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ep.16 真実の錬成


 朝が来た。


 腕の傷は痛んだが、動かせる。リーゼルは包帯の上から指を曲げ伸ばしして、支障がないことを確認した。


 砦の前に、捕らえた暗殺者三人が縛り上げられている。意識は戻っているが、カイが見張っていて身動きが取れない。セレンが簡易の尋問を済ませ、得られた情報を整理している。


 「暗殺者たちは、雇い主の詳細を知りません。依頼は仲介人を通じて受けている。ただし——報酬の支払い経路から、ガルシュタイン家の資金が使われていることは裏が取れます」


 セレンが報告した。


 リーゼルは頷き、砦の入り口に立った。


 東の空が白んでいる。森の稜線の向こうに、朝日がまだ昇りきっていない。空気は冷たく、吐く息が白い。


 「ルゥ。騎士団の位置は」


 屋根の上のルゥが答えた。


 「東の街道沿い。馬四頭。歩みは遅い。到着まであと一時間くらい」


 一時間。


 リーゼルは砦に戻り、机の上に広げた羊皮紙を見直した。昨夜の戦闘前に書いた交渉のシナリオ。走り書きだが、骨格はできている。


 「セレン。イレーネの証拠書類、確認させて」


 セレンが封書を渡した。リーゼルは封蝋を慎重に剥がし、中身を検分した。


 公爵家の財務記録の写し。暗殺者への報酬支払いの記録。王太子の謀反をでっち上げた際の工作指示書——宮廷魔術師への封印依頼の書面まである。


 一枚一枚、丁寧に読んだ。


 「……これ、本物なら帝国の宮廷がひっくり返る」


 「本物です。イレーネ殿は公爵家の金庫室から原本を書き写しています。筆跡鑑定にも耐える精度で」


 リーゼルは書類を封筒に戻し、机の上に置いた。


 考える。


 騎士団は、レーヴェン王国の人間だ。帝国の内政問題であるガルシュタイン公爵の不正は、直接の交渉材料にはならない。——だが、間接的には使える。


 騎士団の目的は自分の逮捕。違法魔術研究の容疑。これは事実だから、正面から否定しても意味がない。


 ならば——否定しない。


 認めた上で、「それでも逮捕しないほうが得だ」と思わせる。


 「アルヴィン」


 「何だ」


 アルヴィンは砦の隅で山刀の手入れをしていた。昨夜の戦闘で刃が少し欠けている。


 「交渉の場に、あなたもいてほしい。顔は出さなくていい。フードを被って、後ろに立っていて」


 「……俺がいる意味は」


 「ある。説明すると長くなるから、信じて」


 アルヴィンは数秒の間を置いて、頷いた。


 「わかった」


 リーゼルは交渉のシナリオを頭の中で組み直した。


 情報の出し方。順序。タイミング。相手の反応を見ながら、次のカードを切る。


 (……やれる。これは、やれる仕事だ)


