9話 蒸気の雨と、君の決断
蒸気機関が発達した世界、機械いじりが好きな少女エマは、祖父と営む小さなパン屋で幸せに暮らしていました。
ところがある日、パンの大企業チェーン「ロイヤル・ギア・フーズ」がエマ達の街にやって来ます。
そして現れる謎の少年。
機械いじり好きな少女が、パン屋を守るために奮闘するスチームパンク作品です。
恋愛、モノ作り、下町の空気感を楽しんでいただければ嬉しいです。
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※この作品は小説家になろう、カクヨムで同時掲載しております。
雨嵐の翌日、グラン・ロアの街は妙な静けさに包まれていた。
昨日の中央蒸気管の事故は、新聞にも載るほどの騒ぎになっている。だけど、街はなんとかいつもの生活をとり戻しているようだった。
もしあと少し対応が遅れていたら、周辺区画ごと吹き飛んでいたかもしれなかったけど。
《歯車亭ベーカリー》も今日は臨時休業。
祖父は朝から修理の手伝いへ出かけ、店にはエマ一人で留守番をしていた。
工房の窓から差し込む灰色の光が、作業台の上をぼんやり照らしている。
エマはレンチを握ったまま、昨夜のことが、頭から離れなかった。
蒸気管の唸り。吹きつける熱。
そして——。
『一緒に押せ!』
ルークの声が頭のなかで繰り返される。
エマは小さく息を吐き、額を机へ押しつけた。
「……もう」自分でも呆れる。
あんなに怒っていたはずなのに。
でも、危険な場所へ駆けつけてきたルークを見た瞬間、胸の奥が少しだけ安心してしまった。
そんな自分が悔しかった。
その時、からん、と店の鈴が鳴る。
エマの肩がぴくりと揺れる。ゆっくり顔を上げて見ると、扉の向こうに立っていたのは、やはりルークだった。黒いコートは雨で濡れている。
今日は迷った顔をしておらず、まっすぐエマを見ている。
エマは立ち上がらなかった。
「……何」平然を装ったつもりだったが、声は硬くなってしまう。
ルークは少し黙ったあと、静かに言った。
「話をしに来た」
「この前も聞いた」
「今日は最後まで話す」
その言葉に、エマは眉を寄せる。
工房の空気が静かに張り詰めてゆく。
蒸気オーブンは止まっていて、いつもより店が広く感じた。
「昨日の事故、原因は老朽化だけじゃない」
ルークがゆっくりと説明する。
「ロイヤル・ギアが無理に出力を上げてた」
エマは目を瞬かせた。
「……え?」
「新型供給炉の稼働実験を急いでたんだ。父は利益を優先した」
その声は重く、言葉を吐き出すたびに、自分の中の何かを切り離していくみたいだった。
ルークは拳を握る。
「スープパンも、保温箱も……会社が真似したのは事実だ」
エマの胸が痛む。
やっぱり、と心のどこかで思ってしまった。
けれどルークは続ける。
「でも僕は知らなかった。本当なんだ」
真っ直ぐな瞳でルークは話を続ける。
「知ったのは、店の前であの保温箱を見た時だ」
自分の会社の製品なのに、誇らしいとは思えず、むしろ胸が冷えた。
それはエマの工房で見た設計図とほぼ同じ保温箱だと一目で分かった。
エマが何度も失敗しながら笑っていた姿を思い出した瞬間、自分のいる場所が急に分からなくなった。
「僕は父に抗議した」
ルークは静かに話を続ける。
「でも、“街のためだ”って言われたよ。安く大量に供給できるほうが正しいって」
エマは何も言えなかった。
確かに、ある意味では間違っていない。
安いパンで助かる人もいる。
《ロイヤル・ギア》が街を支えているのも事実だ。
だから余計に苦しかった。
「……ルークは、どう思ってるの」
エマは、消え入りそうなほど小さな声で聞いた。
ルークは少しだけ目を伏せる。
昨夜、壊れかけた蒸気管の前で、必死に工具を握っていた少女を見た時から、もう答えは決まっていた。
「僕は」
ルークは顔を上げてはっきりと伝える。
「君の作るものが好きだ」
「えっ……」エマの呼吸が止まる。
「効率は悪いし、よく爆発するし、無茶ばっかりする」
「それ、悪いとこばかりじゃない?」
「でも」彼は小さく笑いながら
「君の機械には、人を喜ばせたいって気持ちが入ってるから」
工房の空気が静かに揺れている。
エマは言葉を失っていた。
「父の工場には、それがない」
ルークの声は静かだったけど、その奥には確かな熱があった。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
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