3.情けないプロポーズ
家に帰ってから幾日か過ぎた。
僕は相も変わらず、図書室にいた。失意の中にいる僕は何もする気が起きず、さりとて勉強をやめることも出来なかった。
未練がましい行動だけれど、もう一度可能性がほしいわけではなかった。ただ、今この習慣を崩してしまうと本当に何もかもダメになる気がして、形だけでも日常を維持しようとしていた。中身がぐちゃぐちゃだったとしても。
可笑しくなっている理由は誰にも話せなかった。あまりにも心配そうなエリックには失恋だと言ったけれど、家であったことを口に出すのはプライドが許さなかった。出来損ないの自分がプライドなんて笑わせるけれど。
ああ、ダメだ。今は何を考えてもマイナスになってしまう。僕は稀に見るほどネガティブになっていて、その思考をやめるためのツールとして勉強を使っていた。
その日も図書室で文献と睨み合っていた。周りの音さえ聞こえなくなるほど集中して、ふと気配を感じて顔を上げた。向かいの席に、セレネ様が優雅に座っていた。
「セっ!」
叫びそうになって慌てて口を押さえる。
セレネ様はニッコリと笑っていた。それはとても可憐なのに何故だか背筋に寒気が走る。
僕はよくわからない状況に目を白黒させていた。
すると、セレネ様は立ち上がって出口の方へ向かっていく。僕がそれを何も言わずに見送っていると、セレネ様が振り返った。セレネ様は目を細めて僕を見る。
僕は慌てて荷物をまとめ立ち上がった。早く来いと目が言っている。
そうして、ついていくと、温室まで来ていた。
僕はいつかのようにセレネ様と向かい合って座っている。
僕の勘違いでなければあの時とは違い、絶対零度の空気が漂っていた。
「わたくし、婚約の打診をいたしましたの。すると不思議な返事が返ってきました」
咄嗟に謝ろうとしたけれど、セレネ様は許してくれない。ただ笑みを浮かべているだけなのに、口を挟んではいけないのだとわかった。
「侯爵も困ったものですわね。文章の意味も汲み取れないなんて」
やれやれと言いたげにセレネ様は息を吐く。
「ただお父様はどちらでもよいとおっしゃるの」
ああ、やっぱり。それならば僕よりもミシェルの方がいいだろう。僕より有能で性格もいい。ミシェル以外の選択肢はない。
「わたくしはもう事故物件は引きたくないですから知った方のほうがいいのですけれど。あなたはどう思いますか?」
「え……」
まさか聞かれると思わなくて閉口する。言葉が全く出てこない。そもそも僕は何を聞かれているのだろうか。
「わたくしは見知らぬ人も、馬鹿王子のような口先だけの人も、お兄様のように笑顔で煙に撒く人も嫌ですわ」
セレネ様はじっと僕のことを見ている。
「私は生涯を共にするなら、愚直で真っ直ぐな人がいい。能力の優劣なんてどうでもいいですわ。後からどうにだってなりますもの」
そこまで言ってセレネ様は視線を下げた。そして、淑女にあるまじきことに唇を噛んだ。
僕が何も言えずにいるとセレネ様はバッと顔を上げてキッと僕を睨みつけた。
「ここまで言っても私を諦めてしまいますか。その程度の心しかありませんか」
セレネ様は目を閉じ眉を寄せ、そして、ゆっくりと開いた。澄まし顔を作ろうとして失敗した顔は今にも泣き出しそうだった。
「私を……。私を選んではくださらないのですか」
セレネ様の瞳から一筋涙が流れる。
そこでようやく僕は動くことが出来た。慌てて立ち上がり、セレネ様の隣に跪く。そして、そっと手をとった。
「僕は出来損ないです。家は僕より兄の方が相応しいと判断しました」
セレネ様の手に額をつけるくらいに頭を下げる。
きっと僕の言葉は懺悔だ。不出来な自分を許されたいがための言葉だ。
「僕もそう思います。兄は僕よりも優秀で、身内の僕から見ても素敵な人間です」