 不思議と、昨夜の戦闘よりも落ち着いていた。刃物で斬り合うのは苦手だが、言葉で切り結ぶのは——たぶん、前世からの得意分野だ。



 ◇ ◇ ◇



 騎士団が砦に到着したのは、朝日が森の稜線を越えた頃だった。


 四人。


 先頭の騎士が馬から降りた。紺色の軍装にレーヴェン王国の百合紋章。腰には細身の長剣。年齢は三十前後。顎に短い髭を蓄えた、引き締まった顔の男。


 「レーヴェン王国第三魔術騎士隊、ヴェルナー准尉だ。——リーゼル・フォン・メルツハーゲンだな」


 砦の入り口に立つリーゼルを見据えて、名を告げた。


 リーゼルは一歩前に出た。


 「そうだよ。ようこそ、辺境の廃砦に。お茶を出したいところだけど、生憎まともな食器がなくて」


 ヴェルナーの眉が動いた。逮捕状を携えた騎士を前にして、この態度。挑発しているのか、あるいは単に——この女はこういう人間なのか。


 「リーゼル・フォン・メルツハーゲン。違法魔術研究——人工生命の製造の罪により、レーヴェン王国より逮捕状が発布されている。大人しく同行しろ」


 「その前に、少し話をさせてもらえない?」


 「話?」


 「十分でいい。聞いた上で判断して。それでも逮捕するなら、抵抗しない」


 ヴェルナーが後方の三人と目を合わせた。判断を迷っている。指名手配犯が「話を聞いてくれ」と言うのは、時間稼ぎの常套手段だ。


 だが——この廃砦の周囲に仕掛けられた罠の痕跡を、騎士たちは見ている。昨夜の戦闘で発火剤が燃えた跡。煙幕弾の残滓。そして、砦の前に縛り上げられた三人の暗殺者。


 何かが起きている。状況が把握できないまま突入するのは、指揮官として避けたいだろう。


 「……十分だ。それ以上は待たん」


 ヴェルナーが腕を組んだ。


 リーゼルは心の中で一つ息を吐いた。第一関門は突破した。


 「まず——私が違法研究をやっていたのは事実。否定しない。人工生命の製造実験。レーヴェン王国法で禁じられている禁忌魔術。逃亡したのも事実」


 ヴェルナーの目が僅かに見開かれた。容疑者が罪を認めるのは、交渉の定石から外れている。


 「ただし、もう一つの事実がある。——そこに縛られている三人。ドラグノア帝国ガルシュタイン公爵家の密偵。昨夜、この砦を襲撃してきた」


 ヴェルナーの視線が暗殺者たちに向いた。


 「帝国の密偵が、レーヴェン王国の指名手配犯を? なぜだ」


 「私を狙ったんじゃない。——この人を」


 リーゼルが一歩退き、砦の入り口の奥に立っていたアルヴィンに道を譲った。


 アルヴィンはフードを被ったまま、一歩前に出た。


 ヴェルナーの目がフードの奥を透かし見ようとする。首筋に金属の光——首輪が、朝日を反射していた。


 「奴隷の首輪?」


 「彼はドラグノア帝国から追放された人間。公爵家の政治的陰謀に巻き込まれて、冤罪で地位を奪われ、奴隷に落とされた。——公爵家は、彼が生きていることが都合が悪い。だから密偵を送って始末しようとした」


 アルヴィンの素性には、ここでは深く踏み込まない。名前も、かつての地位も伏せる。それは騎士団に与えるべき情報ではなく、帝国の内政問題として切り分けるべきカードだ。


 「その証拠がこれです」


 セレンが前に出た。封書をヴェルナーに差し出す。


 「ガルシュタイン公爵家の不正の記録。密偵への報酬支払い、政治工作の指示書。帝国宮廷内部からの内部告発者が収集したものです」


 ヴェルナーが封書を受け取り、中身に目を通した。


 表情が変わった。


 軍人の顔だ。書類の内容を読み解き、その政治的意味を計算している。


 「……これが本物だとして。レーヴェン王国にとって、何の関係がある」


 「直接の関係はない。でも——帝国の宮廷工作がこの辺境まで伸びている。レーヴェン王国の領域ではないとはいえ、王国の追跡対象が帝国の密偵と同時に追い回されている状況は、偶然じゃない」


 リーゼルは一拍置いた。


 「誰かが、両方に情報を流してる。レーヴェン王国の騎士隊がここに来ることも、帝国の密偵がここに来ることも、同じ情報源から出ている」


 ヴェルナーの目が鋭くなった。


 「……何が言いたい」


 「あなたたちは利用されている。私を追い立てることで——もっと大きな目的を果たそうとしている連中がいる」


 セレンが補足した。


 「竜牙の使徒、と名乗る組織です。辺境一帯で暗躍しています。彼らの目的は……複雑ですが、端的に言えば——大陸規模の災厄を人為的に引き起こすこと」


 ヴェルナーの表情が固まった。


 「大陸規模の……」


 「始祖竜の因子の覚醒。ドラグノア帝国の建国神話にある力が、現実のものとして存在している。それが暴走すれば、都市一つが半日で壊滅する。——その力を持つ人間が、今ここにいる」


