4話 君に触れそうな距離
蒸気機関が発達した世界、機械いじりが好きな少女、エマは祖父と営む小さなパン屋で幸せに暮らしていました。
ところがある日、パンの大企業チェーン「ロイヤル・ギア・フーズ」がエマ達の街にやって来ます。
そして現れる謎の少年。
機械いじり好きな少女が、パン屋を守るために奮闘するスチームパンク作品です。
恋愛、モノ作り、下町の空気感を楽しんでいただければ嬉しいです。
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※この作品は小説家になろう、カクヨムで同時掲載しております。
深夜の工房には、絶え間なく小さな音が満ちていた。
歯車が噛み合う乾いた音と、蒸気が管を流れる低いうなり。時折どこかで鳴る、金属同士の軽い衝突音。
外では雨が降っているらしい。工房の空気がいつもより少し冷えている。
《歯車亭ベーカリー》の裏にある小さな作業場は、今や部品の海といった状態だ。
壁際には古びた真鍮管が積み上がり、床には分解された圧力計や蒸気弁が転がっている。
使い終えた工具が無造作に散らばり、作業机の上には何枚もの設計図が重なり、今にも倒れそうだ。
エマはその机に肘をつき、深く息を吐く。
「……違うなあ」
目の前にあるのは、“蒸気保温配達箱・改良三号”の試作品。焼きたてのパンを、できるだけ温かいまま届けるための装置。
最近、《歯車亭》では配達を始めている。
足の悪い老人。工場勤めで店へ来られない人。夜勤帰りの労働者。
街の人に話を聞くと、来たくても《歯車亭》まで来られないお客様は思ったより多かった。
けれど、普通の箱に入れたパンはすぐに冷えてしまい、せっかく焼きたてでも、届く頃には固くなっていることもある。
それがエマには悔しい。
パンは、焼き上がった瞬間が一番おいしい。
香りも、柔らかさも、熱も。
その全部を届けたいと思う。
だから彼女は考える。
冷めるなら、冷めなければいい。
単純な発想だったが、実際に作るとなると話は別だ。エマは思考を巡らせる。
「蒸気を強くすると中が湿気るし……弱いと途中で冷めるし……」
独り言をこぼしながら、エマは細い配管を指先で叩いた。
何度もやり直したせいで、指には小さな切り傷や火傷が増えている。それでも不思議と嫌ではなかった。
むしろ、失敗を重ねるほど意地になる。
向かいの《ロイヤル・ギア・フーズ》は、今日も賑わっていた。
巨大な工場設備。大量生産。最新式の自動オーブン。
私たちが値段では勝てるはずがない。
そんなことはエマだって分かっている。
けれど、諦めろと言われるほど、逆に胸の奥が熱くなる。機械は、もっと誰かを喜ばせるために使えるはずだ。
その時、工房の扉が静かに開く。
「まだ作業しているのか」
いつもの声に、エマが顔を上げると、ルークがいる。「ルーク?」
少年は呆れたように工房を見回すと、驚いたように言葉を漏らす。
「……相変わらず、すごい作業場だな。床が見えない」
エマは視線を落とし、散乱した部品の山を見て少しだけ気まずくなる。
「作業中だからしょうがないの」
「転びそうだ」
「転ばないもん」
そう言いながらも、立ち上がった拍子にレンチを蹴飛ばす。店の中にカランと金属音が響く。
ルークは肩を震わながら「ほら、言ったことじゃないか」
「うるさい」
そんなやり取りをしながら、ルークは作業机へ近づいてゆく。
彼がお店を手伝ってくれるようになって数日が経つ。
最初はぎこちなかったが、今では店の仕事も少しずつ覚えてきている。
もっとも、機械の扱いだけは危なっかしい。
昨日なんか、エマの配達機械を動かそうとして煙を吹かせたことがある。
その時の慌てぶりを思い出し、エマはつい口元を緩めた。
「なに笑ってる」
「別にー」
ルークは机の上にある設計図へ目を落とした。
「また新しいの作ってるのか」
「そう。蒸気保温配達箱の改良版」
「まだ改良する必要あるのか?」
「ある!」エマは即答した。
「もっと温かいまま運べるようにしたいんだもん」
その言葉に、ルークは少し不思議そうな顔をして聞く。「そこまで気にするのか?」
「もちろん、するよ」エマは真顔になった。
「寒い日に冷たいパン食べるのと、温かいパン食べるのじゃ全然違うんだよ」
