第5章 1話 壊れた釜と新しい職場
蒸気機関が発達した街、グラン・ロア
下層区のパン屋で暮らす機械いじり好きの少女エマは、じいちゃんと穏やかな毎日を送っていました。
ある日、《歯車亭》の釜が壊れてしまい、パン屋が開けられなくなりました。途方に暮れるエマにルークが出した提案は、お屋敷のメイド!?
メイド修行のなかでできた新しい友達、そして海外から戻ってきたルークそっくりの従兄弟になぜか迫られて、エマはどうなってしまうのか!?
恋愛、モノづくり、そして蒸気あふれる下町の空気感を楽しんでいただけたら嬉しいです。
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※本作は小説家になろう、カクヨムで同時掲載しています。
蒸気の白い煙が、朝のグラン・ロアの空へゆっくりと昇っていく。
工房の煙突からは煙が立ち上り、地上では石畳に沿って蒸気自動車が走っている。その端で小型のオートマタがお店に荷物を運んでいる。
歯車と蒸気が人々の暮らしを支えるこの街は、今日もいつもと変わらない朝を迎えていた。
そんな賑やかな街の片隅に、小さなパン屋《歯車亭》がある。
焼きたてのパンと、ほんのり甘い蒸気リンゴパイで親しまれるその店は、機械いじりが大好きな少女エマと、祖父ガレッジが切り盛りしていた。
この街では少し前に大きな騒動があったものの、今では人々が日常を取り戻し、再び笑顔が戻り始めている。
夜が明け、東の空から朝焼けの光が顔を出し始める頃、《歯車亭》ではエマたちが、朝の開店準備を始めていた。
店内には朝一番にできる焼きたてパンの香りが店いっぱいに広がる――はずだった。
「……あれ?」
いつものように釜へ薪を入れ、蒸気圧を確認したエマは首をかしげる。圧力計の針が、ぴくりとも動かなかったから。
「じいちゃん、釜が動かないよ!」
エマが作業場の奥にいるじいちゃんを呼ぶと、工具を磨いていたガレッジが顔を上げる。
「釜が動かないじゃと?」
「蒸気が立たないの。壊れちゃったかな」
「どれどれ」
ガレッジは釜の前へしゃがみ込み、配管や安全弁を順番に調べ始めた。長年使い込まれた鋼鉄の釜は、ところどころ煤で黒く染まっている。
ガレッジは一通り釜を確認すると、静かにため息をつき、顔を上げてエマを見る。
「これはすぐには治らんの。熱交換器や各部に大きな亀裂が入ってるから、応急修理じゃ持たねぇ」
「そんな……」
釜が動かなければ、パンは焼けない。
「じいちゃん、すぐに直せる?」
「すぐには無理じゃな、修理には最低でも二、三週間はかかる」
「えーっ、その間はどうするの? 店開けられないよ」
「とは言っても……どうにもならんのう」
「そんなぁ……みんないつもうちのパンを楽しみにしてくれてるのに」
私が生まれた頃からあった釜が動かない。考えもしなかった事実にエマは気落ちして、ゆっくりとうつむく。
そんなエマの頭をガレッジはぽんと叩いた。
「機械はいつか壊れる。だが直しゃいい。」
「……うん」
じいちゃんの優しい言葉が胸に染みるけど、それでも寂しさは消えなかった。
◇
その日の昼過ぎ。店先の鐘がからん、と鳴る。
「こんにちは。」
いつもの聞き慣れた優しい声。エマが振り返ると、ルークが入ってくる。
「ルーク! いらっしゃい!」
ルークとは様々な事件を乗り越え、婚約問題も解決して一応、恋人同士だ。けれど、お互いに忙しく、こうして会える時間は多くない。
「今日は仕事、休みなの?」
「いや、途中だけどなんか顔を見たくなって。」
頭をかいて少し照れくさそうに笑うルークに、エマの頬も自然と熱くなる。
付き合い始めて、様々な事件があったが、こういう瞬間にはいまだに慣れない。
朝から釜が壊れて散々だったけど、ルークが来てくれて、胸が少し軽くなった。
ルークが店内を見回すと、いつもの棚にパンが一つも置いてないことに気づく。