 リーゼルがアルヴィンの方を見た。


 アルヴィンが、フードを少しだけ上げた。深紅の瞳がヴェルナーを見据えた。


 「私はその力を安定化させる研究をしている。禁忌魔術の技術がなければ、安定化は不可能。——私を逮捕して研究を止めたらどうなるか、想像してみて」


 沈黙が落ちた。


 朝の風が、砦の前を通り抜けた。


 ヴェルナーの部下たちが、互いに視線を交わしている。状況が、逮捕状の想定を遥かに超えている。


 ヴェルナーが口を開いた。


 「……証拠が必要だ。お前の言っていることが真実だという」


 「見せるよ。因子の脈動を、魔術的に可視化できる。封印術式の構造も見せられる。私の研究データも開示する。——嘘をついても、この状況では私に得がない」


 ヴェルナーは長い間黙っていた。


 それから——腰の長剣から手を離した。


 「……十分を超えている」


 「ごめんね」


 「だが——聞いた価値はあった。証拠の検証に、時間をもらう。今日一日、ここに滞在させてもらう」


 「どうぞ。お茶は出せないけど、スープなら出せる。うちの助手が作るスープ、美味しいよ」


 ヴェルナーの口元が、僅かに緩んだ。


 「……変わった錬金術師だな」


 「よく言われる」


 第二関門、突破。


 完全な勝利ではない。逮捕が取り消されたわけでもない。だが——即座の逮捕は避けられた。時間を稼いだ。あとは、証拠と事実で積み上げていく。



 ◇ ◇ ◇



 午後。


 ヴェルナーとその部隊がリーゼルの研究データを検証し、アルヴィンの封印術式を騎士隊の魔術師が確認した。


 因子の存在は——否定できなかった。


 封印の内側で脈動する力を、騎士隊の魔術師が感知した瞬間、その顔が蒼白になった。「これは……本物だ」と、震える声で言った。


 証拠の検証が進む中、砦の前に——もう一人の来訪者があった。


 最初に気づいたのはセレンだった。


 「来ましたね」


 穏やかに、だが確信を持って呟いた。


 森の獣道を、一人の女性が歩いてきた。


 旅装だった。簡素な外套に、革のブーツ。貴族の女性が着るようなものではない。だが、その歩き方には隠しようのない育ちの良さがあった。背筋がまっすぐで、足運びに無駄がない。


 外套のフードを取った。


 栗色の髪が、午後の光を受けてやわらかく輝いた。


 琥珀色の瞳が、砦を見上げた。


 アルヴィンが——凍りついた。


 「イレーネ」


 声が、かすれて出た。


 イレーネ・フォン・ガルシュタイン。


 二年前の舞踏会で、公衆の面前で踏みにじった女。父親の陰謀に巻き込まれ、それでもなお——証拠を集めて、ここまで届けた女。


 イレーネの目がアルヴィンを見た。


 一瞬だけ——何かが揺れた。怒り。悲しみ。安堵。諦め。いくつもの感情が、琥珀色の瞳の奥で交差して、溶け合って、一つの表情になった。


 「……生きていたのね」


 声は静かだった。震えてはいなかった。


 アルヴィンは答えられなかった。


 何を言えばいい。謝罪か。感謝か。——どちらも、今の自分の口から出る資格がない。


 イレーネは視線をアルヴィンからリーゼルに移した。


 「あなたが、リーゼルさん?」


 「……うん。あなたがイレーネ」


 「セレンから聞いています。この人を……助けてくれていると」


 リーゼルは少し間を置いた。


 「助けてるつもりはなかったんだけどね。結果的にそうなってるだけで」


 イレーネの唇が、かすかに動いた。笑おうとしたのかもしれない。


 「セレンに託した証拠は、もうお渡ししましたか」


 「渡した。騎士団が今検証してる」


 「そう。——それなら、私からも直接、証言させてください。父がしたことを。私が知っていることのすべてを」


 イレーネの声は揺らがなかった。


 だが——手は、握り締められていた。白くなるほど。


 父を告発する。自分の家を、自分の手で壊す。


 その覚悟が、拳の中にあった。


 リーゼルはイレーネの顔を見た。それから、アルヴィンの顔を見た。


 二人の間にある距離は、物理的には数歩だが——その間に横たわるものの重さは、計り知れなかった。


 「……中に入って。ヴェルナー准尉に会わせる。あと——スープ、飲む?」


 イレーネが、今度こそ小さく笑った。


 「……いただきます」


 砦に入る前、イレーネが足を止めた。


 アルヴィンのほうを向いた。


 「私は——あなたを愛していた」


 過去形だった。


 「だから、父を許せなかった。あなたを陥れた父を」


 アルヴィンは黙って聞いていた。顔から血の気が引いている。


 「でも——あなたがしたことも、許してはいない。許す必要もないと思ってる。ただ——」


 イレーネの声が、ほんの少しだけ震えた。


 「ただ、あなたが生きていてよかった。それだけは、本当のこと」


 イレーネは振り向かずに砦に入っていった。


 アルヴィンは、その場に立ち尽くしていた。


 リーゼルはアルヴィンの横を通り過ぎた。何も言わなかった。


 ただ——通り過ぎざまに、手の甲が彼の手に触れた。偶然のように。意図があったのかなかったのか、リーゼル自身にもわからなかった。


 それだけで、アルヴィンの拳が——ゆっくりと、開いた。



---


*    *    *


「交渉記録

 レーヴェン王国第三魔術騎士隊との交渉:暫定的成功。

 即座の逮捕は回避。証拠検証のため滞在中。

 ガルシュタイン家の証拠:イレーネ本人の証言と合わせ、信憑性は高い。

 竜牙の使徒の情報:騎士団にも共有。ヴェルナー准尉は本国への報告を検討中。

 イレーネ・フォン・ガルシュタインの来訪:予定外。

 彼女は強い人だと思った。

 あの場で、あの言葉を言えるのは——強い。

 追記:助手が夜通し砦の外に立っていた。

 声をかけようか迷ったが、やめた。

 今夜は、一人で考えるべき夜だと思ったから」

——リーゼル・フォン・メルツハーゲン、交渉記録帳より


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