第2章 1話 『焼きたてを空へ——歯車亭、始動』
蒸気機関が発達した世界、機械いじりが好きな少女エマ達の街、グラン・ロアに飛行船の時代がやって来ます。ルークとの関係はどうなるのか?そして現れる謎の女性……。
機械いじり好きな少女が、パン屋を守るために奮闘するスチームパンク作品です。
恋愛、モノ作り、下町の空気感を楽しんでいただければ嬉しいです。
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※この作品は小説家になろう、カクヨムで同時掲載しております。
朝焼けの空に、巨大な飛行船が白い蒸気を尾のように引きながら、ゆっくりと雲の上へ昇っていく。
グラン・ロアの人々は足を止めて、その光景を見上げていた。
「すげぇ……空にあんなに大きな物が飛んでいるなんて」
「空輸用の飛行船だってよ」
「ついに人が空を行き来する時代になったのか……」
人々が集まる石畳の街路には、新聞の売り子が見出しを大声で伝えている。
『ロイヤル・ギア、空路事業へ本格参入!』
『蒸気飛行船時代、開幕!』
その頃、《歯車亭ベーカリー》の工房ではエマの悲鳴が響いていた。
「あーっ!落ちるーっ!」
天井近くまで浮かび上がった空飛ぶ箱が、勢いよく床へ落下して、がしゃん!と音をたてる。真鍮の部品が転がり、蒸気がぼふっと吹き出した。
工房の隅で祖父が呆れ顔をする。
「今度は何を爆発させたんじゃ」
「爆発じゃないよ! 落下しただけ!」
「似たようなもんじゃ」
エマは煤だらけの顔をしかめながら、壊れた羽根を拾い上げる。熱を持った羽根がほのかに熱い。
「うう……あとちょっとだったのに。どこが悪いのかな……」
エマは床に落ちた空飛ぶ箱を拾い上げて、机の上に置く。小型蒸気炉と接続された丸い保温室に、軽量化した循環配管。さらに背面には、小型飛行船用の固定具までついている。その部品一つ一つを、壊れていないか確認してゆく。
エマが新しい機械を作る姿に、祖父は眉をひそめながら言った。
「本気で空に積む気か」
「当たり前でしょ」エマは胸を張る。
「空を飛んでも、焼き立てのパンを届けたいんだもん」
飛行船輸送では、どうしても食べ物が冷める。なら、飛びながらでも温められる機械があればいい。そのために作ったのが、この《循環式空輸保温機》だった。
「絶対成功させるんだから!」
そのとき店の鈴が、からんと軽やかな音をたてる。エマが振り向くと、そこには見慣れた顔が立っていた。
大企業の跡取りで、たまに歯車亭のお手伝い。ルークが久しぶりに店にやってきた。
だけど、いつもより少し疲れた顔をしていて、黒いコートの肩には薄く煤がついている。
「ルーク、仕事は大変なの?」
「少しだけさ、心配ないよ」
「少しじゃない、明らかに疲れた顔してる」
エマにじとっと睨まれてルークは苦笑した。
最近の彼は以前みたいに毎日工房へ来られるわけではない。仕事が忙しいのか、来てもどこか考え込んでいることが増えた。
「わしは表の掃除してくるぞ」と言って祖父は店の外へ出ていった。気を使わせちゃったかな。
工房で二人きりになると、エマは工具を置いて椅子に座る。ルークにも椅子に座るように促した。ルークが工房の古い椅子へ腰掛けると「で、何があったの」と語りかける。
「空路事業の責任者候補に選ばれた」
その言葉にエマは思わず目を瞬かせる。
「責任者?凄いじゃない!」
「まだ候補だよ。正式に決まったわけじゃない」
《ロイヤル・ギア》の空路事業の件は、今、街中で話題になっている巨大な計画だ。
飛行船による大規模輸送網で、都市と地方を空で繋ぐ、新時代の物流。
それを任されるということは、ゆくゆくはルークも社長に……。
だが、嬉しいニュースのはずが、ルークの表情は晴れない。やがてゆっくりと重い口を開く。
「……そう単純でもないんだよ」
そう言ってルークは静かに窓の外を見る。
「《ロイヤル・ギア》の空路事業が始まれば、小さい運送業者では対応しきれない大量輸送が主流になり、《ロイヤル・ギア》や大企業が事業を独占するようになってしまう。それが本当にいいことなのか……」
エマは黙って聞いていた。ルークが続ける。
「父は“効率こそ未来だ”って言ってる」
「ルークは違うの?」
その問いに、彼は少しだけ困った顔をした。
「……分からなくなった」それが本音だった。
大企業の理屈も理解できる。
より良い暮らしのため、発展してゆく街を支えるには、大量供給も必要だ。
だが、《歯車亭》で過ごすうちに、ルークは別の景色を知ってしまった。
一つずつ手で作るパン。