「あれ、今日はパンの匂いがしないね。何かあったの?」
「実は……」
エマは朝から起こった出来事を説明した。朝、釜を作動させようとしたら、釜が動かないこと。
修理まで二、三週間かかり、それまでお店が営業できないこと。
話し終えるころには、少しだけエマの気持ちも晴れてきた。
「でも……釜が直るまで、収入がないのは困るんだよなぁ……どうしよう」
エマたちお店をやっているものとして、収入がないのは大問題だ。ルークは腕を組み、少し考え込む。そういえば、屋敷で新しい家事手伝いを募集してたな。
「だったら、その間だけ僕の屋敷で働かない?」
「それって、メイドとして?」
もしかしたらエマは嫌がるかな? ルークは言葉を選んで、穏やかに続けた。
「うん。ちょうど人手が足りなくて困っていたんだ。期間限定で手伝ってくれたら助かる。けど……嫌かな?」
「ううん、でも私、メイドなんてやったことないよ? 御屋敷の掃除とかできるかな」
「最初から完璧にできる人なんていないよ。屋敷のみんなも優しいし、きっと大丈夫だよ」
そう言って笑うルークは、どこかホッとしていた。
じいちゃんはなんて言うかな? エマが振り返って祖父を見ると、そのガレッジは腕を組みながら頷き
「悪くねぇ話だ」
あっさり了承された。
「釜が直るまで暇になるよりゃ、働いて経験積んでこい。」
「釜の修理を手伝わなくていいの?」
「こっちは構わん。それに、ルークのそばにいるいい機会じゃろ」
「じいちゃんってば! もう!」
図星だ。エマの顔が一気に熱くなる。ルークを見ると、耳まで赤くして視線をそらしていた。
二人の反応があまりに分かりやすく、ガレッジは豪快に笑った。
「はっはっは!」
今日始めて店に明るい笑い声が響く。そんなガレッジを見て、二人もつられて笑ってしまった。
「じゃあ……ルーク、よろしくお願いします」
「うん、明日待ってるよ」
ルークは嬉しそうに頷く。
二人きりで過ごす時間はまだ少ない。だからこそ、同じ屋敷で働けることが少しだけ嬉しかった。
◇
翌朝。
ロイヤル・ギア家の大きな屋敷を見上げ、エマは思わず息をのむ。
「久々に来たけど、やっぱり大きいな」
磨き上げられた白い石造りの豪邸の前に、広い庭園が広がっている。下層区ではまずお目にかかれない光景がエマの目の前に広がっている。
「よく来てくれたねエマ。」
迎えに来たルークが優しく尋ねる。
「ルーク、今日からよろしくお願いします」
今日からここで働くんだ。ルークを心配させないように丁寧な返事をするが、ルークには緊張してることを気づかれたようだ。
そんなエマを見て、ルークは安心させるように微笑んだ。
「大丈夫。ここには厳しい人もいるけど、ちゃんと見てくれる人ばかりだから」
ルークの言葉を聞いたら元気が出てきた。エマは小さく深呼吸して気合を入れる。
「よし!」
昨日まではメイドになるなんて、考えもしなかった。全く未知の世界だ。
これから始まる新しい仕事、人との出会い。そして、同じ場所にルークがいる。この一ヶ月は少しだけ特別な毎日になる。
その扉が、今ゆっくりと開こうとしていた。
「ようこそ」
玄関の扉が静かに開き、品のある初老の女性が一礼する。
「本日から教育係を務めます。メイド長のマーサです」
その厳しそうな眼差しの奥には、不思議と温かな光が宿っていた。
マーサと視線が重なる。エマは姿勢を正し、深く頭を下げる。
「エマ・クラフトです! よろしくお願いします!」
こうしてエマの新しい毎日が始まった。
「蒸気街のパン屋と御曹司」第5章が始まりました!
今回が最終章、この物語は終わりとなりますが、最後までよろしくお願いします。
ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます。
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