2.決して選ばれない
セレネ様と話してから、僕は以前以上に真面目に過ごすようになった。優等生とは言わないまでも、ちゃんとした人間になりたい。そう思いながら過ごした結果、僕は図書室の住人になっていた。
それはもちろん勉強のためでもあったけれど、それ以上にセレネ様の──公爵家の領地について知らなければいけないと思ったからだった。
もし僕がセレネ様の隣に立つとするならば、僕はセレネ様が領地運営をする補佐をすることになるだろう。
家によっては婿入りしてくる人間が運営することもあるらしいけれど、セレネ様は僕よりもよっぽど優秀な方だ。僕が口を出すなんてとんでもない。
だからといって、何も知らずにいていいわけではない。だから、僕は図書室で公爵家の領地について関係あるものを片っ端から読むことにしたのだった。
僕はセレネ様の足を引っ張ってしまう可能性を出来る限り潰しておきたかった。僕なんかを婿に選んでくれるのだから、それくらいは出来なくてはいけない。それでも、馬鹿王子さえいなければセレネ様が選べた婿の足元にも及ばないだろう。
卒業まで、後二年もない。それまでにある程度はわかるようになっていなければ、隣に立つ資格なんてない。
僕はエリックに助けてもらいながら、ひたすらに勉強に勤しんだ。
この時、僕は趣味すらない、つまらない自分を初めて良かったと思った。全ての空き時間をそれに費やすことが全く苦痛ではなかったのだ。
エリックは付き合いが悪くなったと微妙な顔をしていたけれど、逆に図書室で一緒に勉強してくれることもあった。いい友達を持ったと思う。
そうして、日々を過ごしていたある日、両親に呼び出された。セレネ様と馬鹿王子の婚約破棄をしたという噂が出回っていたので、セレネ様からの婚約の打診の話だろうと思った。
両親はどんな反応をするだろうかとドキドキしながら家に帰ると、兄が二人とも家にいる。嫌な予感がした。
そして、その予感は見事に的中した。
それは夕食での出来事だった。
父親が珍しく上機嫌でワインを飲んでいる。普段はあまり酒を飲むことはなく、どちらかといえば不味そうに飲んでいるのに、今日はいつになく笑っている。
「親父、何かあったのか?」
長男のニコラスが不気味なものを見るかのように顔を歪めて聞いた。
普段の父親なら、ニコラスの粗野な物言いを叱るのだけれど、今日はそれが気にならないらしく、よくぞ聞いてくれたとばかりに話し出した。
「いい縁談が来たんだ」
セレネ様のことだと思った。
出来損ないの自分でも父親をこれほど喜ばせられることがあるなんて、思わず笑みがこぼれる。
自分の功績ではないけれど、それでもこうやって自分に関わることで笑ってもらえる日が来ようとは。
「縁談?俺はミリー以外と結婚しないぞ」
「誰がお前にだと言ったんだ」
父親は呆れたように頭を押さえた。
ニコラスはこうしてふざけたように振る舞うのにみんなに愛される。
どうしたらそうなるのか僕には理解出来なかった。
「ミシェルにだよ」
父親の言葉にカチャリと大きく音を鳴らしてしまう。
いつもならお叱りの言葉が飛んでくるのに、それがない。
ただ僕のことを放って話が進んでいく。
「──公爵家から打診があって」
言葉が頭に入ってこない。聞こえているのに理解出来ない。
僕は息を吸うのに必死で、息を殺すのに必死で。
消えてしまいたいと思った。
結局、僕に出来ることなんて何もないのだ。いつまで経っても僕は出来損ないだ。兄二人とは違って。
◆◆◆
僕は小さな頃から出来損ないだと言われて育ってきた。兄二人のような理解力がなくて、何をやらせても二人より時間がかかる。
ニコラスはそれを面白がって僕を突っつき回して遊んで、ミシェルは一緒に付き合ってくれたけれど、両親は違った。
両親はいつも兄二人がいないところで僕を叱った。どうして出来ないのだとなじった。
僕は出来ない自分を恥じた。どうにかしようと頑張ってもみた。けれど、どれだけやったって二人のようには出来なくて。いつまで経っても叱られてばかりで。
いつからか自分は平凡以下の出来ない人間なんだと理解出来るようになった。そして、手を抜くようになった。やってもやらなくても叱られるなら、やらなくても一緒だと思った。
けれど、僕は小心者で全部投げ捨てることも出来なくて、結果中途半端な人間が出来上がった。
そんな僕だけれど、フェイスやエリックと出会って変われたと思っていた。人並みになら出来るようになったと。セレネ様の選択肢に入れていただけるくらいにはマシになったのではないかと自惚れてしまった。
だから、今。こんなにも痛く、苦しい。
みんなが和やかに婚約について話している。父親は笑い、ニコラスはミシェルを揶揄い、母親がそれを嗜める。
ただ、ミシェルだけは困った顔でコチラを見ている。まるで、いいのかと尋ねられているような気がした。
「あの」
僕の言葉に場の空気が止まる。
まるで咎められているかのようで、体が震えた。
「それは本当にミシェル兄様にきた縁談ですか?」
「なんだよジュリ。ミーシャが取られそうで寂しいのか?」
ニヤニヤとニコラスの声が聞こえる。けれど、それに構っている余裕はなかった。僕はただ父親の顔をじっと見つめた。
「どういう意味だ」
父親が冷たく言葉を返す。
叱られているような気分になった。いや、実際和やかな空気を壊したことを叱っているのだろう。
「僕はセレネ様から内々でお話をいただいていました」
「ミシェルよりお前がいいと思う家が本当にあると思っているのか?」
それは残酷な言葉だった。
そんなこと思えるはずがない。ミシェルの凄さと自分のダメさは自分が一番よくわかっている。
ギュッと手を握りしめる。なんでもいいから言葉を返さなければいけない。けれど、言葉が喉に詰まって出てこない。
「……でも、兄様には仕事が」
「家のつながりの方が大切に決まっているだろう。そんなこともわからないのか」
父親は威圧するように溜息を吐いて、ワインを飲み干した。
「ミシェルはお前と違ってなんでも器用に卒なくこなす。仕事があっても上手くやるだろう。わかりきったことを言わせるな」
父親は立ち上がって部屋を出ていく。それを追うようにミシェルは出て行った。
空気が凍っている。誰も言葉を発さない。僕は項垂れるように視線を落としていた。
少しして、食事を終えた母親が何も言わずに部屋を出た。ニコラスは咳払いをしてから立ち上がり、僕の肩に手を置いた。
「そう気を落とすなって!女は星の数ほどいるんだから元気出せよ!」
僕はその手を全力で払った。
僕はデリカシーのないニコラスがあまり好きではなかった。僕が苦しい時や悲しい時、ミシェルは黙ってそばにいてくれるのに、ニコラスは必ず混ぜ返すのだ。
「こわっ」
今だって揶揄うようにそう言ってから部屋を出て行った。
悲しいし、悔しいし、腹立たしい。けれど、これを向ける先がどこにもない。だって全て自分の所為だ。出来ない自分が悪いのだ。
セレネ様に謝らなければ。いや、僕より優秀なミシェルが婿になるのならそっちの方がいいか。
僕は学校に行くまで、ぼんやりとそんなことを考え続けた。




