飲み代くらい、自分で稼ぐ
まだ外が薄暗い時間。
ソーマは銀鹿亭の固いベッドの上で目を覚ました。
窓の隙間から入る光は弱い。
体感では、まだ朝の5時前後だろう。
ソーマは身体を起こすと、枕元に置いていた革袋を手に取った。
中身を確認する。
銀貨2枚。
前のパーティ依頼でもらった銀貨7枚から、宿泊と食事で5枚分。
昨日の廃村調査でも銀貨5枚を受け取ったが、そこからまた宿代と食事で5枚分が消えた。
結局、手元に残っているのは銀貨2枚だけだ。
銅貨に直せば20枚。
「……少ないな」
今日の夜は、レオンとリナと飲む予定がある。
前回は3日目に扉が現れて、日本へ帰ることができた。
今回も同じなら、今日中に帰れて宿泊代がかからないかもしれない。
ソーマはそんな考えを一瞬だけ浮かべた。
だが、必ず今日扉が現れる保証はない。
もし帰れなければ、もう1泊する必要がある。
夜の飲み代も考えると、最低でもあと銅貨40枚くらいは欲しかった。
ソーマはしばらく革袋を見つめたあと、ベッドから立ち上がった。
「働くか」
我ながら、異世界に来てまで何をしているんだと思う。
だが、金がないよりはいい。
着替えを済ませ、階下へ降りる。
銀鹿亭の食堂では、すでに女将が朝食の準備を始めていた。
大鍋から湯気が上がり、焼いたパンの匂いが漂っている。
「あら、早いね」
女将がこちらを見る。
「おはようございます」
「こんな時間にどうしたんだい。冒険者が朝から働き者だねえ」
ソーマは少し迷ってから口を開いた。
「あの、仕事させてもらえませんか?」
「仕事?」
女将が眉を上げる。
「朝飯の配膳とか、片付けとか。何でもいいです」
数秒、女将がソーマを見る。
「……金がないのかい?」
「ないわけじゃないです」
「じゃあ何だい」
「夜に飲む予定があって」
女将は一瞬黙ったあと、大声で笑った。
「なんだいそれ!」
「笑わないでくださいよ」
「飲む金を稼ぐために朝5時から働く冒険者なんて初めて見たよ」
そう言いながらも、女将はまんざらでもなさそうだった。
「まあいいさ。ちょうど人手が欲しかったところだ」
「本当ですか?」
「ああ。朝飯の時間になると一気に客が降りてくるからね」
女将は大鍋をかき混ぜながら続けた。
「そういえば、あんた。私の名前知らないだろ」
「……そういえば」
「マルタだよ。いつまでも女将、女将って呼ばれるのもなんだから覚えときな」
「マルタさん」
「さんはいらないよ」
「じゃあマルタ」
「急に馴れ馴れしいね!」
また怒られた。
◇
それからソーマは、朝食の準備を手伝った。
パンを運ぶ。
スープを並べる。
水差しを補充する。
客が起きてくれば注文を聞き、空いた皿を回収する。
日本で飲食店のホールをやった時と、それほど変わらない。
むしろ客数が少ない分、こちらの方が楽なくらいだった。
「そこ、スープ2つ!」
「はい!」
「水なくなってるよ!」
「今持ってきます!」
「パン追加!」
「はいはい!」
気づけば身体が勝手に動いていた。
日本でやったレストランのホールバイト。
あの時も5時間働いた。
そして今。
配膳。
片付け。
客への対応。
明らかに似た仕事をしている。
ソーマの中に、少しだけ期待が生まれる。
もしかして。
今度こそ。
仕事がひと段落したところで、意識を自分のスキルへ向けた。
《運搬 Lv1》
《仕分け Lv1》
《警戒 Lv1》
《重量軽減 Lv1》
……増えていない。
「……やっぱりダメか」
思わず声が漏れた。
「何がダメなんだい?」
マルタが振り返る。
「いや、何でもないです」
期待していた分、地味にへこむ。
引越しの時だけ《重量軽減》が増えた。
飲食も、清掃も、イベント設営も何も出ない。
やっぱり条件がわからない。
「ぼさっとしてないで、これ運んどくれ」
「はい」
結局、考える暇もなく働かされた。
◇
朝食の時間が終わる頃には、外はすっかり明るくなっていた。
ソーマは空いた皿を片付け、最後のテーブルを拭く。
「よし、終わり」
マルタが腰に手を当てた。
「助かったよ。思ったより使えるじゃないか」
「思ったよりって何ですか」
「冒険者なんて、皿運ばせたら半分は割ると思ってるからね」
「偏見すごいな」
マルタは笑いながら、カウンターの奥からパンとスープを持ってきた。
