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「蒸気街のパン屋と御曹司」蒸気機関が発達した世界。その下層街にあるパン屋ですが、敵企業の御曹司が毎日パンを食べに来ます  作者: かあまる01


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6話 雨の日に壊れた歯車

 蒸気機関が発達した世界、機械いじりが好きな少女エマは、祖父と営む小さなパン屋で幸せに暮らしていました。

 ところがある日、パンの大企業チェーン「ロイヤル・ギア・フーズ」がエマ達の街にやって来ます。

 そして現れる謎の少年。

 機械いじり好きな少女が、パン屋を守るために奮闘するスチームパンク作品です。

 恋愛、モノ作り、下町の空気感を楽しんでいただければ嬉しいです。

 感想・ブックマーク・評価、とても励みになります。

よろしくお願いします。

※この作品は小説家になろう、カクヨムで同時掲載しております。

《歯車亭ベーカリー》は、その日は久しぶりに忙しかった。


 朝から蒸気オーブンは休みなく唸り続け、焼きたての香りが店いっぱいに広がっている。扉の鈴は絶えず鳴り、狭い店内には客たちの笑い声が重なっていた。


「エマちゃん、蒸気スープパンまだあるかい?」

「今ちょうど焼けたところ!」

 エマはオーブンから籠を引き出しながら声を返し、パンを並べる。

 熱気で頬が火照ってゆくが、気にしていられない。


 最近考えた“蒸気スープパン”は、思っていた以上に評判になっていた。

 パンの中に温かいスープを閉じ込め、食べる時に中から湯気があふれる仕組みだ。さらに改良した保温箱のおかげで、配達しても熱が逃げにくい。

 寒い季節にはぴったりだった。


 工場帰りの労働者たちが「身体が生き返る」と噂し、その評判は少しずつ街に広がっていた。

「昨日のやつ、うまかったよ!」

「ほんと? ありがと!」

 笑顔で返事をしながら、エマは胸の奥がふわりと温かくなるのを感じた。


 ちゃんと届いている。

 自分の作った機械も、パンも、誰かの役に立っている。

 それが嬉しかった。


 店の隅では、ルークがぎこちない手つきで袋詰めをしている。

「ルーク、それ三番テーブルの!」

「これか?」

「違う、そっちは予約分!」

「分かりづらいな……」

「ちゃんと札を見て!」


 慌てて向きを変えるルークを見て、客たちがくすくす笑う。以前の彼なら、そういう笑いを嫌がっていただろう。

 だが今は違う。少し困ったように眉を寄せながらも、ちゃんと笑い返している。

 エマはその変化に気づいていた。


 最初に店へ来た頃のルークは、どこか壁みたいなものをまとっていた。

 綺麗で、静かで、近寄りがたい壁。

 けれど最近は、すすで服を汚しながら薪を運び、子どもの客に話しかけられては困った顔をする。その姿を見るたび、エマの胸は妙にくすぐったくなった。


 昼過ぎ。客足がようやく落ち着き、店内に静けさが戻り始めた頃。


 エマは新しい看板を持って店先へ出ると、不意に低い機械音が通りへ響いた。

 重厚な蒸気エンジンが唸りをあげる。

 それを振り返って見た瞬間、エマは思わず立ち止まってしまう。


 黒塗りの大型蒸気車が、《歯車亭》の前へゆっくり停車する。

 磨き上げられた真鍮の装飾。深い紺色の車体。側面には、見覚えのある紋章が刻まれていた。

 《ロイヤル・ギア・フーズ》。


 周囲の通行人たちのざわつく声が聞こえる。

「ロイヤル・ギアの車じゃないか」

「なんで下層区画に……?」

 周りの空気が少しずつ張り詰めていく。


 蒸気車の扉が静かに開き、降りてきたのは、灰色のスーツを着た男だった。

 細身で、銀縁眼鏡をかけている。年齢は四十前後だろうか。整った身なりをしているのに、どこか機械みたいに冷たい印象の男。

