第4章 14話 グラン・ロアの夜明け
蒸気機関が発達した街、グラン・ロア
下層区のパン屋で暮らす機械いじり好きの少女エマは、じいちゃんと穏やかな毎日を送っていました。
しかしある日、「グラン・ロア再生計画」が動き出し、ルークの婚約者を名乗る少女が突然現れます。
揺れ動くエマとルークの想い。そして、街の未来を左右する「グラン・ロア再生計画」に隠された真実とは。
恋愛、モノづくり、そして蒸気あふれる下町の空気感を楽しんでいただけたら嬉しいです。
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※本作は小説家になろう、カクヨムで同時掲載しています。
ロイヤル・ギア本社ホールは記者、議員、実業家たちで埋め尽くされており、張りつめた空気に包まれていた。
壇上へ進み出たアルバートは一歩横に引き、隣に立つアリシアへ中央に進むように手で仕草をする。そしてアリシアに視線を向けて、
「後は君たちの仕事だ」
その声には若者にすべてを託す覚悟が込められていた。アリシアは小さく頷き、一歩前へ出る。
見渡す限りほぼ満席の会場に思わず息を飲むが、自分に課せられた責務を思うと、自然と緊張も解けて来る。アリシアは指先で資料を開き、ゆっくりと、しかしはっきりと話し始める。
「皆様。本日お集まりいただいたのは、『グラン・ロア再生計画』の真実を知っていただくためです」
ざわめきが収まり、会場が静まり返る。続いて一枚目の資料が大型スクリーンへ映し出される。
『下層区住民 強制移住計画』
続いて、
『移民街 解体計画』
さらに、
『富裕層専用居住区 建設計画』
衝撃的な題名に会場は騒然となった。
「こんな議題が承認されたのか……?」
「あまりにも住民を無視した内容じゃないか」
記者たちの疑問の声が飛び交うその時、話を聞いていたレイウッドがゆっくりと立ち上がる。
「騒ぐほどのことではない」
レイウッドの一言で、会場は再び静まり返る。
「私は今でも、この計画が正しいと考えている。グラン・ロアを世界有数の大都市に発展させるためには、犠牲も必要だ」
その迷いのない声に、アリシアは唇を噛み締める。(私の声はお父様に届かないの……)アリシアの瞳に涙が滲む。
「お父様! お母様は、そんな未来を望んでいません!」
しかしレイウッドは首を横に振る。
「お前は理想しか見ていないから、後先を考えずこのようなことをする! この計画にどれだけ人と時間を費やしたか分かっているのか!」
「私は現実を見ています!」
親子の言葉は、交わることはない……。その事実にアリシアの瞳から涙が落ちる。
その時。ホール後方の扉が静かに開く。アリシアが目を向けると、仕事着のままの人々が一人、また一人と姿を現した。
時計職人。探偵。煙突掃除人。移民の家族。
皆、職業も年齢もばらばらで、誰も着飾ってはいない。だが、その表情には誇りがあった。
レイウッドは彼らを冷たく見渡す。
「感情論で国は動かん。だから何だというのだ」
その言葉を遮るように、一人の少女が前へ出て来た。
エマが両手に焼きたての蒸気リンゴパイが載った皿を持って、ゆっくりと進み皿をレイウッドに差し出した。黄金色の生地の隙間から、甘い湯気がふわりと立ち上る。バターと煮詰めたリンゴの香りが、張り詰めた会場を静かに満たした。
レイウッドの眉が、わずかに動く。
(……この香りは)
胸の奥が、理由もなくざわついた。この香りはどこかで嗅いだことが……いや、食べたことがある。だが、思い出せない。遠い昔、霧の向こうへ置き忘れてきた記憶のように、掴もうとすると指の間から零れ落ちていく。
「おじさん?」
エマの声に我へ返ったレイウッドは小さく首を振り、再び険しい表情を取り戻した。
「……くだらん。」
そう言い放ったものの、その甘い香りだけは鼻先から離れなかった。
そんなレイウッドにエマは優しく笑った。
「これ、焼きたて。」
レイウッドは呆気にとられ、黙ったままエマとパイを見つめる。
「このパイを焼く人、小麦を育てた人、窯を直した人、薪を運んだ人、リンゴを届けてくれた人、みんな下層区の人なんだ。」
エマはパイをそっと見つめる。
「一人でも欠けたら、このパイは焼けない。」
静かな声でも、その言葉は会場の誰よりもみんなの胸に響いた。
