初めての狩り
翌朝。
ソーマたちは朝一番でギルドの手続きを済ませ、そのまま森へ入っていた。
今日の依頼はホーンラビットの狩猟。目標は3匹以上。
昨日の夕食で話を聞いた時には、正直なところゴブリンより楽そうだと思っていた。
向こうから襲ってこない。
身体も小さい。
危なくなったら逃げる。
それなら、昨日みたいに棍棒を振り回すゴブリンより怖くない。
――その考えが甘かったと気づくまで、そう時間はかからなかった。
「いたぞ」
先頭を歩いていたレオンが足を止める。
ソーマもすぐに立ち止まり、示された先へ視線を向けた。
少し離れた倒木のそばで、小さな茶色い身体が草を食べている。
額から伸びた短い角。
以前にも森で見かけたホーンラビットだ。
その時は、こちらに気づいた瞬間に逃げていった。
「じゃあ、行ってこい」
レオンが声を落として言う。
「いきなり?」
「そのために来たんだろ」
「まあ、そうだけど」
ソーマは腰の短剣へ手を添えた。
後ろを見ると、リナが小さく手を振る。
「頑張って」
完全に見物する側の顔だった。
ソーマは一度だけ息を吐き、できるだけ足音を立てないように近づいていく。
20メートル。
15メートル。
まだ気づかれていない。
10メートル。
ここまで来れば、《軽歩》を使えば一気に距離を詰められるかもしれない。
そう考えて短剣へ手を伸ばした瞬間。
ホーンラビットの長い耳がぴくりと動いた。
顔が上がる。
目が合った。
「あ」
次の瞬間。
茶色い身体が弾けるように走り出した。
「速っ!」
ソーマも反射的に地面を蹴る。
《軽歩》。
最初の一歩が軽くなる。
昨日よりも自然に身体が前へ出た。
だが。
追いつかない。
ホーンラビットは地面すれすれを滑るように走り、木の根を避け、茂みの間を抜けていく。
右へ。
次は左。
ソーマも《軽歩》で方向を変えるが、相手の方が圧倒的に慣れている。
「待てって!」
もちろん待たない。
数秒後には、ホーンラビットの姿は完全に森の奥へ消えていた。
ソーマはその場で立ち止まり、膝へ手をつく。
「……無理じゃん」
後ろからレオンとリナが歩いてくる。
レオンは笑っていた。
「だから昨日言っただろ」
「速いとは聞いたけど、あれは聞いてない」
「何が違うのよ」
リナが笑う。
「思ってた3倍くらい速い」
ソーマは逃げていった方向を見る。
《軽歩》のおかげで自分自身の動きも以前より速くなっている。
それでも、ただ後ろから追いかけるだけではまるで距離が縮まらなかった。
「これ、走る速さだけじゃ無理だな」
レオンが少しだけ笑みを深くする。
「やっと気づいたか」
「最初から教えてくれてもよくない?」
「自分で失敗した方が覚えるだろ」
相変わらず教え方が雑だ。
それでも、言っていることはわかる。
逃げる相手をただ追うだけでは駄目。
なら。
次は逃げる前から考える必要がある。
◇
2匹目を見つけたのは、それからしばらく歩いたあとだった。
今度のホーンラビットは、木々の間にできた少し開けた場所で草を食べている。
ソーマはすぐには近づかなかった。
まず周囲を見る。
右側には木が密集している。
左には低い茂み。
後ろは比較的開けていて、そのまま森の奥へ続いている。
正面から近づけば。
たぶん後ろへ逃げる。
「……追うんじゃなくて、逃げる場所を先に見るのか」
小さく呟く。
レオンは何も言わない。
ただ、少しだけ口元が上がった。
ソーマは正面からではなく、少し左側へ回り込んだ。
できるだけ距離を取りながら、ゆっくり。
ホーンラビットはこちらに気づいていない。
あと10メートル。
8メートル。
耳が動いた。
気づかれた。
ホーンラビットが頭を上げる。
そして予想通り。
開けた後方へ走った。
「今!」
ソーマも駆け出す。
《軽歩》。
一歩目が軽い。
最初から進路を予測していた分、さっきより距離が近い。
ホーンラビットが左へ曲がる。
ソーマもすぐに方向を変える。
長く走り続ける速さなら負ける。
だが、《軽歩》はこういう短い加速と方向転換に向いていた。
5メートル。
4メートル。
少しずつ距離が縮まる。
「いける……!」
短剣へ手をかける。
あと少し。
その時だった。
ぞわり。
《警戒》が反応した。
「え?」
正面。
しかも低い。
次の瞬間、逃げていたホーンラビットが急停止した。
身体をひねる。
額の角がこちらへ向く。
「うそだろ!」
ホーンラビットが地面を蹴った。
さっきまで逃げていたとは思えない勢いで、今度はソーマへ飛び込んでくる。
《警戒》が危険を知らせる。
ソーマは咄嗟に横へ重心を移した。
《軽歩》。
身体がすっと横へ流れる。
角が太腿のすぐ横を抜けた。
「こいつ反撃するのかよ!」
少し離れた場所からレオンの声が飛んでくる。
「追い詰めればするぞ!」
「先に言え!」
「言ったら面白くないだろ!」
「訓練で面白さ求めるなよ!」
返しながらも、目はホーンラビットから離さない。
着地したホーンラビットが再び逃げようとする。
今度こそ。
ソーマは距離を詰めた。
短剣を抜く。
昨日教わった通り、大きく振らない。
近づいて。
狙って。
突く。
刃が入る感触。
「……っ」
ホーンラビットが地面へ転がった。
少しだけ身体が動き。
やがて止まる。
ソーマは短剣を握ったまま、その場でしばらく動けなかった。