「ほら」
「これ?」
「朝飯だよ。それと、これは仕事代だ」
マルタはそう言って、銅貨を5枚、テーブルの上に置いた。
「でも俺、仕事代を――」
「たいした時間じゃないし、朝飯とそれでいいだろ」
目の前には、焼きたてに近いパンと温かい豆のスープ。
普段、自分が銅貨を払って食べているものより少し量が多い。
「いいんですか?」
「役に立ったからね」
ソーマは少し迷ったあと、素直に椅子へ座った。
「いただきます」
温かいスープを口に入れる。
うまい。
無料だと思うと、余計にうまい。
「……働いた後の飯ってうまいな」
「朝から年寄りみたいなこと言うんじゃないよ」
マルタが呆れたように笑った。
朝食代が浮いた。
それに、銅貨5枚まで手に入った。
ただ。
所持金は銀貨2枚と銅貨5枚。
夜の飲み会と宿まで考えれば、まだ足りない。
食べ終わると、ソーマはすぐに立ち上がった。
「ごちそうさまでした」
「もう行くのかい?」
「もう1件、仕事探してきます」
「まだ働くのかい!?」
「あと銅貨35枚くらい欲しいんで」
マルタは呆れたように大きなため息をついた。
「冒険者なのか働き者なのかわからないね、あんたは」
ソーマ自身もそう思う。
銀鹿亭を出る。
朝の街には、すでに人が増え始めていた。
この時間なら、まだ午前中の依頼が残っているはずだ。
「運搬系があるといいな」
《運搬》と《重量軽減》。
今の自分が一番確実に稼げる仕事だ。
ソーマは少し早足になり、そのまま冒険者ギルドへ向かった。
◇
ギルドへ着くと、ソーマは真っ先に依頼板を確認した。
午前中だけ。
危険が少ない。
そして、できれば運搬。
条件を絞って探していると、ちょうどいい依頼が見つかった。
【商会倉庫・荷物搬入補助】
Fランク可。
午前のみ。
報酬、銅貨40枚。
「これだ」
迷わず依頼書を剥がし、受付へ持っていく。
手続きを済ませると、そのまま指定された商会へ向かった。
仕事の内容は単純だった。
荷車で届いた木箱や樽を倉庫へ運び、指定された位置へ積んでいく。
完全に今のソーマ向きだ。
《運搬》で持ちやすい位置を自然と選び、《重量軽減》で負担を少し減らす。
重量軽減の効果そのものは大きくない。
それでも、同じ作業を何度も繰り返すとなれば、その差は確実に身体へ現れる。
「兄ちゃん、まだいけるのか?」
一緒に作業していた男が、驚いたように聞く。
「まだ大丈夫です」
「細いのに妙に持つな」
「持ち方にコツがあるんで」
最近、この説明ばかりしている気がする。
午前中いっぱいかかる予定だった作業は、少し早く終わった。
依頼主から銅貨40枚を受け取る。
これで銀貨2枚と銅貨45枚。
朝よりはかなり安心できる。
「よし」
昼前。
ようやく今日の本来の予定へ向かえる。
◇
ギルドへ戻ると、レオンとリナはすでに受付前にいた。
「遅かったな」
レオンが言う。
「午前中働いてた」
「今日も?」
リナが呆れる。
「夜飲むんだろ。金いるじゃん」
「そこまでして来なくてもいいのに」
「いや、行くって言ったし」
「変なところ律儀よね」
そんな話をしていると、いつもの受付嬢が書類を持って戻ってきた。
「お待たせしました」
リナが少し緊張した表情になる。
「日程、決まりました?」
「はい」
受付嬢は書類を確認する。
「リナさんのDランク昇級査定は4日後です」
「4日後……」
「レオンさんのCランク昇級査定は、その前日になります」
「了解です」
レオンは軽く答えた。
対してリナは、少しだけ表情が硬い。
「緊張してる?」
ソーマが聞く。
「してない」
「まだ4日あるぞ」
レオンが横から笑う。
「してないって言ってるでしょ」
受付嬢まで小さく笑った。
そこでソーマは、ふと思った。
そういえば、何度も会っているのに名前を知らない。
「そういえば、俺ずっと聞いてなかったんですけど」
「はい?」
「名前」
受付嬢が一瞬きょとんとする。
それから、少しだけ呆れた顔になった。
「今ですか?」
「聞くタイミング逃してたんですよ」
「何度も受付に来ていたと思いますけど」
「それはそうなんですけど……」
受付嬢は小さく笑った。
「エレナです。エレナ・フォード」
「エレナさん」
「ようやく受付嬢から昇格したわね」
リナが言う。