「街も同じじゃないかな。誰かをいなくして幸せな街なんて作れないよ。お金をかけても幸せな街は作れないと思う」
レイウッドは答えない。エマに反論する言葉が見つけられないように思案している。
その時、群衆の中から老人が歩み出た。
「昔、あんたの奥さんに助けてもらったよ。」
さらに一人、一人と次々に声が重なる。
「あの人はうちの娘の薬代を代わりに出してくれたんだ。」
「誰隔てなく、身分なんて関係ない人だった。」
「本当に優しい人だったよ。」
群衆の声を聞きながら、レイウッドは目を閉じた。脳裏に蘇るのは病院へ向かう途中でも、パン屋へ立ち寄っていた妻。車から降りて子どもたちへ笑いかけていた妻。
「アルバートさんやレイウッドさんみたいな人が、この街を守ってくれるといいわね。こんなに優しいんだから」
妻のあの日の笑顔。あの日の願い。
「……私は、妻がいなくなってから……そのことばかりに囚われて、妻が何をしてきたか見えなくなっていた……」
誰も何も言わずに、長い沈黙が続く。
その重苦しい沈黙を破ったのは、壇上の端に立っていたアルバートだった。
一歩、また一歩と演壇の中央へ歩み出るその姿に、会場中の視線が集まった。
「皆さん、『グラン・ロア再生計画』には、我がロイヤル・ギア社も深く関わっていました。資金提供を行い、計画の一端を担っていたことは事実です」
アルバートの言葉に記者たちが一斉にペンを走らせる。その様子に社員たちは息を呑んだ。会社の不利益になると分かっていてなお、会長自らが真実を認めたのだ。
アルバートはゆっくりと頭を下げる。
「私は利益を優先し、人を見ることを忘れていました」
ロイヤル・ギア社長として初めて見せる謝罪だった。
「『グラン・ロア再生計画』は過ちだった。ですが、今ならまだやり直せます」
アルバートの謝罪に誰も反論するものはなく、会場は水を打ったように静まり返る。
そしてアルバートはレイウッドを真っ直ぐ見据える。
レイウッドは何も言えなかった。
同じ計画に加担した男が、すべてを明かし、全てを失う覚悟で立っている。その姿は、かつて共に理想を語り合った頃のアルバートそのものだった。
レイウッドがゆっくりと周囲を見渡すと、そこには数字では語れない、この街を生きる人々がいた。妻が愛した街を生きる人々が。
「最も彼女から遠ざかっていたのは……私だったのか。」
レイウッドは覚悟を決めて、壇上へ歩み出た。
「『グラン・ロア再生計画』は中止する。住民追放計画はすべて破棄する。その責任はこの私が負う。」
レイウッドの言葉に誰も言葉を発せなかった。
その沈黙を破ったのは、会場からの小さな拍手だった。
一人、また一人。やがて会場全体が拍手に包まれる。
「お父様……」
アリシアは涙を流しながら父を見つめ、レイウッドもまた、静かに娘を見つめ返す。その瞳には、初めて父親としての温もりが宿っていた。
◇
そして新しい都市計画が始まる。
それは上層区と下層区が協力して進める再開発。
アリシアが中心となり、ルークが技術面を支え、セレナが監査役として不正を監視する。
そしてエマは今日も変わらずパンを焼いている。
ある日、レイウッドが一人で《歯車亭》を訪れる。いつだったか、妻とここに来たかも知れないが思い出せない。
レイウッドは蒸気リンゴパイを注文して、口へ運ぶ。パイのサクッという軽い音に続いて口の中に優しい甘さか広がってゆく。
その瞬間、レイウッドの目の前に妻との情景が広がる。
《歯車亭》で笑う妻が語りかける。
『このアップルパイ、とてもおいしいでしょう? 下層区で見つけたのよ。私、この味が大好きなの。』
妻亡き後、忘れていた記憶が一気に溢れ出す。
レイウッドは目を閉じ、小さく笑った。
「……そうだったな。君は、こういうものが好きだった。」
窓の外では、上層区の子供と下層区の子供が一緒に遊び、はしゃぐ声が響いていた。
子どもたちを見てレイウッドは静かに微笑む。
それは彼が長い間忘れていた、数字ではなく人々が生きるグラン・ロアの姿だった。
第4章 完
「蒸気街のパン屋と御曹司」第4章が始まりました! ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます。
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