ミシェルは医師になるべくしてなったような人だ。他人のために生きることを厭わない人がセレネ様の隣に立つならどれほどいいだろうか。そう本気で思う。けれど──。
「けれど、僕はあなたが好きです。幼い頃からずっとずっと好きでした」
誰にも言ったことがない気持ちだった。
エリックやフェイスに出会って、気を許さなければ、この気持ちが表に出てくることなんてなかっただろう。
だから、この先の言葉を口にするのは勇気がいる。出来損ないで関わりのない僕が望むべくもないことだ。
僕はセレネ様の手をギュッと握りしめる。続きを中々話さない僕をセレネ様は待ってくれていた。
「……僕は能力だって人柄だって他の人に劣ります。僕が他の人に勝っているのはきっとこの気持ちだけです」
僕は顔を上げてセレネ様と目を合わせる。セレネ様の瞳に写る僕は悲壮感たっぷりの情けない顔をしていた。
そんな僕をセレネ様は静かな表情で見ている。
「それでもいいと思ってくれるのなら、どうか……どうか僕と結婚してください」
僕の言葉にセレネ様は口を尖らせて応える。
「私はあなたに対する恋情なんてないですがよろしいですか」
僕は思わず笑ってしまった。そんなこと初めからわかりきっていることだ。
「もちろんです。あなたが望んでくれるのならなんだって」
そんな僕の言葉にセレネ様は眉を寄せた。
「そこは好きにさせてみせるくらい言ってくださいな」
セレネ様は扇子で僕の額を軽く打った。そして、口をへの字に曲げて、やり直しと呟いた。
その姿が幸せで泣いてしまいそうだ。
「……僕は誰にも負けないくらい、あなたが好きです。同じようにあなたに好いてもらえるよう努力します。だから、どうか僕と結婚してください!」
「自分と同じくらい好きに、なんて大きく出ましたわね。ふふ。仕方がないから許してあげてもよろしくてよ」
セレネ様は花が綻ぶように笑った。その姿があまりにも美しいから、涙腺が決壊してしまった。ボロボロと涙をこぼす僕にセレネ様は瞬いてから、呆れたように僕の頭を撫ではじめた。
情けないと思いながらも、セレネ様の手が優しいものだから、涙が止まらない。顔を見られたくなくて俯こうとしたら、顎を扇子であげられる。
「わたくしには何も隠さないで」
そう言われてしまうと、僕はどうにも出来なくて、ただセレネ様と目を合わせることしか出来ない。
「わたくしも何も隠しませんわ。そうやって共に生きてください」
そんなことを言われて涙は引っ込んでしまった。
これはセレネ様が僕に心を預けるという宣言だ。
僕は何度も頷いた。そうして、ようやく扇子が外される。
「赤くなってしまいましたわね」
扇子が触れていた部分にセレネ様の嫋やかな手が触れる。セレネ様は眉を下げて、困ったように笑った。
「淑女らしからぬことをしてしまいましたけれど、嫌いにならないでくださいね」
「僕がセレネ様のことを嫌いになることなんてありません!」
良かった、とセレネ様は小さく呟いた。その言葉に僕は立ち上がった。セレネ様の悲哀を見た気がして、胸が苦しい。
「抱きしめてもいいですか」
思えば、小心者の僕らしくない大胆な発言だった。けれど、どうしてだかそうしたいと思った。
「……そういうのは普通聞かないのではなくって?」
セレネ様は頬を染めて目を逸らしていた。だから、僕はおずおずと腕を伸ばした。
腕に閉じ込めたセレネ様は見た目よりも華奢で壊れてしまいそうな気がして、腕に力を込められない。
「あなたは臆病なのですね」
セレネ様は小さく笑って、ヘタレな僕を引き寄せた。
心臓がバクバクと脈打って、死にそうだ。想定以上の接触に僕は石像のように固まってしまった。
セレネ様は声を上げて笑って僕を解放した。
僕のそばでセレネ様が笑っている。これ以上の幸せはこの世にないと思った。この笑顔のためならなんだって出来る、と。