「いや、名前知らないまま受付嬢さんって呼ぶしかなかったんだよ」
「普通はもっと早く聞くでしょ」
「それは確かに」
エレナまで笑っていた。
◇
昇級査定の日程も決まり、夜まではまだ時間がある。
そこでレオンがソーマを見る。
「ソーマ。ちょっと付き合え」
「どこに?」
「訓練場」
「なんで?」
「お前、戦えなさすぎる」
あまりにも直球だった。
「昨日だって役に立っただろ」
「役には立つ。でも敵に近づかれたら終わる」
否定できない。
ギルド裏の訓練場へ移動すると、レオンはソーマに木剣すら持たせなかった。
「剣は?」
「まだいい」
「冒険者なのに?」
「まず殴られた時に固まらないところから」
地味だった。
拳の握り方。
立ち方。
相手との距離。
掴まれた時の腕の外し方。
転んだ時の起き上がり方。
相手を倒すためではなく、距離を作るための蹴り。
「いいか」
レオンが構える。
「今のお前に必要なのは、魔物を倒す技術じゃない」
「じゃあ何?」
「逃げるための1秒を作る技術」
レオンがソーマの肩を軽く押す。
それだけで体勢が崩れた。
「弱っ」
「うるさいな」
「でも、それでいい。相手を倒そうとするな。崩して、離れて、俺たちのところまで走れ」
言われてみれば、ソーマにはその方が合っている。
自分がレオンと同じように前へ出て戦う必要はない。
ただ、敵に接近された瞬間に何もできないまま殺されるのは困る。
何度も同じ動きを繰り返す。
途中から、周囲にいた冒険者たちの視線が気になり始めた。
「なあ、あのFランク……レオンに直接教わってないか?」
「あいつ、この前一緒に森へ行ってた奴だろ」
「羨ましいな。俺なんて前に頼んだら断られたぞ」
聞こえている。
ソーマは小声で聞いた。
「レオンって、そんなに人に教えないの?」
「人による」
「俺は?」
「放っといたら死にそうだから」
「理由ひどくない?」
近くの壁にもたれて見ていたリナが笑っている。
ただ、周囲の反応を見る限り、レオンに直接教えてもらえること自体、かなり珍しいらしい。
「もう1回」
レオンが構える。
ソーマも向き直った。
その時だった。
「へえ。お前がそこまで面倒見る新人なんて珍しいな」
低く落ち着いた声が聞こえた。
レオンが動きを止める。
振り返った先には、1人の男が立っていた。
年齢は40代後半くらい。
短く切った髪には灰色が混じり、顎には薄い無精ひげ。
体格はレオンより一回り細い。
装備も派手ではない。
何度も修理された跡のある革鎧。
腰には短剣が2本。
その横には、細い金属棒や小さな道具の入った革袋がいくつも下がっている。
見た目だけなら、レオンの方がよほど強そうに見える。
だが。
男が訓練場へ入ってきた瞬間、周囲の空気が少し変わった。
何人もの冒険者が自然と道を空ける。
「ガレスさん」
レオンが声をかけた。
普段より少しだけ丁寧な口調だった。
ソーマはそこに一番驚いた。
レオンが敬語を使っている。
「久しぶりだな」
男――ガレスが片手を上げた。
「Cへの査定、決まったらしいじゃないか」
「耳が早いですね」
「このギルドにいりゃ嫌でも聞こえてくる」
ガレスはそう答えたあと、ソーマへ視線を向けた。
頭から足元まで。
一瞬で装備を確認するような目だった。
「そいつは?」
「最近一緒に組んでるFランクです」
「ソーマです」
軽く頭を下げる。
ガレスはソーマの背負い袋へ視線を向けた。
「後衛か?」
「……荷物持ちです」
正直に答える。
ガレスが小さく笑った。
「そいつは大事だ」
馬鹿にしている様子はなかった。
むしろ、本気で言っているように聞こえる。
「ガレスさんはBランク」
レオンが説明する。
「B?」
思わず声が出た。
昨日聞いたばかりだ。
地方どころか、複数の街や領地で名前を知られるような実力者。
「戦うのも強いんですか?」
ソーマが聞く。
ガレスは少しだけ口元を上げた。
「別に弱くはない」
「ガレスさんの『弱くはない』は信用するな」
レオンが横から言う。
「俺も何回か手合わせしてもらったことあるけど、普通に強いぞ」
「レオンより?」
「正面から剣だけで殴り合えば、今ならいい勝負できるかもしれない」
レオンが少し考えてから続ける。
「でも、実戦ならたぶん俺が負ける」
「なんで?」
