スキルを狙う
日本へ戻った日の夜。
正確には、もう日付が変わりかけていた。
風呂を済ませた悠真は、そのまま寝るつもりでベッドへ向かったのだが、途中でふと足を止めた。
数時間前、異世界では《軽歩》を使ってダークウルフの攻撃を避けていた。
日本へ戻るとスキルは使えない。それは何となくわかっているし、《警戒》の感覚もこちらでは一度も発動していない。
ただ、本当に全部使えないのか。
きちんと試したことはなかった。
「……1回だけやってみるか」
時刻は0時近い。
冷静に考えれば、集合住宅の部屋で運動を始める時間ではないのだが、その時の悠真は好奇心の方が勝っていた。
ベッドと机の間に立ち、異世界で《軽歩》を使う時と同じように重心を意識する。
《重量軽減》で自分の身体への負担を減らし、《運搬》で重心移動を整える。
その2つが噛み合った時に生まれたのが《軽歩》だった。
「……」
右へ一歩。
普通だった。
もう一度、今度は少し速く。
やはり何も起こらない。
身体が軽くなる感覚もなければ、異世界で感じていた独特の踏み出しやすさもない。
「やっぱ使えないか」
とはいえ、動きそのものは覚えている。
レオンに教わった足の置き方や、《軽歩》を何度も使ううちに身についた重心移動まで消えたわけではなかった。
それなら練習くらいにはなるかもしれない。
そう思い、左右へ何度か細かく踏み替える。
右。
左。
少し速く右へ――。
ドンッ。
壁の向こうから鈍い音が響いた。
悠真の動きが止まる。
「……」
数秒後。
ドンッ。
今度は明らかだった。
隣の部屋からの壁ドンだ。
「……すみません」
聞こえているかはわからないが、反射的に小声で謝った。
深夜にワンルームでステップ練習をしていれば、当然である。
悠真は大人しくベッドへ腰掛けた。
「スキルは無理。でも動きは覚えてる……って感じか」
異世界で得た超常的な力そのものは、日本では使えない。
ただし、教わったことや経験は残る。
そして逆に、日本で積んだ経験は異世界へ行けばスキルになる。
改めて考えても、よくわからない仕組みだった。
「まあ、いいか」
今考えても答えは出ない。
悠真は布団へ潜り込み、今度こそ目を閉じた。
翌日は2限から大学だった。
◇
10月13日、火曜日。
祝日明けの大学は、どことなく全体が眠そうだった。
悠真が2限の教室へ入り、後ろの方の席に座っていると、同じ学年の友人がやってきた。
「おはよ」
「おはよう」
いつものように隣へ座る。
しかし、すぐには前を向かなかった。
じっと悠真の顔を見る。
「……何?」
「お前さ」
「うん」
「ちょっと痩せてない?」
悠真は自分の身体を見下ろした。
「そう?」
「前から細いけど、なんか最近さらに細くなってる気がする」
自分ではよくわからない。
ただ。
思い当たる節なら大量にある。
日本では大学へ通いながら単発バイト。
金曜になれば異世界。
異世界でも採取、荷運び、狩猟、討伐。
そして日本へ戻れば、また大学とバイトだ。
実質的に。
ほとんど休んでいない。
「最近ちょっと働く日多かったからかな」
「ちょっとじゃないだろ」
友人が呆れたように言う。
「土日も結構入ってるだろ?」
「まあ……」
嘘ではない。
土日も働いている。
場所が日本ではないだけだ。
「金必要なのは知ってるけどさ、倒れたら意味ないぞ。飯ちゃんと食ってんの?」
「食ってるよ」
「昨日は?」
一瞬。
銀鹿亭の夕食が頭に浮かんだ。
「肉」
「雑だな」
「ちゃんと食ってるって」
友人はまだ少し疑っているようだったが、それ以上は追及しなかった。
「今度普通に遊ぼうぜ」
「普通に?」
「バイトじゃなくて」
「なんでわざわざ付け足すんだよ」
「付けないとお前、空いた日に働くじゃん」
否定しようとして。
やめた。
たぶんその通りだった。
ちょうど教授が入ってきて、会話はそこで終わった。
悠真はノートを開きながら、友人の言葉を少しだけ考える。
働きすぎ。
確かにそうかもしれない。
ただ。
以前とは違う。
今の悠真にとって、バイトは生活費を稼ぐためだけのものではなくなっていた。
働いた経験が。
異世界では。
力になる。
それを知ってしまった以上。
どうしても考えてしまう。
――次は何をやれば、何が手に入る?
