初めての短剣訓練
武器屋を出たあと、レオンは当然のようにギルド裏の訓練場へ向かった。
ソーマはその後ろを歩きながら、腰に下げたばかりの短剣へ何度も手を伸ばしてしまう。
自分で稼いだ金で買った、初めての武器。
そう思うと少し嬉しい。
ただし。
革袋の中に残っているのは、銅貨10枚だけだった。
宿代は銅貨30枚。
完全に足りない。
「……やっぱ使いすぎたかな」
小さく呟くと、前を歩いていたレオンが振り返った。
「何が?」
「残金」
「いくら?」
「銅貨10枚」
数秒。
レオンが笑った。
「やっぱりほとんど使ったのか」
「笑うなよ。武器買えって言ったのそっちだろ」
「必要な出費だろ」
「必要だけど、今日泊まれない」
それを聞いていたリナまで呆れた顔をする。
「本当に毎回ギリギリね」
「好きでギリギリになってるわけじゃないって」
「だったら今日は訓練終わったら依頼だな」
レオンがあっさり言った。
「依頼?」
「宿代ないんだろ?」
「ない」
「なら森で薬草でも採るか、ゴブリンでも狩るしかない」
「選択肢の差が激しくない?」
「どっちもFランクでできる」
レオンは笑う。
「だから早く教えるぞ。日が暮れてから森に行く方が危ないからな」
その言葉で、ソーマも少し真面目になる。
確かに。
武器を買ったことで安心している場合ではない。
今日の宿代を稼がなければ、銀鹿亭に戻ることすらできない。
「わかった。お願いします」
「素直でよろしい」
「なんでちょっと嬉しそうなんだよ」
そんなやり取りをしながら、3人は訓練場へ入った。
◇
訓練場は、前回来た時と同じように何人もの冒険者で賑わっていた。
木剣を打ち合わせている者。
弓を引いている者。
素手で組み合っている者。
その中の空いている一角まで来ると、レオンはソーマの腰を指差した。
「抜いてみろ」
「短剣?」
「他に何がある」
ソーマは鞘を押さえ、買ったばかりの短剣を抜く。
刃が光を反射した。
今まで使っていたナイフより明らかに長い。
それでも、片手で扱うには十分軽い。
「まず持ち方」
レオンが自分の木剣を脇へ置き、ソーマの手元を見る。
「握りすぎるな」
「握りすぎ?」
「今、手に力入りすぎ」
言われてみれば、指が白くなるくらい強く握っていた。
「落としたら嫌だし」
「強く握れば落とさないってもんじゃない」
レオンがソーマの手を軽く叩く。
「親指と人差し指で方向を決める。残りは支える感じでいい」
「こんな?」
「もう少し力抜け」
言われた通りに調整する。
最初は心許ない。
ただ、何度か振ってみると、確かにさっきより手首が動かしやすかった。
「短剣は剣より短い。その分、手首と肘を使う」
「力いっぱい振るんじゃないの?」
「それやると外した時に体勢崩すぞ」
レオンが短剣を持ったソーマの前に立つ。
「次。構え」
「はい」
ソーマは何となく刃を前へ出した。
レオンがため息をつく。
「それだと腕切られて終わり」
「まだ何もしてないだろ」
「構えただけでわかる」
レオンはソーマの右腕を少し下げる。
「利き手は身体から離しすぎるな。肘を少し曲げて、刃先は相手に向ける」
次に足元。
「右足を少し後ろ」
ソーマが動かす。
「開きすぎ。肩幅くらい」
「注文多いな」
「死にたくなきゃ覚えろ」
急に正論を出してくる。
足を調整し、膝を軽く曲げる。
「これで?」
「さっきよりはマシ」
「褒め方ないの?」
リナが少し離れたところで笑っていた。
◇
次に教えられたのは、間合いだった。
レオンが木剣を持ち直す。
「短剣で一番大事なのは、距離を間違えないこと」
「距離?」
「ああ」
レオンが木剣を伸ばす。
先端がソーマの胸の少し手前で止まった。
「剣相手にこの距離にいたら、お前の短剣は届かない。でも俺の剣は届く」
「最悪じゃん」
「だから入るなら一気に入る。入らないなら離れる」
