新しい可能性
ギルドで選んだのは、結局一番無難な薬草採取の依頼だった。
以前にも受けたことがある、森の浅い場所で採れる薬草を20束集める仕事だ。報酬は銅貨40枚。
今のソーマの所持金は銅貨10枚しかない。
これを終わらせれば宿代を払えるし、多少は食事代も残る。
「やっぱ薬草にしたんだな」
森へ向かう道を歩きながら、レオンが言った。
「当たり前だろ。宿代が欲しいだけなのに、なんでわざわざゴブリン探しに行かなきゃいけないんだよ」
「短剣の実戦練習になる」
「練習で刺されたくないんだけど」
「それはそうね」
リナがあっさりソーマ側についた。
レオンが肩をすくめる。
「まあ、薬草だけで終わればそれでいい。ただ、森に入る以上、魔物が出ない保証はないからな」
それはソーマもわかっている。
むしろ、嫌というほど知っていた。
初めてこの森へ入った日。
何も知らず、武器すら持たずに薬草を集めていたところを、3匹のゴブリンに囲まれた。
あの時、棍棒が脇腹へ入った感覚は今でも覚えている。
治療魔法で痛みは引いた。
傷も残っていない。
それでも、記憶まで消えたわけではなかった。
腰には今日買った短剣。
反対側にはガルドからもらったナイフ。
前にはCランクになったレオンと、Dランクになったリナ。
条件だけ見れば、あの時とはまるで違う。
それでも森の入口が近づくにつれて、ソーマの胸は少しずつ落ち着かなくなっていた。
「緊張してる?」
リナが横から顔を覗き込む。
「……ちょっと」
「素直ね」
「ここで強がってもしょうがないだろ」
ソーマは腰の短剣へ触れた。
「最初にここ来た時、普通に殴られてるからな」
レオンの表情が少しだけ真面目になる。
「怖いなら、それでいい」
「いいの?」
「怖くなくなる方が危ない。怖いから周りを見るし、逃げる判断もできる」
レオンはそう言って、森へ続く道を見る。
「ただ、前と同じじゃない。今日は俺たちもいるし、お前にも武器がある」
「《警戒》もLv2になったしね」
リナが付け加える。
ソーマは頷いた。
そうだ。
前と同じではない。
そう言い聞かせながら、3人は森へ入った。
◇
薬草集めは順調だった。
ソーマは以前と同じ種類の薬草をすでに知っているため、《仕分け》がよく働く。
似た形の草が混じっていても、教わった特徴と照らし合わせれば迷わない。葉の傷みや変色も以前より自然に見分けられるようになっていた。
「こっちは使える。これはダメ」
摘んだ薬草を分けながら、背負った袋へ入れていく。
「本当に採取だけなら速いわね」
リナが感心したように言う。
「褒められてる?」
「褒めてるわよ」
「戦えないけど薬草採るのは速いって聞こえるけど」
「実際そうじゃない」
否定できない。
レオンは少し離れた場所で周囲を見ていた。
今日はソーマの依頼なので、薬草採取そのものにはほとんど手を出していない。
必要数まであと少し。
ソーマはしゃがみ込み、地面に生えている薬草へ手を伸ばす。
「これで18……」
もう少し。
そう思った瞬間だった。
ぞわり。
首筋を冷たいものが撫でたような感覚。
ソーマの手が止まる。
《警戒》。
さっきまで何もなかった場所に、はっきりとした反応が生まれた。
右前方。
少し遠い。
しかも。
1つではない。
「……来る」
声が自然と低くなった。
レオンとリナが即座にこちらを見る。
「どっち?」
「右。前の方」
ソーマも立ち上がり、短剣の柄へ手を置く。
草が揺れた。
がさり。
がさがさ。
何かが近づいてくる。
その音を聞いた瞬間、以前の光景が頭に浮かんだ。
緑色の皮膚。
汚れた武器。
甲高い叫び声。
そして。
脇腹へ叩き込まれた棍棒。
ずきり、と傷なんてないはずの場所が痛んだ気がした。
「……またゴブリンかよ」
ソーマが呟く。
木々の間から、小さな影が姿を現した。
1匹。
2匹。
3匹。
そこで終わらない。
4匹。
5匹。
「増えてるじゃん……」
前回は3匹。
今回は5匹だ。
1匹は錆びた短剣。
1匹は棍棒。
もう1匹は小さな斧。
4匹目は欠けた刃物。
そして最後の1匹だけは、まともな武器すら持っていなかった。
手にしているのは、太めの木の枝。
道端で拾ってきたような代物だ。
レオンが剣を抜く。
