スキルと経験
異世界へ戻ったソーマは、路地を出る前にもう一度だけ新しく増えたスキルを確認した。
《刃物扱い Lv1》
今週、日本で包丁を使った時間は8時間ほどしかない。それなのにスキルが増えている理由はまだわからなかったが、考えていても答えは出そうにない。
とりあえず使ってみようと腰の短剣を抜くと、劇的な変化こそないものの、柄を握る位置や手首の角度が以前より自然に決まる感覚があった。
軽く刃を動かしてみても、余計な力が入りにくい。日本のキッチンで教わった「押すのではなく、刃を通す」という感覚が、そのまま短剣にも繋がっているようだった。
「料理のバイトが戦闘に繋がるって、相変わらずよくわからないな……」
小さく呟き、短剣を鞘へ戻す。
理由はともかく、使えるものなら使えばいい。
ソーマはそのままギルドへ向かった。
◇
ギルドへ入ると、エステルはすでに依頼板の前にいた。
相変わらず、新人冒険者には見えないしっかりした重装備姿だ。ソーマを見つけると、少しだけ表情が柔らかくなる。
「おはようございます」
「おはよう。今日も早いな」
「ソーマに言われたくありません」
「なんで?」
「来たらすぐ依頼を何件も入れようとする人なので」
前回のことを、しっかり覚えられているらしい。
「今日はまだ何も選んでないって」
「“まだ”って言いましたね」
「細かいな」
そんな話をしていると、奥からレオンがやってきた。
「お、ちゃんと戻ってきたな」
「急にいなくなるみたいに言うなよ」
「実際たまに消えるだろ」
痛いところを突かれ、ソーマは曖昧に笑って流した。
日本へ帰っている間のことは、レオンたちにもまだ話していない。
代わりに、思い出したように腰の短剣へ触れる。
「そうだ。新しいスキル増えた」
「また?」
レオンだけでなく、エステルまで驚いた顔をした。
「今度は何ですか?」
「《刃物扱い Lv1》」
レオンは少し考えてから、ギルド裏の訓練場を指した。
「依頼行く前にちょっと見せろ」
「今から?」
「10分くらいだよ。新しいスキルなら、どう変わったか見といた方がいいだろ」
それもそうだ。
エステルも一緒に、3人で訓練場へ向かった。
◇
レオンから木製の短剣を渡され、ソーマは以前教わった構えを取る。
力を入れすぎない。肩を固めない。短剣だけを見るのではなく、相手の肩や腰、足を見る。
そこまでは前と同じだった。
「じゃあ来い」
レオンが木剣を構える。
ソーマが距離を詰めると、すぐに木剣が動いた。《警戒》が攻撃の方向を拾い、《危険察知》で見ても、本気で当てるつもりの攻撃ではない。
それでも練習なので、《軽歩》で軌道から身体を外す。そのままレオンの懐へ入った。
以前なら、ここから短剣をどう当てるかを一瞬考えていた。
今回は違う。
手首の角度を整え、刃を相手へ向ける。身体の動きに沿って、木製の短剣をレオンの脇腹へ滑らせるように動かした。
寸前で止める。
「お」
レオンが少し驚いた。
「今のいいな」
「俺も前より動かしやすかった」
もう一度。今度は少し速度を上げる。
レオンの木剣を避け、腕へ木製の短剣を走らせたところで、今度は手首を掴まれた。
「はい、ここまで」
「取られた」
「そこはまだ甘い。でも、刃の向きは前よりかなり安定してる」
レオンは手を離しながら、ソーマの構えを確認した。
「前は“当てる”のが先だったけど、今はちゃんと刃を通そうとしてる」
「包丁使う仕事したからかな」
「包丁?」
「まあ、ちょっと」
レオンは特に深く聞かず、「なるほど」とだけ頷いた。
「刃物は用途が違っても、共通するところがあるからな。力任せに振るより、ちゃんと刃筋を通した方が切れる」
エステルも少し離れたところから見ていたが、ソーマが木製の短剣を返すと口を開いた。
「前より動きが滑らかになっている気がします」
「やっぱ違う?」
「洞窟の時は、もっと力が入っていました」
「結構見てたんだな」
「一緒に戦っていましたから」
ソーマは少し照れくさくなり、短剣を腰へ戻した。