中途半端な距離にいるのが一番危ないらしい。
レオンが一歩下がる。
「今度はお前から届く距離まで来い」
ソーマは短剣を構えながら近づく。
1歩。
2歩。
「そこ」
レオンが止める。
ソーマが腕を伸ばすと、ぎりぎり木剣の胸元へ届く。
「これが今のお前の攻撃距離」
「近いな……」
「短剣だからな」
想像以上に近い。
相手が魔物なら、ほとんど目の前まで入らなければならない。
「怖くない?」
「怖いよ」
レオンが即答した。
「だから俺は短剣を主武器にしてない」
「説得力あるな……」
「でも近づかれた時には強い。長い武器は距離を潰されると振りにくいからな」
レオンはソーマの胸元近くまで一気に入ってみせた。
気づいた時には、木剣の柄が腹の前にある。
「近っ!」
「この距離なら、短い武器の方が動かしやすい」
なるほど。
自分から敵へ突っ込むための武器ではなく、敵に近づかれた時に使う。
ソーマの役割を考えれば、その方が合っている。
「あと、刃だけ見んなよ」
「え?」
「相手の武器ばっかり見ると、身体の動きが見えなくなる」
レオンが自分の肩を指す。
「肩。腰。足」
今度は胸。
「その辺をまとめて見る」
「まとめてって難しくない?」
「慣れ」
一番困る回答だった。
◇
それからは、基本動作の繰り返しだった。
構える。
前へ出る。
短剣を突き出す。
すぐ戻す。
後ろへ下がる。
横へずれる。
転びそうになったら足を踏ん張る。
最初はぎこちなかった。
腕だけで動かそうとしてレオンに止められ。
足が交差して止められ。
短剣を振り回して止められる。
「それやるな」
「何が?」
「横に大きく振るな。短剣はそんな使い方しなくていい」
「でも斬る武器だろ?」
「斬れる。でも今のお前が大振りしたら、外した時に終わる」
レオンがソーマの短剣を指差す。
「まずは突く。近づかれたら相手の腕や身体に当てて距離を作る。それだけでいい」
「倒さなくていい?」
「何回言わせるんだよ」
レオンが呆れる。
「お前の目的は勝つことじゃない。生き残ること」
以前教わった言葉と同じだ。
逃げるための1秒。
そのための短剣。
ソーマはもう一度構える。
今度はさっきより少しだけ力を抜く。
「そう」
レオンが頷いた。
「それでいい」
初めて普通に褒められた。
「今のもう1回」
「はい」
何度も繰り返す。
気づけば最初より、短剣を持つことへの違和感が減っていた。
もちろん。
使えるようになった、とはまだ言えない。
ただ。
最初にナイフを握った時よりは、何をすればいいのか少しわかる。
◇
しばらくすると、レオンが木剣を構えた。
「じゃあ次」
「まだあるの?」
「ここからが本番」
嫌な予感がする。
「模擬戦」
「早くない?」
「本気でやるわけじゃない。まずは避けるだけでいい」
リナが少し離れた場所から、楽しそうに見ている。
「大丈夫よ。レオンも加減するから」
「それでも怖いんだけど」
レオンは木剣を肩の高さに構えた。
「いいか。俺の剣ばっかり見るな。肩、腰、足。全部まとめて見ろ」
「それが難しいんだって」
「だから練習するんだよ」
ソーマも短剣を構える。
「来い」
レオンが言った。
「いや、そっちから攻撃するんじゃないの?」
「あ、そうだった」
「適当だな!」
そう言った次の瞬間。
ぞわり。
《警戒》が反応した。
「右――!」
考えるより早く、ソーマは身体を横へずらした。
直後。
レオンの木剣が、さっきまで肩があった場所を通り抜ける。
「……え?」
ソーマが固まる。
レオンも少し目を丸くした。
「今の避けたな」
「いや、待って」
ソーマは自分の胸元を見る。
今。
確かに反応した。
以前より、はっきりと。
右から来る。
そうわかった。
《警戒 Lv2》。
これか。
「もう1回」
ソーマが言う。
「いいのか?」
「お願い」
レオンが再び構える。
今度は左。
ぞわり。
