2.英雄へと流される
どうやら戦争は本当にすぐ行われるらしい。
早く出立したいと言われた俺は彼女に会いにいくことにした。
彼女は近くの花屋で働いている。俺は休憩時間を狙って声をかけた。
「ちょっといいか?」
「ヒッ」
彼女は俺の声で飛び上がって後ずさる。
そんなに怯えなくても取って喰いはしないのに、いつになったら慣れてくれるのだろう。
「俺、戦争に行くことになった」
「……え?」
彼女は信じられないと言いたげに目を見開いている。
そりゃあ進んで戦争に行くなんて馬鹿がすることだから仕方がない。
俺はそのまま続ける。
「英雄になって帰ってくる」
その言葉に彼女は涙を浮かべた。
「いってらっしゃいませ」
彼女は震えていた。そして、心底安堵したように顔を綻ばせている。
そうか。英雄とは本当に喜ばれるものなのか。
「いってくる」
悲しんでくれるとは思わなかったけれど、これだけ喜ばれると、とても複雑だ。
俺は強く握りしめた手がぬるりと血で滑るのを感じながら──笑った。
その笑顔を見て彼女が顔を青ざめていたけれど、それもきっと英雄になれば変わるはずだ。
俺は彼女をじっと目に焼き付けてから、その場を立ち去った。
辺りがざわついていたけれどどうしてだろうか。
◆◆◆
戦場に赴く道中で野営をしていた。
冒険者時代に野営の経験はあったけれど、こんなに大勢の人間が集まっているのは初めてだ。
まあ、いつものように周りに人はいないのであまり変わりはない。いや、一つ言うならシアがずっと一緒にいることだろうか。
それこそ気持ち悪いくらいにベッタリと。
何故二人で火を囲むのに隣に座るのだろう。どう考えても可笑しいだろう。
キモくて反射的に殴ったら周りからは野太い悲鳴が聞こえてきた。煩くてたまらない。
一方のシアはというと驚いた顔をして鼻血を垂らしている。そして、目が合うと笑った。ゾクリと背が粟立つ。
大体、何故俺の拳を受けて鼻血だけなのだろうか。
多分、咄嗟に防御魔術でも唱えたのだろうが、それが出来るならバディなんて要らないだろう。
それに、何でそんな爽やかな笑顔を向けてくるのだろうか。キモいキモいとは思っていたけれど変態だったなんて、バディの解消を検討したくなった。
現実逃避気味にそんなことを考えていると、周りからあり得ないほどの視線が向けられていることに気がついた。
元々部外者だからかよく見られていたけれど、その比ではない。
俺はカッと頭が熱くなる。けれど、流石にここで暴れ回ってはいけないことくらいはわかる。
俺は舌打ちをしてその場から立ち去った。
頭を冷やすには水を浴びるのが一番だ。本当なら氷水がいいのだけれど、仕方がない。
俺はパンツ以外を脱ぎ捨てて川に飛び込んだ。
水に潜って目を瞑る。頭は冷えてきたけれど、逆に腹立たしいことが鮮明に思い出される。
何かをサンドバッグにしようにも水中では思うように殴ることも蹴ることも出来ず、さらに苛立ちがつのる。
俺は川から上がって木を殴ることにした。
そして、水から顔を出すと腹立たしいシアがそこにいた。
「大丈夫ですか?」
手を差し出されたが、無視をして岸に登る。
どう考えてもシアの所為で大丈夫ではない。
「いつもこうしてるんですか?」
「はあ?」
俺の部屋の惨状を知っているはずだろうに何を言っているのだろうか。
毎度川に飛び込んでいるわけがない。精々、氷水を被るくらいだ。どちらかといえば物を殴る方がスッキリするのだから、そちらの方が手っ取り早い。
「ほら、昂ったら娼館に行く人もいるでしょう?」
「娼館だあ?知らない人間の肌なんてキモいだろ」
「……へぇ、そうですか」
シアは口をムニムニと動かしている。どう考えても笑いを我慢している顔だ。
