第2章 10話『空の彼方へ、温もりを』
蒸気機関が発達した世界、機械いじりが好きな少女エマ達の街、グラン・ロアに飛行船の時代がやって来ます。ルークとの関係はどうなるのか?そして現れる謎の女性……。
機械いじり好きな少女が、パン屋を守るために奮闘するスチームパンク作品です。
恋愛、モノ作り、下町の空気感を楽しんでいただければ嬉しいです。
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「主機関が暴走するまで、残り時間はおおよそ五分間ってところね」
残り時間は、もうほとんどない。
エマの進言にルークは唇を噛み締めた。
彼女の判断が正しいことは理解できる。ルークには、戻ってから、やらなければいけないことがあることも分かる。
それでも、エマを行かせたくなかった。
エマを失うのが怖かった。脳裏にエマを失う光景が思い浮かんでしまい、胸の奥が冷たくなる。
「なんでそんな顔をするの」
エマはルークの顔を覗き込み、小さく呟く。
ルークが答えられないのを見て、エマは苦しそうに笑った。声を震わせながら話し出す。
「私、ずっと不思議だったんだ。ルークって、いつも冷静で、何を考えてるか分からなかった。けど本当はすごく優しい人なんだよね」
ルークの瞳が揺れた。エマは一歩近づく。
「空飛ぶ郵便で一緒に飛んだとき、ちゃんと人のことを考えてたから。だから私、ルークとなら信じられるって思ったの」
エマはぎゅっと拳を握り、話し続ける。
「私ね、ルークと一緒にもっと色んな場所へ行きたい。もっといっぱいみんなが喜ぶ機械を作って、空を飛んで遠くの人に届けたい、笑顔にしたい!」
エマは笑っていた。泣きそうな顔してるのにちゃんと笑った。
「だから、終われない」
その言葉を聞いた瞬間、ルークの中で理性が決壊した。灰青色の瞳が大きく揺れ、理性より先に身体が動く。
気づけば、エマの腕を強く掴んでいた。今なら言える。
「……勝手に行くな」
震えながら、絞り出すような低い声だった。
「ルーク? ……痛い」
「君が危険な場所へ行くのを、もう見たくない」
エマは思わず息を呑むが、ルークは構わず真っ直ぐに彼女を見た。逃げ場なんてないくらいに真っ直ぐに。
蒸気炉の咆哮が轟き渡り、警報が鳴り続ける。それでもルークの声だけは、はっきり聞こえた。
「僕は、君が傷つくのが嫌だ」
思いがけない言葉に、エマの心臓が止まりそうになる。
「君が笑ってると安心する」
ルークは震えながら少し苦しそうに息を吐く。
「君がいない未来を考えたら、怖かった」
エマの目に涙が滲んだ。
こんな状況なのに、こんな場所でも、胸がいっぱいになる。
「だから、一人で行くな。僕も一緒だ」
ルークは静かに言った。
エマは唇を噛んで、そして小さく笑った。
「……うん」
「感動してるところ悪いけど、あと二分ってところよ」
二人分の耐火コートを探して戻ってきたセレナが呆れた声を出す。
「と、とにかく急がなきゃ!」
二人は即座に頭を切り替える。ルークはエマに配管図を渡した。
「どうすればいい? エマ、教えてくれ」
エマは瞬時に状況を整理して、二人に伝える。
「私は中央弁を開く! ルークは補助圧を逆流させて! セレナさんは外部冷却弁を開いて!」
「分かった」
「了解」
熱風が吹き荒れる中、三人は同時に走り出した。
エマは中央主管へ飛びつく。中央弁を開けようと金属に触れた瞬間、耐火手袋越しでも皮膚が焼けそうになるほど熱いのが分かる。
「っ……!」
それでもレンチを差し込むがびくともしない。圧力で固着しているようだ。破損して落ちていたパイプをレンチに差し込み、テコの原理を利用して全身に力を込める。
「開けぇぇぇぇっ!!」
蒸気が吹きつけて髪が乱れ、ちりちりと焼けている。身体から出てくる水が汗なのか涙なのか分からなくなった。
