5.レーネは嬉しいらしい
幾日か後、俺はエリックとジュリアンと共に花が咲き誇る温室の中にいた。
「ランチではなくなってしまってごめんなさいね。中々時間が取れなかったものですから」
レーネは優雅に紅茶を飲みながらそう言った。
それはそうだろうと思う。
俺の勉強を見る時間もどうやって確保しているのだろうと思うほど忙しいレーネだ。女同士の交流もしているし、ランチタイムに時間なんて取れるはずがない。
「謝らないでください。招いていただけるだけで光栄ですので」
顔を赤く染めながらカチカチになりながらなんとか答えたジュリアンをレーネは微笑ましそうに見ている。
それはどういう顔なのだろう。気にはなるけれど、何かを言って矛先がこちらに向くと面倒だ。
俺は気配を消してお菓子を食べることに集中することにした。
「まあ、ありがとうございます」
ニコッと笑みを返すレーネにジュリアンは目が泳いでいる。
確か貴族は感情を表に出してはいけないのではなかっただろうか。ジュリアンはやはりボンクラを返上出来ていないのだろうか。
よく考えれば勉強だけがボンクラの基準ではない。あの頃は横柄な態度だったからそう思ったわけで、今もそれは俺たち相手に変わっていなくて──いや、友達だから問題ないのだろうか。
「全てみなさんのために用意しましたから、マナーなんて気にせず食べてくださいね。これは私的な場ですし、楽しい方がいいですから」
レーネはエリックに微笑む。
エリックは声を出すのも不敬だと思っているようで眉を下げて笑い、頭を下げている。
俺はその言葉を聞いてホッとした。レーネとの食事はマナーを守ることに重きを置かれていて、正直食べた気がしない。
小さく息を吐くと、レーネから鋭い声が飛んでくる。
「フェイス、あなたは違いますわよ。折角の実践ですもの。練習の成果を見せてくださいな」
こう言われたくなくて気配を消していたというのに、レーネからは逃れられないらしい。
俺はティーカップをいつもの倍以上の時間をかけて持ち上げ口に含み、そして、その時間の倍以上をかけてソーサーに戻した。
チラリとレーネを見ると、ニコリと笑顔を返される。どうやら問題なかったらしい。胸を撫で下ろしていると言葉が飛んでくる。
「時間がかかりすぎですわ。出来るまで何度もやりなさい。わたくしはお二人と話していますから」
どこが楽しい方がいい、だ。俺は全く楽しくない。
けれど、逆らうことも出来ないので、俺は言われた通りに音を鳴らさないようにティーカップを上げ下げする。少しでも音を立てると鋭い視線が飛んでくる。普通に怖い。
「フェイス君が素直に従ってる……」
呆然としたようにエリックが呟いた。まるで、今まで言うことを聞かなかったみたいな言い方はやめてほしい。
一年の時もちゃんと言われた通りに怖がらせないよう振る舞っていた。上手く出来なかっただけで、言うことを聞いていなかったわけではない。
「フェイスはじゃじゃ馬でしたのね」
その言葉にエリックもジュリアンも大きく頷いている。
「そうなんです!この馬鹿はすーぐ血塗れになって、保健室に放り込んでも脱走しようとして……なんど血みどろのコイツと追いかけっこをしたことか……」
ジュリアンは思わずと言った様子で、力強く語っている。エリックも大きく頷いて、まるでそれが事実かのようだ。
あれは、保健室に行くほどではないから、部屋を出ただけであって脱走では断じてない。俺はクラス中から怒られたことにまだ納得していない。
「フェイスのことを大切にしてくれているんですね」
嬉しそうなレーネにジュリアンは顔を赤くしたり、青くしたり、慌てている。
饒舌に話したことが恥ずかしかったのだろうか。そんなことを考えていると、カチャンと音を鳴らしてしまう。
「フェイス、集中なさい」
ピシャリと言われてビクッと肩をすくめる。
レーネの視線がそれたジュリアンはホッと息を吐いて、エリックはやっぱり呆然としている。
場が静まり返る。それに気がつかなかったようにレーネは話しだす。
「弟はまだマナーは練習中ですの。多めに見てくださいね」
「弟……」
ジュリアンはショックを受けている。この間俺が言ったのに、信じていなかったらしい。
「きっとそうなりますから、弟として扱うことにしましたの」
