Story.26 行ってらっしゃい
水の演奏を楽しむことができる、噴水広場までやって来ると、そこには既にケイの姿がある。日中は人々が集まりがちなのだが、早朝のせいか人気がほとんど無かった。朝の空気を受けて、気持ちよさそうに空を飛ぶ小鳥たちの軽やかなさえずりが聞こえてくる。
「ようやく来ましたか、ガイア」
「はい。……」
ガイアは訝し気に眉を顰めた。それは、天窓から差し込んできている朝日を眩しく思ったわけではなく、見送りにくるにはあまりに普段から素っ気ない者が、視界に入ったからだ。
噴水の台に腰かけ、片足を膝に乗せたまま此方を横目で見て来る、黒髪の青年。
「ラドン?」
名を呼べば、彼は挨拶代わりに巫女を面倒くさそうに見やり、その目つきのまま老婆の方を向く。早く説明しろ、と目が訴えているのが分かり、そっとケイは肩を竦めた。
「ラドンに、ガイアの同行をお願いしたのですよ」
「私の?」
ええ、とケイは頷く。
「昨夜、図書室で導き出したあの地図や〝妖精の杖〟の情報ですが、よく調べられていました。根拠としても納得がいきますし、〝妖精の杖〟があると考えられている祠に向かうという形で私も承諾をしました」
問題は、その〝妖精の杖〟が保管されているらしい祠が、ぎりぎりでありながらもガニアント国の国領に位置していたことだ。国境のすぐ近くと言えばそうなのだが、たとえ一歩でも敵国に入国することになるのなら、当然リスクが生じる。
世界滅戦よりも前の時代にあった、関所のようなものは撤廃されているところが多く、国境間には何もないことが多い。が、当時と異なり決定的に袂を別っているパクスミール国とガニアント国の間には、結界の一種である魔法壁が聳え立っていた。祠に行くのならば、まずはこの魔法壁を突破しなければならない。ガイアの魔力をもってすれば、突破はすること自体は可能かもしれない。ただ、本来人の通行を前提とされていないものが破壊されれば、当然ガニアント国も気付くはずである。国境を問題なく通ることができたとしても、ガニアント国内にある祠に見張りが立っていることも想定するべきだ。
このように、昨日から戦いとなる場面をいくつも想定した上で、ガイアは武器を握ることにしたのだ。戦争を止めるために赴くのに、武器を握るというのも皮肉な話だが。
「貴女一人では難しい部分もあるでしょう。ラドンは戦いには慣れているようですしね」
「俺は姫を守る近衛兵じゃねえぞ。あんたがついていけって言うから行くだけだ」
ツンケンしている割に、行き倒れているのを拾ってくれたラコスデント神殿に恩義でも感じているのか、大神官であるケイのいう事には基本的に素直に従う。
それから、と言いにくそうに一度口を引き結んでから、ケイは言った。
「南東方面の国境から既に、ガニアント国の軍が攻めてきているようです。パクスミール国も、編成した軍で急遽迎え撃っていると、政府から連絡がありました」
緊張が走る。宣戦布告があった時点でいつ攻め込まれてもおかしくないのは承知していたが、初動がかなり早く感じられた。
「ですが、貴女達の目的は戦争に参加することではなく、戦争を止めること。戦闘に巻き込まれては、〝妖精の杖〟の取得どころか、祠への到達すら危ういでしょう。できるだけ軍に気付かれず、隠密に動き回る必要があります」
「でも、隠密に動き回るって言っても……」
祠があると推測されている方向は、南方面の国境だ。最短ルートで向かうことを考えていたが、既に南東方面から攻め入られているとなると、大っぴらに動くのは危険である。方向も完全に外れているわけでもなく、戦闘に巻き込まれる可能性も無くはない。しかし事は急を要する。当初の予定通り、人間の足で地道に走るのではなく、ガイアの場合はホノオに乗って全速力で走ってもらう方が遥かに早い。
その代わり、かなり大きい魔力を体現している白いライオンの高速移動は、充分に目立つ。
