第4章 13話 父を超える日
蒸気機関が発達した街、グラン・ロア
下層区のパン屋で暮らす機械いじり好きの少女エマは、じいちゃんと穏やかな毎日を送っていました。
しかしある日、「グラン・ロア再生計画」が動き出し、ルークの婚約者を名乗る少女が突然現れます。
揺れ動くエマとルークの想い。そして、街の未来を左右する「グラン・ロア再生計画」に隠された真実とは。
恋愛、モノづくり、そして蒸気あふれる下町の空気感を楽しんでいただけたら嬉しいです。
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※本作は小説家になろう、カクヨムで同時掲載しています。
社長室の大きな窓から、朝日に照らされたグラン・ロアの街が見渡せた。無数の煙突から白い蒸気が立ち上り、飛空艇がゆっくりと空を横切っていく。
その景色を背に、ロイヤル・ギア社長アルバート・アシュフォードは静かに立っていた。
「レイウッド公爵の娘を匿ったそうだな」
振り返ることなく落とされた低い声が、静まり返った部屋に響く。
ルークは父の背中をまっすぐ見つめた。幼い頃は大きく見えたその背中。技術者として、人として、尊敬し続けてきた背中だった。
「父上、私の婚約者の身を守ることに何か問題でもありますか」
ルークの静かな呼びかけに、アルバートはゆっくりと振り返る。
その瞳は幼い頃から憧れてきた技術者の瞳ではなく、ロイヤル・ギア社長としての冷たい瞳だった。
その瞳に見据えられたルークは決意を新たにして、胸に抱えていた資料を握り締めた。
「私たちは会社のため、いや、グラン・ロア発展のためにここまでやってきたのではないのですか」
ルークの静かな怒りが部屋の空気を張り詰めていく。短い沈黙のあと、アルバートは小さく息をついた。その表情に覇気はなく、冷たい瞳は精一杯の虚勢なのだと見えた。
「理想だけでは、会社は守れん」
アルバートの言葉に、ルークはゆっくりと首を振り、一歩、また一歩と父へ近づく。
「私が父上から教わったのは、そんな技術じゃない」
ルークの握り締めた拳が白くなる。
「機械は人を助けるためにある。技術者は、困っている人に手を差し伸べるためにいる」
父から何度も聞かされた言葉だった。だからこそ、今の父の選択だけは受け入れられない。
「人を切り捨てて守る会社に……未来なんてありません」
一呼吸おいてから、ルークは机の上にニ枚の写真をそっと置くと、その写真にアルバートの視線が吸い寄せられる。
そこに写っていたのは、下層区の小さなパン屋《歯車亭》。一緒に写ってるのは焼きたてのパンを手に笑う子どもたち。その後ろには腕を組み、豪快に笑うエマのじいちゃん。横には小麦粉を頬につけたまま笑顔を見せるエマ。
もう一枚はパンを買いに来た機械工、煙突掃除人、配達夫、移民の親子、誰もが身分を気にすることなく、店の中で笑っていた。
「ルーク、この写真で何が言いたいのだ」
「ここは私が初めて、自分の居場所だと思えた、本当の自分に向き合えた場所です」
ルークは写真から目を離さず、静かに言った。
「父上は私に、ロイヤル・ギア社の後を継ぐには、まず現場を知れと教えてくださいました」
その言葉に、アルバートの肩が小さく揺れる。
「だから私は下層区へ行きました。技術者として何が必要なのか、この目で確かめたかった」
ルークは写真を指先でなぞる。
「そこで出会ったのが、この街の人たちです」
毎日夜明け前から窯に火を入れるエマと祖父。油まみれになりながら蒸気機関を修理する整備士。街中へ荷物を届ける配達夫。煙突を掃除し、都市の空を支える職人たち。
「皆、自分の仕事に誇りを持っていました。誰一人として、誰かに守られるだけの存在じゃない」
ルークは父を真っ直ぐに見つめる。アルバートは何も言わず、部屋に静かな沈黙が落ちる。
「父上は会社を守ると仰いました」
その声には責める色はなかった。ただ、問いかけるように続ける。
「ですが、会社は支えているのは、この街を動かしている人たちだと思います」
ルークは写真をそっと持ち上げた。
「街は数字ではありません。人がいるから街なんです」
その一言が、静かな部屋に深く響く。
アルバートは目を閉じると、遠い昔の記憶が呼び覚まされる。
ロイヤル・ギアがまだ小さい会社だった頃、若き日の妻が工場帰りの子どもへパンを差し出していた。
『技術は、人を幸せにしてこそ意味があるの』
パンを配りながら優しく笑う横顔。そして二人で夢を語り合った日々。
いつからだろうか。利益を追い、大きくなった会社を守ることばかり考え、その笑顔を思い出さなくなったのは……。
アルバートには、写真の向こうで笑う人々の姿が妻の笑顔と重なって見える。そして、その写真を差し出した息子の眼差しもまた、あの頃の自分によく似ていた。
アルバートは目を閉じ、長く息を吐いて、それから息子を見上げた。
「……お前は、強くなったな」
その声に、社長としての威厳はなく、ただ、息子の成長を認める父親の温もりだけがあった。 ルークは何も言わずに、父の言葉を静かに受け止める。
やがてアルバートはゆっくりと立ち上がると、机の上の受話器を手に取った。
「私だ。秘書にすぐ来るように伝えてくれ」
受話器を置いて間もなく、秘書が部屋へ駆け込んでくる。
「お呼びでしょうか、社長」
「明日、緊急記者会見を開く」
アルバートの目に迷いはなかった。
秘書は突然の出来事に目を見開いて確認する。
「き、緊急会見ですか?」
「レイウッド公爵にも連絡しろ」
「それから、『グラン・ロア再生計画』に関する当社保有の資料をすべて提出する」
秘書の顔から血の気が引いた。
「社長! それでは我が社まで――」
「構わん。責任は私が負う」
その声音には決して揺るがない覚悟が宿っていた。秘書は言葉を失うが、すぐに社長の意向を理解して深く一礼すると部屋を飛び出していく。
ほどなくして社内放送が鳴り響いた。
『社長室よりお知らせします。明日正午、本社ホールにて緊急記者会見を開催いたします』
放送は会社全体に瞬く間に広がっていく。さらに各新聞社にも通達が行き、その日の夕刊に載ることで、グラン・ロア市民の知るところとなる。
そして、レイウッド公爵より連絡があり、記者会見に同席することとなった。
一連の準備が整ったことを確認すると、アルバートは窓辺へ歩み寄る。夕日に照らされた街を見つめながら小さく呟いた。
「……逃げ続けるのは、今日で終わりだ」
その横顔は、利益だけを追い求めた経営者ではなく、未来を息子たちへ託そうと決めた一人の父親の顔だった。
「ありがとうございます……父さん」
ルークの脳裏に浮かんだのは、命懸けで真実を届けてくれた銀髪の少女だった。
(アリシア、あとは君の信じる正義を示す番だ)
ロイヤル・ギア社の時計塔が、明日までの時間を静かに刻み始めていた。
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