3話 初めての体験
蒸気機関が発達した世界、機械いじりが好きな少女エマは、祖父と営む小さなパン屋で幸せに暮らしていました。
ところがある日、パンの大企業チェーン「ロイヤル・ギア・フーズ」がエマ達の街にやって来ます。
そして現れる謎の少年。
機械いじり好きな少女が、パン屋を守るために奮闘するスチームパンク作品です。
恋愛、モノ作り、下町の空気感を楽しんでいただければ嬉しいです。
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※この作品は小説家になろう、カクヨムで同時掲載しております。
ルークが《歯車亭ベーカリー》へ通うようになったのは、蒸気リンゴパイを食べた次の日からだった。
最初に現れた時と同じ黒いコート姿で、昼過ぎになると店の扉を開ける。
からん、と鈴が鳴り、あの少年が来るたびに、エマはなぜか少しだけ身構えてしまう。
「……また来た」
「来ちゃ悪いか」
「別に悪くはないけど」
そう言いながらも、エマはこっそり不思議に思っていた。
下層区画の店に、上層の育ちのような少年が何度も来る理由が分からない。
しかも毎回、パンを一つ買って終わりではない。
店の中を眺めたり、工房を覗いたり、祖父のパン作りを見つめたりしている様子はまるで“店そのもの”を見に来ているようだった。
祖父はそんなルークを見ても特に追い返さず、
むしろ時々、じっと観察するような目を向ける。
「ねぇ、あの子、じいちゃんの知り合い?」
ある日エマが聞くと、祖父は小さく鼻を鳴らした。
「さてな」
「なにそれ、何か隠してない?」
「お前は気にせんでいい」
絶対なにか気づいてる。
エマはそう思ったが、それ以上聞いても教えてくれそうになかった。
その日の夕方、店は久しぶりに混んでいた。
工場帰りの客がまとめて押し寄せ、狭い店内は蒸気とパンの香りでいっぱいになる。
「黒麦パン三つ!」
「はい!」
「スープパンまだあるか?」
「あと二つ!」
エマは袋詰めをしながら走り回る。
オーブンの蒸気圧も見なければならないし、焼き上がりの確認もしないと。祖父一人では追いつかない。
今日もルークが来ている。お客様の邪魔にならないようにしているのか、店の隅に立ったまま周りを見渡している。
「……なにしてるの」
「別に……店を見てるだけだよ」
「なんか気になる。落ち着かない」
「ただ見てるだけなのに、それはひどいな」
「だったら手伝ってよ。忙しいんだから」
半分冗談で言った言葉だった。
けれどルークは一瞬目を瞬かせ、エマに尋ねる。「……何をすればいい」
「えっ?」
「手伝うよ。何をすればいい?」
エマはぽかんとした。
「いや、あんた貴族っぽいし、こういうの無理でしょ」
「見た目だけで決めつけるなよ」
「じゃあ、この袋持って!出来るよね」
試すようにパン袋を押しつける。
ルークはパンの入った袋をぎこちなく受け取った。次はどうするのかエマの指示を待つ。
「で、あのおじさんに渡して、お金もらって!」
「……分かった」
だが、その数秒後。
「お釣りが違うぞ兄ちゃん!」
「す、すまない」
店内がどっと笑いに包まれる。
エマは思わず吹き出した。
「なにそれ、初心者すぎる!」
「こんなのやったことないんだ!」
「威張ることじゃない!」
ルークは耳まで赤くなっていた。
その顔がおかしくて、エマは笑いが止まらなくなる。
けれど不思議だ。
本当に世間知らずだ。この子は。
袋詰めもぎこちない。
釣り銭の計算も遅い。
パン棚の位置も覚えられない。
なのに、途中で投げ出さない。
失敗しても、真面目な顔でまたやる。
その様子を見ているうちに、エマの中の警戒心は少しずつ薄れていった。
「ルーク、そっちのパン取って!」
「これか?」
「違う、その隣!」
「似てるだろ!」
「良く見て、全然違う!」
いつの間にか、そんなやり取りが自然になっていく。
店が落ち着いた頃には、外はもう暗くなっていた。蒸気灯の明かりが窓をぼんやり照らしている。
エマはぐったり椅子に座り込み、大きく息を吐く。
「疲れた……」
ルークも珍しく深く息を吐いている。
「毎日こんなに混むのか?」
「今日は久々だよ。嬉しいな。こんな日が続くといいのに……」
「信じられないな……」
その声には、本気の驚きが混じっていた。
ルークにとって、店というものはもっと整然とした場所だった。
白い制服の従業員が並び、決められた通りに働き、機械みたいに正確で、無駄がない。
けれど《歯車亭》は違う。
蒸気が漏れる音と、客の笑い声。
焦げそうになるパン。
慌てて走り回るエマ。
全部が騒がしく、まとまりがなくて——なのに、妙に温かかった。
祖父が焼きたての黒麦パンを机へ置く。
「ほれ。働いたなら食え」
「……僕も?」
「嫌なら食うな」
ルークは少し戸惑いながらパンを手に取った。
まだ熱い。
割ると、湯気と一緒に香ばしい香りが広がった。
香ばしい香りに包まれると、ルークは自分が空腹だったことに気づく。
一口食べると、外は固いのに中は驚くほど柔らかかった。
美味しい!ルークは思わず無言になる。
エマはそんな彼を見て、にやりと笑った。
「おいしいでしょ」
「……悔しいけど」
「悔しい?」
「今まで食べてたパンと全然違う」
祖父が静かに言う。
「パンはな。誰が作るかで味が変わる」
ルークは顔を上げた。
その言葉は、妙に胸に残った。
「誰が作るか」
ロイヤル・ギアでは、そんな話を聞いたことがない。品質。効率。利益。語られるのはいつも数字ばかり。
けれどこの店では違う。
エマは機械を直す時も、パンを焼く時も、誰かの顔を思い浮かべている。
それが味になるのだとしたら——。
「……明日も来る」
気づけばそう言っていた。
エマは目をぱちぱちさせる。
「え、なんで」
「手伝いが必要なんだろ」
「いや、戦力になるかは微妙だけど」
「なる。今日で覚えた」
「ならない。そんなすぐには覚えられないよ」
「なるさ!」
二人の子供みたいな言い合いを見て、祖父が低く笑った。
エマは呆れた顔をしながらも、少しだけ嬉しくなる。
いつも祖父と二人しかいない工房とお店に、誰かが入ってくるのは、不思議な感じ。
窓の外では、夜の蒸気列車が遠くを走っていく音が聞こえる。
その音を聞きながらルークはこれからここに来れることを嬉しく思った。
パンを食べたいからだけじゃない。
この場所にいると、自分が少し違う人間になれる気がしたから。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
少しでも楽しんでいただけたなら、書いてて良かったです。
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