 男は周囲を一瞥すると、そのまま店の中へ足を向ける。


 エマは無意識に身構えた。

「……何か御用ですか?」

 男は答えずに静かな視線で店内を見回し、やがてルークに目を向け、話しかける。

「ルーク様」

 低く落ちたその声に、店の空気が凍りついた。


 その瞬間、エマは頭が真っ白になり、思わず聞き返しそうになる。

 今、“様”と言ったのか。

 エマがゆっくり振り返ると、パン籠を抱えていたルークが、その場で硬直していた。

 明らかに顔色が変わっている。


 男はルークへ一歩進み、深く頭を下げた。

「お迎えに参りました」

 周囲がざわめく。

「え……?」「まさか……」

 エマだけが状況を理解できずに立ち尽くしていた。


 ルークはしばらく何も言わなかったが、やがて、押し殺したように声を落とす。

「……帰れ」

「旦那様がお待ちです」

「帰れと言ってる!」


 その声音に、エマは息を呑んだ。

 いつものルークじゃない。柔らかさのない冷たい声。

 男はわずかに目を伏せたが、淡々と続ける。

「《ロイヤル・ギア・フーズ》次期当主が、このような場所に長居されては困ります」


 その瞬間、頭の中で何かが繋がった。

 ロイヤル・ギアの次期当主。それがルーク。

「……え?嘘」

 喉がうまく動かなかった。


 ルークは視線を逸らしたまま黙っている。

 その沈黙が、何より雄弁だった。

 エマの胸の奥がどくりと脈打つ。

「うそ……」と繰り返す。

 自分でも情けないくらい小さな声だった。


 男は静かに、だが周りにはっきりと分かるように言う。

「ルーク様は、《ロイヤル・ギア・フーズ》社長のご子息です」


 世界の音が、急に遠くなった気がした。

 客たちの話し声も。蒸気オーブンの音も。通りを走る蒸気車の響きも。

 全部がぼやける。


 エマはルークを見た。ルークを見ていると今まで一緒に働いていた姿を思い出す。

 薪を運んでいた姿。

 すすだらけで笑っていた顔。

 工房で不器用に工具を握っていた手。

 それらが一瞬で遠ざかっていく。


「……なんで」

 喉の奥が痛かった。でも聞かずにいられない。

「なんで言わなかったの……」

 ルークの唇がわずかに動く。

「言えなかった」

「どうして!」

 思った以上に大きな声が飛び出した。


 店内の空気がびくりと震える。

「うちを潰そうとしてる会社の人だったの!?」

 胸の奥が熱い。

 怒っているのか、悲しいのか、自分でも分からない。ただ苦しかった。


 ルークは何か言おうとするが、何を言おうとしても言葉が出てこない。

 最初は本当に視察のつもりだった。


 それだけのはずなのに気づけば、この店へ来る時間ばかり考えていた。

 エマの笑い声を聞きたかった。

 工房でくだらない話をしたかった。

 焼きたてのパンの匂いの中にいたかった。


 それがどれほど大切になっていたか、今さら思い知らされる。

 正体を知られた瞬間に、全てが壊れるのが怖かった。

 そして実際に、壊れてしまった。

「エマ……」

 ようやく絞り出した声は、自分でも驚くほど弱かった。


 エマは一歩後ろへ下がった。

 その小さな距離が、胸に深く突き刺さる。

「……帰って」

 エマの声からは想像もつかないほど震える声。それでも、はっきり聞こえた。


 ルークは動けない。

 エマは唇を噛み、俯いたまま言う。

「今、顔を見たくない……」


 外では蒸気車のエンジンが低く唸っていた。

 灰色の空から落ち始めた雨が、石畳を静かに濡らしていく。

 その雨音だけが、不思議なくらい耳に残る。


 ここまで読んでいただきありがとうございました。

少しでも楽しんでいただけたなら、書いてて良かったです。

 評価・感想・ブックマーク、など頂けたら嬉しいす。

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