第5章 9話 古い写真(後編)
蒸気機関が発達した街、グラン・ロア
下層区のパン屋で暮らす機械いじり好きの少女エマは、じいちゃんと穏やかな毎日を送っていました。
ある日、《歯車亭》の釜が壊れてしまい、パン屋が開けられなくなりました。途方に暮れるエマにルークが出した提案は、お屋敷のメイド!?
メイド修行のなかでできた新しい友達、そして海外から戻ってきたルークそっくりの従兄弟になぜか迫られて、エマはどうなってしまうのか!?
恋愛、モノづくり、そして蒸気あふれる下町の空気感を楽しんでいただけたら嬉しいです。
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※本作は小説家になろう、カクヨムで同時掲載しています。
書庫に、静かな沈黙が流れた。アルバートはゆっくりと歩み寄り、エマの手にある古い写真へ視線を落とす。
色褪せた一枚の写真。若き日の自分と、一人の青年が肩を組み、屈託なく笑っている。その笑顔は、今では想像もできないほど眩しかった。
「父さん、この人は……」
ルークが戸惑ったように口を開く。
アルバートは写真をそっと受け取ると、懐かしむように指先で縁をなぞった。
「ガレッジ・クラフト」
その名を聞いたエマは、小さく息をのむ。
「おじいちゃん……」
ルークも目を見開く。
「ガレッジさん……?」
何度も《歯車亭》へ通い、言葉を交わしてきた老人。無口で頑固だが、孫を誰よりも大切にしている職人。その人と、自分の父が一緒に写真に写っている。
「父さん……どういうことですか?」
アルバートは写真をしばらく見つめ、やがて小さく息をついた。
「彼は私の、昔の友人だ」
「友人……」
予想もしない言葉に、ルークは思わず聞き返した。
「確かに、以前ガレッジさんが父さんと『昔、一緒に仕事をした。ただ、それだけじゃ』と言っていたけど……」
アルバートは静かに微笑む。
「お前が生まれる、ずっと前の話だ」
エマも黙って耳を傾けていた。じいちゃんは自分に昔話をほとんどしない。若い頃に何をしていたのかも、詳しく聞いたことはなかった。だからこそ、この写真が信じられない。
「じいちゃんが……ロイヤル・ギアと?」
アルバートはゆっくりとうなずく。
「そうだ」
エマとルークは顔を見合わせる。二人とも、まったく知らなかった事実だった。
アルバートは書庫の椅子へ腰を下ろして写真を見つめたまま、小さく笑う。
「若かったな」
その笑みは、社長として見せるものではない。一人の青年へ戻ったような、柔らかな笑顔だった。
「この頃の私は、会社を大きくすることしか考えていなかった。そして彼は誰よりも、ものづくりを愛していた」
そう言って写真の中のガレッジを見つめる。
(じいちゃんらしいな)
その言葉に、エマは思わず微笑む。新しい機械を見るたびに目を輝かせるじいちゃんの姿が頭に浮かぶ。きっと若い頃も変わらなかったのだろう。
「父さん、どうして今まで話してくれなかったの?」
ルークが静かに尋ねると、アルバートは少しだけ視線を落とした。
「……話せなかった」
「父さん……」
「私には、その資格がないと思っていた」
「何があったの?」
アルバートは首を横に振る。
「今ここで話すには、長すぎる話だ」
書庫の窓から差し込む夕日が、三人を赤く照らしていた。
「ただ一つだけ言えるのは、ガレッジはあのときの私にとって、かけがえのない存在だった」
そう言って写真を胸の前で握りしめ、少しだけ目を細める。その声には、長い年月を越えても消えない後悔が滲んでいた。
「……父さん」
ルークは初めて見る父の表情に戸惑っていた。仕事では決して弱音を見せない父が、こんなにも寂しそうな顔をしている。
「ガレッジさんは、そのことを知っているの?」
アルバートは静かにうなずく。
ギルドの組合で再会した日のことは、胸の奥へしまったまま。あの日、言葉を交わしたことも、互いに多くを語れなかったことも……。
エマもルークもただ、二人の間に何か深い過去があることだけは伝わってきた。
◇
その頃《歯車亭》では、ガレッジが一人、作業台に向かって古びた歯車を磨いていた。
夕日が窓から差し込み、工房を茜色に染める。ガレッジはふと手を止め、棚の奥へ目を向けた。そこには、一つの古い木箱が置かれている。長い間、一度も開けていない箱。
「……アルバート」
誰にも聞こえないほど小さく、その名を口にして静かに目を閉じた。
互いに離れた場所で、二人が同じ過去を思い返していることを、まだ誰も知らない。
長年止まったままだった二人の時間は、静かに、再び動き始めようとしていた。
「蒸気街のパン屋と御曹司」第5章が始まりました!
今回が最終章、この物語は終わりとなりますが、最後までよろしくお願いします。
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