4.お誘い嬉しいです
かなり仕事を任せてもらえるようになった今日この頃。どうやら、書類整理や雑務を勝手にやっていたのがよかったみたいだ。なんとなくこの部署の仕事を把握していて、振られた仕事もなんとかこなせていた。
僕一人に仕事を振り分けられたからと言っても仕事量はかわらないだろうから、だから、というわけではないだろうけれど、大体の人が昼休憩を取り始めた。
第三会議室から出ないのは変わらないけれど、雑談しているところを見るようになった。まあ、雑談の内容は仕事の話か、他部署の愚痴なので仕事から離れられてはいないのだけれど。
そんな話をミーシャ先生にすると、ミーシャ先生は慈愛のこもった眼差しで頑張ったねと褒めてくれた。
第三会議室が忙しすぎてミーシャ先生に対する緊張は吹き飛んでいて、普通に話せるようになっていた。
「そうだ。ちゃんと昼休憩が取れるなら僕とお昼ご飯食べない?ここから離れられないから、ここで食べることになっちゃうけど。これのお礼に美味しいデザート出すよ」
ミーシャ先生が白衣の胸ポケットからボールペンを出して見せる。
それを見て忘れかけていた羞恥が顔を出して頬が熱を持ち始めた。
「一人で食べる昼食って侘しいし……ダメかな?」
寂しそうなミーシャ先生に胸がキュッと締め付けられる。ミーシャ先生のこんな顔は見たくなくて、僕は反射的に、一緒に食べさせてくださいと答えていた。
「嬉しいな。ありがとう」
はにかんだミーシャ先生は間違いなく可愛かった。この間可愛いと思ったのも、忙しさが見せた幻ではなく正常な印象だったのだろうか。
「じゃあ僕、食堂からご飯とってきますね!食べたいものありますか?」
胸元から食堂のメニューを取り出す。
最近は先輩方の注文を聞くようになっていた。案外みんな好き嫌いが多い。面倒だから食べ切っていたようだけれど、好きなものが昼食の時の方が頑張れたと重々しく頷いていた。
僕は未だにあそこのノリがわからない。
「エリック君のおすすめが食べたいな」
ミーシャ先生は出されたメニューを押し留めて、そう言った。
僕よりここにいる期間が長い先生に僕のおすすめを教えるなんてと思うけれど、ミーシャ先生が望むのならそうしよう。
僕は頷いて尋ねる。
「苦手なものはありますか?」
「何でも美味しく食べるよ」
僕はミーシャ先生にいってきますと告げて、食堂に向かった。
食堂でメニューを眺める。
僕は基本的に余程嫌いではない限り、期間限定メニューを頼む。旬の物を食べられる方がなんとなくお得な気がして。けれど、ミーシャ先生が望んでいるのはそういうことではないだろう。
むむむ、とメニューを睨む。ミーシャ先生は肉系と魚介系、どちらが好きなのだろう。せめてそれくらいは聞いておけば良かった。
結局僕は、ローストビーフのクロワッサンサンドとエビとアボカドのバケットサンドを選んだ。好きな物といわれて困ったので、結局何度か食べているこの二つを選んだ。毎度目に止まるので、きっと好きな物なのだろう。
食べにくいからあまりテイクアウトはしたくない物だけれど、好きな物という指定で、他に思い当たる物がないので仕方がないだろう。
ミーシャ先生が僕の選択をどう思うだろうかとドキドキしながら医務室に戻ってきた。
中に入ると書き物をしていた先生が振り返って迎え入れてくれる。深緑のボールペンが机に置いてあるのを見て胸が擽ったかった。
ミーシャ先生と向かい合って座る。淹れてくれたコーヒーの香ばしい匂いにホッとした。
「あの、二つともおすすめなので半分交換しませんか?」
交換出来るように食堂の人に言って、わざわざ半分にしてもらった。そうする方が楽しんでもらえるんじゃないかと思って。
ミーシャ先生は僕の提案に大きく頷いて、エリック君は天才だねと大袈裟に褒めた。それがなんだか可笑しくて、僕はふふっと笑った。そして、笑ってしまったことが少し恥ずかしくてチラリと見ると、ミーシャ先生は口元を手で押さえてこちらを見ていた。