リナも杖を構えた。
ソーマも短剣を抜く。
だが、手が少し震えている。
5匹のゴブリンがこちらを見て、甲高い声を上げる。
「ギャッ!」
レオンが前を見たまま言った。
「ソーマ」
「何?」
「枝持ってる奴、お前な」
「は?」
聞き間違いかと思った。
「一番右。木の枝持ってる奴」
「いやいやいや」
「今日練習しただろ」
「したけど!」
ソーマが見れば、そのゴブリンは確かに他の4匹より少し小さい。
武器も弱い。
動きも、他と比べれば鈍そうに見える。
それでも。
ゴブリンはゴブリンだ。
「無理そうならすぐ言え」
レオンが続ける。
「俺が見る」
その言葉で少しだけ息がしやすくなる。
完全に放り出されたわけではない。
「……わかった」
ソーマは短剣を握り直した。
「やる」
「無理に倒そうとしなくていい」
レオンの声が飛ぶ。
「今日教えた通り。まず避けろ」
「わかってる!」
その直後、ゴブリンたちが一斉に動いた。
3匹がレオンへ。
1匹がリナへ。
そして、木の枝を持った1匹がソーマへ向かって走ってくる。
「ほんとに来た!」
叫んでも止まってくれない。
当然だ。
ゴブリンが木の枝を振り上げた。
ぞわり。
《警戒》が反応する。
右上。
来る。
今度は前よりはっきりわかった。
ソーマは左へ身体をずらす。
枝が肩の横を通り過ぎた。
避けた。
だが、安心する暇はない。
ゴブリンはすぐに身体をひねり、もう一度枝を振ってくる。
《警戒》が反応する。
わかる。
どこから来るかはわかる。
それでも身体が追いつかない。
「くっ!」
後ろへ下がった瞬間、枝の先が服をかすった。
当たってはいない。
それなのに、心臓が大きく跳ねる。
最初にゴブリンと戦った時の光景が頭に浮かんだ。
振り下ろされた棍棒。
脇腹に走った痛み。
息ができなくなった感覚。
「……っ」
怖い。
やっぱり怖い。
だが、目の前のゴブリンは待ってくれない。
ソーマは短剣を握り直した。
『握りすぎるな』
今日、レオンに何度も言われた言葉を思い出す。
少しだけ力を抜く。
相手の枝だけを見るな。
肩。
腰。
足。
まとめて見る。
ゴブリンが再び踏み込んだ。
ぞわり。
《警戒》。
正面。
来る。
ソーマは横へ逃げようとした。
その瞬間。
身体が妙に軽く感じた。
「……え?」
いつもより一歩目が出る。
ゴブリンの枝が空を切った。
ソーマ自身が一番驚いた。
考えている暇はない。
ゴブリンが振り返り、また枝を振り上げる。
ぞわり。
《警戒》。
今度は意識する。
自分の身体を、荷物を運ぶ時と同じように考える。
重心を移す。
次に進みたい方向へ身体を運ぶ。
そこへ《重量軽減》。
ほんの少しだけ、自分自身を軽くするイメージ。
すると。
身体がすっと横へ流れた。
「……!」
速い。
走る速度そのものが急に上がったわけではない。
ただ、最初の一歩が軽い。
方向を変えやすい。
ゴブリンの枝が、さっきまでソーマのいた場所を通り抜ける。
「できた……!」
思わず声が漏れた。
「ソーマ! 止まるな!」
レオンの声が飛ぶ。
我に返る。
ゴブリンは枝を振り切り、身体が開いていた。
今。
短剣の間合い。
大きく振るな。
突いて。
戻す。
ソーマは一歩踏み込み、短剣を前へ出した。
刃先がゴブリンの腕へ入る。
「ギャァッ!」
手に嫌な感触が伝わった。
初めて、自分の攻撃で魔物が声を上げた。
身体が一瞬固まる。
だが。
『すぐ戻せ』
またレオンの言葉を思い出す。
ソーマは短剣を引き、距離を取った。
ゴブリンが腕を押さえる。
木の枝が地面へ落ちた。
まだ生きている。
まだ動く。
「……これ、どうすれば」
殺す。
その言葉が頭に浮かんだ。
今まで、目の前で魔物が死ぬところは何度も見てきた。
だが、自分でとどめを刺すとなると話が違う。
ゴブリンが落とした枝へ手を伸ばす。
「迷うなら下がれ!」
レオンの声。
ソーマは反射的に後ろへ下がった。
直後。
横からレオンの剣が入り、ゴブリンが地面へ崩れ落ちた。
「……」
ソーマはしばらく動けなかった。
「ごめん」
思わず言う。
レオンは剣についた血を払う。
「何が?」
「結局、倒せなかった」
「初めてだろ?」
「でも」
「腕に当てて、武器落とさせた。それで十分だ」
