5話 蒸気の匂いがする場所
蒸気機関が発達した世界、機械いじりが好きな少女エマは、祖父と営む小さなパン屋で幸せに暮らしていました。
ところがある日、パンの大企業チェーン「ロイヤル・ギア・フーズ」がエマ達の街にやって来ます。
そして現れる謎の少年。
機械いじり好きな少女が、パン屋を守るために奮闘するスチームパンク作品です。
恋愛、モノ作り、下町の空気感を楽しんでいただければ嬉しいです。
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※この作品は小説家になろう、カクヨムで同時掲載しております。
朝の工房は、いつも少し騒がしい。
蒸気オーブンの圧力弁が鳴り、パン生地をこねる機械が低く唸る。焼き上がったパンの香りが店いっぱいに広がり、開店前からエマは走り回っていた。
「ルーク! そっちの黒麦パン、並べて!」
「これか?」
「違う、それ昨日の!」
「見分けがつかない!」
「つくよ!」
エマは棚の前へ駆け寄り、呆れたようにため息をついた。
「焼き色が違うでしょ、ほら良く見て」
ルークは真剣な顔で二つのパンを見比べる。
「……同じに見える」
「ふふん、まだまだだね」
エマは勝ち誇ったように半分笑いながら、焼きたての籠を受け取った。
でも、昨日、顔が触れそうなほど近づいた瞬間を思い出すたび、胸の奥がそわそわする。
視線が合うと、平然を装っても逸らしてしまいたくなる。悟られないようにいつも通りに軽口を叩くけど、気づかれてないかな?大丈夫、私?
でも、ルークが今日も変わらずに工房へ来てくれていることが、少し嬉しいと思ってしまう自分がいた。
ルークは昨日と全く変わってない様子だ。その様子にちょっと不満だけど。意識しちゃうのは私だけなの?
毎朝お馴染みの光景。ルークは毎日のように《歯車亭》で働いている。
最初はただパンを買いに来るだけだったのに、いつの間にか店を手伝うようになり、今では開店準備までしている。
祖父も最初こそ警戒していたが、今では「薪運びなら役に立つ」と言って普通に仕事を任せていた。
もっとも、ルークは不器用だが。
接客では言葉が固いし、機械を触ればだいたい壊しかける。
この前なんて、蒸気こね機に変な触り方をして、生地を天井まで吹き飛ばした。
あれを思い出すたび、エマは笑いそうになる。
「……また笑ってる」
「だって、あの時の顔ったら」
「もう、忘れろよ」
「え〜、無理」
エマは肩を揺らしながら思う。
こんなふうに誰かと笑い合う時間が、自分にできるとは思っていなかったから。
工房で機械をいじっている時は楽しいけど、それは一人でもできる楽しさだ。
でもルークが来るようになってから、《歯車亭》の空気は少し変わった。
前より賑やかで、前より明るい。
それがなんだか不思議だった。
開店の鐘が鳴り、いつもの常連客たちが店へ入ってきた。
「おはよう、エマちゃん」
「あら、ルークくん、もうお店には慣れた?」
「問題ありません」
ルークは真面目な顔で答える。
その様子に客たちは笑った。
「せっかく顔がいいんだから、もっと愛想よくしなよ。その方が全然いい。ファンがついちゃうかも」
「……努力します」
ぎこちない返事に、また笑いが起きる。
エマはその光景を見ながら、胸の奥がほんのり温かくなってゆく。
ルークは上層区画の人間で、最初はもっと冷たい人かと思っていたけれど、実際は世間知らずで不器用で、妙なところで真面目なところがある。
パンの袋を結ぶだけで真剣な顔をするし、子どもに話しかけられると妙に緊張する。
そんなルークは時々、ひどく寂しそうな顔をすることがある。特に、《ロイヤル・ギア》の話題になるときは。なんでだろう。
昼過ぎ。
客足が落ち着くと、エマは配達用の小型機械へ荷物を積み込んでいく。
それは四本足の鉄製運搬機。
蜘蛛みたいな見た目のせいで、祖父には「かわいくない」と不評だ。
「それ、本当に安全なのか」
荷物を積み終わると、後ろからルークの声がする。
「失礼だなあ。ちゃんと動くよ」
「“ちゃんと”って言いながら前に暴走しただろ」
「今回は改良済み!」
エマは胸を張った。
だが次の瞬間、小型機械は突然がしゃんと揺れ、積んでいたパン籠をひっくり返した。
「あっ……」
二人の間に沈黙が流れ、ルークがゆっくり目を細める。
「改良済み?」
「……細かい調整ミスです」
エマは慌ててパンを拾い集めると、その隣へルークもしゃがみ込む。
「貸してごらん」
「いいよ、自分でやる」
「二人のほうが早い」
そう言って、彼は落ちたパンを丁寧に拾い始めた。
その横顔を見ながら、エマは少しだけ不思議な気持ちになる。
最初、ルークは“綺麗な人”だと思った。
傷一つない手。汚れていない服。整った顔。
まるで工場の展示品みたいだと。
けれど最近は違う。
薪を運び、粉をかぶり、時々すすで顔を汚しながら、《歯車亭》の中に馴染んでいく。
その姿を見るたび、エマは胸の奥がくすぐったくなった。
「……ルークってさ」
「なんだ」
「なんで毎日来るの?」
聞いた瞬間、ルークの手が止まる。
エマは何気ないつもりだった。
けれど妙に静かな空気になってしまい、少し後悔する。
ルークは落としたパン籠を戻しながら、ぽつりと言う。
「ここにいると落ち着くから」
「こんなごちゃごちゃしたところがる?」
「ああ」短い返事だった。
けれど、その声はいつもより柔らかい。
「ここにいると……息がしやすい」
エマは目を瞬かせた。
ルークは滅多に自分のことを話さない。
だからその言葉は、重く胸に残った。
「変なの」
エマは照れ隠しみたいに言う。
「工房なんて油臭いし、うるさいし、蒸気まみれなのに」
「だから……いいんだ」
ルークは静かに笑った。
「ちゃんと人がいる感じがする」
その言葉を聞いた瞬間、エマの胸がどくんと鳴った。
どう返事をすればいいのか分からない。
だから彼女は誤魔化すように、小型機械の頭を軽く叩いた。
「ほら、配達に行くよ。今度こそちゃんと歩いて」と、機械を作動させると、蜘蛛のような運搬機はぎしぎしと音を立てながら前へ進む。
だが数歩後、突然変な方向へ曲がってゆく。
「ああっ、そっち壁!」
がこん、と鈍い音がする。
エマは頭を抱え、ルークは吹き出した。
「やっぱり暴走するじゃないか」
「笑ってないで止めて!」
二人で慌てて機械を追いかける。
狭い路地にルークの笑い声が響き、エマの追いかける足音が響く。
空は相変わらず灰色だった。
けれどエマには、その日だけ少し陽が差し込んでいるように見えた。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
少しでも楽しんでいただけたなら、書いてて良かったです。
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