Story.35 変化
オヴィアスは、急な階段をものともせず、すたすたと軽快な動きで降りて来る。こちらを見つめる目は、翡翠から次第に紫水晶へと色を変えていた。
翡翠の色は、分裂後にパクスミール国として名を残した地域に多い瞳の色。対して、紫水晶の色は、パクスミール国から分裂したガニアント国の方の地域に多い、瞳の色。元々同じ一つの国だったのだから、分裂前に引っ越している者もいるし、歴史的に見ても色々な人種が国内にいるのは珍しい事ではない。だから、目の色を気にする者はほとんどいないが――少年の瞳の本当の色が、紫水晶の色だとしたら。
「やだなぁ、そんなに警戒しないでよ。こないだは、僕にあんなに親切にしてくれたじゃないか」
寂しいよ。こんな幼気な僕に、そんな怖い目を向けるだなんて。
そう嘯きながら、こてりと幼く首を傾げて見せる。
「あなたは、何者なの」
口の中が、動揺によってカラカラに渇いていた。だからかすれ声のような声しか出てこなかったが、少年の耳には届いたらしい。ふむ、と手に顎を当てて考える仕草をして見せる。
「前に自己紹介したじゃないか。僕は、オヴィアス・エパナスタだよ。宜しくね、お姉ちゃん」
「名前を聞いているんじゃない。あなたは、一体何? どうしてここにいるの? エプリサテナに住んでいる子じゃなかったの?」
「ああ、そういうこと?」
他に今の問い掛けに何の意味が含まれていると思っていたのか。わざととぼけたのか、本当に理解していなかったのか、どちらか分からないような自然な応答だった。
「今更でしょ。僕がここにいる理由。パクスミール国の人だったらここには入れないはずだよ……あっ! でも、そっかぁ!」
階段を下りていく音が、大袈裟なほど反響する。天井には穴があるのに、まるで氷が共鳴しているかのようだ。
「考えてみれば、お姉ちゃんたちもパクスミール国の人なのに、ここにいるもんね! ここまで来るなんて凄いなぁ。ねえ、お姉ちゃん」
一度、少年の目が伏せられる。にたりと吊り上げられた口角は、無邪気さとは縁のない、卑劣な笑みを形作る。前髪の隙間から覗く目が、愉快そうに細められた。
「……ここに来るとき、僕の届け物、役に立った?」
ひゅっと、ガイアは息を吸う。無意識に力が入った拳は、爪が掌に食い込むほど握り締められた。
届け物。ここに来る際に使ったものなど、一つしかない。
『これ! 本読む前に、椅子の下にこれが落ちてたの見つけて、拾ったんだった!』
『絵柄が違ってるから、レアなコインかなって思ってさ。友達に自慢してやろーって思ってたんだよね』
『どう、どう? 役に立った?』
気付かなかった。
幼い子供とはいえ、パクスミール国とガニアント国の諍いについては誰もが知っている事実だ。一人で充分なコミュニケーションをできる子供ならば、認識しているはずの情報。分かっていないのは赤ん坊と、言葉をまだ上手く操ることができないような歳の子供だけ。なのに少年は、あのとき「絵柄が違っているからレアなコインかと思った」と言った。グリフォンのコインを見て、ガニアント国を思い出さないわけがないのに。あまりに無邪気にしているものだから、そして、容易くコインを渡してくれるものだから、疑おうとすら思わなかった。寧ろ、ガニアント国の者の手によって、身に覚えのない骨折をさせられた被害者だと考えていた。
わざとだったのだ。自分はこの少年に、踊らされていた。
「じゃあ、お姉ちゃんも凄く気になって仕方ないみたいだから、改めて自己紹介」
オヴィアスが階段を降りきった。地面に足をつけ、にこりとまた微笑む。今度は無邪気な方だ。二重人格かと錯覚するほどに、笑い方が違うので驚く。
「僕は、オヴィアス・エパナスタ。ガニアント国のシーカトロ神殿の禰宜。それから……」
己の胸に手を当て、少年が呪文を唱える。すると、黒い帯が背後から無数に表れ、少年を覆い隠す様に巻き付いていく。そして、その黒い帯に覆われた少年はむくむくと大きくなり、帯が背後へと消えていった際に現れたのは――長身の男。ローブのフードを深く被り、ちらりと首筋から茶色の髪が覗いている。にやにやと笑みを作る。