「……大丈夫ですか?」
黙ったまま見つめあっているのが気まずくて問うと、先生は緩く首を振った。
「何でもないよ。食べようか」
ミーシャ先生は何事もなかったかのように、手を合わせる。口元から手を離したミーシャ先生の顔は少し赤らんでいるような気がした。
食べにくいですね、なんていいながら和やかに食べ切って、ミーシャ先生がデザートを出してくれた。
「エリック君が来てくれたらいいなと思ってプリン作ってたんだ」
「自分で作ったんですか!?」
忙しいはずの医師が自分でデザートを作るなんて想像もしていなかった。いや、買いに行く姿も想像出来ないけれど。
「甘い物が好きなんだ。寂しい独り身だと食べてくれる人がいないから嬉しいよ」
その言葉に驚いて、僕は口をポカンと開けてしまう。
甘い物が好きだというのは驚きはするけれど、優しい相貌から似合うなと思うのでそれはいい。それよりも、こんなに素敵な人が独り身だというのが信じられなかった。
働いているから嫡男ではないのだろうけれど、それでも引くて数多だろうに。
「どうしたのそんな顔して」
ミーシャ先生は人を惑わしそうなほど、美しい笑顔を浮かべている。
「ミーシャ先生が独り身なのにびっくりして。ミーシャ先生モテますよね?」
下世話なセリフだなと思った。こんなことを尋ねるのは失礼だ。けれど、ミーシャ先生は気にした様子もなく首を傾げる。
「まさか!生まれてこの方、恋人がいたこともないよ?悲しいよねえ」
ミーシャ先生は全く悲しくなさそうな笑顔でのんびりとそう言った。
「……ミーシャ先生って何歳でしたっけ?」
「ん?僕は二十三だよ。しがない侯爵家の次男だから需要がないんだ」
嘘だと思った。こんな素敵な人が二十三年間恋人なしなんてありえない。しかも、侯爵家次男だなんて婿入りしてほしいと思う人が山ほどいるだろう。
何故だか心臓が鈍く痛む気がした。
「信じてないな。嘘じゃないよ?学生の時は勉強が忙しかったし、就職してからは忙しくて出会いもなければそんな時間もなかったからね」
わかるでしょうと手を握られた。
確かにわかる。僕の部署にはゾンビしかいないし、食堂には手早く食べられるメニューばかりだ。文官には社畜しかいないのだろう。そんな人たちを相手にしていたら確かに時間がいくらあっても足りない。
それはわかったけれど、どうして僕は手を握られたのだろう。思いの外温かいミーシャ先生の手の熱が移ったのか、体が熱くなってくる。
ミーシャ先生を見ていられなくなって僕は視線を逸らした。
「ふふ、エリック君は可愛いね」
そう言われて揶揄われていたのだと気がついた。それに少しショックを受けながら視線を戻す。
「もう!僕で遊ばないでください!全く免疫ないんですから対抗出来ません!」
僕の言葉にミーシャ先生はキョトンとして、それから遊んでないのになと手を離した。
熱源がなくなったからか少し寒い。そこまで思ってそんなわけないだろうと頭を振る。
一瞬、自分の思考が可笑しかった気がする。ミーシャ先生に惑わされている。
「エリック君は本当に可愛いね。こんな可愛い子が恋人だったらいいのになあ」
ぼやくように呟いてから、ミーシャ先生はチラリとこちらを見た。どういう意味か汲み取れなくて、苦笑して首を傾げておいた。
「温くなる前に食べようか」
ミーシャ先生はさっきまでの話全てがなかったかのような表情でそう言った。
そこでようやく僕はプリンの存在を思い出したのだった。
プリンはとても美味しかった。手作りだとは思えない出来で、いくつでも食べられそうだった。
キラキラした目で食べていた僕に、ミーシャ先生はまた食べに来てねと柔らかく言う。それに僕は曖昧に頷いた。来たいけれど、来てはまずいような気がして、素直に頷けない。そんな僕に、ミーシャ先生は眉を下げていて、またここでこうして過ごす未来が見えた。
そこで、僕はミーシャ先生が笑っていないと嫌なのだと気がついたのだった。




