6.恋煩いといういいがかり
お茶会の日からジュリアンが壊れた。
「セレネ様は可憐なだけでなく、心に芯を持った方なんだな」
まるで夢見る少女のように目を輝かせて言う姿は正直気持ち悪い。
あの日のレーネのどこをどうみたらそうなるのだろう。普通に怖かったと思うのだけれど。
エリックに聞くと、ジュリアンは始終そんな感じで、授業中でも上の空らしい。ボンクラに逆戻りだろうか。いや、それより酷いかもしれない。
「恋煩いだと思うよ」
理解不能な生き物を見ていると、エリックがそう言った。
恋とはこれほど人を愚かにしてしまうものなのだろうか。そこまで思って、好きな人のために英雄になってきた人間の方が愚かだと気づいて考えなかったことにした。
恋とはなんて恐ろしいものなのだろう。
「これどうにかならないかな?」
エリックは遠慮なくジュリアンを指差している。
身分差もあるのに仲良くなったものだ。
ボンクラだった癖に柔軟な思考を持っていたジュリアンのおかげだろう。
「聞く相手間違えてねえか?」
「……セレネ様に何か言ってもらえたりは?この間フェイス君を叱ってたみたいにピシャリと!」
確かにそれなら正気に戻るかもしれない。
今のジュリアンはあまりにも哀れだ。トドメは早い方がいい。
俺はレーネに頼むことにした。
「レーネ」
放課後、レーネを呼び止めると、レーネは楽しそうな顔で振り返った。そして、頼む間もなくこの間の温室に連れてこられた。
よくわからないままに向かい合って紅茶を飲む。俺は一体何をしにきたのだろうか。
「それで、フェイス。御用件は何かしら」
レーネは何故だかわくわくしているようだった。
どうしてだろう。内心、首を傾げながらも、なんとか思い出した本題を俺は口にした。
「ジュリアンがボンクラに戻った」
言ってからボンクラという言葉では不味かったかもしれないと思った。けれど、口から出た言葉は取り消せない。慌てて誤魔化せないかと言葉を重ねる。
「違う。えっと。あー。ほら、ちげえよ。ボンクラじゃなくて、えーっと……」
ダメだ。言葉が出てこない。
そんな俺を見てレーネはクスリと笑った。
「ボンクラだなんてとんでもないですわ。ジュリアン様は素敵な方ではありませんか」
お世辞なのか本心なのかわからない言葉に俺は顔を引き攣らせる。
ジュリアンはレーネのどこがいいのだろう。俺にはさっぱりだ。
「そもそもジュリアン様の家は上二人が優秀すぎるのです。長男は神童と呼ばれていましたし、次男は最年少で医師になりました。三男は凡才だと言われてさぞ辛かったでしょうね」
レーネは紅茶を見つめている。その瞳は静かだった。
レーネの言葉は実感がこもっているように感じられた。まるで自分もそう言われたことがあるかのような表情を不思議に思う。レーネは完璧といって差し支えないと思うのだけれど。
「ジュリアン様のダメなところを上げるなら、それで腐ってしまったところですわ。けれど、今は一番上のクラスにいる。十分ですわ」
レーネの中でジュリアンの評価は思った以上に高かった。俺のボンクラ発言なんて全然問題なかったわけだ。
「それで、ジュリアン様がどうしたのですか?」
レーネはまたワクワクした顔をしている。
これはもしかして何が起きているのか知っているのではないだろうか。
「恋煩いで腑抜けてるから殴ってくれ」
「あら。評価を改めるべきかしら。そんなもので腑抜けてしまうなんて」
「酷い奴だな」
思わず言ってしまった。あまりにもジュリアンが可哀想で。
「ふふ。そうですわね。けれど、仕方ありませんわ。わたくし傲慢な女ですから」
レーネは笑っていた。けれど、傷ついているのがわかった。これは馬鹿王子がレーネに言ったセリフだ。
そんなセリフを持ち出してまで自分を傷つける意味とはなんだろう。
「馬鹿王子との婚約破棄が成立するまで、わたくしは何も出来ませんの。早く次の相手を見つけなければいけないというのに」
レーネは心底うんざりしてるようだった。シアに頼めば早く終わったりしないのだろうか。
「……わたくし公爵家の一人娘ですから、王子殿下に嫁がなくてよくなった今、入り婿が必要ですの。けれど、この歳で残っているのは事故物件ばかり。だから、ちゃんとこちらを向いていてもらいませんと」
扇子を力いっぱい握る姿があの日と重なった。
そうか。レーネにとって俺が馬鹿王子を殴った日は、突き放され選ばれないと知った日だったのか。