また来た。
左。
ソーマは慌てて下がる。
木剣が胸元をかすめる。
「まただ」
「何が?」
リナが聞く。
「《警戒》」
ソーマは自分のスキルを意識する。
《警戒 Lv2》
やっぱり。
前よりわかりやすい。
「レベル上がったの?」
リナが聞く。
「うん。今回こっちに来たらLv2になってた」
「じゃあ、それじゃない?」
「多分」
レオンが少し考える。
「もう1回やるか」
「お願いします」
今度はソーマも集中する。
レオンが構える。
肩が動く。
木剣が来る。
――と思った。
だが。
《警戒》は反応しない。
「……?」
ソーマは動かなかった。
レオンの木剣は途中で止まる。
「なんで今避けなかった?」
「来る感じしなかった」
「でも俺、振ったぞ」
「途中で止めたじゃん」
「まあな」
ソーマは首を傾げる。
「もう1回」
今度はレオンが、さっきとほとんど同じ動きをした。
肩。
足。
木剣。
しかし。
また《警戒》は反応しない。
木剣はソーマの肩の少し手前で止まった。
「……やっぱり」
リナが近づいてくる。
「何?」
「たぶん、レオンが当てる気なかったからじゃない?」
ソーマがレオンを見る。
「今、当てるつもりなかった?」
「ああ」
「最初の2回は?」
「軽く当てるつもりだった」
その瞬間。
ソーマの中で、何かが繋がった。
「じゃあ、動きを見てるわけじゃないのか」
「どういうこと?」
リナが聞く。
「最初は、レオンの動きが見えるようになったのかと思った。でも、同じ動きでも当てる気がないと反応しない」
ソーマは短剣を握ったまま考える。
「危険そのものに反応してる……?」
レオンが少し笑う。
「《警戒》って名前なら、その方が自然だな」
「でも、どこまでなんだろ」
殺すつもりがある時だけなのか。
怪我をさせる程度でも反応するのか。
魔物だけではなく人間にも効くことは、今のでわかった。
では事故は。
罠は。
毒は。
魔法は。
まだ何もわからない。
「今度は少し変えてみるか」
レオンが言う。
「どうするの?」
「当てる気はある。でも、かなり遅く振る」
「それ意味ある?」
「反応する条件を見るんだろ」
それもそうだ。
レオンが再び構える。
今度はゆっくり。
本当にゆっくりと木剣を振る。
ぞわり。
弱い。
でも。
反応した。
「来た」
「ってことは、速さじゃないな」
リナが言う。
ソーマも頷く。
「たぶん」
少なくとも、木剣が速いから察知したわけではない。
当たれば痛い。
その危険があるから反応した。
レオンが木剣を下ろす。
「まあ、今すぐ全部わかる必要はないだろ」
「そうだな」
ソーマは《警戒 Lv2》をもう一度意識する。
Lv1の時より、明らかに反応が具体的になっている。
ただし万能ではない。
危険がなければ、何も教えてくれない。
「とりあえず、当てる気がある時は方向までわかりやすくなった……のかな」
「それだけでもかなり使えるぞ」
レオンが言う。
確かに。
実戦なら、相手は基本的に当てる気で来る。
それなら。
自分にも少しだけ避けられる可能性が増えた。
「じゃあ続けるぞ」
レオンがまた木剣を構える。
「まだやるの?」
「今ちょうどいい練習になってるだろ」
「俺、実験台じゃない?」
「半分は」
「半分なのかよ」
リナが笑った。
◇
そこからは、模擬戦と《警戒》の確認を兼ねた訓練になった。
レオンが本当に軽く当てに来る。
《警戒》が反応する。
ソーマが避ける。
今度はフェイント。
反応しない。
その次は当てに来る。
右。
反応。
下がる。
今度は左。
少し遅れて反応。
木剣が肩へ軽く当たった。
「痛っ」
「今のは遅い」
レオンが言う。
「わかってる!」
「《警戒》が教えてくれても、お前自身が動かなきゃ意味ないぞ」
「それが難しいんだって」
スキルが教えてくれる。
だが、身体が勝手に避けてくれるわけではない。
