3.何故か出来た姉
二人の話が終わった後、俺とレーネは学生寮に送り届けられた。
俺を連れて帰ろうとしていたシアはレーネに叱られて泣く泣く俺を見送っていた。
シアが誰かに叱られて萎れている姿は驚くほど人間らしい。シアの内側に一歩踏み込んだような気がして、胸がザワザワする。
馬車の中で心臓を押さえて俯いていると、向かいから溜息が聞こえた。
「フェイス様はあのお方といつまで一緒にいるつもりですか」
「どういう意味だ」
「文字通りの意味ですわ」
レーネは観察するようにこちらを見ている。真面目に答えなければいけないらしい。
けれど、俺は微塵もそんなこと考えたことがなかった。シアが切らない限りはなんとなくこのまま続いていくのだと思っていた。だから、今いつまでなんて言われても正確な答えは出せない。
結局俺は、形さえ固まっていないふわりとした答えを告げるしかなかった。
「少なくともシアが拒否しない限り俺はそこにいるだろうさ」
投げやりな言葉になったのはなぜだかとても恥ずかしく感じたからだ。よくわからない感覚に胸元をギュッと握りしめる。
そんな俺をじっと見ていたレーネは少しして満足そうに頷いた。
「それは良かったですわ。家の養子にする手筈は整えておきますのでいつでも言ってくださいな」
「はあ?」
「あら?この話はまだ早かったかしら。なら、聞き流してくれて結構ですわ。ただわたくしはフェイス様を弟だと思って扱いますので、それだけは伝えておきますわね」
なにか重大なことを流された気がする。けれど、それ以上に気持ち悪いことがある。
「フェイス様ってなんだ」
「お気に召しませんか?けれど、フェイ様なんて呼ぶとあの方が怒るでしょうし……」
「そこじゃねえ。様ってのキモいんだよ。ゾワっとする」
俺は様をつけられるような身分でもなければ、そんな人柄でもない。
理解出来なくて寒気がする。
「慣れてくださいませんと。この先きっとそう呼ばれるようになりますわよ」
何を言っているのかさっぱりだ。けれど、なんとなくそんな未来が見える気がして、苦い気持ちになる。
俺は一体いつの間にそんなよくわからないところに足を踏み入れていたのだろう。
「……俺のこと弟みたいに扱うって言ったのに様をつけるのか?」
どうにかこうにか様付けをやめてもらえる理由を捻り出した。我ながら頑張ったと思う。
実際、目の前のレーネは視線を下ろして考えている。貴族であっても、身内に様をつけるのは変なはずだという俺の考えは間違っていないらしい。
待っていると、答えが出たのかレーネが顔を上げた。
「わかりました。フェイスと呼びますわ。弟だと認めていただいたのですもの。それくらい譲歩いたしますわ」
言質を取られてしまった。
とんでもない間違いを犯したような気がして項垂れる。
レーネは俺に甘いシアとは違い、怖い女だとよくわかった。
俺は向かいでクスクスと笑っているレーネに舌打ちを返すことしか出来なかった。相手はシアではないし、女だし、殴ることは出来ない。
俺は苛立ちを発散するべく、ぐしゃぐしゃと頭を掻き回したのだった。
◆◆◆
次の日、授業の前にジュリアンとエリックに捕まった。
「フェイス君大丈夫?」
エリックは心配そうにこちらを見ていた。
ジュリアンは腕を組んで俺を睨んでいる。
「王子殿下を殴るなんて何を考えているんだ!お前はまったく……」
今にも説教が始まりそうで、俺は自分の正当性を訴えることにした。
「いや、あいつが悪いだろ。あんなところで女をこき下ろして」
「だとしても、王子殿下は殴ってはいけないんだ!子供でもわかるぞ!」
ジュリアンの言葉にエリックも大きく頷いている。
「……王子だって知らなかったし」
口を尖らせて目を逸らすと、ジュリアンが大きな溜息を吐いている。ボンクラだった癖に生意気だ。
そんなジュリアンの隣でエリックが大真面目に言った。
「それは僕も知らなかった」
「はあ!?おまっ……。これだから平民は」
ジュリアンが頭を抱えてしまった。けれど、貴族に馴染みがなければそんなものだ。そもそも食堂で食べるのだって貴族がほとんどなのだ。俺やエリックが知らないのは当たり前だった。
「けど、そんな人を殴ったのによく出てこられたね。普通は首が飛ぶんじゃないの?」
エリックが不思議そうに首を傾げている。
「ああ、それはシアが」
「シアさん?」
頷くとジュリアンがわなわなと体を震わしている。
「エリック!お前、あのお方のことをそんな風に呼ぶなんてそれこそ首が飛ぶぞ!」
「え、そんなヤバい人だったの!?」
「王弟なんだとさ」
俺の言葉にエリックは固まって動かなくなってしまった。
「僕にはお前がそんな風に平然としているのが信じられない……」
何故だかお通夜のような雰囲気になってしまった。絶望したような顔で項垂れる二人を眺めていると後ろから声をかけられる。
「フェイス、ちょっとよろしいかしら?」
振り返るとそこにはレーネがいた。
ジュリアンとエリックはもう話す気力がなさそうなので、俺は軽く頷いてレーネの後ろを歩いた。
適当なところで立ち止まったレーネは、しっかりと俺を見ながら話し出す。
「あなた選択授業はもう選びましたか?」
言われてそのプリントを渡されていたことを思い出した。二年からは授業が選択出来るらしい。とりあえず、俺は実技以外で、身になりそうな座学を取る予定だった。
もし俺が実技をとったなら、去年のように酷い時間になってしまう。
「いや、座学を取ろうとだけ決めてる」
「なら、淑女講座を取りなさい」
「はあ?」
レーネの言葉が理解出来なかった。やっぱりシアの身内だけあって頭が可笑しいらしい。
上級貴族がこれで大丈夫なのだろうか。
「少し違いますけれど所作を整えるのはこちらの方が早いですわ。どちらも私がつきっきりで教えて差し上げます」
「なんでそんなの受けなきゃなんねえんだよ」
「あの方の隣に並ぶならこれくらいはしませんと」
言われて口篭ってしまう。
確かに、シアの近くにいるなら多少は必要なのだろうと思った。けれど、まだ心が追いついていない。 きっとこれは俺が望んだことなのだろう。けれど、レーネに言われるまで考えたこともなかったことでもある。そして、それには言語化出来ない感情も付随していて、俺はそーっとレーネから視線を逸らした。
「あの方といたいと思うのなら、しゃんとなさい!」
言われてギュッと背筋が伸びた。
微妙な俺の心なんて無視で、レーネは容赦がない。
「わたくしはあのお方のようにフェイスを甘やかしませんわ。なんたって弟ですもの」
ふふんとドヤ顔で笑うレーネに、なるほどこれが姉弟かと思いながら、俺は呆れたように息を吐いた。
レーネは明らかに浮かれている。数日前の凍ったような表情が嘘のようだ。楽しそうなその姿は年相応の子供に見えた。
シアにもこんな頃があったのだろうか、なんて思いながら俺はレーネと教室に向かったのだった。




