4.教育され始める
初めての淑女講座は酷いものだった。
女ばかりの中に男が一人。
奇異の目で見られるのは当たり前で、嫌な視線には慣れている俺でも女全員から奇妙なものを見る目を向けられると居心地が悪かった。
そんな俺を気にすることなくレーネは俺を指導する。隣に立って扇子を手に打ちつけて笑う姿は到底公爵令嬢には見えなかった。
公爵令嬢というともっとふんわりと優しい雰囲気なのではないのか。
レーネは令嬢というより女王と呼びたくなるオーラがあった。
そうして、基礎の基礎だという立ち方や歩き方を教えられる。わけがわからなさすぎて、苛立つことさえなかった。
レーネ監視下の元、必死で及第点をもらえるように繰り返している内に授業時間は終わっていた。
思わず溜息を吐くと、ガシッと腕を掴まれた。
「次は座学を見て差し上げます」
扇子を開き口元を隠しているレーネはきっと魔女のように口角が上がっているのだろう。
というか、男の腕を掴むのは淑女として不味くないのだろうか。
「フェイスは弟ですから」
そう返されて、思わず口を押さえる。
まさか口に出ていたのだろうか。
「あなたわかりやすいですもの。貴族として顔に出るのは不味いですけれど……まあ、それは構わないでしょう。政に関わってはいけませんし、担がれてもいけませんものね」
わかりやすいなんて初めて言われた。
どちらかといえばわかりにくい方だと勝手に思っていたのだけれど、そうではないらしい。
いや、けれど、ジュリアンにもエリックにも言われたことがない。上級貴族の必殺技的なものだろうか。ジュリアンはボンクラだったから使えなかっただけで。
「はあ。まあいいですわ。座学をしましょう。安心してください。出来るまで付き合いますから」
そういって歩き出したレーネに渋々ついていく。
歩きにくいから手を離してくれないだろうか。そう思いながら、隣を歩かされていると、俺にだけ聞こえる声でレーネが言った。
「悪い虫がつかなくてちょうどいいのですわ。お互いに」
レーネに悪い虫はわかるけれど、俺にというのはイマイチわからない。
俺はどちらかといえば遠巻きにされているはずだけれど。
「その内わかりますわ。それはそれとして次はエスコートの練習ですわね。こんな風に私の隣を歩かれるなんて耐え難いですもの」
言われて俺はひたすら歩かされたさっきの授業を思い出した。
じんわりと背中に汗が滲む。
俺はさっきの歩き方を意識しながらレーネの歩幅に合わせて歩いた。
「あら。出来るなら初めからやって下さいな。まあ、全然ダメですけれど、やる気は買います」
レーネは厳かに頷いた。
俺はレーネのやる気に火をつけてしまったらしい。次の淑女講座で俺は死ぬかもしれない。
俺は青い顔でレーネの隣を歩いた。
ちなみに、座学はまず始める前に字の矯正をさせられる。元々シアの字を手本にして勉強していたのでそこまで悪くはないらしい。けれど、所作は綺麗なら綺麗なだけいいからと、延々と同じ字を書かされる。
毎日勉強するのは一年の時にもやっていたから問題ないけれど、同じ文字を書き続けるのはかなりの苦痛だった。
出来ないというと負けた気がするので言わないけれど、この時ばかりは何かを殴りたくて仕方がなくなる。
シアがいきなり現れたりしないだろうか。そんな馬鹿なことを思う毎日だ。
◆◆◆
そんな風に日々を過ごしていたある日の昼下がり、レーネから解放されてヘロヘロと歩いていた俺の所に、ジュリアンとエリックがやってきた。
「お、ま、え!」
ジュリアンが詰め寄ってくる。
最近こればかりだ。俺を心配してくれていたジュリアンは一体どこに行ってしまったのだろう。
今回はなんだろうかと目を向けると、ジュリアンは今にも泣き出しそうに俺を睨んでいた。
「いつからセレネ様と親しくなったんだ!」
「なんで、レーネ?」
血を吐くようなジュリアンの声に思わず首を傾げる。
てっきり、誰かに失礼なことをした俺を叱りにきたのかと思ったのだけれど。