ソーマが聞く。
ガレスが腰の短剣を軽く叩く。
「正面から戦う理由がないからだ」
その一言で、ソーマはなんとなく意味を理解した。
ガレスは戦士ではない。
だが、戦えないわけでもない。
むしろ普通に戦ってもかなり強い。
その上で、真正面から戦うこと自体を選ばない。
相手の死角を取る。
地形を使う。
必要なら罠を使う。
先に見つけて、先に仕留める。
戦わなくていいなら、そもそも戦わない。
「俺の本職は斥候だ」
ガレスが続ける。
「索敵。罠の発見と解除。鍵開け。地形の確認。退路の確保。必要なら敵に見つからず先へ進む」
「いろいろやるんですね」
「探索じゃ、剣が強いだけじゃ帰ってこられんからな」
レオンが頷く。
「ガレスさんがBなのは、単純に罠を解除できるからじゃない。戦えて、探れて、危険を見つけて、ちゃんと全員連れて帰ってくるからだ」
ソーマはガレスを見る。
昨日聞いたばかりの話を思い出す。
冒険者ランクは、単純な戦闘力だけで決まるわけではない。
その意味が、少しわかった気がした。
「それで、レオン」
ガレスが話を戻す。
「Cに上がったら、少し予定を空けておけ」
「何かあるんですか?」
「西だ」
「西?」
「迷宮がまた開く」
その言葉に、レオンの表情が変わった。
壁際にいたリナも身体を起こす。
ソーマだけが意味を理解できなかった。
「迷宮?」
ガレスがこちらを見る。
「知らんのか?」
「聞いたことないです」
「そうか」
ガレスは特に驚いた様子もなく続ける。
「前衛が1人足りない。まだ確定じゃないが、お前がCになったら候補に入れたい」
「わかりました」
「査定で落ちるなよ」
「落ちませんよ」
「そういう奴が落ちるんだ」
ガレスは鼻で笑う。
それからソーマへ一度だけ視線を向け、そのままギルドの方へ歩いていった。
周囲の冒険者たちが、また自然と道を空ける。
ソーマはその背中を見送った。
「……あの人、相当すごい?」
「だからBランクだって」
リナが言う。
「特に迷宮探索では有名な人よ」
「さっき罠とか言ってたけど」
「罠を見つけるのも解除するのも、鍵を開けるのも、道を読むのも得意。それに戦闘も強い」
「全部できるじゃん」
「だからBランクなの」
リナが当然のように答える。
「ガレスさんがいるパーティは生還率が全然違うって言われてるわ」
「迷宮ってそんな危ないの?」
レオンが答える。
「普通の森とは全然違うぞ」
「どんなところ?」
「魔物がいる。罠もある。場所によっては扉も鍵もあるし、道が変わるところもある」
「道が変わる?」
「迷宮によるけどな」
ソーマの頭に、日本で聞いたことのある言葉が浮かんだ。
「……ダンジョンみたいなもの?」
2人が首を傾げる。
「ダンジョン?」
「あ、いや。何でもない」
こちらでは迷宮と呼ぶらしい。
魔物。
罠。
宝。
地下。
想像するだけなら、いかにも異世界らしい。
少しだけ興味が湧く。
ただ。
昨日の廃村のことを思い出せば、喜んで入りたいとは思えなかった。
「怖くない?」
ソーマが聞く。
レオンが笑った。
「怖いからガレスさんみたいな人が必要なんだよ」
なるほど。
いつか自分も、そんな場所へ行くことがあるのだろうか。
そう考えたが。
今の自分はFランク。
まだずっと先の話に思えた。
◇
夕方。
訓練を終えたソーマの身体は、予想以上に痛かった。
「明日、筋肉痛だな……」
「これくらいで?」
リナが言う。
「魔法使いに言われたくない」
「私も体力訓練くらいしてるわよ」
「ほんとか?」
「燃やすわよ」
怖い。
3人はギルド近くの酒場へ入った。
今日はレオンとリナの昇級査定の日程が決まった祝い。
正確には、合格祈願だ。
テーブルには肉料理とパン、それぞれの酒が並んでいる。
ソーマは一口飲んでから聞いた。
「まだ受かってないのに祝うんだ?」
「規定依頼終わった祝いも兼ねてる」
レオンが答える。
「それに、受かったらまた飲めばいいだろ」
「それ、ただ飲みたいだけじゃない?」
「気づいたか」
リナが呆れた顔をする。
「2人とも受かったら、俺だけFじゃん」
何となく言うと、リナがグラスを置いた。
「じゃあ上がってきなさいよ」
「簡単に言うなよ」
「昨日もDランク推奨の依頼に付いてきたじゃない」
「あれは2人がいたからだろ」
