第5章 2話 初めてのメイド研修
蒸気機関が発達した街、グラン・ロア
下層区のパン屋で暮らす機械いじり好きの少女エマは、じいちゃんと穏やかな毎日を送っていました。
ある日、《歯車亭》の釜が壊れてしまい、パン屋が開けられなくなりました。途方に暮れるエマにルークが出した提案は、お屋敷のメイド!?
メイド修行のなかでできた新しい友達、そして海外から戻ってきたルークそっくりの従兄弟になぜか迫られて、エマはどうなってしまうのか!?
恋愛、モノづくり、そして蒸気あふれる下町の空気感を楽しんでいただけたら嬉しいです。
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※本作は小説家になろう、カクヨムで同時掲載しています。
「エマさん、本日からあなたには、メイドとしての基本を学んでもらいます」
朝日が差し込む使用人棟の一室で、メイド長マーサは背筋を伸ばしたまま静かに告げた。
部屋には十人ほどのメイドが整列している。年齢も雰囲気もさまざまだが、皆一様に真新しいエマの制服へと視線を向けていた。
「皆さん、こちらが本日からしばらく私たちと働くエマさんです。まだ不慣れなことも多いでしょう。互いに助け合いながら仕事をしてください」
「エマです。よろしくお願いします」
エマが深く頭を下げると、
「よろしくね」
「困ったことがあったら聞いて」
と、あちこちから優しい声が返ってきた。
「では、各自それぞれの持ち場で仕事を始めてください。エマさん、あなたは初日なので、私に付いてきてください」
マーサさんの言葉で皆一斉に持ち場に向かってゆく。
マーサの白髪をきっちりとまとめ、皺ひとつない制服を身にまとったその姿は、まさに『一流のメイド』という言葉が似合う。
エマは気圧されて、思わず背筋を伸ばす。
「よ、よろしくお願いします!」
「返事は元気があって結構です。ただし、屋敷では慌てないこと。走らないこと。大きな声を出さないこと。まずはそれが出来るように意識してください」
「は、はい!」
マーサの口調は厳しいけど、不思議と冷たさは感じなかった。エマのことを思い、言っているのが分かる口調だ。
「では最初は廊下の掃除から始めましょうか」
エマは柔らかいモップを渡されて、廊下一面を拭くように言われる。
「はいっ!」
初めての仕事に気分が高まり、つい声が大きくなってしまう。マーサさんは怒ってないから大丈夫かな。
エマは周りを見渡しながら、屋敷の物を壊さないように慎重に長い廊下を慎重に拭いていく。
窓ガラスだけでも何十枚あるのだろう。延々と続くような光景に、そんな考えが頭をよぎる。
ようやく廊下が終わったと思えば、次は階段、その次は応接間……。
さすがに疲れてきた。エマの額から汗が流れ落ちる。途方に暮れて思わずつぶやく。
「屋敷ってこんなに広いんだ……」
「もうすぐ終わりですよ。あと一息です」
疲れたエマを見かねたのか、後ろからマーサの落ち着いた声が返ってくる。
「はい、頑張ります!」
マーサの声に反射的に振り返った瞬間、エマは掃除用のバケツに足を引っ掛けてしまい、そのまま前へ転びそうになる。
「きゃっ!」
慌てて体勢を立て直し、何とか転倒は免れた。けど、慌ててしまった……。エマは恐る恐るマーサを見上げる。
マーサを見ると怒ってはいないようだ。事故を免れたのを安心したのか、小さく息をつく。
「エマさん、危ないですよ」
「す、すみません!」
「怪我はありませんか?」
マーサは口元を少し緩めた。
「はい、ありがとうございます!」
エマの笑顔にマーサもつられて、ほんの少し微笑んだ。
◇
昼休み。
使用人たちが使う食堂には、若いメイドたちの楽しそうな声が響いていた。まだ見知った人はいない。取り合えず端の方の空いてる席に座ると、