◇
4限が終わったあと、悠真は大学を出ながら単発バイトのアプリを開いた。
次に欲しいものは、すでにある程度決まっていた。
収納。
ダークウルフを倒した時、本体を持ち帰ることはできなかった。
《運搬》と《重量軽減》がある分、普通よりは大量の荷物を扱える。それでも、持てる量そのものには限界がある。
もし収納に関係するスキルが取れれば。
冒険ではかなり便利になるはずだった。
画面を眺めていると、ちょうど条件に合いそうな募集があった。
物流倉庫での棚入れと在庫整理。
商品を種類や大きさごとに分け、決められた棚へできるだけ無駄なく収めていく仕事らしい。
「……これだな」
火曜は4限まで授業がある。
そのまま向かえば17時半から22時半まで5時間働ける。
さらに。
翌日の水曜日は2限まで。
午後から同じ現場で14時から19時までの募集が出ていた。
合計10時間。
条件としては申し分ない。
悠真はその場で2日分を申し込んだ。
◇
倉庫の仕事は、予想していたより頭を使った。
ただ商品を棚へ入れればいいわけではない。
同じ商品をまとめる。
出荷頻度の高い物は取りやすい位置へ置く。
箱の大きさを見て、空いている場所へ無駄なく収める。
形が違う荷物をどう配置すれば、同じ棚により多く入れられるかも考える必要があった。
火曜日に5時間。
翌日の水曜日も、大学の2限が終わるとそのまま倉庫へ向かい、さらに5時間。
合計10時間。
作業を終えた悠真は、帰り道で腕を伸ばした。
「これで何も出なかったら結構へこむな……」
もっとも。
結果がわかるのは金曜の夜。
それまでは待つしかない。
ただ。
今週はもう1つ。
少し変わったバイトを入れていた。
家庭教師だ。
以前から単発バイトのアプリには何度か表示されていたが、移動や条件が合わず応募していなかった。
今回改めて見てみると。
時給が高い。
かなり高い。
「……これいいな」
肉体労働系の単発より、同じ時間でも稼げる。
苦学生である悠真にとって、そこは大きかった。
ちょうど中学生向けの定期試験対策と、高校生向けの基礎数学を教える短期案件が複数出ていた。
木曜日。
大学は3限まで。
そのあと、2家庭で合計5時間。
金曜日。
大学は2限まで。
午後から別の2家庭で、合計5時間。
少し詰め込み気味ではある。
だが。
「身体は倉庫より楽だろ」
そう判断した。
◇
木曜日。
最初の家庭では、中学生に英語と数学を教えた。
自分が理解しているだけなら簡単でも、人に教えるとなると話は違う。
相手がどこでつまずいているのかを見つけ、知っている内容を一度頭の中で整理し、相手がわかる形へ言い換える必要がある。
「ここまではわかる?」
「たぶん」
「じゃあ、この式を一回自分でやってみて」
自分が答えを言うより。
本人に解かせた方が覚える。
間違えたら。
なぜ間違ったのかを一緒に確認する。
次の家庭では、高校生に数学を教えた。
同じ問題でも。
どう説明すれば相手が理解しやすいのか。
順番を変える。
例を出す。
一度覚えた内容を、もう一度言葉へ直す。
思っていた以上に疲れる。
ただ。
身体は楽だった。
そして何より。
「時給いいな……」
帰り道。
悠真はかなり満足していた。
翌日の金曜日も、2限が終わると家庭教師の仕事へ向かった。
前日と合わせて。
合計10時間。
今週のバイトはこれで終わり。
あとは。
夜を待つだけだった。
◇
金曜日。
20時を少し回った頃。
悠真は自宅のワンルームにいた。
