3.超越したくありません
僕は相変わらず、身を粉にして働いていた。
最近は第三会議室に寝泊まりしたい気持ちすら抱いている。それくらい仕事をさせてもらえるようになっていた。先輩方の気持ちが少しずつわかるようになってきた今日この頃だ。
もちろん、食事の配給もしているし、コーヒーだって淹れている。間食用のチョコを常備してみたり、色々改善策を試してみてはいる。
ただ、仮眠用のアイマスクや枕は失敗だったかもしれない。ここで睡眠を取ることが出来るならいいかと帰らなくなってしまう人が数人いた。能率は良くなったけれど、よくない傾向だった。
一方で、上手くいったものもある。ランチメニューを美味しそうな表現で書いてもらい、それを会議室で読み上げることで、食堂に行ってもらう作戦だ。
好みのメニューだと食堂まで足を運んでくれる人が出てきている。温かい食事をとることで、心のゆとりを取り戻せるのか、戻ってきた先輩は若干だけれど目に光が戻っていた。
その調子で、家に帰って英気を養っていただきたいところなのだけれど、そこまでには至っていなかった。中々上手くいかない。
そんな風にどうにかこうにか試行錯誤している日々なのだけれど、僕は贈り物を購入した日からミーシャ先生のところに行けなくなっていた。お礼のつもりで用意したけれど、渡すのがどうしようもなく恥ずかしい。これは全てジュリアンとセレネ様の所為だ。
なので、綺麗にラッピングされた贈り物は職場の引き出しの肥やしになっている。
タイミングよく、ミーシャ先生のところに行く用事もなくて、僕は目を逸らすために仕事に邁進していた。
「エリック、ちょっと医務室行ってきてくれる?後、ついでにコーヒー淹れて」
指導係のルエラ先輩から指名が入った。
仕事を少しずつ任せてもらえるようになってから、以前よりも名指しでこき使われるようになっていた。
「ルエラ先輩、それって急ぎですか?」
「急ぎじゃないけど、お腹減ったから急ぎ」
時計を見るともう十二時だった。ちょっと前までご飯なんて必要無いと言いたげだったのに、体内時計が正確なようで何よりだ。
「そろそろお昼休憩の時間でーす。ご飯取りに行きます。外で食べる人は教えて下さーい。食堂のランチは海老のトマトパスタですよー」
全員に聞こえるように声をかけるも反応がないので、全員ここで食べるのだろう。
僕は全員分食券を手に会議室を出た。医務室にも顔を出すので、懐にプレゼントを忍ばせてある。
落ち着かない気分で医務室への道を歩く。
僕はどうしてこんなにも緊張しているのだろうか。正直、登用試験の時より緊張していて、意味がわからない。
心を落ち着けることが出来ないまま、僕は医務室の扉を叩いた。
「こんにちは……」
恐る恐る中に入ると、いつものように穏やかに笑うミーシャ先生がいた。
「エリック君、いらっしゃい。最近見ないから心配してたんだ。元気にしてたかな?」
微笑みかけられて、頬が熱をもつ。今までこんなことなかったのに。
僕は誤魔化すように書類と贈り物をまとめて差し出した。
「あの、これ!」
ミーシャ先生はそれを反射的に受け取って、首を傾げた。
「僕が貰っていいの?」
「い、いつもお世話になってるので……!」
照れを誤魔化したくて大きく頷く。
「ありがとう、エリック君。嬉しいよ」
ミーシャ先生はラッピングされた箱をギュッと胸に抱くようにして笑っている。それがとても可憐に見えた。
素敵な人だとは思っていたけれど、年上の男性を可愛らしく感じる自分に驚いていた。もしかしたら、忙しすぎて可笑しくなったのかもしれない。
僕は混乱した頭で時計に目をやってから慌てたフリをした。
「あっ!また来ます!」
実際は、ルエラ先輩を待たせているくらいでそこまで急いではいなかった。
あの部署の人は、集中し始めると時間なんてどうでもよくなる人しかいないので、多少昼食が遅くなっても文句は言われない。というか、気づきもしない。それがまずいから僕が食事の配給の真似事をしているのだ。
僕は冷静になりたくて、医務室から急いで立ち去った。そして、食堂に全員分の食事をもらいにいき、会議室に戻った。
時計に目をやる。第三会議室を出てから三十分しか経っていなかった。僕は過去一のスピードで帰ってきたらしい。