「エマさんだよね、初日のお仕事はどう?」
突然、メイドの少女が隣へ元気よく座ってきて、エマに向かってにこりと笑う。
くりっとした大きな瞳に栗色の髪をきっちり結い上げた少女。年齢はエマと同じくらい。
「私はミア! よろしくね」
ミアという子の明るい挨拶に、緊張もほぐれて、こちらも明るく返す。
「私はエマ。よろしくね」
お互い自然に握手を交わすと、ミアは嬉しそうに笑って聞いてきた。
「今日は何から始めたの? 最初は大変だったでしょ?」
「今日は廊下の拭き掃除から教わったよ。しかしこのお屋敷って広いよねぇ」
「うんうん、分かる分かる!」
二人は顔を見合わせて笑う。
その様子を見ていた周囲のメイドたちも自然と会話へ加わり、昼食は賑やかな時間になった。
「エマちゃんって、どこから来てるの?」
「私は……下の方の《歯車亭》っていうパン屋をから来ました。釜が壊れてしまって、その間ここにお世話になります」
この人たちは下層区のこと、どう思ってるのかな? エマは不安に思いながら、彼女たちの反応を待つ。
「うそ! 《歯車亭》なの! 私、知ってる!」
「私、一度食べたことあるよ」
「《蒸気リンゴパイ》が売ってるところ? 私あれ大好き!」
みんなの予想以上の好意的な反応に、エマは目を丸くした。
「うちの店、知ってるの?」
驚いているエマに、メイドたちは一斉に答える。
「もちろん!」
エマの顔が驚きから喜びに変わる。上層区にも《歯車亭》を知っている人がいて、好意にしてくれる。それだけで嬉しかった。
◇
午後になると、マーサからメイドとしての作法を教わる。
まずは紅茶の入れ方から、ティーカップの持ち方。
お辞儀の角度から歩幅まで細かく教わる。
「お客様より一歩下がる」
「はい」
「食器の音を立てない」
「はい」
「カップは右側から添えること」
「はい」
作法を一通り教わると、日が暮れ始め夕方になろうとしていた。
「初めてのことばかりで凄い濃い時間だった、疲れたぁ……」
仕事が終わり、エマが使用人棟の廊下で大きく伸びをすると後ろから
「お疲れさま」
と、聞き慣れた優しい声がした。
「ルーク!」
声の方へ振り返ると、仕事を終えたルークがこちらへ歩いてくる。
「エマ、初日はどう? 疲れてないかな」
「大丈夫! マーサさんが優しく教えてくれたから」
エマが笑うと、ルークも一緒に優しく笑う。
「マーサから、エマは頑張っていたと褒めていたよ」
「え? 本当?」
「うん『真面目で飲み込みが早い子です』ってね」
その言葉だけで疲れが吹き飛んだ。思わず安堵の息をつく。
「よかったぁ……。なんか安心したよ」
「エマ、無理はしないでね」
ルークはそう言って、エマの頭をぽん、と軽く撫でる。
「……!」
エマの時間が一瞬、止まった。頬が真っ赤になる。
ここは屋敷の中だ。しかも使用人棟の前。
「ル、ルーク! み、見られるよ!」
ルークが慌てて周囲を見回すと、少し離れた廊下の角から、何人かの若いメイドたちがこちらを見ていた。
「きゃー! 今の見た!?」
「ルーク様が! エマさんの頭をぽんって!」
メイドたちの小さな悲鳴が響く。
二人は顔を見合わせる。どうしようか、言葉が出てこない。
「ご、ごめん」
「う、ううん!」
恥ずかしさのあまり、二人ともしどろもどろになってしまう。恋人と意識する時間は短く、こうして自然に触れ合うだけで、お互い照れてしまう。
そんな二人を、少し離れた場所からミアが不思議そうな顔で見つめていた。
「あの二人、お知り合いなのかな……」
「蒸気街のパン屋と御曹司」第5章が始まりました!
今回が最終章、この物語は終わりとなりますが、最後までよろしくお願いします。
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