その気持ちは少しなら理解出来る。そして、今度こそは傷つけられたくないという気持ちも、わからないでもなかった。
「じゃあ、あのボンクラどうにかしてくれ」
「ボンクラではないと言っているでしょう?」
レーネは苦笑を浮かべている。
わざわざ訂正を入れる程度にはジュリアンを気に入っているらしい。
「わかりました。わたくしの為に一度お話して見ますわ」
自分の為だと言いきるところがレーネの強いところだ。かっこいいと形容したくなる。
俺はレーネとジュリアンの未来を思って小さく笑った。ジュリアンを尻に敷くレーネが見えるようだ。
何故だかそんな未来が待ち遠しく思えた。
◆◆◆
あの後、レーネとジュリアンがどうなったのか、俺は知らない。ただジュリアンは正気を取り戻したとエリックから聞いた。レーネは特に変わった様子もない。
気にならないわけではなかったけれど、俺から何かを聞こうとは思わなかった。踏み込んでいいラインというものが俺にはわからないし、必要な事ならきっと話してくれるだろう。
この話をシアへの手紙にすると、どんな反応が返ってくるのだろう。一応身内のことだから、大きく反応するのだろうか。それとも俺に関係ないから流すのか。最近手紙を書く時にはそんなことを考える。
シアに会わなくなってから、シアについて考える時間が増えた。今までだって頭に浮かべることはあったけれど、いつでも会いにいけると思っていた時とは少し違う。
楽しいことや嬉しいことがあったならシアの反応を想像し、苛立ったらシアに会いたくなる。そんな自分が不思議で仕方ない。こんな風に思うなんて生きてきて初めてだ。
そんな話をエリックにすると、真顔で言われた。
「え、フェイス君も恋煩いなの?」
「恋煩い……」
きっと違うだろうと思う。恋とはもっと心が波立つものだったのではないだろうか。
もう顔も朧げな花屋の彼女を思い出す。彼女のことは見ているだけで満足で、話しかけて笑ってくれたら自分はとても幸せだろうと思って声をかける。そして、怖がられて苛立った。物に当たらなければやり過ごせないくらいの怒りを制御出来なかった。
あの頃は暴力的な気持ちがずっと胸で暴れていた。
今シアに感じるのはそんな感情とは違う物のように思う。
「前恋した時とちげえ」
「恋したことあるの!?」
酷い驚き方をされている。俺だって恋の一つや一つ──一つだけだけれど、あるのだ。
エリックを軽く殴ろうかと思ったけれど、力加減はきっと出来ないので諦めた。
「あ"あ"?」
「ヒッ、ごめん!でも、フェイス君、他人に対する感情に鈍いでしょう?」
エリックは小さく悲鳴を上げつつ、話を続ける。
初めは話しかけるだけで俺のことをカツアゲだと勘違いしたのに。強くなったものだ。
頭にそんなことを浮かべながら、エリックの言葉について考える。
俺は他人に対して好きも嫌いもあまりない。俺の判断基準は快か不快であることが多かった。これが鈍いということなのだろうか。
首を傾げる俺にエリックは苦笑している。
「僕は恋をしたことがないから言い切ることは出来ないけど、相手によって抱く心は違うんじゃないかなって」
そこまで言ってから、エリックははにかんだ。恥ずかしいらしい。
それを聞いても俺が抱くシアへの気持ちは恋であるか怪しいと思う。俺はシアの行動に一喜一憂しない。シアの行動の意図を考えたりもしない。
シアという人間は俺の中で突飛もない行動をする奴で、俺がシアを理解することなんて出来ないと思っている。何故だかそれでも近くにいたいと思っているけれど、それだけだ。あの頃のような暴力的な感情はない。
「シアはそんなんじゃねえ。シアは──」
なんだろう。
戦場にいた頃は友達だと思ったこともある。けれど、今はよくわからない。
エリックやジュリアンこそが友達だというのならば、シアとの関係は全く違う。
そこまで考えてから思った。
これは考える必要があるのだろうか。シアがシアで俺が俺であるならそれでいいじゃないか。シアもそれでいいというはずだ。
言葉を止めて考えこんだ俺をエリックは心配そうに見ている。
「なんだっていい」
「え?」
「変わんねえから」
エリックは俺の言葉に首を傾げているけれど、それ以上何かをいう気にはなれなかった。
俺もシアもそこにいるからそれでいいと思うのだ。けれど、この気持ちを他人に理解してもらえるとは思わない。理解してもらいたいとも思わない。