もう一発殴ろうと振りかぶるとシアから待ったがかかった。
「手合わせにしませんか?一方的に殴るよりよっぽどスッキリしますよ」
そう言われて考える。
確かに物より壊れにくいし、血がなければやりすぎることもないだろう。それに、あれだけ人がいれば例えヤバくなったとしても、止められる人間くらいいるはずだ。まあ、それまでに何人殺すかは知らないけれど。
「……わかった」
野営地に戻って、暗い中素手で手合わせを始めると酔っ払い共が賭けを始めたようだった。それにイラッとしたが、シアは思いの外強くて、いつの間にか集中していた。
俺とシアの力は拮抗していてなかなか殴れない。
どうにもシアは俺の動きをよくわかっているようで、嫌なところばかり狙ってくる。どうやって倒してやろうかと思案しつつも力押しを試していると、ストップがかかる。
もう明日に向けて休む時間だと言われた。確かに、一時の苛立ちで次の日を無駄にするのは馬鹿らしい。俺は仕方なく休むことにした。
しかし、魔術師の癖にシアは強かった。流石敵地に突っ込んでいくだけある。
感心しながら眠りに落ちた俺は、いつの間にか苛立ちから解放されていた。
◆◆◆
そんな風にして、俺はシアと交流を持っていた。
初めの頃はベッタリとそばにいる気持ちの悪い奴だと思っていたけれど、バディとの親交を深めることは生存率に直結するらしい。
まあ、命を預けるのだから、相手について知っているに越したことはないのだろう。
俺にはよくわからない感覚だけれど。
そのために、あれだけそばにいたのだと言われると納得──いや、出来ないだろう。
俺の人付き合いの経験値の低さは折り紙つきだけれど、流石におはようからおやすみまで隣にいるのが可笑しいことはわかる。
見ていると、シアは軍の中でそこそこ位の高い人間のようで、声をかけたそうな奴が大勢いる。
周りからチラチラと様子を窺われているのだから、他の奴らと話してくればいいのに。
その所為で何故だか俺が睨まれている。理不尽な上に鬱陶しい。
けれど、シアは俺といることにこだわっているようだった。
確かに一緒に過ごして気安くはなった。胡散臭いと思っていた言動もそこまで苛立たなくなったし、シアとの手合わせはストレス発散にちょうどいい。
いたことがないからわからないが友達とはこういう関係なのではないかと思う。それが、この戦争だけで終わってしまうのは少し惜しい気がする。
けれど、それはそれとして、一人の時間が欲しい。人と過ごすことに慣れていない俺が誰かに張り付かれるのはストレスが溜まる。
それをシアとの手合わせで解消しているのだから最悪なマッチポンプだった。
そんなしょうもないことを思いなら、俺は戦争に身を投じた。
まず、シアに言われたことは突っ込んでいって相手の魔術師を倒すことだった。それが第一目標だと。
魔術師は厄介だけれど、魔術の飛距離はそこまでない。だから、ギリギリまで魔術師は攻めてくる。俺たちはそいつらを狙って武功を上げるらしい。
そして、始まってみるとあっさりと魔術師たちを倒せてしまった。シアは当たり前だと笑っていたけれど、俺とシアの戦いは一方的な殺戮だった。
英雄とは、ヒーローではないのだろうか。
少なくとも血を浴びて昂って、また人を殺すような人間に対する称号ではないように思う。
大量に人を殺し手が汚れた状態で帰ったら、彼女にさらに怖がられるのではないだろうか。
まあ、今更そんなことを思ったって仕方がない。
行くところまで行かなければ来た意味がないし、俺は止まれない。英雄になって帰らないと本当に殺人鬼になってしまう。
そんな悩みにもならないことを考えているとシアが生真面目な顔で俺に言った。
「大丈夫。僕も一緒ですので」