エマの身体が悲鳴を上げ、限界かと思われたとき、後ろから手が差し伸べられた。
ルークが後ろから手を支えている。
「こっちは終わった! 一緒にやるぞ!」
「ルーク!」
二人でレンチを握り、渾身の力を込める。
熱い、苦しい、けれど隣にはルークがいる。
それだけなのに、不思議なくらい力がみなぎってくる。
そして、ごんっ! と大きな音がして中央弁が開いた。暴走していた蒸気が一気に逆流する。轟音と共に大きな振動で、立っているのも難しいくらいだ。白蒸気が機関室を飲み込む中、エマは計器を確認する。
「圧力低下を確認できたよ」
涙と区別がつかないほど、顔中が汗だくになりながらも、エマが安堵の表情を浮かべる。
警報音が止まっていき、赤色灯が段々と消えていく。蒸気炉の唸りも少しずつ静かになった。
やがて船内に静寂が訪れ、そして。エマは一気に体の力が抜けたようにその場へ座り込んだ。
「……止まった」
自分でも信じられなかった。本当に止められたんだ。
横を見るとルークも息を切らしている。
セレナは額の汗を拭いながら笑った。
「みんな生きてる?」
「なんとか……」
「若いってすごいわねぇ」
気がつくと眼下からは歓声が響いている。
機関室の窓から眼下を見ると、そこには一般市民も技術者も一緒に手を振り、歓声を上げているのが見える。
グラン・ロアに飛行船は堕ちなかった。私達はこの街を守れたんだ。みんなが暮らすこの街を。
エマの目からぽろりと涙が落ち、小声で呟く。
「よかった……」
ルークはそんなエマを見つめる。
煤だらけで、髪も乱れて、顔は涙でぐしゃぐしゃなのに、そんなエマが愛しく思った。
「エマ」
「……なに」
顔を上げた瞬間、ルークがそっと頬へ触れた。
ゆっくりと、優しい手だった。
「ありがとう」
エマの胸が熱くなる。
ルークが近くにいる。またあの距離だ。
世界は静かだった。まるで二人だけのように。
ルークは少しだけ迷うように目を伏せる。
それから、静かに額を寄せた。
ルークの態度にエマの鼓動が高鳴ってゆく。
「……好きだ」
低い声。だけど真っ直ぐな言葉。
「これから先も、君と一緒にいたい」
涙が溢れながらも、エマは笑って頷く。
「……うん」
次の瞬間。二人の距離がそっと重なった。
蒸気と夜風の匂いがする中、遠くでは飛行船の汽笛が鳴っている。まるで二人を祝福するように。
それから数か月後。
グラン・ロアの空には、新しい郵便飛行船が飛んでいた。安全設計を見直した新型空輸船。その機体には《歯車亭》製の循環保温機が搭載されている。
「エマー! 追加注文きてるぞー!」
「いまやってるー!」
工房には今日も蒸気音が響いていた。
祖父は相変わらず新聞を読み、いつの間にか来ていたセレナは勝手に紅茶を飲んでいる。
「あなたたち、有名人ねぇ」
「うう、なんか恥ずかしい……」
エマは照れ臭そうに頬を掻き、作業に集中する。
新聞には、“雲海特急事故を防いだ若き技師たち”と書かれていた。
だが、そんなことより。
「ルーク! またパンが焦げてる!」
「そんな、しまった!」
「ああ、もう!」
日常が戻り、厨房ではルークが相変わらず不器用に作業している。ここにいるときは肩書も外れて自然に笑っているルークの横顔を見るたびに、胸が温かくなる。
窓の外を見ると、飛行船が雲を越えていく。空は青くどこまでも広かった。
この空の向こうには、まだ知らない街がある。だからきっと、これからも二人は機械を作り続ける。
誰かの笑顔へ繋がるものを、空の向こうまで届けるために。
第二章 完
これにて第二章、完結しました。ここまで読んでいただきありがとうございます。
少しでも楽しんでいただけたなら、書いてて良かったです。
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