Story.34 お姉ちゃん
掌のささやかな灯りを前へと差し出しながら、ガイアはホノオと必死に足を前に進めた。
走る巫女の呼吸は、常よりも荒い。ホノオは気遣わし気に、ガイアのことを見やった。走っているだけで息が切れているのではない。ラドンのために残してきた灯りによる、魔力の消耗と精神の負担も原因の一つだ。あれだけのものを咄嗟に置き土産にしておきながら、普段の全速力と遜色ない速さで走れること自体、常人離れしているのだが、本当はしんどいはずである。
我の背中に乗れ。
そう声を掛けようかと思うが、巫女の〝聖獣〟は逡巡する。自分自身の体がかなり大きいことは自覚しているが、ガイアは小柄だ。洞窟の中、そうそう天井に頭を打ち付けてしまうことなどないのではないか、と思う。だが、ガイアが手元の灯りで照らしてくれているとはいえ、やはり視界は闇の色が濃く、不明瞭だ。この先進んで行って、どんどん天井が低くなる可能性もなくはない。
そのとき、ぴくり、とホノオの鼻が動いた。
≪ガイア≫
「分かってるわ。この洞窟、外に繋がってる」
氷の扉を通り抜けたとき、この先はどんなに氷だらけで極寒の空間が広がっているのだろうと思っていた。だが、予想に反して、扉の先には氷が張っておらず、足元が滑ることを恐れずに全力で走り抜けることができる。吐息が白く塗られるのは変わらないものの、寒さが和らいでいる。洞窟の奥からは風が微かに吹いてきていた。冷風ではなく、もっと気持ちよく感じられる風だ。ずっと外の世界と断絶されたような洞窟であったが、繋がりがあることを確かに感じられた。
(外に出られれば、〝妖精の杖〟を手に入れた後、ラドンを迎えに行ける)
ラドンと分かれる直前にガイアが感じた、近づいてくる魔力は、まだ微々たるもので正確なところは分からない。どんな追手なのかも、どの程度強いのかも。だが、ラドンの戦う姿は、洞窟に至るまでに何度か目にしている。彼なら相手が誰であろうと切り抜けられるだろうと信じたい一方で、その目で無事であることを確認したかった。氷の扉は閉ざされてしまったのだし、扉を開けるための鍵代わりでありグリフォンのコインは、無くなってしまった。都合よくラドンがコインを持っているとも思えない。ならば、彼一人では先には進めない以上、戦い終えたらまずは洞窟の入口に戻ってくるはずだ。
(待ってなさいよ、ラドン)
拳をぎゅっと握り締めながら、進む。やがて、洞窟の奥に光が見えた。出口なのか、それとも違うのか。だがもう手元の灯りはいらないほどに、洞窟内に外の光が届き始めている。ガイアは灯りを消し、一目散に走った。
洞窟を抜けた先。自然光さえ酷く眩しく思えて、ガイアとホノオは目を細めた。
そこは、月に生み出されたクレーターの如く地面が大きく窪んでおり、広い空間が出来上がっていた。天井は非常に高く、空へと伸びた壁面は、中心を覆い切らずに吹き抜けとなっており、本物の空を見上げられるような形だ。
「これは……」
広々とした空間の一角には、泉が湧き出て水面の揺れる音が耳に心地いい。氷が至る所に張り、あるいは植物のように地面から生えている。空から降って来る太陽光が、その泉や氷の全てを照らしている様は、非常に美しく、空間全体を輝かせているようで神秘的な雰囲気を生み出していた。
そんな空間の最奥部。百段ほどはありそうな急な石の階段があり、階段を登った先に、祠が存在した。祠には、杖らしきものが供えられているようだ。
ガイアは呼吸をするのも忘れ、足を止めてしまう。かなりの高さにある祠を見上げながらも、呟かずにはいられない。
「……本当にあった……」
