6.大好きです
最近の僕は医務室に行くのが怖くなっていた。昼頃に訪ねるといつもシャルルさんがいて、居心地が悪くて逃げ帰っていた。
元々、ミーシャ先生の厚意で始まったことだ。友達が来ているのに、僕を優先する必要はないだろう。そう思うと、嫌だと大声で叫びたくなる。
ああ、本当に嫌だ。僕はここに来てようやくミーシャ先生のことが好きなのだと認めた。
僕はミーシャ先生に声をかけてもらえることが嬉しくて、仕事の相談が出来るのが頼もしくて、一緒に食事をとることが幸せだった。
お礼に贈り物なんて考える時点で答えなんてわかりきっていた。それに、贈るにしても相手を困らせないように消え物を贈るのが堅いのだから、推して知るべしだ。
認めたのが会いにいくのが怖くなってからというのが、なんとも間抜けだけれど、仕方がないのかもしれない。僕にとってはこれが初恋だから。
そんな調子だけれど、医務室に持っていかなければいけないものは必ずあって、僕はそれを昼食時間に被らないように持っていくのが常だった。
ミーシャ先生はいつも何か言いたそうだったけれど、言葉を発する前に笑いかけて頭を下げて医務室を出るようにしている。何を言われるのかわからなくて不安で、逃げずにいられなかった。
きっとこのまま親しかったという記憶が遠くに流されて、その他大勢の一人になるのだろう。それも仕方がない。
そもそもどうしてこんなによくしてくれるのかわからないのだ。きっと困っている新人を助けるのは普通のことなのだろう。ミーシャ先生は誰に対しても優しいのだから当然だ。けれど、じゃあ、いつもコーヒーを出してくれて、アドバイスをくれて、昼食にまで誘ってくれて。しかもミーシャ先生の手作りデザート付きで。その理由は一体何なのだろう。
僕にはそこまで良くしてもらえる理由なんて思いつかなかった。けれど、こうやって思い返してみると、僕はミーシャ先生から優しくされすぎていると思った。優しさの理由なんてわからないけれど、ミーシャ先生に僕は報いたい。
そもそも、恋心以前に、逃げ回っている僕は人間としてとても失礼だ。恋心を一旦置いておいて、きっと謝るべきだろう。
そんなことを思っていたある日、第三会議室にミーシャ先生が訪ねてきた。
「エリック君、今日お昼一緒に食べよう?シャルルさんは来ないから」
「はい。食堂に寄ってから医務室に行きますね」
「デザートも作ってきたんだ!だから……え?」
ミーシャ先生は目をまんまるにしている。ちょっと可愛い。
恋心を認めただけで、ミーシャ先生の全てが可愛くて見える。そんな自分が恥ずかしかった。
「僕も一緒にご飯食べたいです。話したいことがあります」
照れを誤魔化すように、真面目な顔を作った。ミーシャ先生は何故だか青ざめていた。
医者の不養生という言葉が頭に浮かぶ。よくみると薄ら隈があるように見えた。
「ミーシャ先生体調悪いですか?もし、悪かったら今度に」
「大丈夫だから!ちゃんと来てね、待ってるから」
ミーシャ先生の言葉を心配に思いながらも僕は頷いたのだった。
医務室の前で深呼吸をしてノックをする。そして、僕はゆっくりと中に入った。
ミーシャ先生が言っていた通り、中にシャルルさんはいなかった。
「来てくれたんだね」
ミーシャ先生はどこかホッとしているようだった。
ミーシャ先生に促されて、いつものように向かい合って座る。
話はきっと食べ終わってからの方がいいだろう。僕はどこかソワソワしているミーシャ先生と雑談をしながら、デザートまで美味しくいただいた。
「ミーシャ先生に話したいことがあります」
ミーシャ先生は困ったように僕を見ている。
やっぱり顔色が悪い気がした。早く話を終わらせて休んでもらおう。僕の話はきっと自己満足の類だろうから。
「最近、どうしてミーシャ先生が僕によくしてくれるんだろうって考えてて、それで思っている以上にミーシャ先生に甘えすぎているって気づいたんです。だから、」
「それ以上言わないで!」
ミーシャ先生は悲鳴のような声で僕の言葉を遮った。
「もう会わないとか、一緒にご飯食べないとか、聞きたくないし、許さない!甘えすぎてるっていうのも納得出来ないよ!エリック君、全然甘えてないからね!僕は全く甘やかし足りないよ!だから、もっと僕に頼って。そばにいて!」
ミーシャ先生は取り乱したように言葉を連ねる。
僕は別にもう会わないとか、ご飯を食べないとか、言うつもりはなかった。ただ役に立てることがないか知りたかっただけなのに。
ただ、ミーシャ先生が僕のことをとても大切に思ってくれていることがわかって、心がフワフワしていた。
「大体!よくする理由なんて一つしかないでしょう!?下心だよ!好きじゃなかったら何度も昼食に誘わないし、デザート作ってきたりもしないよ!エリック君だって僕のことちょっとは好きだから来てくれてたんじゃないの?なのに、変な人間が来るだけで嫌にならないでよ!僕のこと嫌いにならないで……」
ミーシャ先生は項垂れてしまった。いつもの余裕は見る影もない。
