第四章 11話 令嬢たちの潜入作戦
蒸気機関が発達した街、グラン・ロア
下層区のパン屋で暮らす機械いじり好きの少女エマは、じいちゃんと穏やかな毎日を送っていました。
しかしある日、「グラン・ロア再生計画」が動き出し、ルークの婚約者を名乗る少女が突然現れます。
揺れ動くエマとルークの想い。そして、街の未来を左右する「グラン・ロア再生計画」に隠された真実とは。
恋愛、モノづくり、そして蒸気あふれる下町の空気感を楽しんでいただけたら嬉しいです。
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※本作は小説家になろう、カクヨムで同時掲載しています。
アトリエに柔らかな陽光が窓から差し込み、セレナの一糸纏わぬ姿を照らしていた。
伯爵が指定したポーズに従い、彼女は椅子に座り片膝を立てる。視線は窓の外へ、表情は穏やかに。指先まで意識し、一枚の絵にふさわしい女性を演じ続ける。だが、その微笑みの裏で心は休まらない。
(ただモデルになるだけと考えてたけど、流石に甘かったわね……風通しは良くなったけど、集中しづらい。顔に出てなければいいけど)
セレナは胸の鼓動を抑えて、できる限りの平静を装う。
静寂なアトリエに筆の音だけが部屋に響く。その音を聞きながら、セレナの意識は屋敷全体へ向いていた。
廊下を行き交う足音、開閉する扉の音、使用人たちの小声の会話。奥の方に積まれた書類。
視線は動かせない。それでも耳と記憶を頼りに、少しでも多く情報を拾い集める。
(『グラン・ロア再生計画』……何を隠しているの)
街には噂だけが広がっている。下層区の取り壊し、住民の立ち退き。真実は誰も知らない。だからこそ、自分で確かめなければならない。
目の前では伯爵が丁寧に筆を走らせ、ときおりセレナを観察して自身のデッサンと見比べている。誰もこの姿が屋敷へ潜り込むための仮面だとは思っていない。
(今は焦らずに、機会を待つ)
証拠を掴む機会が来るまでこの役を演じ切る。
伯爵の視線を浴びながらも、セレナは静かに微笑み続けた。
そしてデッサンがひと区切りつき、使用人が紅茶を運んできて休憩が告げられる。
休憩時間なら、世間話を振っても不自然に見えない。セレナは絶好の機会だと判断した。
優雅に紅茶を口へ運ぶレイウッド公爵へ歩み寄り、できるだけ自然な笑みを浮かべる。
「伯爵、以前お伺いした『グラン・ロア再生計画』についてですが、もう少し具体的なお話を教えて頂けません?」
何気ない一言を装ったつもりだったが、公爵の手がほんの一瞬、わずかに止まった。セレナはその小さな変化を見て捉えた。
レイウッドはすぐに穏やかな笑みを浮かべ直すと、紅茶をひと口含み、ゆっくりと答えた。
「街の未来をより豊かにするための都市開発ですよ。いずれ正式に発表されますから、その時を楽しみにしていてください。」
言葉は淀みもなく、笑顔も崩れない。だが、その返答には具体的な説明が一つもなかった。伯爵は巧みに話題をかわす。
セレナはそれ以上踏み込めば警戒されると悟り、小さく微笑んで引き下がる。
「そうでしたか。失礼いたしました。」
席へ戻りながら、胸の内で静かに確信する。
(やっぱり何か隠している。)
レイウッド公爵の一瞬の動揺と、不自然なほど曖昧な返答。その短いやり取りだけでも、この計画が人に明かせない秘密を抱えていることは十分に伝わってきた。
――この屋敷のどこかに、真実へ繋がる証拠が必ず眠っている。
執事がアトリエの扉を叩き、伯爵に耳打ちすると、伯爵は執事と顔を見合わせて、セレナに、少し離れるから休んでいて良い。と言って部屋を後にする。部屋には身に纏うものは何もない。セレナが逃げ出すことはないと思ったのだろう。
着るものが何もない状況にセレナは戸惑うが、今は誰もいない絶好の機会だ。躊躇している時間はない。セレナは何一つ身につけないまま、まずは奥の本棚から調べ始める。