工房のランプが、真鍮の部品を淡く照らしている。
エマは配管を撫でながら続けた。
「疲れて帰ってきた人がさ、袋を開けた時にまだ温かかったら、ちょっと嬉しいでしょ」
その声は、どこか静かだった。
ルークは答えられない。
彼の知る工場では、“嬉しいかどうか”は重要ではなかった。
どれだけ速いか。
どれだけ安いか。
どれだけ数を作れるか。
それだけが価値だった。
だがエマは違う。
彼女は誰かの顔を思い浮かべながら機械を作っている。その様子が、ルークには眩しく見えた。
「君って変わってるな」
「そっちに言われたくない」
「これでも褒めてるんだぞ」
「え〜、怪しいなぁ」
エマは疑うように目を細める。
その表情がおかしくて、ルークは小さく笑った。
最近、この店にいると肩の力が抜ける。
御曹司としてではなく、ただの一人として扱われることが、思っていた以上に心地よかった。
その時、机の端に置かれていた蒸気弁が、不穏な音を立てて、かたかた、と小さく震える。
ぼふっ。と白い蒸気が吹き出し、ルークが慌てて身を引く。
ルークの様子を見て、エマは思わず吹き出した。「だから言ったのに」
「先に言えよ!」
「言ってた!」
二人で笑いながら、エマは緩んだ配管を締め直す。
だが次の瞬間、ころん、と嫌な音がした。
エマの顔が引きつる。
「……固定するネジが台の下に落ちたかも」
二人は同時に作業台の下を覗き込んだ。
工具箱や部品箱が積まれていて、ほとんど隙間がない。
「う〜ん、よく見えない。ルークは見える?」
「暗いな……もっと奥かな?」
ルークが身を乗り出すと同時に、エマも同じ方向へ顔を近づけた。
すると、ごつん、と二人の額が軽くぶつかる。
「いたっ!」
「……っ!」
二人は同時に声をあげる。狭い作業台の下で、互いの顔が思った以上に近かった。
エマが息を止めると、そこにはルークの顔がすぐ目の前にある。
長い睫毛。静かな目。雨上がりみたいな匂い。
こんな近くで見ると、妙に落ち着かなくなる。
ルークも動かなかった。
暗い机の下で、二人の視線だけがぶつかる。
エマの心臓がどくん、どくんと鳴って止まらない。
近い。近すぎる。
少し動けば、額だけじゃなく——。
「……エマ」
低い声で名前を呼ばれると、エマの胸が熱くなる。どうしよう……
その時、からんっ!と店の扉の鈴が勢いよく鳴り、「エマー! 工具箱どこじゃー!」
祖父が大声でエマを呼ぶ。
「うわぁっ!?」
突然、祖父に呼ばれて思わずエマは飛び上がった。
その勢いで頭を作業台へぶつけてしまう。
「いったぁ……!」
ルークも慌てて後ろへ下がり、工具箱に足を引っかけてしまった。すると、がしゃんっ!と、床に工具が散らばってしまう。
祖父が工房を覗き込み、怪訝そうに眉をひそめた。「……何しとるんじゃ、お前ら」
「な、何も!」
エマは真っ赤になりながら叫ぶ。
ルークは珍しく視線を逸らしていた。
祖父は二人を交互に見たあと、にやりと口元を曲げる。
「ほぉーう?」
「違うからね!?」
「何がじゃ?」
「うっ……」
エマは言葉に詰まる。
祖父は面白そうに笑いながら、工具箱を抱えて出ていった。
やがて工房に沈黙が落ちても、エマはしばらく俯いたままだった。
なんでだろう。顔が火照っている。心臓がどくんどくんと高鳴り、うるさい。もう!
ちらりとルークを見ると、彼も耳が少し赤かった。無言でうつむいてる。
蒸気の音が小気味良く流れる中、二人の目と目が合うが、すぐ二人同時に視線を逸らす。
ルークが帰り、祖父が工房を出ていったあとも、エマの心臓はしばらく落ち着かなかった。
顔を近づけた瞬間のルークの表情が、頭から離れない。工具を握る指先まで熱くなって、自分でもどうしていいか分からなかった。
怒られるようなことは何もしていないはずなのに、妙に後ろめたくて、でも少しだけ嬉しい。
ルークといる時間が、自分にとって特別になり始めている——そんなことを、エマはまだ認めきれずにいた。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
少しでも楽しんでいただけたなら、書いてて良かったです。
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