3.失恋しても世界は続く
家に帰った。
部屋を開けると、まるで自分の部屋ではないかのように整っていた。荒れたまま家を出たはずだったけれど、窓も割れていないし、机も壊れていない。壁に血も散っていなかった。
「魔術か……?」
「そんなわけないでしょう」
後ろから気配なく、ぬっとシアが出てきた。反射で殴るといつかのように鼻血を垂らして笑っている。
相変わらず普通に怖い。
「僕が整えさせました」
何故かとか、誰にとか、聞きたいことが山ほどあるけれど、突かないほうがいい薮はある。俺はその話に触れずに振り返った。
「なんでいんだよ」
「え、来てはいけないのですか?」
驚いた顔をしているシアに、俺も驚く。
こんな風に訪ねてくることが許されるほどシアと親しくなっただろうか。いや、そもそも訪ねてきたというよりはついてきたと言う方が正しいのだけれど、これは一般的に非常識なはずだ。
「いや、ダメだろ」
「バディなのに?」
え、バディとはそんなに重い仲なのだろうか。
その辺の常識は俺にはわからない。
俺は生まれも育ちも下町だ。お偉方の考え方はさっぱりだった。
「……なんのようだ」
諦めて問うと、シアは薄く笑った。
「今から花屋の彼女に会いに行くのですよね?」
「それがなんだ」
「きっと僕がいて良かったと思いますよ。いってらっしゃい」
帰ってきたばかりだというのに、シアに部屋を追い出される。わけがわからない。
苛立ちを感じて扉を殴った。扉は壊れなかったので、ある程度手加減は出来たらしい。けれど、手からは変な音がした。見ると真っ直ぐ伸ばせなくなっている。彼女に見せないようにしなければ。
俺は彼女に久しぶりに会えるのだと浮かれる暇もなく、花屋に向かった。
花屋の近くまでやってきた。
彼女が笑っている。近づいていくと声が聞こえた。
「化け物は戦争で死んだらしいよ」
「ほんとですか?」
花屋の店主と彼女の声だ。
化け物とは何のことだろう。言ってくれればいくらだって殺してきたのに。
「ほんとだよ。家に人が入って綺麗になっていたから次に暮らす人が決まったんだろうって話だ」
店主はわけ知り顔で語っている。それを聞いた彼女はホッと胸を撫で下ろし──振り返った。
俺と目が合う。彼女はサーッと顔を青く染めた。そして、ガタガタと体を震わせている。
「英雄になってきた」
彼女は答えない。涙を我慢するように食いしばって、視線を落とす。そして、バッと顔を上げた。覚悟を決めた目をしていた。
「……こうやってこられるの、迷惑です。私結婚しましたから。だから、もう話しかけないでください!」
彼女はギュッと目をつぶっている。俺のことを見たくないようだった。
「わかった」
一言返事をして俺は背を向けた。
俺は振られたらしい。
苛立ちはしなかった。ただ心がぼやけている。思考がまとまらないまま、早足で歩いていると、いつの間にか部屋の前にいた。
ぼんやりとしていると扉が開く。
「おかえりなさい」
シアが笑ってこちらを見ている。見つめかえすと、困ったようにシアは肩をすくめて俺の腕を引いた。そして、椅子に座らされる。
部屋の中はいい匂いがした。キッチンからグツグツという音が聞こえる。何か作っているのだろうか。鼻をヒクヒクさせているとシアが寄ってきた。
「手を出してください」
言われるがままに両手を出すと、片手だけを取られる。それは扉を殴った方の手だった。
シアは器用に包帯を巻いていく。魔術師の癖に手慣れていた。いや、魔術師だから器用なのだろうか。
「もういいですよ。ご飯食べましょうか」
俺の返事を待たずにシアは立ち上がりキッチンに戻っていく。
脳内に嫁という言葉が思い浮かんだが、その発想が気持ち悪くて、俺は眉を寄せた。
いつもなら、苛立ちまぎれに何かを殴っていたかもしれないけれど、何故だか今はそんな気力はなかった。
出された温かい食事をとる。そして、考える。考えて、ハッとした。
もしかして、化け物とは俺のことだろうか。
この街で戦争に行ったのなんて、俺くらいだろうし、俺の部屋は人が入って綺麗になっている。
俺が化け物──。
やっぱりシアだけでなく俺も化け物だったか。それがなんだか可笑しくなってくる。
この世は愛で強くはなれないし、英雄になったからって彼女は笑ってくれない。
この世は嘘ばかりだった。
「どうしたんですか」
向かいに座っているシアが目を丸くしている。顔に手をやると俺は笑っていた。
「振られたんだよ」
「そうですか」
シアはまるでわかっていたかのように返事をする。
表情は凪いでいるのにどこか楽しそうに見えた。
「僕を殺しますか?」
「はあ?」
思いもよらぬ言葉に怪訝な顔になる。
シアは変態なだけではなく自殺願望でもあるのだろうか。
「覚えていないのですか?英雄になれば振り向いてもらえると言ったでしょう。それに命を賭けると」
言われて記憶を探る。確かに似たようなことを言っていたかもしれない。
なら、俺はシアを殺したいのだろうか。
手に持っているフォークを見る。これがあれば殺すことは可能かもしれない。
視線をシアに移す。シアは特段なにも考えていなさそうだった。
怖がっている様子はなく、かといっていつものように笑っているわけでもない。力の抜けた素の状態。
シアはじっと俺の目を見て、俺の決断を待っている。
よし決めた。
俺はフォークを振りかぶった。
「あ!それ僕のお肉ですよ!」
「馬鹿みたいなこと言う方が悪い」
俺はシアの肉を奪った。
今更、シアを殺したいわけがなかった。
そもそも、約束だって完璧に忘れていたくらいだ。
何も言わなければシアだって肉をとられたりはしなかっただろうに。馬鹿な奴だ。
俺はニヤリとシアに笑って見せたのだった。




