8話 壊れかけた街の中で
蒸気機関が発達した世界、機械いじりが好きな少女エマは、祖父と営む小さなパン屋で幸せに暮らしていました。
ところがある日、パンの大企業チェーン「ロイヤル・ギア・フーズ」がエマ達の街にやって来ます。
そして現れる謎の少年。
機械いじり好きな少女が、パン屋を守るために奮闘するスチームパンク作品です。
恋愛、モノ作り、下町の空気感を楽しんでいただければ嬉しいです。
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※この作品は小説家になろう、カクヨムで同時掲載しております。
その夜、嵐が来た。
グラン・ロアの空を覆っていた黒雲は、夕方から不気味なほど低く垂れ込み、深夜になる頃には激しい風雨を街へ叩きつけていた。
窓ガラスが、がたがたと震えて煙突の蒸気笛が獣みたいな音をあげている中、エマは工房の中で一人、作業に没頭していた。
机の上には幾つもの設計図がある。蒸気保温箱の改良案。配達機械の調整図。新型オーブンの試作計画。
どれも今は、やけに遠く感じる。
ランプの灯りが、真鍮の部品を鈍く照らしていた。
エマがぼんやりと歯車を回すと、カチリと小さな音がする。
以前なら、機械を触っているだけでも楽しかったのに……。
壊れたものが直ると、胸が少し軽くなり、新しい仕組みを思いつけば、眠るのも惜しくなって作業に没頭して、気がつくと朝になることも良くあった。
でも今は違う。
今、頭の中に浮かぶのは、向かいの店の光景ばかりだ。
《ロイヤル・ギア・フーズ》。の店先に並ぶ“蒸気スープパン”。自分の保温箱によく似た配達機械。
そして、雨の中で立ち尽くしていたルークの顔が頭から離れない。
「……ばか」
誰に向けた言葉か、自分でも分からない。
怒りたいのに、怒りきれない。
嫌いになりたいのに、できない。
それが余計に苦しかった。
その時、どおん!と外で鈍い爆発音が響いた。
エマがはっと顔を上げると、次の瞬間、通りの方から悲鳴が聞こえてきた。
「蒸気管が破裂したぞ!」「逃げろ!」
エマは反射的に工房を飛び出した。
雨が顔へ叩きつけるが、気にしていられない。
通りには人が集まり始めており、一面に白い蒸気が噴き上がっている。
破裂したのは、街の中央を通る大型蒸気管で、工場区画へ熱を送るための主管。以前から老朽化していた場所だ。
「危ない、近づくな!」通りの人が叫んでいる。
高温の白煙が吹き出し、周囲の配管まで軋ませているのが分かる。このまま連鎖したら危険だ。最悪、周辺一帯が爆発する。
エマが老朽化している蒸気管に向かうと、すでに作業員達が集まっている。
「圧力弁は!?」「開かないんだ!」
作業員たちが怒鳴り合っているのを聞いて、状況を判断する。要するに雨のせいで制御機構が詰まっているらしい。
エマが蒸気管を見ると、圧力計は限界近くまで振り切れていた。このままじゃ持たない。
その瞬間、彼女の身体は勝手に動いていた。
「工具を貸して!早く!」
「お嬢ちゃん!」驚く作業員からレンチを奪い、エマは蒸気管へ駆け寄る。
熱気が肌を刺し、蒸気が唸っている。
怖い。本当は逃げたい。けれど放っておけなかった。
壊れそうな機械を見ると、身体が勝手に動く。
昔からそうだった。
エマは歯を食いしばり、弁の固定ボルトへ工具を差し込むが「固い!」思わず声をあげる。
熱で金属が歪んでおり、しかも雨で手が滑ってしまう。
蒸気が顔に噴きつけ、頬が焼けるように痛む。
「お嬢ちゃん!危険だ、離れろ!」
「まだ!」
エマは叫び返した。
頭の中を回転させ、構造図を組み立てる。
圧力の流れ。蒸気循環。逃がし弁の位置。
動いて、お願いだから。
その時、聞き覚えのある声が響く。
「エマ!」
振り返ると、雨の向こうにルークがいて、息を切らしながら駆けつけてくる。
エマの胸が大きく揺れた。
「ルーク!なんで……どうして」
「エマ!そこから離れろ!もう限界だ!」
ルークは叫んだ。
確かに、蒸気管は危険な音を立て始めていて、金属が悲鳴をあげている。
でも、「まだ止められる!」
エマはレンチを握り直した。
ここで逃げたら、街が壊れる。
《歯車亭》だって無事じゃ済まない。
祖父も。みんなも。
ルークは唇を噛みしめながら思う。
エマはこういう娘なんだ。危ないと分かっていても、壊れたものを放っておけない。だから目が離せなかった。
そして今、その無茶が彼女自身を壊しそうになっている。
「くそっ……!」
ルークは周囲を見回す。
散乱した工具。補助配管。非常停止弁。
その瞬間、彼は父の工場で叩き込まれた知識を思い出した。
「エマ! 右側の補助管を閉じろ!そうすれば圧力を分散できるはずだ!」
「分かった!」
次の瞬間、エマは迷わず動いた。
補助弁へ飛びつき、全力でハンドルを回す。
だが固くて、びくともしない。
すぐにルークも駆け寄った。
「一緒に押せ!」
「ううんっ……!」
二人で力を込めると、金属が軋むのが分かる。
蒸気が悲鳴みたいな音を立てた。
次の瞬間、ごんっ、と鈍い振動がして弁が動くと、噴き上がっていた蒸気が一気に別配管へ流れ込み、圧力計の針がゆっくり下がっていく。
それを見て周囲にいた人々が息を呑んだ。
やがて、ぷしゅうう……という長い蒸気音とともに、主管の唸りが静まる。
街が静まった後には雨音だけが残った。
エマはその場へ座り込む。全身が震えていた。
怖かったのだと、止まってからようやく分かる。
ルークもその場で荒い息をついていた。
二人はしばらく何も言わなかった。ただ雨の中で、壊れた蒸気管を見上げている。
やがてルークが、小さく呟いた。
「……無茶しすぎだ」
エマは濡れた前髪をかき上げる。
「ルークも」
二人の目と目が合う。
言いたいことは、たくさんあった。
怒りも。悲しみも。まだ消えてはいない。
でも今だけは、互いがそこにいてくれたことに、少しだけ救われていた。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
少しでも楽しんでいただけたなら、書いてて良かったです。
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