誰かを思って直される機械。
小さな工房の灯り。
効率だけでは測れない温かさ。
「だから、僕はこの街の皆のことをもっと知りたい。お互いに共存出来るやり方を見つけたいんだ……」
ルークが考えあぐねてるのを見て、エマは「ちょっと待ってて」と言って扉を開け、お店に入る。
お店ではちょうど『蒸気リンゴパイ』が焼き上がっていた。リンゴを焼いた甘酸っぱい香りが店内を満たしてゆき、隣の工房まで広がってゆく。エマは2人分のパイを持って、工房に戻る。「ちょうど『蒸気リンゴパイ』が焼き上がったんだ。一緒に食べよう」
ルークが蒸気リンゴパイを一口かじると、口いっぱいに芳醇な香りがあふれてくる。この味……あのときと同じ、温かい味がする。雨の中、初めて歯車亭に来たときに、このパンを食べたことを思い出す。
そうだ。僕はこのパンを食べたときに、モヤモヤした気持ちが晴れて、エマの発明品を見て、話して、一緒にいるうちに段々と会社のやり方に疑問を覚えて、自分から考えるようになったんだっけ……。ルークの中のモヤモヤした気持ちが、いつの間にか消えていった。
ルークは気が晴れた様子で工房を見回すと、机の上に破損した箱、機械に気づく。
「エマ、今度は何を作ろうとしているの?なんか壊れているみたいだけど……。」
エマは少し照れくさくなって、鼻をこする。
「まだ試作段階だけどね。飛びながらでも温められる保温機だよ」
「焦げたような跡があるけど、また爆発した?」
「違う!ちょっと落下しただけ!」
エマはむっとして、ルークによく見えるように保温機を抱え上げた。
「見てて」彼女は配管を繋ぎ、小型蒸気炉へ点火すると、しゅうぅ……と音がして内部を蒸気が循環し始める。すると徐々に圧力計がゆっくり上昇し始めた。
「ここで熱を循環させて——」
エマは説明しながら、小さなパンを保温室へ入れる。そのまま数分待って「よし」と彼女が蓋を開くと、ふわりと湯気が立ちあがり、香ばしい小麦の香りが部屋いっぱいに広がる。
小麦の香りを嗅ぎ、パンに手を触れると、ルークが目を見開く。
「……温かい。それに小麦のいい匂いもする」
「でしょ!飛行中でも熱を逃がさないんだよ!」
ルークが驚いているのを見て、エマの顔がぱっと明るくなる。
喜んだのもつかの間、保温室の後部で、小さく火花が散り、ぼんっ!と蒸気が吹き出した。
「きゃーっ!またなの!」
エマは慌てて弁を閉めるが、工房はみるみるうちに白煙に包まれた。
「ルーク!窓を全部開けて!煙を出さなきゃ!もうっ!」二人して急いで部屋中の窓を開けて、タオルを振り回して煙を逃がす。奮闘の甲斐あって、しばらくすると、ようやく煙が消えた。
またやっちゃった。匂いがついちゃったから、後で部屋中拭かないと……。
二人して床に座り込んでいると、横でルークは咳き込みながら笑っていた。
「やっぱり爆発してるじゃないか」
「今回はちっちゃい爆発だから!」
「爆発にも分類があるのか……」
一息つくと、二人は顔を見合わせる。
お互いに汚れた顔を見て、同時に吹き出してしまう。二人の笑い声が工房へ響く。
エマは胸の奥が熱くなるのを感じていた。
ルークが自分の作った機械を、自分の発明をちゃんと見てくれていることが嬉しかった。
「この保温機、絶対に完成させる!空の上でも、焼きたてを届けられるようにする!」
エマが決意を新たに口にすると、その横でルークが視線を向けた。そんなエマの真っ直ぐな瞳を見て、ルークは「君らしいな」と言って静かに笑う。
その時、店の扉が、からん、と鳴って聞いたことのない、ゆっくりしたヒールの音が近づく。
二人が扉の方を振り返ると、工房の入口に一人の女性が立っていた。
その容姿は長い金髪に下層区画ではまず見ない深紅のドレス。彼女の切れ長の瞳は、見るものを引きつける不思議な眼力を秘めているようだった。
「セレナ……どうしてここに?」
ルークのつぶやきに、エマは思わずルークの顔を見る。……この人、誰?ルークとはどういう関係なの?
彼女は二人に近づいて、妖艶に微笑んだ。
「——へぇ」
彼女はエマのことを絡め取るような視線で、身体中をじっくりと観察してゆく。そして一通り観察を終えると、赤い唇がゆっくり吊り上がり、エマの方を向いて、余裕の笑みを浮かべながら問いかける。
「あなたが、“ルークのお気に入り”?」
第二章、始まりました!ここまで読んでいただきありがとうございます。
少しでも楽しんでいただけたなら、書いてて良かったです。
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