レオンはそう言ってから周囲を見る。
ソーマもつられるように視線を動かした。
そこで初めて気づく。
残りの4匹は、すでに地面に倒れていた。
「……え?」
少し離れた場所で、リナが杖を下ろしている。
その足元には焦げ跡が残り、さらに向こうにはレオンが斬ったらしいゴブリンが倒れていた。
「いつの間に?」
ソーマが聞く。
レオンが首を傾げる。
「何が?」
「いや、残り4匹」
「とっくに終わってたけど」
「嘘だろ」
自分が木の枝1本を相手に必死になっている間に、2人は残り4匹を片付けていたらしい。
しかも、どちらも息すら乱れていない。
リナが肩をすくめる。
「だから言ったでしょ。私たちがいるって」
ソーマは倒れたゴブリンたちを見る。
Cランクのレオン。
Dランクのリナ。
あらためて考えると、自分が1匹に苦戦している間に4匹倒していても不思議ではない。
「……差ありすぎない?」
「今さら?」
リナが笑った。
ソーマは何も言い返せなかった。
ただ。
前回は3匹のゴブリンを前に、逃げることしかできなかった。
今日は1匹だけとはいえ。
攻撃を避けた。
短剣を当てた。
武器を落とさせた。
倒すところまではいかなかった。
それでも。
確実に、前よりは進んでいる。
そのくらいで十分だと思えた。
◇
少し落ち着いたところで、ソーマはさっきの自分の動きを思い返した。
「そういえば」
「何?」
リナが見る。
「さっき、身体が軽くなった」
レオンが眉を上げる。
「《重量軽減》?」
「たぶん。それと《運搬》」
「運搬?」
ソーマ自身も、まだうまく説明できない。
「荷物運ぶ時って、重心とか持ち方を勝手に考えられるんだけど……それを自分の身体にやった感じ」
「自分を運んだの?」
リナが首を傾げる。
「たぶん」
自分で言っていて変な話だ。
だが。
確かにさっき。
《重量軽減》で身体の負担を減らし、《運搬》で自分自身の重心移動を助けた。
「もう1回やってみろよ」
レオンが言う。
「今?」
「戦闘終わったし」
ソーマは少し離れた場所へ移動する。
普通に立つ。
そして。
自分の身体を荷物だと思う。
右へ運ぶ。
《重量軽減》。
ほんの少しだけ、自分が軽くなるイメージ。
そのまま一歩。
すっ。
いつもより滑らかに身体が動いた。
「おお」
レオンが声を上げる。
「やっぱり少し速い」
「速いっていうより……動き出しが軽い?」
ソーマ自身もそんな感じがした。
長く走れば、大して変わらないかもしれない。
だが。
最初の一歩。
横への回避。
方向転換。
そういう短い動きなら、明らかに違う。
リナが少し考える。
「《運搬》と《重量軽減》を同時に使ってるのね」
「多分」
「変な使い方するわね」
「自分でもそう思う」
レオンは笑った。
「でも、お前には合ってる」
「そう?」
「《警戒》で攻撃が来る方向がわかる。《重量軽減》と《運搬》で避ける。それなら前衛じゃなくてもかなり死ににくくなる」
死ににくくなる。
ソーマにとって、それ以上にありがたい評価はない。
「名前つける?」
リナが言った。
「何に?」
「今の動き」
「いらないだろ」
即答すると、レオンが笑った。
「そのうちスキルになったりしてな」
ソーマは一瞬黙った。
あり得ないとは言い切れない。
仕事からスキルが生まれる。
スキル同士を組み合わせた結果、また何かが生まれる。
そんなことまで起きたら。
「……それはちょっと面白いな」
ソーマは小さく笑った。
その時。
レオンが薬草袋を指差した。
「で、依頼」
「あ」
完全に忘れていた。
まだ18束。
あと2束だ。
「ゴブリン5匹の討伐証明もあるし、追加報酬は出るわよ」
リナが言う。
ソーマは倒れたゴブリンを見る。
「それなら今日、ちゃんと飯食える?」
「たぶんな」
レオンが答える。
「じゃああと2束だけ採ろう」
切り替えが早い。
自分でもそう思う。
それでも、冒険者は生きて帰って報酬をもらわなければ意味がない。
ソーマは短剣を鞘へ戻し、再び薬草を探し始めた。
さっきまでより少しだけ。
腰の武器が、自分のものになった気がした。
最後までお付き合いいただき感謝します。
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