第2章 4話『雲海の夜と、揺れる心』
蒸気機関が発達した世界、機械いじりが好きな少女エマ達の街、グラン・ロアに飛行船の時代がやって来ます。ルークとの関係はどうなるのか?そして現れる謎の女性……。
機械いじり好きな少女が、パン屋を守るために奮闘するスチームパンク作品です。
恋愛、モノ作り、下町の空気感を楽しんでいただければ嬉しいです。
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夜のグラン・ロアは、昼とはまるで別の街だった。工場の煙突群は赤い警告灯を灯し、空には飛行船の航路灯が星のように瞬いている。
その夜景を見下ろすように、巨大飛行船《アルバトロス号》の上層甲板に“空中レストラン”がある。真鍮とガラスで作られた華やかな展望室の奥にある窓の外には雲海が見え、遠くには飛行する輸送船の灯りが瞬いている。
展望室の中では小さな自動演奏機が静かな音楽を奏でていた。
「……場違いすぎる」
係員に案内されて来たものの、エマは入口で固まっていた。
今日は仕事用の服ではなく、祖父に「少しはまともな格好をせい」と押しつけられた紺色のワンピースを着てきたけれど、慣れない格好に戸惑う。いつも着けてる工具ベルトがないだけでこんなにも落ち着かないなんて!
「そんなに緊張しなくていいのに」
振り返ると奥からセレナの声がする。深紅のドレス姿で、窓際の席からこちらに向かってきた。長い脚からハイヒールが覗き、優雅に歩いてくる姿は、まるで絵画みたいだった。
「ほら、座って」
「……失礼します」
エマはぎこちなく窓際の席へ座る。
窓の外から、街が遥か下にある景色を見た瞬間に思わず息を呑んだ。煙突の灯りが、地上の星のように瞬いている。
「綺麗……」
エマが素直な感想を漏らすのを見て、セレナは微笑む。
「でしょう?初めてこの景色を見た時に、思わず涙が出たわ」
意外な言葉にエマは目を瞬かせる。
「セレナさんでも?」
思わず正直な感想が出てしまった。
「失礼ね。私だって感動くらいするわよ」
彼女はくすりと笑った。その横顔を見て、エマは少しだけ印象が変わる。
セレナさんって、もっと怖い人だと思っていたけど今のセレナさんは、どこか寂しそうな表情を見せているように思えた。
「料理が来たわ、冷める前に食べましょう」
給仕がエマに恭しく頭を下げる。運ばれてきた料理は、どれも見たことのないものばかりだった。
香草のスープ。
蒸気燻製肉。
雲海魚のパイ包み。
初めての料理を見て、エマはおそるおそる口へ運ぶ。口の中に広がる豊潤な味わいや風味に思わず舌鼓を打つ。
「おいしい……!」
エマが喜んで味わっている様子を見て、セレナは楽しそうに笑う。
「気に入ってもらえて良かったわ。今日の料理はこの近辺では手に入らないものばかりだから。空輸があるから成立してるようなものね」
「空輸があるから……」
「遠い土地の食材を、早く、安全に運ぶ。それだけで世界は豊かに変わる」
セレナは窓の外を見て、思いに耽っているようだったが、話を続ける。
「鉄道が通らない土地でも、空で街と街を繋げば食料を届けられるようになり、飢える街が減って冬を越せる村が増える」
セレナは静かにエマに告げる。
「私はね、“力”が欲しかったのよ」
エマはセレナの言葉を黙って聞いていた。大事なことを聞き漏らさないように。
「貧民街育ちだったの」
セレナは自分の出自をさらりと言いながら手に持ったワインを揺らす。
「寒い夜にパン一つも買えない人間なんて、この世界にはいくらでもいる。だから優しいだけじゃ救えないのよ。大量に運べる仕組み、組織が必要なの」
話を聞いてエマの胸が少しざわつく。
セレナの言い分が間違っているとは言い切れなかった。今日、自分たちが行った空飛ぶ郵便だって、大きな企業の力があったから実現できた。
「でも、それだけじゃ寂しいと思う」
きっと、セレナは正しいのだろう。でも……エマは自分の感情に従って小さく口を開く。