遠目でも分かる、言葉では形容し難い気配を帯びている杖。あれが、〝妖精の杖〟である証拠はどこにもないが、ただならぬ杖であることだけは確かだ。仮に〝妖精の杖〟でなくても、そこに戦争を止める力が備わっていればいい。第一、杖という物体が存在するかも曖昧な伝説を頼りに、神殿の者達と調べ、ここまでやって来たのだ。杖は確かにそこにある。その事実だけで、胸がいっぱいになった。
≪急ごう、ガイア≫
「ホノオはここにいて。……もし、後ろからガニアント国の人が来たら」
≪……承知した。邪魔はさせぬ≫
ホノオの言葉に頷き、巫女は再び止めていた足を動かし始めた。
色々な人が怪我を負い、病気を患い、人の手で殺され、果ては二つの村が滅亡した。幼馴染のクォーツは大怪我を負い、小さな諍いには留まらない戦争が始まってしまった。自分自身、ここまで来るのに人を殺してはいないが、ガニアント国の者を傷つけた。その全てを、解決できるかもしれない。死んでしまった者は戻らなくても、心安らかに眠れるように弔う事ができたなら。
まだ正体も分からない杖に、色々なものを求めすぎだろうか。でも、戦争を止めたいと願ったのは自分だけではなかった。だからここまで辿り着くことができたのだ。皆の希望を背負っているのだから、もし神がいるのなら、願っている杖であれ、と。
階段を駆け上がる。かなり急な階段で、半分まで登り切らないうちに膝が上がらなくなってくる。太腿や脹脛に鉄でも仕込んでいるように、重くなる。手すりもなく、駆け上がる際の手助けになるものが何もない。膝に手をついて、息を吐き出した。流れ出る汗を乱暴に袖で拭い、忙しない呼吸で痛くなる肺を抑えながら顔を上げる。足を強く叩いて、大股に走り出す。一段飛ばしだ。はしたない、とケイに怒られる想像をしながら、早く早くと足を動かす。
そうして、とうとう階段を上り切った先に見えたのは、古ぼけた木造の祠と、そこに安置されている杖。全体的に深紅の色合いで、杖についている大きな水晶が輝く。水晶を固定する杖の頂点からは、金色の鎖が複数伸びており、全ての先端に赤や青、緑に黄色と、世界に存在する色を体現するような石がぶら下がって揺らめいていた。
ガイアは、暫しその杖に見惚れた。何者をも拒みそうな荘厳さ、それでいて、誰でも受け入れようとする慈悲深さを感じられる、不思議な杖だ。急ぎ、祠に駆け寄って、杖に手を伸ばす。
「だめだよ」
声がした。目を見開く。――全身が、浮いた。
ドンッと腹部に強い衝撃。殴られたわけではなく、風の塊が腹にぶつかったような感覚だ。呼吸が止まった。巫女の華奢な身体は後方へと吹き飛ばされ、空中に投げ出される。何が起きているか分からないまま、回転する視界の中で思う。自分は、高い場所から落下しようとしている。
「――ホノオ!!」
主の鋭く呼ぶ声に、一秒も置かず白いライオンは飛び出した。高く飛び上がったライオンは、ガイアの体を背中で受け止める。ガイアも、〝聖獣〟の背中で咳き込みながらも身を起こし、姿勢を直して跨った。
ホノオがゆっくりと地面に着地してから、主人と〝聖獣〟は祠を見上げた。
「おー、凄いなぁ。やっぱり風で吹っ飛ばすくらいで、落下して死亡、ちゃんちゃん! ……とは、ならないよねー」
わざとらしく拍手をしながら、祠の奥から階段まで進み出てきたのは、小柄な少年。小さな体をすっぽりとローブで覆い隠している。赤みがかった長い茶髪を下ろしており、大きな翡翠の瞳がぱっちりとこちらを見つめた。
ガイアとホノオは、どちらもが大きく目を見開き、言葉を失った。
「こんにちは。前は治療してくれてありがとう」
にこりと微笑む少年は、本当に無邪気で――だからこそ、気味が悪かった。
「お姉ちゃん?」
数か月前。学問の町・エプリサテナで、骨折した足を治療した少年。
オヴィアス・エパナスタその人だった。
拙作をお読み頂きありがとうございます。
もしよろしければ評価等お願いいたします!