そこで、前から少し気になっていたことを思い出す。
「なあ、レオン」
「ん?」
「レオンって、スキル何個だっけ?」
「急だな」
「《剣術》《身体強化》《危険察知》だろ?」
「今のところはな」
ソーマは少し考える。
自分はもう10個を超えている。それなのに、戦えばレオンにはまず勝てない。むしろ今でも、まともにやれば一方的に負けるだろう。
「俺の方がスキル多いのに、なんでこんなに差あるんだ?」
レオンが一瞬黙った。
「それ、喧嘩売ってる?」
「違うって。純粋な疑問」
「なら簡単だよ」
レオンは木剣を肩へ乗せた。
「スキルがあるから強いんじゃない」
ソーマが眉を上げる。
「違うの?」
「もちろんスキルは強い。でも、剣術スキルがなきゃ剣を振れないわけじゃないだろ」
言われてみれば当たり前だ。
スキルを覚える前のソーマだって、包丁を使えた。短剣も、レオンから教われば振ることはできた。
「例えば《剣術 Lv1》を持ってるだけの新人と、剣術スキルを持ってなくても10年剣を振ってきた奴がいたら、後者の方が強いことなんて普通にある」
「じゃあスキルって、何のためにあるんだ?」
「補助だな」
レオンは木剣を軽く振ってみせる。
「覚えた動きを安定させたり、余計な力を減らしたり、上手くできないところを助けたりする。レベルが上がれば効果も大きくなるけど、元になる技術とか経験がないと、全部スキル任せになる」
ソーマは《刃物扱い》のことを思い返した。
日本で包丁を使った経験があり、その感覚がスキルによって整理されている。確かに、何もしていないところから突然すべてを教えられた感覚ではない。
「じゃあ、経験が先?」
「大体はな。スキルが先に出て、そこから上手くなる奴もいるけど」
レオンは少し笑う。
「結局、スキルも使う奴次第だ」
それなら、今の自分がスキル数の割に弱いのも納得できる。
選択肢は多い。
だが、戦闘経験そのものはレオンとは比べものにならない。
「レオンって格闘系のスキル持ってる?」
「持ってない」
「じゃあ素手なら弱い?」
レオンがニヤッと笑った。
「試す?」
「やめとく」
「賢い」
即答すると、エステルが小さく笑った。
レオンはそのまま続ける。
「《格闘術 Lv1》持ってるだけの新人なら、たぶん俺の方が強いぞ。殴り方も、身体の崩し方も、間合いも知ってるからな」
「スキルないのに?」
「何回も言わせるな。できることと、スキルを持ってることは別だ」
その言葉は、ソーマにとってかなり大きかった。
今までは、スキルが増えるたびに「できることが増えた」と考えていた。でも、スキルになっていないことだって練習すれば身につく。
逆に、スキルを持っているからといって、それだけで強くなれるわけではない。
「じゃあ俺、スキル10個以上あるって喜んでる場合じゃないな」
「喜ぶのはいいだろ。珍しいのは珍しいし」
レオンが笑う。
「ただ、数だけ見て自分が強いと思い込むなってこと」
「それは大丈夫。レオン見てたら嫌でもわかる」
「どういう意味だよ」
「スキル少ないのに強いってこと」
「やっぱ喧嘩売ってる?」
「違うって!」
笑いながら訓練を終え、そのままエステルと依頼へ向かうことになった。
◇
この日選んだのは、近郊の森での薬草採取だった。
周辺では小型魔物も増えているため、遭遇した場合は駆除するという条件がついている。
「今日は1件だけですね?」
受付を済ませながらエステルが確認してくる。
「まだ朝だけど」
「質問に答えてください」
「……とりあえず1件」
「信用できません」
そんなやり取りをしながら森へ入った。
依頼自体は穏やかだった。ソーマが《仕分け》で必要な薬草を選び、エステルが周囲を見張る。《追跡》も使えば、人があまり入っていない場所を探しやすい。
昼前には必要量の半分以上が集まっていた。
「こういうのでいいんだよ」
ソーマが呟く。
「何がですか?」
「普通のEランク依頼」
「前回が変だっただけです」
エステルが笑った、その時だった。