レオンが肉を食べながら口を挟む。
「焦る必要ないだろ。まずは死なないこと覚えろ」
「今日もそれ言うな」
「大事だからな」
「その前に受け身ね」
リナも笑う。
「今日、何回転んでた?」
「数えてない」
「私は数えた」
「数えるなよ」
3人で笑った。
酒場は騒がしかった。
周囲では冒険者たちが大声で話し、皿と杯の音が絶えない。
少し前まで。
この世界には知り合いすらいなかった。
初めて森へ入って。
ゴブリンに追われて。
死にかけて。
レオンとリナに助けられた。
今はその2人と同じテーブルで酒を飲んでいる。
不思議な感覚だった。
「乾杯しようぜ」
レオンがグラスを上げる。
「何に?」
ソーマが聞く。
「俺とリナの昇級」
「まだ受かってない」
リナがすぐに突っ込む。
「じゃあ合格祈願」
「それならいい」
ソーマもグラスを持ち上げた。
「じゃあ、2人が受かりますように」
「お前、神に祈るみたいに言うな」
「実際祈ってるから」
3つの杯が軽くぶつかった。
◇
飲み会も終わりに近づき、ソーマは革袋へ手を伸ばした。
朝の宿仕事で銅貨5枚。
午前中の運搬仕事で銅貨40枚。
今日のために稼いだ金だ。
「俺、自分の分払うよ」
そう言って硬貨を取り出そうとすると、レオンが手で制した。
「いらねえよ」
「いや、でも」
「今日は俺が出す」
「なんで?」
レオンは当たり前のように答えた。
「Fランクの新人を俺たちから飲みに誘っといて、金まで払わせるわけないだろ」
「いや、払えるけど」
「そういう話じゃない」
レオンはそのまま店員を呼び、まとめて支払いを済ませてしまった。
ソーマは革袋を持ったまま固まる。
「……俺、今日このために朝5時から働いたんだけど」
一瞬。
リナが吹き出した。
「だから朝から働いてたの!?」
「言っただろ。飲む金がいるって」
「真面目すぎるでしょ!」
レオンまで笑い始める。
「じゃあ、その金は取っとけ」
「だったら先に言ってくれよ……」
朝5時に起きて配膳をして。
そのあと商会で荷物を運んで。
銅貨45枚を稼いだ。
全部、夜の飲み代を心配したからだ。
結局、飲み代は0。
「まあ、金が残ったならいいじゃない」
リナが言う。
「結果だけ見ればそうだけどさ……」
ソーマは革袋をしまう。
銀貨2枚と銅貨45枚。
朝より確実に懐は暖かくなっている。
悪い話ではない。
「次、ソーマがランク上がった時はお前が奢れよ」
レオンが笑う。
「FからEで?」
「そう」
「じゃあ安い店にしよう」
「今からケチるなよ」
また3人で笑った。
◇
酒場を出る頃には、すっかり暗くなっていた。
ソーマはレオンとリナに別れを告げ、1人で街を歩く。
少しだけ酒が入っている。
身体も訓練で疲れていた。
それでも、足は自然とあの場所へ向かっていた。
前回。
扉が現れた場所。
もし今日も同じなら。
そろそろ出ているかもしれない。
曲がり角を抜ける。
薄暗い路地。
その奥。
壁際に。
見覚えのある扉が立っていた。
「……あった」
ソーマは思わず息を吐いた。
やっぱり。
今回も帰れる。
少しだけ安心する。
同時に、さっきの酒場を思い出した。
リナの昇級査定は4日後。
レオンは3日後。
その結果を、この目で見ることはできない。
次にこちらへ来る時には、もう終わっているだろう。
「……受かってるといいな」
小さく呟く。
それから、今日会ったガレスのことも思い出した。
Bランク冒険者。
探索に長け、罠を解除し、鍵を開け、道を見つける。
しかも戦っても強い。
そして、迷宮。
自分の知らないものが、この世界にはまだいくらでもある。
次に来た時。
レオンとリナは何ランクになっているのか。
ガレスが言っていた迷宮とは、どんな場所なのか。
少しだけ気になっている自分がいた。
ソーマは扉へ手をかける。
向こうには、日本の自分の部屋があるはずだ。
大学。
単発バイト。
学費。
生活費。
こちらとはまるで違う日常。
それでも。
以前より少しだけ。
この世界を離れるのが惜しいと思った。
ソーマは扉を開く。
そして、その向こうへ一歩踏み出した。
最後までお付き合いいただき感謝します。
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