「そうなる、ですか」
「ええ。あのお方のお気に入りが平民では不味いでしょう」
それを聞いたジュリアンは納得したように大きく頷いた。そして、ホッとしたように息を吐き出す。
レーネはその姿を見て扇子で口元を隠した。きっと淑女にあるまじき笑い方をしているのだろう。レーネの琴線はよくわからない。
困惑しているといつの間にか、和やかなムードでお喋りが始まっていた。
俺は気配を消してお菓子を摘もうとしたけれど、レーネに扇子で手を叩かれた。酷い。
仕方なく、またティーカップの上げ下げを繰り返す。かなり上手くなったと思うのだけれど、まだダメなのだろうか。レーネに目を向けると、苦笑して頷かれた。俺は許可が出たのでいそいそとお菓子を口に頬張った。そして、レーネに睨まれる。
人と食べる時は食欲を封印して優雅になさいと言ったでしょう、という声が聞こえてきそうだ。食べたいなら私的な場所で食べなさいと怒られたことを思い出す。
俺はそっと目を逸らして自主的にティーカップの上げ下げに戻った。レーネはそんな俺を満足気に見てから口を開いた。
「お二人のようなお友達がフェイスにいてよかったです。お二人がいればフェイスは大丈夫ですわね」
その言葉にエリックとジュリアンは首を振っている。
「「手に負えません」」
綺麗にハモった二人は顔を見合わせて頷き合っている。
手に負えないなんてまるで俺が獣か何かみたいじゃないか。酷い話だ。友達じゃなかったのか。
「ふふっ。本当にフェイスと仲がいいのですね」
どこがだろうか。今拒否された気がするのだけれど。
苦い顔で二人を見ると、エリックは苦笑して、ジュリアンは顔を引き攣らせている。この様子のどこを見れば仲良く見えるのだろうか。
「フェイス、いいお友達がいてよかったですわね」
レーネは俺に微笑みかける。
それは確かにそうだと思ったので大きく頷いておく。
その反応に二人が驚いているのがわかったけれど事実だ。俺は二人がいなければここにはいないし、きっとシアの名前を聞く機会すら無かっただろう。
いつだって俺は二人に感謝している。いや、いつの間にかそう思うようになった。それはエリックの優しさやジュリアンの不器用さが俺を少しずつ変えていった結果だろう。
それが存外嫌ではない。シアは俺が柔らかくなったと口を尖らせていたけれど、俺は昔より今の自分の方が好きだ。
まあ、そんなこと口に出せやしないので、俺はニィッと口角をあげることにした。それを見た三人は吹き出して笑う。
レーネなんて我慢しようとして失敗して、扇子で顔を覆って肩をプルプルさせている。
何故俺は笑われているのだろうか。不思議で仕方がないけれど、嫌な気分ではなかったので、紅茶を口に含んで三人を見ていた。
部屋に戻って俺はシアに手紙を書いた。楽しかった時間を知ってほしいような気がして、一心不乱に。
そうして、よくわからない袋に放り込んだ。これでシアのところに手紙が届くらしい。本当に届くのか疑っていたのだけれど、三十分程してシアから手紙が返ってきた。手紙としてはかなり分厚い。
この短時間でよくこれだけ書けたものだ。俺にはまだそこまでの筆力はない。
シアががっかりしていなければいいけれど。そう思いながら手紙の封を開けた。
本当は、手紙が送られてきたらすぐ俺に会いにくるとシアは言っていた。けれど、レーネに大層叱られていた。
俺の邪魔になるから自重しろと、レーネは懇切丁寧に説明していたけれど、抜け穴を探そうとするシアに、最終的にはブチギレてお兄様呼びになっていた。幼い頃はそう呼んでいたらしい。
結局、フェイスはお兄様のために頑張るのに、お兄様が障害になるのですか?と冷めた顔のレーネに、シアが撃沈することで決着がついた。
シアはレーネに弱いらしい。いや、俺もかもしれないけれど。
レーネには逆らってはいけない気がするのだ。女だから手をあげてはいけないというのはもちろんなのだけれど、俺のためだとわかるからだろうか。それともシアの身内だからだろうか。見捨てられるより叱られる方がよほどいいと思うのだ。
だから、レーネには逆らわない。
もしかしたら、レーネは化け物を手玉に取るのが上手いのかもしれない。
そんな怒られそうなことを思いながら、俺はシアからの手紙を読んだのだった。