だから、なんだっていい。それに気づかされた。だからどうという話ではないけれど。
◆◆◆
後日、ジュリアンに声をかけられた。
「お前も恋煩いなんだってな」
ジュリアンはとても嬉しそうだった。キラキラした笑みを浮かべている。
この間はセレネに対しての心は恋じゃないと言っていなかっただろうか。
「恋じゃないんじゃなかったのか?」
「そ、れは、そうなんだが……相手を大切にしたいという気持ちは同じだろう!」
その言葉で誤魔化せたと思っているのだろうか、ジュリアンは胸を張っている。
ジュリアンと一緒にしないでほしい。俺はそういうのではない。
ジュリアンにいらないことを言ったエリックに腹が立って脳内で殴る。血だらけで倒れたエリックに申し訳ない気持ちになった。
「しかし、お前が恋か……。感慨深いなあ」
「恋じゃねえわ!けど、恋自体はしたことある」
「は!?」
エリックもジュリアンも、俺をなんだと思っているのだろうか。
「お前にそんな感性備わっていたのか……。じゃあ、なんであんなに周りからの視線に無頓着だったんだ……」
呆然としているジュリアンに首を傾げる。
無頓着だったつもりはない。一応どうしてあんなに怯えられるのか気にしてはいた。よくわからなかっただけで。
「まあ、いい。それで、お前は誰が好きなんだ?」
ニヤニヤと下世話な話をしているジュリアンは貴族らしさの欠片もない。前のクラスで最終的に親しみやすいと言われていたのはこういうところなのだろう。貴族なのに俗っぽい感じ。
俺が眉を寄せて答えないでいると、ジュリアンは段々と不安そうな顔になってくる。
「まさか……セレネ様だとは言わないだろうな」
「どう考えてもねえだろ」
「セレネ様は素敵な人なんだからわからないだろう!」
ジュリアンは全力で吠えている。煩い。
俺はかなり慎重にジュリアンにデコピンをした。
「〜〜っ!」
ジュリアンは額を押さえて涙目になっている。
俺は力加減が成功したことにホッとしながら、溜息を吐いた。煩いのが悪い。
「……好きな奴なんていねえよ。シアはそんなんじゃねえ」
「待て!あのお方なのか!?」
ジュリアンはもはや悲鳴のような声だった。けれど、俺の相手がシア以外にいるわけがないだろう。エリックだってわかっていたくらいなのに。
「はあ……。お前そういうところだぞ」
何故だか溜息を吐かれた。そうしたいのは俺の方だ。
ジュリアンと俺は少しの間睨み合って、それから同じタイミングで脱力した。こんな話題で白熱しているのが、恥ずかしくて馬鹿らしくなった。
結局、俺たちは今度のテストについての話をしてから別れたのだった。
部屋に戻り、一人になると、シアのことを話していたからか会いたくなった。けれど、レーネに禁止されているから出来ない。
この一年は甘えることなく励みなさいと、真面目な面持ちで言われて思わず頷いてしまったのだ。
だから、その代わりに俺は筆を取る。会いたいなんて書いたら恥ずかしいし、シアがレーネとの約束を破ってやって来そうな気がしたから、毒にも薬にもならないようなどうでもいい話を綴る。それでも、分厚い返事が来るのだから、若干気持ち悪いけれど。
こんな風にシアといられるのはすごいことだと思う。ここに入るまで、シアとの対話はもっぱらシアが話すばかりで、俺の返事は殴ったり殴らなかったりだった。けれど、今は対面でないとはいえ、相手からの言葉を受けとって、返したいと思う。
それが俺とシアの関係の変化を表しているのかもしれない。少し怖い気がするけれど。
俺の中のシアは相変わらず頭の可笑しいドMの変態だ。なのに、少しずつシアに対する感じ方が変わっていく。
元から嫌ではなかったけれど、初めは不審に思っていたくらいなのに、それが今では最優先の位置にカテゴライズされている。
こうして変わり続けた先にあるのはなんだろう。俺とシアにとって悪いものでなければいい。
そんならしくないことを願いながら、シアに会えない日々を俺は過ごした。
そうして、一年過ごし終えた時に、レーネに本当に会いに行かなかったのかと驚かれたり、シアが涙でぐちゃぐちゃの顔で抱きつきに来るのを殴ったり。休みの間、シアに学校での話をして、レーネと仲良くなりすぎだと難癖つけられたり、手合わせをしたりすることとなるのだった。