「あれ、早いじゃん。医務室行くからもっと遅いかと思った。あそこの先生とエリック仲良いんでしょ?」
戻った僕に珍しく気づいたルエラ先輩が、不思議そうな顔をしている。確かに、医務室に用がある時はミーシャ先生と話して遅くなることも多かった。といっても、大抵はこの部署の改善と必要なものの手配の仕方なんかを聞いていたのだけれど。
「仲良いというかお世話になってます。ゾンビを人間に戻す協力をしてもらっているんです」
「エリックひどーい。先輩をゾンビなんて失礼にもほどがあるよ」
「自覚あるんじゃないですか!そう思うなら家に帰ってください……」
ルエラ先輩のハイライトのない目に項垂れる。この目に恐怖を抱かなくなってしまうほど、ありふれた光景であることがもの悲しい。
「ここは人間を超越した奴しか来ることが出来ないとこだから無理だよ」
「僕はまだ超越出来てません……」
「エリックは素質あるからいけるよ。がんばれ」
そんな素質ほしくないし、そんな方面で頑張りたくもない。そもそもルエラ先輩はどうしてそんなに楽しそうなのだろう。目は死んでいるけれど。
「はあ。……ご飯とってきましたよ」
「サンキュー!いやあ、持つべきものは働き者の新人だね。私たちにはお弁当っていう発想がないもんね」
ケラケラとルエラ先輩は笑っている。今日のメニューに好きなものが入っていたのだろうか。
「ご機嫌ですね」
「わかってないなあ、エリックは。ゾンビ同士はこうやって話すこともないから、ちゃんとコミュニケーションとれる人間は貴重なんだよ。だから、私はエリックにこうしてすごく話しかけるし、みんなもエリックのこと可愛がってるでしょ。ねーみんな?」
ルエラ先輩の言葉に話を聞いていたのか何人かの手が上がる。
僕は可愛がられていたらしい。本気で言っているのだろうか。可愛いがられた覚えは全くない。まさかお使い業務がそうだったとでもいうのだろうか。
「……ははは、ありがとうございます」
「そうそう。先輩にもっと感謝したまえ。エリックが可愛いから室長は今回も昇進蹴ってくれたし、イチさんは食券全部集めてくれたし、ニーがコーヒーメーカー買ってきたし」
「ちょっと待ってください!昇進蹴ったってなんですか!?」
色々ツッコミたいところはあるけれど、それ以外が頭に入ってこなかった。普通昇進を求めて邁進するものなのではないのだろうか。
優秀な人間が集まっているというのなら尚更に。
「これ以上忙しくなったら嫌だなーって」
目を白黒させていると、後ろからぬっと影が出てきた。室長だった。
これ以上忙しくなることなんてあるのだろうか。これ以上はゾンビでも無理だと思う。少なくとも体はもう一つ必要だ。それくらいすでに働いていると思う。
「それに、お嫁さんにこれ以上実家に帰られると泣いちゃうから」
「家に帰ってください!?」
「まあ、冗談は置いておいて。一人抜けると生ける屍ではなく死んだ骨になっちゃうから」
室長は感情があまり感じられない透明な笑みを浮かべて、食事を受け取って、戻っていった。
そんな極限状態のところに新人を放り込むなんて人事の人はどれだけ平民が嫌いなのだろうか。骨になれとそういうことなのだろうか。
「室長優しいよねー。再三昇進命令来てるのに蹴るんだから。そういえばサンは部署異動蹴ってくれたんだっけ?」
命令蹴るってどういうことなのだろう。優秀な人間には頭の可笑しなゾンビしかいないらしい。
「あの、さっきからイチさんとかニーとかサンとかどなたのことですか?そんな人いませんよね……?」
「あ、エリック知らないのか。名前覚えるの面倒だから席順だよ。ただでさえ必要な情報が多いから余計な情報は少ない方がいいでしょう?名前で呼ばれるのは下っ端のエリックだけだね」
「でもルエラ先輩は」
「いやあ、ウチの部署に新人が来るわけないだろうって間違えて名乗った」
本当は7番だよと笑うルエラ先輩についていけない。いつもヤバい部署だとは思っているけれど、今日以上に思ったことはないかもしれない。
そのおかげ、とはいいたくないけれど、ミーシャ先生のことでテンパってグルグルしていた頭はすっかり正常に戻っていた。