壁を見る。
そこには。
先週と同じように。
扉が現れていた。
「来た」
まだ。
この瞬間だけは少し緊張する。
荷物を確認し。
財布とスマホをポケットへ入れたところで。
どうせ向こうへ行けば消えることを思い出す。
「意味ないんだよな、これ」
苦笑しながら。
取っ手へ手をかけた。
扉を開く。
向こう側から。
冷たい朝の空気が流れ込んできた。
一歩。
境界を越える。
景色が変わる。
石造りの街。
日本では夜だったのに。
こちらは朝。
身体を見る。
服装も。
腰の短剣も。
ガルドからもらったナイフも。
前回異世界で持っていた物が、きちんと戻っている。
「よし」
そして。
真っ先に確認する。
スキル。
今まで。
8個。
今週。
狙って10時間ずつ働いた。
まず。
倉庫。
悠真の意識に。
見覚えのないスキルが浮かんだ。
《収納 Lv1》
「来た!」
思わず声が出た。
期待通り。
仕事内容と。
かなり近い。
効果を確認する。
物を容器や袋へ収める際、形状や空間を把握し、効率よく収納できる。
さらに。
収納した場所を把握しやすくなる。
「……いいじゃん」
まだ。
何でも入る魔法の袋ではない。
袋そのものの大きさを無視できるわけでもない。
それでも。
冒険では確実に使える。
《仕分け》や《運搬》とも相性がよさそうだった。
「9個目」
あと1つ。
家庭教師。
正直。
何が出るのか。
こちらは予想しにくい。
《指導》。
《説明》。
《教育》。
そんな名前を想像していた。
だが。
表示されたのは。
《学習 Lv1》
「……学習?」
悠真は何度か見直した。
間違いない。
《学習 Lv1》
新しい知識や技術を学び、身につける際の理解と定着をわずかに補助する。
「……」
しばらく黙る。
もう一度読む。
「新しい知識や技術を学び、身につける際の理解と定着を……わずかに補助する」
地味。
ものすごく地味だった。
収納はいい。
冒険に使える。
荷物を詰めやすくなる。
すぐ役に立つ。
それに比べて。
学習。
「……これ、いる?」
大学生なのだから。
勉強はする。
だが。
日本ではスキルそのものが使えない。
つまり。
大学の試験勉強には使えない。
異世界へ来てから。
一体何を勉強するというのか。
「家庭教師10時間やって、異世界で勉強がちょっと上手くなりましたって……」
完全にハズレではない。
たぶん。
でも。
今までの《軽歩》や《危機察知》と比べると。
あまりにも地味だった。
「まあ……いいか」
そこで。
ふと思い出す。
レオンの言葉。
――冒険者の間じゃ、スキルを10個以上持ってる奴を《スキルホルダー》って呼ぶことがある。
悠真はもう一度。
自分のスキルを数えた。
《運搬》
《仕分け》
《警戒》
《重量軽減》
《浄化》
《軽歩》
《追跡》
《危機察知》
《収納》
そして。
《学習》
「……10個」
思わず。
少しだけ笑った。
異世界へ来たばかりの頃。
武器すら持っていなかった。
薬草を採り。
荷物を運び。
ゴブリンに追われ。
レオンとリナに助けてもらった。
それが。
いつの間にか。
Eランク。
スキル10個。
冒険者たちの間で言う。
スキルホルダー。
「……学習が最後なの、ちょっと締まらないけど」
誰もいない朝の路地で。
悠真は小さく笑う。
最後までお付き合いいただき感謝します。
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