僕は脳内でミーシャ先生の言葉を反芻していて、ポロリと言葉が溢してしまった。
「ミーシャ先生僕のこと好きなんですか……?」
口に出してしまったけれど、聞き間違いだったら恥ずかしい所の話ではない。思わず、口を押さえた。
「あ……」
顔を上げたミーシャ先生は醜態を晒した自分を正常な思考で理解したらしい。
顔を真っ赤に染めて、両手で顔を覆ってしまった。
「だ、大丈夫ですか……?」
「……大丈夫じゃないかな」
力ない答えが返ってくる。
全く動きそうにないミーシャ先生の再起動には時間がかかりそうだった。
走るように脈打つ心臓を押さえながら大人しく待っていると、少ししてミーシャ先生が顔を上げた。顔色以外はいつも通りのミーシャ先生だった。
「見苦しいところを見せてごめんね」
困ったように眉を下げてミーシャ先生は笑う。
「うん。僕はエリック君のことが好きだよ。ひたむきな君が眩しくて、可愛くて、恋をしたんだ」
ミーシャ先生はいつも通りなのに、声だけ微かに震えていた。それほど恐怖や緊張を感じているらしい。それに気づいて胸がキュッと締め付けられる。
「あ、無理矢理迫ったりはしないから安心してね。だから、どうか僕のことを厭わないでほしいな」
どこか怯えが滲むその言葉に、僕はミーシャ先生の手を握っていた。ミーシャ先生の手は冷たく凍えている。それに熱を移すようにギュッと。
「僕、ミーシャ先生のこと好きです!だから、そんな顔しないでください。いつもみたいに笑って僕を見て?」
出来る限り綺麗に笑いかける。
ミーシャ先生はポーっと僕を見てから溶けそうな笑顔を浮かべた。うん、可愛い。
「エリック君って案外口説き上手だね」
茶化すように言われて納得いかない。口説いた経験もなければ、口説いた意識もない。
「僕の恋人がこんなに可愛いと不安だな」
「恋人……?」
思わぬ言葉に鸚鵡返ししてしまった。なし崩し的な告白の作法を僕は知らない。
「違った?もしかして、付き合う気はない?」
「恋人であってます!」
ミーシャ先生があまりにも寂しそうに笑うので反射的に即答していた。
若干、僕の反応がわかった上での言葉のような気がしたけれど、嫌ではないので構わない。
この日、僕には素敵な恋人が出来たのだった。
◆◆◆
「もしかして、タイミング悪いですかー?」
ひょっこりと顔を出したシャルルさんに、ミーシャ先生は頭を押さえている。
「なんでいるのかな?」
「ケーキ持って来ました!」
箱を掲げるシャルルさんにミーシャ先生は溜息を吐いている。思わず二人を見てオロオロしてしまう。
「フェイス君に買ってこないでって言ったんだけどな」
「なんでフェイス君が出てくるんですか?」
静観するつもりが、思わず口を挟んでしまった。フェイス君が関わることは要注意だった。
「そういえば知らなかったんだね。シャルルさんはフェイス君の上司?友達?……身内?よくわからないけどそんな感じだよ」
「あー!君がフェイス君の友達ですか!いい子そうですもんねー」
シャルルさんはわくわくと僕のことを見ている。
「僕はコーヒー淹れてくるけどエリック君に変なことしないでね」
ミーシャ先生は釘を刺して行ってしまった。僕はそーっとシャルルさんから視線を逸らす。なんとなか関わらない方がいい人な気がする。
「さーて、私とお話ししましょうか。あなたが平民なのにここに入れた稀有な人材ですよね。どうして文官になろうと思ったんですか?」
どうやらそれは許してもらえないらしい。僕はシャルルさんの方を見て真面目に答える。
「街のインフラ整備をもっとしたくて、それを提言出来たらいいなと思ったんです」
「なるほどなるほど!覚えましたから安心してください!頑張ってくださいね。期待していますから!いやあ、フェイス君の周りには優秀な人材がいて素晴らしいですね」
シャルルさんはうんうんと頷いている。
僕は圧が怖くて思わず身震いした。ミーシャ先生が早く戻ってくるのを祈っていると、その祈りが通じたのかすぐに戻ってきてくれた。そして、コーヒーを三つ机に置いた。
その一つを手に取ったシャルルさんはそのまま扉の方へ向かっていく。
「お邪魔でしょうし、いい話を聞けたので、今日は帰りますねー」
軽く手を振りながら出ていく姿に嵐のような人だと思った。今度どんな人なのかフェイス君に聞いてみよう。
ところで、ミーシャ先生はシャルルさんのことフェイス君の身内って言わなかっただろうか。それはもしかしてセレネ様の身内ということだったり──。
「……もしかしてシャルルさんって偉い人ですか?」
「あーーー。……王太子殿下だよ」
「……え!?!?!?」
身内ってあのお方の方だったのかとか、フェイス君の周りにはヤバい人しかいないのかとか、色々思うところはあったけれど、とりあえず、王太子殿下をあれだけ邪険に扱えるミーシャ先生が一番ヤバいのでは、と頭が真っ白になった。
もちろんヤバい人でも好きなことに変わりはないのだけれど、不敬で処刑というのが頭をよぎってしばらく嫌な汗が止まらなかったのだった。