「レーネだとぉ!?お前とセレネ様は一体どんな関係だ!まさか婚約したとか言わないだろうな!」
「レーネは……姉?」
本人はそう言っているなと思いながら口にすると、ジュリアンは震える手で俺の服を握った。
「どういうことだ……。そんな風に言ってもらえるほど仲良くなったというのか。お前みたいな野蛮な平民が……。セレネ様とぉ」
どんどん萎びていくジュリアンに、困ってエリックを見る。
エリックは困ったように肩をすくめてから、ジュリアンを見た。
「ジュリアン、セレネ様のファンなんだって」
その目はとても柔らかく、これこそ兄弟に向けるようなものだと思った。
間違っても圧のある笑顔を向けたりはしていない。
「ファンじゃない!そんなミーハーなものではなく、ただ幸せを祈っているだけだ!」
「なるほど、好きなんだな」
「違うっ!」
顔を真っ赤にしたジュリアンは眉を寄せている。
「フェイス君虐めないであげて?あんまり言うと泣いちゃうから」
エリックは呆れたように言う。さっきまでの優しい視線はどこに行ったのだろうか。
俺ではなくエリックがトドメを指しているように思う。
「セレネ様ぁ……」
完全に沈黙してしまったジュリアンに、俺とエリックは顔を見合わせる。
どうしたものかと困っていると、後ろから声をかけられる。
「こんなところでどうしたのですか。フェイス」
思わず、背筋が跳ねる。
俺はレーネの声を聞くと反射的に背筋を伸ばすようになっていた。
「あら、お友達ですか?」
そんなものがいるなんて驚きだというのを隠さずに尋ねられて顔が引き攣る。
「紹介してくださる?」
小さく小首を傾げる姿は美しいけれど、いつも厳しくされているので背筋が粟立つ。
けれど、普通はそうではないらしく、エリックは頬を赤く染めている。
「こっちがエリック。一年の時に勉強見てくれてた奴」
エリックは小さく頭を下げた。気が動転していて口を開けないらしい。
次いで、ジュリアンを見る。ジュリアンは顔を伏せていた。
どうやらレーネを直視出来ないほど好きなようだ。
「で、こっちがジュリアンだ。侯爵家の三男で元ボンクラ……」
もしかして、最後のは言ってはいけなかっただろうか。
エリックは頭を押さえていて、ジュリアンはガックリと項垂れている。
「そうでしたの。フェイスにこんな優しそうなお友達がいて嬉しいですわ。これからもよろしくお願いしますね。エリック様とジュリアン様」
「あ、あの僕は平民ですので様なんてとんでもないですっ!」
「そんなこと些細なことですわ。フェイスのお友達ならわたくしのお友達も同然ですもの」
それは無理があるだろうと思ったけれど、これ以上失言するわけにはいかないので、俺は貝のように黙っていることにした。
「そうだわ!今度一緒にランチでもいかがかしら?一年の頃のフェイスの話を聞かせてくださいな」
レーネは楽しげに笑っている。レーネが素直に笑うのは珍しい。
本当にシアに似てるなと思っている俺の横で、エリックとジュリアンは固まっていた。
淑女の皮が剥がれたレーネに驚いているらしい。ぼうっと見ている二人に笑いかけて、レーネは去っていく。ワクワクした様子に本当にランチ会を開催するつもりであることがわかった。
俺が小さく溜息を吐いた頃、ようやく二人は正気に戻った。もちろんそこにレーネはいない。
ジュリアンは顔を真っ青にして言った。
「夢、だよな?」
「現実だ」
ジュリアンは絶望したように虚空を眺めている。可哀想なことをしてしまった。どうしたものかと考えていると、予鈴が鳴った。
エリックがジュリアンに声をかけ、どうにか教室に引っ張っていっていた。
俺も後でレーネに訂正しようと心に決めた。
授業の後、俺はレーネに声をかけた。
「あのレーネ、さっきのは」
「ええ、安心してくださいな。ちゃんとランチ会は開催しますから」
俺の言葉を聞く気がないレーネに俺も項垂れるのだった。




