第5章 7話 優しい失恋(後編)
蒸気機関が発達した街、グラン・ロア
下層区のパン屋で暮らす機械いじり好きの少女エマは、じいちゃんと穏やかな毎日を送っていました。
ある日、《歯車亭》の釜が壊れてしまい、パン屋が開けられなくなりました。途方に暮れるエマにルークが出した提案は、お屋敷のメイド!?
メイド修行のなかでできた新しい友達、そして海外から戻ってきたルークそっくりの従兄弟になぜか迫られて、エマはどうなってしまうのか!?
恋愛、モノづくり、そして蒸気あふれる下町の空気感を楽しんでいただけたら嬉しいです。
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※本作は小説家になろう、カクヨムで同時掲載しています。
アリシアが応接室に案内されると、ロイヤル・ギア社社長、アルバート・アシュフォードが椅子から立ち上がり、アリシアを出迎える。
「この度はご足労いただき、ありがとうございます。アリシア嬢」
「こちらこそ、お時間をいただきありがとうございます。アルバート社長」
アリシアは一礼し、父レイウッドから預かった書類を差し出す。
「こちらが先日依頼した、政府からの追加資料です。どうぞご確認ください」
「確かに受け取りました」
アルバートは書類に目を通しながら穏やかに微笑む。
「この条件なら、こちらとしても助かります。レイウッド閣下にも、よろしくお伝えください」
「承知いたしました」
その後、細かい事項のすり合わせを行い、一時間ほどで会談は終わった。
アリシアは帰路につくため、執事に玄関まで案内される。その途中、窓越しに中庭のテラスから楽しそうな笑い声が聞こえてくる。
「ほら、ミアちゃん。もっと笑わないと」
「もう! レオン様って、本当に調子がいいんだから!」
「あはは!」
足を止めて窓越しに視線を向けると、先程の青年がエマとミアを相手に楽しそうに話している。
アリシアは執事に、あの青年は何方かと伺うと
「あのお方は先日、海外からお戻りになられたレオン・アシュフォード様、ルーク様の従兄弟でございます」
(あの方が、レオン・アシュフォード様)
見た感じは人当たりが良く、場の空気を明るくするのが上手い。周りの人たちも自然と笑顔になっている。誰が見ても感じの良い青年だった。
――それなのに。
(何でしょう、この違和感は……)
アリシアは静かに彼らを見つめる。
レオンも、エマも、ミアと言う娘も笑っていて、とてもいい雰囲気に見える。その光景だけ見れば、何一つおかしいところはない。
それでも胸の奥が、小さくざわついた。まるで何か大切なものを見落としているような感覚。
「アリシア様、いかがなされましたかな」
執事に声を掛けられ、アリシアは我に返る。
「いえ、なんでもありません」
アリシアは軽く頭を下げ、再び歩き出した。だが、庭園の光景がなぜか気になり、頭から離れなかった。
◇
屋敷を出たアリシアは、迎えの蒸気自動車へ乗り込む。窓の外を見ると、ロイヤル・ギア家の庭園がゆっくりと遠ざかっていく。
(ルーク様……)
物思いにふけると数か月前、婚約者として初めてルークと会った日のことを思い出す。真面目で、不器用で、誰よりも誠実な青年。
だからこそ、すぐに気づいた。ルークの視線は私ではなく、別の少女へ向いていることに。
機械をいじること、パンを焼くことが大好きで、誰かの笑顔のために夢中になれる少女。
エマ・クラフト。
ルークが私ではなくエマさんを選んだあの日、胸が少しだけ痛んだ。あとになって気づいたけど、これが生まれて初めての失恋だった。
けれど、不思議と恨む気持ちはなかった。ルークが幸せそうにエマを見つめる姿を見てしまったから。
(だから私は、自ら身を引いたのです)
あの決断に後悔はない。今では二人を心から応援したいと思っている。
だからこそ。
(先ほどの違和感は、何だったのでしょう……)
レオンがエマへ向ける笑顔、それを見ていたルークが見せた複雑な表情。考えれば考えるほど、小さな棘のように心へ引っ掛かった。
◇
テラスでのお茶会も終わり、ミアはようやく元気を取り戻したようだ。すっかり笑顔になり、横で鼻歌を歌っている。レオンと別れてから二人で使用人棟へ戻る。
「エマ、今日はありがとう。なんかスッキリしたよ」
「ミアが元気になって良かったよ」
仕事を終えて、屋敷の前で手を振って別れる。
ミアを見送りながら、エマは小さく息をつき、一人つぶやく。
「ミア、元気になってよかった……」
「そうだね」
気がつくと、いつの間にかレオンが隣に立っていた。
「! いつからいたんですか!」
「たった今だよ。ミアちゃんにも声をかけようと思ったけど、間に合わなかった。まあ、ミアちゃんが元気になったのは君のおかげだね」
面と向かって、そんなことを言われると照れる。エマは両手を振って否定する。
「別に……そんなことないですよ」
「あるよ」
レオンはエマを見据えて、少しだけ真面目な表情になる。
「君は、人の痛みに寄り添える子だから」
その言葉に、エマは照れくさそうに笑った。
「ありがとうございます」
レオンはそんなエマを見て、小さく微笑んだ。
「じゃあ、また明日ね。エマちゃん」
「はい。失礼します」
エマが帰路に着くのを見届け、夕日が庭園を赤く染める頃、レオンは誰もいない東屋へ足を向けた。
「さてと、もう少しかな」
周りに誰もいないことを確かめると、レオンは空を見上げて小さく笑った。その笑顔からは、いつもの軽さは消えていた。
「ルーク。君は昔から真面目で、不器用すぎる」
静かにつぶやく声が夕暮れに溶ける。そしてゆっくりと目を閉じる。
「だから、僕が従兄弟として手伝ってあげるよ」
「蒸気街のパン屋と御曹司」第5章が始まりました!
今回が最終章、この物語は終わりとなりますが、最後までよろしくお願いします。
ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます。
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