《警戒》が反応する。
左前方。
近い。
「何か来る」
ソーマが声を落とすと、エステルはすぐに盾を構えた。
茂みから現れたのは、細長い身体をした獣型の魔物が3体。
エステルが正面へ出て1体を受け止め、残りが左右へ散る。
《警戒》で位置を拾い、《危険察知》で攻撃の危険度を見る。
1体がソーマへ飛びかかってきた。
《軽歩》で半歩ずれる。
牙が空を噛み、横腹が目の前へ出る。
短剣を抜く。
以前なら、刺すことだけを考えていた。だが今は、日本のキッチンで何時間も包丁を使った感覚が残っている。
押し込まない。
刃を通す。
身体の動きに合わせ、短剣を横へ走らせた。
手応えが違った。
毛皮を抜け、刃が以前より深く入る。
魔物が鳴き声を上げて離れた。
「……切れた」
力が強くなったわけではない。短剣が鋭くなったわけでもない。
ただ、使い方が変わっている。
再び飛び込んできた魔物を避け、今度は前脚の付け根へ刃を通す。動きが鈍ったところで胸元へ突き込み、そのまま仕留めた。
顔を上げると、エステルも残り2体を倒し終えていた。
「大丈夫ですか?」
「うん。前より短剣使いやすい」
「やっぱり《刃物扱い》ですか?」
「たぶん」
ソーマは血のついた刃を拭きながら、さっきレオンから聞いた話を思い返す。
スキルが強くしてくれる。
それだけではない。
日本で包丁を使って覚えたことがあり、レオンから短剣を教わった経験がある。そこへ《刃物扱い》が加わったことで、動きが安定した。
「……スキルだけじゃないって、こういうことか」
「何がですか?」
「さっきレオンに言われたこと。経験もちゃんと残ってるんだなって」
エステルは少し考えてから頷いた。
「スキルがなくても剣を使える人はいますからね」
「エステルも?」
「もちろんです」
「じゃあ《剣術》持ってない人より強い?」
少し考えたあと、エステルは真面目に答えた。
「相手によると思います」
「レオンと同じこと言うな」
「だって、スキルだけで勝負は決まりませんから」
どうやら、この世界では当たり前のことらしい。
ソーマだけが、スキルを特別視しすぎていたのかもしれない。
◇
その後は特に問題もなく、昼過ぎには薬草を必要量集め終えた。
帰り道、エステルがソーマの腰にある短剣へ視線を向ける。
「少しずつ戦えるようになっていますね」
「最初に比べたらな」
初めてゴブリン3体に囲まれた時は、戦うどころではなかった。
武器もない。
動き方も知らない。
レオンとリナが来なければ、まず助からなかっただろう。
「今も正面から戦うなら、エステルの方が全然強いけど」
「役割が違いますから」
以前なら、少し悔しかったかもしれない。
今は、その言葉を素直に受け入れられる。
自分は剣士ではない。
騎士でもない。
それでも、できることは増えている。
スキルだけではなく、経験も技術も全部含めて、少しずつ冒険者になっている。
街へ戻り依頼を報告したあと、ソーマは珍しく依頼板へ向かわなかった。
エステルが不思議そうに見る。
「今日はもう依頼を受けないんですか?」
「何その意外そうな顔」
「いつもなら行くので」
「今日はレオンにもう一回短剣見てもらおうかなって」
エステルは少し黙った。
「……結局休まないんですね」
「訓練だから仕事じゃない」
「似たようなものだと思います」
また呆れられた。
それでも、エステルは帰らず、そのままソーマと一緒に訓練場の方へ歩き始める。
「エステルも来るの?」
「見ています」
「なんで?」
「一緒にDランクを目指すんでしょう?」
前にも聞いた言葉だった。
ソーマは少し笑う。
「そうだったな」
スキルが増えれば、それだけで強くなると思っていた。
でも、どうやら違う。
なら、覚えることはまだいくらでもある。
それは少し大変で、それでもソーマには、その方が面白い気がした。
最後までお付き合いいただき感謝します。
もし「続きが読みたい」と思われた方は、ページ下部よりブックマークと評価をお願いします。




