4.血塗れなんてよくあることだ
そうして日々は過ぎていく。
あの後一週間くらいエリックの部屋から魘される声が聞こえてきたり、目の下を真っ黒にしていたけれど、最近は元気に勉強を教えてくれる。
俺があまりにもエリックに教えを乞うものだから、最近は他の奴らもエリックに質問しているらしい。俺のいないところで勉強会を開いていることもあるようだ。
そんなどうでもいい情報はいつかのボンクラから齎された。性懲りも無く、多分喧嘩を売りにきたのだとは思う。けれど、その情報のどこに苛立つ部分があるのかわからない。
「お前だけが参加出来ていないんだ」
そう言われてもよくあることなので、返事をする必要すら感じない。
話しているのが馬鹿らしくなって、俺は教室を出た。すると、山のように本を持った先生にぶつかった。先生は慌てて本を集め謝ってから行ってしまった。余程急いでいたらしい。俺はぶつかった拍子にドアに頭をぶつけていた。
運が悪いこともあるものだと立ち上がると、後ろからボンクラの声が聞こえてきた。
「なにしてるんだ!血が出てるじゃないか!」
言われてぶつけたところを触る。ぬるりとしていた。
「とりあえずこれで押さえて。ほら保健室行くぞ」
よくわからないままボンクラについていく。
もっと面倒な人間だと思っていたのに、案外普通らしい。お貴族様だからだろうか。平民ならこんな傷見て見ぬ振りするし、わざわざ手当しようなどという発想にはならない。
ぼんやりとしていると、手当ても済んでいた。
そして、何故だか目の前で腕を組んだボンクラが仁王立ちしている。
「なんだ?」
「なんだじゃない!頭を怪我しているのにどうしてそんなにケロッとしているんだ!可笑しいだろ」
可笑しくはないと思う。よくあることだし、何より俺は痛くない。
「なに、キョトンとしているんだ!お前怖い奴だと思ってたけど、さてはただの馬鹿だな!?」
怒っていいはずなのだけれど、怒りはわかなかった。ただ、豆鉄砲を喰らった鳩のような気持ちだ。
「大体、あんな風に頭をぶつけたら痛いだろう?」
「痛くないけど?」
「はあ?何を言って……」
そこでボンクラは閃いたという顔をした。
「お前、無痛症か!だから、たまに血だらけで来るんだな!?」
そんなことあっただろうか。あまり記憶にない。
血だらけなのは昔からよくあることなので、気づいていないのかもしれない。気にする必要性も感じなかったし。
「それがボンクラに関係あるのか?」
「ボンクラっ!?僕の名前はジュリアンだ!」
肩で息をしながらジュリアンは怒っている。
何に怒っているのかさっぱりだ。ボンクラと呼んだことだろうか。けれど、あれは渾名に分類されるのでは。覚えやすくていいと思うのだけれど。ぴったりだし。
「なんでそんなに怒るんだ?」
「お前が血みどろだからだ!」
意味がわからない。
「俺が血塗れなこととお前が怒ること、どこに関係があるんだ」
「周りが怖がってるからだ!それに、医者として働いている兄上の弟がそんなものを見過ごすわけにはいかないんだよ!」
ジュリアンは俺を睨んでいる。
自分だって周りを虐めて怖がられていた癖に何を言っているのだろう。もしかして、ジュリアンもシアと同じで頭がイカれているタイプなのだろうか。
ジュリアンの兄が医者であることはジュリアンが俺を見過ごせない理由にはならないし。
「そうか」
「そうかじゃない!今後血塗れで学校に来ないと約束しろ!」
真剣な顔のジュリアンに、とりあえず頷いておいた。
段々とこの問答が鬱陶しくなってきた。イライラして物に当たりたくなる前に寮に戻りたい。
そんなことを思っているとガラリと扉が開いた。
「フェイス君!」
息を切らせてやってきたのはエリックだった。そして、俺の前で仁王立ちをしているジュリアンを見て虚をつかれたような顔をしていた。
「えっと……?」
「いいところに来た!エリック、コイツどうにかならないのか。自分が血に塗れていることに全く気がついていないんだ!しっかり監督しろ!」
「えぇ……無理ですよ……」
エリックは力なく首を振っている。俺はジュリアンの標的がエリックに移ってほっとしていた。そして、眠たくなって一つあくびをする。
これがお説教というものか、と無感動に思う。
俺のことを叱る人間なんて今までに存在しなかった。シアはいっつも笑うばかりで何も言わなかったから。
そういえば、言葉遣いとかも直されなかったな。
本当ならエリックのようにジュリアンに対して敬語とやらを使わなければいけないのではないのだろうか。シアは何も気にしなくていいなんて言っていたけれど。
「あ!僕、フェイス君を呼びに来たんです。先生が呼んでいて」
「むっ……そうか」
ジュリアンはまだ言いたりなさそうだったけれど、エリックの言葉で俺を解放してくれた。助かった。
そのまま俺はエリックについていく。
どうして先生に呼び出されたのだろう。考えていると何故だか寮に辿り着いていた。
「先生が呼んでるんじゃないのか」
「ううん。フェイス君が虐められてると思ったら咄嗟に……」
俺は虐められていたのか。いや、どう考えても虐められてはいないと思う。
俺を虐めることが出来るのなんて、この世でシアくらいだろう。
というか、そもそも虐めって何だ。
「保健室に無理矢理連れて行かれて無理矢理手当てされただけだ」
エリックは俺の言葉に脱力するように息を吐いた。
「そっかあ。いや、そうだよね。ジュリアン様がフェイス君を傷つけられるわけないよね」
うんうんと頷いている姿に少しジュリアンが可哀想になった。
見るからにひ弱ではあるけれど、もう一度俺に声をかける気概はある。気絶したくせにそんなことをした奴は見たことがない。きっとジュリアンは図太いのだろう。
だから、エリックの考えは間違っていないけれど、少し違うと思う。傷つけられないのはそうだけれど、出来てもしない気がした。というか、今更だけれど、そこはかとない小物感を感じる。
お貴族様とはもっとこう威圧的なのではないだろうか。そうではないからこんな中途半端なクラスにいるのだろう。弱い者虐めもしているし。
「放っとけ」
「あ、うん」
俺の雑な反応に、エリックは驚いて頷いていた。
これでこの話は終わりだと部屋に戻り今日のことを思う。
俺にもっと学があれば、今日のよくわからない出来事を面白可笑しく言葉に出来るのだろう。
けれど、そんなものを持たない俺は、無理矢理箇条書きのように文字を並べるくらいしか出来ない。
手紙とは到底呼べないそれを閉じて、また引き出しにいれた。
なんとなくシアに手紙を送る気にはならない。けれど、書いてしまうのはあの日のシアが脳裏に浮かぶからだ。
まともに書けるようになったなら送ってやってもいいだろう、と結論付け、俺は手紙について考えることをやめた。