昨日のゴブリンとは違う。
今回は。
最後まで自分でやった。
「……倒した」
後ろからレオンが歩いてくる。
「おう」
リナも隣まで来た。
「初めて自分だけで仕留めたわね」
ソーマは地面のホーンラビットを見る。
嬉しい。
というより。
少し変な感じだった。
ゴブリンの時ほど手は震えていない。
でも、生きていたものを自分で殺したという感覚は、やはり軽くはなかった。
「どうだった?」
レオンが聞く。
「速かった」
「そこかよ」
「あと普通に刺しに来るじゃん」
「追い詰められれば生き物は反撃する」
「ほんと先に言ってほしかった」
レオンは笑っている。
ソーマはため息をつきながらも、さっきの《警戒》の反応を思い返した。
ホーンラビットは最初、こちらを襲うつもりなんてなかった。
むしろ逃げていた。
それでも。
角を向けて攻撃してきた瞬間には、《警戒》が反応した。
「……やっぱ危険になった瞬間に反応するんだな」
殺意があるかどうかだけではないらしい。
自分に危害が及ぶ可能性が生まれた時。
そこで初めて反応する。
少しずつ、《警戒 Lv2》の性質もわかってきた。
◇
「で、これどうするの?」
ソーマが倒れたホーンラビットを指差す。
「持って帰る」
リナが答えた。
「そのまま?」
「血抜きだけして、細かい解体はギルドで頼めるわ」
レオンがしゃがみ込み、角や毛皮の状態を確認する。
「悪くないな。角も折れてないし、腹も傷つけてない」
「その辺も値段変わる?」
「変わる」
そこでソーマは、《仕分け》のことを思い出した。
レオンから簡単に買い取り基準を教えてもらう。
角の欠け。
毛皮の傷。
肉として使えなくなるほどの損傷。
教えられたあと、ホーンラビットを見る。
《仕分け》がぼんやり反応した。
「……これ、結構状態いい?」
「わかるのか?」
「基準聞いたらなんとなく」
レオンが感心したように頷く。
「それ便利だな」
「戦えないけどね」
リナが言う。
「今日1匹倒した直後にそれ言う?」
「1匹でしょ」
評価が厳しい。
ソーマはホーンラビットを荷物へ入れる。
そこで《運搬》と《重量軽減》を使えば、持ち帰る負担もそれほど大きくない。
見つける。
追う。
仕留める。
状態を確認する。
運ぶ。
「なんか俺のスキル、狩りと相性よくない?」
「戦闘スキルほとんどないのにね」
「毎回一言余計なんだよ」
◇
3匹目からは、少しずつやり方がわかってきた。
真正面から追わない。
逃げ道を先に見る。
木や岩を利用して、進める方向を絞る。
気づかれるギリギリまで近づき、逃げ始めたら《軽歩》で一気に距離を詰める。
2匹目の獲物では、最初ほど慌てなかった。
右へ逃げる。
予測。
一歩。
《軽歩》。
追いつく。
ホーンラビットが反転する。
《警戒》。
横へ避ける。
短剣。
今度は、さっきよりずっと滑らかだった。
「……2匹目」
ソーマが息を吐く。
リナが少し驚いたように言う。
「慣れるの早いわね」
「逃げ方が似てるからな」
「でも最初より全然動けてるぞ」
レオンも頷く。
その言葉に、ソーマは少し嬉しくなる。
3匹目はさらに工夫した。
レオンに反対側へ回ってもらい、逃げる方向を限定する。
ソーマはその先で待ち構える。
レオンの姿に気づいたホーンラビットが走り出す。
予想通り。
こちらへ来る。
《警戒》はまだ反応しない。
相手に攻撃する気がないからだ。
だが、姿は見えている。
《軽歩》。
一気に距離を詰める。
ホーンラビットが気づいて方向を変えようとする。
遅い。
短剣を入れる。
3匹目。
依頼条件達成。
ソーマはその場へしゃがみ込み、大きく息を吐いた。
「……これ、ゴブリンより疲れる」
レオンが笑う。
「だろ?」
「襲ってくる相手の方が楽って、おかしくない?」
「だから狩りは技術がいるんだよ」
実際にやってみるとよくわかる。
ゴブリンは危険だ。
だが、自分から近づいてくる。
狩りは違う。
見つける。
近づく。
逃げる方向を読む。
追う。
仕留める。
しかも素材を売るなら、できるだけ傷を増やさない方がいい。
ホーンラビット自体はゴブリンより弱い。
それでも依頼がEランクなのは、ようやく納得できた。
「これで帰る?」
ソーマが聞く。
レオンが空を見る。
まだ昼を少し過ぎたくらいだ。
「時間あるな」
嫌な予感がした。
「何?」
「もう少し狩るか?」
「依頼は3匹だろ?」
「追加分も買い取ってもらえるぞ」
ソーマは黙った。
追加報酬。
肉。
角。
《軽歩》の練習。
悪くない。
しかし昨日の夕食で気づいたこともある。
日本では大学とバイト。
異世界では依頼。
自分はずっと働いている。
ソーマは遠い目をした。
「……俺、本当にずっと働いてるな」
「何?」
リナが聞く。
「何でもない」
ソーマは立ち上がり、短剣の汚れを拭って鞘へ戻した。
少し考える。
「あと1匹だけ」
レオンが吹き出した。
「それ、仕事好きな奴の言い方だぞ」
「違う。金が欲しいだけ」
「大体同じじゃない?」
リナが言う。
違う。
たぶん。
ソーマはそう思いながら、次のホーンラビットを探して森の奥へ歩き始めた。
最後までお付き合いいただき感謝します。
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