右から来るとわかっても。
足が動かなければ当たる。
反応が遅れれば間に合わない。
《警戒 Lv2》は強力だ。
でも。
それだけで戦えるわけではなかった。
そこが、むしろソーマには納得できた。
何度も繰り返す。
ほとんどは失敗した。
肩。
腕。
脇腹。
木剣が軽く当たる。
実戦なら、そのたびに怪我をしている。
それでも、少しずつ避けられる回数が増えていった。
そして。
レオンが踏み込む。
ぞわり。
右。
ソーマは一歩左へずれる。
木剣が空を切った。
そのままレオンとの距離が一気に縮まる。
近い。
短剣の間合い。
ソーマは教わった通り、腕を大きく振らずに短剣を前へ出した。
もちろん、本物の刃を当てるつもりはない。
レオンの胸元の手前で止める。
「……どう?」
数秒。
レオンが短剣を見る。
それから笑った。
「まあ、最初にしては悪くない」
「やっと褒めたな」
「ただし実戦なら、その前に3回死んでる」
「台無しだよ」
リナが吹き出した。
それでも。
少しずつなら。
本当に戦う準備ができるかもしれない。
前に出て魔物を倒す必要はない。
敵が自分まで来た時。
危険に気づく。
1回避ける。
少し距離を作る。
レオンかリナのところまで逃げる。
それくらいなら。
自分にもできそうな気がした。
◇
しばらくして、レオンが木剣を下ろした。
「今日はここまで」
「……疲れた」
ソーマはその場へ座り込む。
腕も足も重い。
レオンは平然としていた。
「これくらいでへばるなよ」
「こっちは最近ずっと働いてるんだよ」
「それはお前の都合だろ」
その通りすぎて何も言えない。
レオンはソーマの腰の短剣を見る。
「とりあえず、その武器は毎日少し触れ」
「毎日?」
「構えるだけでもいい。抜いて、構えて、戻す。それを繰り返せ」
「わかった」
「慣れてきたら、また模擬戦するぞ」
「今日ので終わりじゃないの?」
「終わるわけないだろ」
レオンが笑う。
「次はもう少し速くする」
「嫌な予告するなよ……」
それでも。
悪くない。
ソーマは買ったばかりの短剣を鞘へ戻した。
少し前まで。
武器を持つことすら怖かった。
今は、その使い方を覚えようとしている。
ほんの少しずつ。
自分も冒険者らしくなっているのかもしれない。
そんなことを考えていると、レオンが突然言った。
「で」
「何?」
「今日の宿代」
ソーマは黙った。
忘れていた。
革袋の中。
銅貨10枚。
「……足りない」
「だろうな」
「わかってたなら言うなよ」
「だから早く教えたんだよ」
レオンがギルドの方角を指差す。
「このまま何か依頼受けるぞ」
「今から?」
「日が高いうちにな」
「何やるの?」
レオンは少し考えた。
「安全に行くなら薬草。少し稼ぎたいならゴブリン」
「どっちも森じゃん」
「だから短剣の使い方を先に教えたんだろ」
なるほど。
最初からそのつもりだったらしい。
リナがソーマを見る。
「どうする?」
ソーマは革袋を軽く持ち上げた。
銅貨10枚。
銀鹿亭は1泊銅貨30枚。
あと20枚。
しかも食事代も必要だ。
「……薬草だけじゃ足りなかったら?」
「その時はゴブリンも探す」
レオンが答えた。
「結局戦う可能性あるじゃん」
「実戦練習にもなるだろ?」
嫌な笑い方をしている。
ソーマはため息をついた。
それでも。
今日買った短剣を、本当に使うことになるかもしれない。
少し怖い。
だが。
最初に丸腰で森へ入った時とは違う。
今は武器がある。
最低限の使い方も教わった。
《警戒》もLv2になった。
そして何より。
1人ではない。
「……行くか」
ソーマは立ち上がった。
「宿代くらい、自分で稼がないとな」
レオンが笑う。
「そうこなくちゃ」
3人はそのまま依頼板へ向かった。
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