――ガニアント国のコインが入った袋を、ラコスデント神殿に届けろと頼んだ男の姿と、一致した。
「変化魔法が得意の、ガニアント国のスパイだよ。吃驚した?」
先ほどとは異なり、声変わりを経た大人の男の声だ。フードを脱いで、左耳に長い髪をかけると、その下にグリフォンの翼を模したピアスが揺れているのが見えた。
心臓の鼓動が早くなる。
変化魔法は、使えるようになる人がいるのかと言われるほど、子供でも大人でも修得が難しいものだ。神童と呼ばれたガイアも、変化魔法は使えない。特訓をすればまだ分からないし、回復魔法だって難易度としては相当な高さだ。得手不得手があるのは百も承知。だが、幻覚の形での変化の呪文もある中で、オヴィアスが目の前でやって見せたのが、全身の体構造すらも操った正真正銘の「変化」。幻覚とは、次元が違う。
「あなたの本当の姿は……どっちなの」
「うん? そうだなぁ」
返答は毎回気楽な態度だ。ガイアの声の温度と、オヴィアスの声の温度が気持ち悪いほど釣り合わない。
また少年が呪文を唱えると、黒い帯に覆われて見えなくなる。今度は身体がひゅるひゅると小さくなり、現れたのは先ほどの少年の姿だ。
「僕はこっちの方がいいんだよね。もう慣れちゃったし。それに子供の姿だと、みんなコロッと騙されてくれるからさぁ。子供って偉大だよね。カピジャに忍び込んで噂を流したら、あっという間に広まってくれたし。おかげでパクスミール国の政府も神殿も、結構怯えてくれたんじゃない? 得体のしれない何かが近づいてくる~って感じで」
悪びれもせずに言って、笑う。不気味な笑みと、無邪気な笑みを交互に出してくる少年に異様さを覚えた。こっちの方がいいということは、本当の姿は先ほどの男の姿なのだろうか。それとももっと別の姿が、本当の姿なのだろうか。最早、オヴィアスの姿については何も信じることができない。
「……あなたまさか、カピジャでも別の生徒の姿になって――」
「あ、それはないよ。僕、写しの呪文は使わないから。だって僕の人生なのに、誰かの皮を被るとか、ちょっとキモくない?」
誰かの姿をそのまま投影する呪文とて、簡単ではない。使えない、ではなく、使わないと言った少年の魔力の強さの底が知れず、背筋が寒くなった。
「どうでもいい弱い人の姿の力なんか借りないで、僕だけの力で国がぼろぼろになっていく姿って、格別だよ。自信にもなるしさ。分からない? 僕と同じように、つよーい魔力のお姉ちゃん」
ガイアの頭に、カッと血がのぼる。瞬間、彼女は手を頭上へと掲げ、防御魔壁を生み出した。ただの防御魔壁ではなく、ガイアとホノオをまとめて覆うようなドーム状にした、強度の高い応用魔術だ。
巫女による壁が生み出された瞬間、空気が動き、
――バチバチバチィ!!
激しい火花の散る音が響き渡った。笑顔を浮かべるだけだった子供の顔に、初めて驚きの色が滲む。
ガイアとホノオの頭上。二人に襲い掛かろうとしてきた「それ」は、防御魔壁に阻まれて動けずにいる。
「……私を怒らせたら視野が狭まって、隙だらけになると思った?」
骨折を治して、喜んでくれた少年の姿を思い出す。あれらは仮初の姿で、己を騙すための演技だった。骨折も、魔法で誤魔化されたものだったのだろう。そのことに怒りは当然芽生えている。パクスミール国を混乱に陥れたことは、到底許せることではない。腸が煮えくり返りそうな気持ちとは、まさにこのことだと感じている。
だが、滔々とした語りで、全てを誤魔化されはしなかった。オヴィアスが、ガニアント国のシーカトロ神殿の禰宜だと聞いた時点から、ずっと気配を探っていた。彼ほどの魔法使いが、〝聖獣〟を従えていないわけがないのだ。
「……びっくりした。お姉ちゃんって意外と冷静なんだね」
オヴィアスが、手招きをする。
ガイアとホノオの頭上で、防御魔壁に阻まれ続けた「それ」は、諦めたように離れ、少年の隣に降り立った。全身を鮮やかなオレンジ色に染め上げ、淡い光を放つ虎だ。
「紹介するよ。これが、僕の〝聖獣〟。名前は、キャンナ。宜しくね」
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