窓から差し込む橙色の光が、本棚に積もった埃を照らしていた。セレナは本棚から取り出した古い帳簿をめくるが、計画関連の書類ではなかった。
そう簡単には見つからないか……書類を元の場所へ戻そうとしたそのとき、静かな声が背後から響いた。
「そのような格好では、風邪を引きましてよ」
セレナが反射的に振り返ると、一人の少女がガウンを手にして、扉の前に静かに立っていた。
迂闊だった、探索に集中して気づかないなんて……。少女が扉の前にいるため、逃げ道は塞がれている。咄嗟に大事なところを両手で隠し、少女の次の行動を見守る。
少女は警戒を露わにするセレナの動きを見ても、表情一つ変えずに話しかける。
「スカイ・ヴァルモント社のセレナ社長ですよね。ご安心ください。私はアリシア・フォン・ベルク。レイウッドの娘です」
そしてアリシアは一歩近づき、小さく微笑み、セレナにガウンを渡す。
「捕まえるつもりでしたら、衛兵を連れて来ています。」
その落ち着いた口調に、セレナはわずかに肩の力を抜き、ガウンを羽織る。
「……私を見張っていたんですか。」
「ええ。貴方が執事に案内されていた時から、ずっと。」
隠すことなく言い切る姿勢に、セレナは思わず苦笑する。
「正直なお嬢様ですね。」
「嘘をつくのは得意ではありませんので。」
二人の間に、短い沈黙が流れる。
空が青色から茜色に変わってゆき、アトリエはだんだんと茜色に染まっていく。
やがてアリシアは本棚へ目を向けたまま、静かに口を開いた。
「あなたは父の秘密を探っていますね。」
セレナは答えないが、その沈黙こそが答えだった。
「私も同じです。」
アリシアの瞳には迷いがなかった。
「父が何を隠し、何を企んでいるのか。私は娘として、それを知らなければなりません。」
(お母様なら、きっとそうしたでしょうね)
セレナはじっとアリシアの眼を見据える。その瞳にあるのは貴族の傲慢さではなく、真実を知ろうとする強い意志だった。
ただ、彼女は伯爵の娘だ。すぐに手の内をさらけ出して良いものか……。
「あなたを信用する理由はありません。」
セレナの静かな問いに、アリシアは穏やかに答えた。
「ええ。ですから、今すぐ信用していただく必要もありません。ですが、一人より二人の方が見つけられるものは多いはずです。」
再びアトリエに沈黙が落ちる。
やがてセレナは小さく息を吐き、アリシアに右手を差し出した。
「……その提案、悪くありません。」
アリシアも微笑み、その手を握る。
二人はアトリエを手分けして調べ始める。アリシアは幼い頃から慣れ親しんだ屋敷の記憶を頼りに、セレナは初めて訪れた者ならではの鋭い観察眼で、不自然な点を一つひとつ拾い上げていく。
そしてアリシアは、本棚の位置が昔と違うことに気づく。違和感に気づいたアリシアが本棚に手をかけると、軽い。
試しに横に動かしてみると、底に滑車がついているようで、人の背以上に高い本棚が軽い力ですんなりと動き、本棚があったところに隠し扉が現れる。
扉を開けると埃が被った部屋で、壁際に並んだ机のうち一つに埃を拭いた跡がある。引き出しを開けると中にあったのはグラン・ロア再生計画の資料。ただ、アリシアに渡されたものより、明らかに枚数が多い。
その内容は、表向きは下層区の再開発。実態は下層区の人間、貧困層や移民を排除、追放して下層区を浄化。そこに上層区の人間を移住させることが、詳細に書かれていた。
『グラン・ロア再生計画』の真の目的を掴んだ二人が顔を見合わせたそのとき、扉の方から人の足音が聞こえてきた。二人が振り返ると、伯爵が執事を連れて扉の前に立ちはだかっていた。
「隠し部屋を捜索とは、感心しませんね」
「蒸気街のパン屋と御曹司」第4章が始まりました! ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます。
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