エマの反論にセレナが目を細めた。ただ、口調は柔らかいまま、優しく問う。
「どうして寂しいと思うの?」
「だって、機械って……誰かを喜ばせるためにあると思うから」
自分は何を言っているのか、気持ちの整理がつかない。それでもエマはゆっくりと言葉を探す。
「効率だけじゃなくて、“この人に届けたい”って気持ちがないと、私は嫌だ」
セレナはエマの話を受け入れて、静かに聞いていたが、やがて小さく笑う。先程とは違った楽しそうな表情。いつもの顔をしている。
「ふふ、ルークが気に入るわけだ」
急にルークの名前を出されて、エマの顔が赤くなる。
「な、なんの話!? 別にルークは関係ないし!」
「あら、無自覚なのねぇ」
明らかにエマの動揺する様子を面白がっている。セレナは楽しそうに続ける。
「でもあの子、あなたといる時だけは少し顔が違うのよね」
私といる時だけ違うって……?エマの心臓が跳ねて、ドキドキしてきた。
「……違うって? どういうこと?」
「ちゃんと自分で“生きてる顔”をしてるから」
その言葉に、エマは返事ができなかった。
エマはルークのことを思い出す。最初は、何を考えているのか分からない人だった。
でも今は違う。工房で一緒に笑う顔。不器用にパンを袋詰めする姿。ふと空を見上げる横顔。気が付けば、そういう瞬間ばかり覚えている。
「……あなた、可愛いわね」
「からかわないでください」
「本音よ」
その時、レストランの入口が開いて、革靴の音がこちらに向かってくる。
ルークだった。黒いコート姿のまま、少し呆れた顔をして、二人の方に向かってくる。
「随分長い時間話しているようだから、お邪魔させて貰うよ。で、仕事の話をするって聞いていたんだけど」
「してたわよ?半分くらいは」
セレナは悪びれもせず答える。
「半分って……残り半分はなんの話?」
「恋バナ♡」
「あのなぁ……セレナ」
ルークが額を押さえる。エマは恥ずかしさで俯いた。
「ルーク、怒ってる?」
「別に怒ってないよ」
「でも顔が怖い!」
「これはいつもの顔だ」
二人のやりとりを見てセレナが笑う。ルークはため息をつきながら、空いてる席へ腰掛けた。
「で、仕事の話とは、何を話してたんだ」
「エマを《スカイ・ヴァルモント社》にスカウトしてたのよ。」
ルークの眉がぴくりと動くが、セレナは気にしない様子で優雅に頬杖をついた。
「この子は才能があるもの。町工房で終わらせるには惜しいわ」
そんなこと言われるとは思っても見なかった。予想外の言葉にエマは目を丸くする。
「ウチに来なさい、エマ」
セレナは真っ直ぐ彼女を見て伝える。
「必要な設備も、資金も、全部用意してあげる。あなたとなら、“空の物流”そのものを変えられる。時代を変えることもね」
場の空気が変わった。セレナの眼差しを見て思う。これは冗談ではない、本気の目だ。
エマの胸が大きく揺れる。夢みたいな話だった。今まで欲しくても手に入らなかった機材。巨大な工房と最新の設備。自分の発明をもっと遠くへ、多くの人々に届けられる。それは確かに魅力的で、断る理由はない。
だけど、隣でルークは黙っていて何も言わない。その沈黙がなぜか少し苦しかった。
セレナは表情を和らげ、その空気を楽しむかのように微笑む。
「返事は急がなくていいわ」
彼女は立ち上がる。次の業務があるから、後は二人でゆっくりするように言われる。
「でも、覚えておきなさい」
セレナの赤い瞳が一瞬細められる。
「才能は、“選ばれる側”でいるだけじゃ潰れるのよ。よく考えて」
そう言い残し、セレナは夜景の奥へ消えていった。残されたエマとルークは、その場からしばらく動けなかった。
窓の外では飛行船が静かに夜空を進んでいる。
その光景が、まるで“遠い未来”みたいに見えた。
第二章、始まりました!ここまで読んでいただきありがとうございます。
少しでも楽しんでいただけたなら、書いてて良かったです。
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