ薪を足した。
森は静かだった。
たまに虫の音が聞こえ、遠くで何かの鳴き声がする。
《警戒》へ意識を広げる。
今のところ危険はない。
少しして。
背後から声が聞こえた。
「ソーマ」
「起きてたの?」
「少しだけ」
エステルは横になったまま言った。
「今日、楽しかったです」
ソーマは少し驚いた。
「仕事なのに?」
「仕事量には引いてますけど」
「そこまだ言う?」
「でも、ソーマと依頼をするのは嫌じゃないです」
焚き火の向こう。
暗くて表情まではよく見えない。
だから。
ソーマも少し素直に答えた。
「俺も」
「そうですか」
「うん」
それ以上。
会話は続かなかった。
やがてエステルの寝息が聞こえ始める。
ソーマは焚き火を眺めながら、少しだけ笑った。
最初は。
森の入口ですれ違っただけだった。
今は。
同じ依頼を受け。
同じ焚き火を囲み。
Dランクを一緒に目指している。
仲間になるというのは。
こういうふうに。
少しずつ始まるのかもしれない。
ソーマは周囲へ《警戒》を広げながら、初めての夜番を続けた。
最後までお付き合いいただき感謝します。
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