いや、シアがいたところで何も大丈夫ではないだろう。シアがいようがいまいが殺人鬼には変わりないし、シアがいるなら殺人鬼×2になる──いや、逆に英雄になれば英雄×2になるのか。それはちょっと心強いかもしれない、なんて。
シアと距離を縮めるたびに、俺の思考回路がシアに汚染されている気がする。勝手に頭のネジを抜かれているような──。
いつかシアのように頭の可笑しな変態になってしまいそうで身震いがした。
こんな馬鹿みたいな思考もシアがいつも胡散臭く笑って一緒に人を殺してくれているから思えるのだから、きっと感謝するべきなのだろう。
そんな風にグダグダ思いながら人を殺していたら戦争が終わった。
どうやら本当に俺とシアは英雄並の働きをしたらしい。
目標達成出来て何よりだ。
そうして、帰り道でまた野営地でシアと焚き火を囲んでいた。シアが隣に座るのもすっかり慣れてしまっている。相変わらず気持ち悪いとは思うけれど。
「聞いてもいいですか?」
シアがそんな風に前置きしてから話し出すのは珍しかった。
いつもよりずっと静かな声音なのも相まって、俺は身を固くする。
今まで他愛のない話ばかりだったのに、今更一体どんな怖いことを言い出すのだろうか。
「花屋の彼女のために来たんですよね?」
俺は眉を顰める。
シアに彼女のことを話したことがあっただろうか。
考えて、初めに会いに来た時にも愛しい人がどうのと言っていたことを思い出す。俺の恋心はそんなに有名だったのだろうか。
「そうだ」
短く答えるとシアは息を吐いた。
今更だけれど、吐息がわかるほど近いって可笑しいだろう。
シアの方に顔を向けるとシアの綺麗な顔がドアップで入ってきて思わず仰け反る。シアの口元は弧を描いているけれど、目が笑っていない。
不純な理由だとでも言いたいのだろうか──いや、けれどシアが俺を誘ったわけだから理不尽が過ぎる。
何か問題があるのか、と聞こうとしたらそれより早くシアが口を開く。
「彼女を好きになったきっかけは何ですか?」
聞かれて昔の記憶を引っ張り出した。
「まだヒョロかった時に道に倒れてたんだよ」
視線をシアから焚き火に移す。
「怪我で血だらけでそん時にハンカチくれたんだ。汚れるからいいって言ってんのに、怪我の方が大事だからって」
「それだけですか?」
シアは無遠慮にそう聞いた。そんなシアの様子に俺は苛立ちではなく呆れを感じた。
「それだけだよ。なんか文句あるのか」
「いえ。つまり初めて優しくされたから好きになったと」
「お前……身も蓋もねえな」
目の端で見ると、シアは楽しそうに笑っている。
人の恋路を笑うなんて人の心がない奴だと思いつつも、さっきと違って今はちゃんとした笑顔だからまあいいかと思った。
毒されている。
「お前はいないのかよ、好きな奴」
俺もシアを笑ってやろうと思って聞いた。
さっきまでの会話は意趣返しが許されるレベルだろう。
「いますよ」
また静かな声になったものだから、俺はシアの方に顔を向けた。じっと俺の方を見ているその目には見たことがない感情が浮かんでいてたじろいだ。
少し嫌な予感がする。
「どんな人かって聞かないのですか?」
「……興味ねえ」
苦し紛れの返事だったけれど、シアは特に気にすることなく、残念ですと笑っている。いや、何が残念なのだろうか。
理解し難い言葉を吐くシアから一人分の距離を取った。まあ、その距離はすぐシアにつめられてしまうわけなのだけれど。
以前ならそれが鬱陶しくてシアに殴りかかったり、周りの物に当たったりしたけれど、今は溜息一つで落ち着けてしまえる。人を殺した影響だろうか。
英雄というのはシアが言うようにいい物であるらしい。俺は何とも言えない気持ちで帰路についたのだった。