「バイクの音もアウトってか」
どうしろと言うんだと言いたげに、ラドンが眉を顰める。気配を完全に消す魔術はかなり高度で、動かず隠れている時には使えたとしても、動きながらは巫女の力量でも至難の業だ。
ケイが、やおら噴水を振り返り、
「セーア」
唇が紡いだ、名前。
刹那、美しい水の演奏を響かせていた噴水の水が、エメラルドに染まる。次いで響くのは、水の跳ねる音。水中から姿を現し、ケイの隣に立ったのは、鈍く輝く空色の体をした、耳の大きい一匹の狐だった。
≪お呼びですか、ケイ様≫
思わず聞き惚れてしまうような、透き通った声を響かせる。その声は、水の演奏を彷彿とさせるものだった。この狐こそ、ケイの〝聖獣〟のセーアであり、パクスミール国の中で最も美しいとされる〝聖獣〟だ。
「今朝方伝えた通りです。頼みますね?」
≪かしこまりました≫
ケイが困惑した顔でいるガイアとラドンに視線を戻す。
「セーアは気配を遮断する魔法を扱う事ができます。この子を連れて行きなさい」
ガイアは顎に手を添えて、思案顔をした。〝聖獣〟は、主人たる人間の傍にいるのが当たり前だ。命令次第で個別に離れて活動することもあるが、ガイアとラドンが向かう祠は、ガニアント国との国境のすぐ近くであり、神殿からは遠い。ガイア自身、ホノオとそこまで離れたことはないので、未知数の範囲だ。
「……大丈夫なんですか?」
そうすることで、ケイは魔力に異常を来すことはないのか。逆に、魔力の供給が上手くいかなくなったセーアの方に、異常を来すことはないのか。どちらも起きてしまう可能性が少しでもあるなら、セーアの気配の遮断に頼ることは避けたかった。
「私の身に何かがあっても、〝聖獣〟なのですからセーアが気付きますよ。セーアに何かがあっても、私が気付きますからね」
「そうかもしれないけど……」
≪ガイア様≫
水色の狐がゆったりと尻尾を揺らしながら、彼女の顔を覗き込む。ケイによく似た透明の瞳が、瞬く。
≪ワタクシは、ケイ様に、お二方の気配を遮断するよう、仰せつかりました。ワタクシたち〝聖獣〟にとって、主の命令は絶対なのです≫
言外に、拒否権はないと伝えられる。そういうことです、と便乗して微笑むケイに、つくづくこの大神官と〝聖獣〟はよく似ていると思う。ラドンとタイニーのようなちぐはぐさと比べれば、何となくセーアのような子がケイの魔力から生み出されるのは納得がいく。
渋々ながらも、ガイアは首を縦に振った。拒否権がないのならこれ以上の抵抗は無駄であるし、拒否したところで気配を遮断する手法については解決策が他にない。悩んでいる時間が惜しいのが現状だ。
ふいに、ケイがガイアの手を掴んだかと思うと、強く腕の中に引き込まれる。しっかりと彼女を抱き締め、背中に手を回して何度も叩いた。
「頑張りなさい、ガイア。貴女ならきっとできる」
どん、どんと背中を強く叩かれる。自信を持て。負けるな。そんなメッセージが心の奥にまで届くようだ。
でも、と付け足された言葉を紡ぐ、ケイの声は、
「最悪の場合、〝妖精の杖〟を持ち帰れなくてもいい。ただ、必ずここに、帰って来なさい、ガイア」
いつも毅然としているはずなのに、今は心なしか震えていて、ガイアは声を詰まらせた。育て親の彼女は、ガイアをとても大切に思ってくれている。本当は行かせたくないのだろう。後者が、本音に限りなく近いものだと推測できた。
それでも、やっぱり行くのをやめますとはどうしても言えず――そんな〝娘〟の背中を押すように、振り払うように、老婆は言う。
「行ってらっしゃい」
他に気の利いた言葉も何も思いつかなかったガイアは、力いっぱい抱き締め返すことでしか、伝えることができなかった。
拙作をお読み頂きありがとうございます。
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