第5章 5話 玉の輿
蒸気機関が発達した街、グラン・ロア
下層区のパン屋で暮らす機械いじり好きの少女エマは、じいちゃんと穏やかな毎日を送っていました。
ある日、《歯車亭》の釜が壊れてしまい、パン屋が開けられなくなりました。途方に暮れるエマにルークが出した提案は、お屋敷のメイド!?
メイド修行のなかでできた新しい友達、そして海外から戻ってきたルークそっくりの従兄弟になぜか迫られて、エマはどうなってしまうのか!?
恋愛、モノづくり、そして蒸気あふれる下町の空気感を楽しんでいただけたら嬉しいです。
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「エマちゃん、おはよう!」
着替えが終わって、さあ仕事に入ろうとした途端、朝一番に明るい声で呼ばれる。
振り向くと、予想通りレオンが片手を上げて歩いてきた。
「お、おはようございます」
「そんなに緊張しなくていいよ」
レオンは笑いながら、エマの前まで来て立ち止まる。
「もう屋敷には慣れた?」
「少しは慣れました。皆んないい人たちで、いろいろと教えてくれます」
「うん、それならよかった」
そう言って自然に笑う姿は、誰に対しても変わらない。だからこそ、屋敷中の使用人から慕われているのだろう。
「今日は休憩時間に、おいしい焼き菓子を食べに行かない? お友達も一緒に」
「焼き菓子、ですか?」
「街でいいお店を見つけたんだ」
「えっと……」
エマが答えるより先に、
「レオン様、お時間です。」
マーサが声を掛ける。どうやら出かけるらしく、馬車が用意してある。
「おっと、じゃ、またあとで」
軽く手を振り、レオンは去っていった。
◇
「ねぇねぇ!」
その様子を見ていたミアが、エマの腕を掴む。
「レオン様にまた話しかけられてたね! なんの話?」
「えっと……焼き菓子を食べに行かないかって。あ、いや、ちゃんとお友達もって誘われたよ」
別に悪いことしていないのに、なぜか言い訳じみてしまう。
「へえ〜 それってエマを誘う口実じゃないの」
近くにいたメイドたちが頷き、含み笑いをしている。エマの反応を楽しんでいるようだ。
「昨日はお庭で、今日は焼き菓子のお誘い。これって完全に気があるんじゃないの?」
「ないない! 気のせい!」
エマは慌てて首を横に振る。私にはルークがいる。と、言いそうになるが慌てて口をつぐむ。
「またまた!」
「レオン様、女性には優しいけど、こんなに話しかけるのは珍しいよ?」
「もしかして……」
一人がにやりと笑う。
「玉の輿?」
その一言で、周囲が一斉に盛り上がる。
「きゃー!」
「エマがお屋敷の奥様!?」
「パン屋さんが大逆転!」
「意外と似合うかも!」
「ち、違うってば!」
エマは顔を真っ赤にしながら否定するが、しかし誰も信じてくれない。ミアまで笑いながら肩を叩く。
「よかったじゃない!」
「よくないよ!」
食堂は笑い声に包まれて、マーサに怒られるまで、収まらなかった。
◇
その日の午後、ルークは応接室で書類に目を通していた。
「失礼します」
紅茶を運んできたエマが静かにカップを置く。
「ありがとう」
二人きりの時間、ほんの少しだけ空気が柔らかくなる。
「仕事には慣れた?」
「うん。マーサさんがすごく丁寧に教えてくれるから」
エマは笑顔で答える。本当に楽しそうだ。
「それはよかった。」
二人の目が合い、自然と笑い合う。
だけど、その穏やかな時間を終わらせるように、扉がノックされる。
「どうぞ」と、声をかけるとすぐにレオンが入ってくる。
「おや、邪魔したかな?」
口ではそう言いながら、まったく悪びれた様子はなく、エマの方を見てから、ルークに話しかける。
「ちょっとエマちゃんを借りたいと思ってたんだ。いいかな?」
朝、言われた焼き菓子の件だ。分かっていてもルークの前だし一応、要件を確認する。
「何か御用でしょうか?」
「街への買い出しを手伝ってくれないかな。もちろんお礼に、朝言った焼き菓子をごちそうするよ」
エマの方を見て、にっと笑う。
「どう?」
いきなり言われても……しかもルークの前で。エマはルークを見る。ルークはどう思うかな……。
「いいんじゃないかな。今の仕事が終わってからなら」
ルークは静かに答える。怒っている様子はない。けど、どう思ってるのか表情は読み取れない。
「じゃあ決まりだ。お昼過ぎに正門の前で待ってるよ」
レオンは満面の笑みを浮かべたあとに、あっさりと去っていく。
嵐が去り、静かになった部屋で、ルークは小さく息を吐いた。
「ルーク……あの……嫌なら私、行かないよ」
「いや、いいんだ。僕の従兄弟だし。気にしないで行っておいで」
ルークはそう言ったものの、胸の奥が少しだけ落ち着かなかった。
◇
二人が街から戻るころには、日はすでに暮れていた。エマは紙袋を抱えながら今日楽しかったことを思い出すと、自然と笑みがこぼれる。
「あそこのクッキー、おいしかったです。今度は別の物も食べてみたいな」
「そうだね。今度はパンも食べたいな。僕には少し量が少なかったからね」
ルークが書類整理を終えて部屋から出ると、二人が帰ってくるのが見える。傍から見て楽しそうに話す二人の姿は、仲の良い友人そのものだった。
どうしても気になり、ルークが玄関まで迎えに行くと、ちょうど二人と鉢合わせる。
「ルーク様。ただいま戻りました」
よそよそしく聞こえてしまうが、今は仕事の時間だ。周りに不審がられないように、ここはきちんとした言葉遣いで話す。
「おかえり」
ルークの返事にエマはほっと胸をなで下ろす。よかった、気にしてない……かな? エマは紙袋から小さな焼き菓子を取り出して、ルークに手渡す。
「これ、お土産。街で買ったの」
「僕に? ありがとう。いただくよ」
ルークは受け取りながら微笑む。エマのこんな優しさが嬉しい。
「僕が選んだからね。ルークの好みを教えてあげたんだ」
レオンが横から口を挟んできた。何故わざわざ言うのか……。真意を測りかねるが、敢えて何も言わない。けれど視線はほんの少しだけレオンへ向ける。
レオンはルークの視線に気付きながらも、いつもの調子で笑った。
「ルークも今度一緒に行かないか?」
「時間があればね」
「分かった。相変わらず真面目だね」
レオンが肩をすくめてみせる。その軽い調子に、ルークも苦笑するしかなかった。
◇
夜になり、自室へ戻ったルークは、窓辺に立って夜空を見上げていた。
胸がざわつく。
自分でも理由は分かっている。エマを信じていないわけではない。レオンを疑っているわけでもない。それでも……。
胸の奥に生まれた小さなもやもやが消せない。恋人が楽しそうに誰かと笑っている。ただそれだけで落ち着かなくなる。
「嫉妬、か」
思わず苦笑が漏れた。
恋人になれたことで安心していたけど、本当に大切だからこそ、不安になることもある。
◇
その頃、別棟の客室では、レオンが一人ソファに腰掛けていた。
「順調、順調」
誰に聞かせるでもなく、小さくつぶやく。そして窓の外を見つめ、穏やかに笑った。
「……もう少しだけだからね」
「蒸気街のパン屋と御曹司」第5章が始まりました!
今回が最終章、この物語は終わりとなりますが、最後までよろしくお願いします。
ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます。
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