第三章 踏み絵(三)体温
ましろさんから返事がないまま一週間が過ぎた。
返信に時間がかかることは前にもあった。そういうときには、次のメッセージの頭には必ずお詫びが付いた。今回もそうであるように、と思いながら次を待った。
彼女の連載は止まっていなかった。新しい回も読んだ。苗字でしか呼べないまま百二十話を超えたヒロインが、初めて彼を名前で呼ぶ回だった。感想欄はいつもどおり賑わっていて、感想への返信も丁寧に付いている。書けない状態ではないことが分かった。
新しい回の感想を書いたが、いま送っていいものか迷って、送らずにおいた。
活動報告のほうには、連載の話と猫の話が書いてあった。
二週目に第一話の改稿を書き上げて、第二話に移った。
木曜の夜、書く前の巡回でエッセイの日間ランキングを開いた。真ん中あたりに見覚えのある名前があった。
陽向ましろ『機械の文章とわたしたち』。
彼女がエッセイを書くのを初めて見た。投稿は昨日の朝だった。
『わたしが感想を書くときに見ているのは、うまさではありません。文章の向こうに人がいるかどうかです。体温があるかどうかです。
機械的に吐き出された言葉には体温がありません。どれだけ整っていても、です。そして、いちばん嫌なのはそういう文章が規程違反にならないことです。ルールは破っていない、と言われたら、わたしにはもう嫌だという言葉しか残っていません。
だからせめて、わたしはこれからも体温のある文章だけを読みます。体温のある文章だけを書きます。これは誰かを責める文章ではありません。わたしの決心の話です』
最後まで誰の名前も出てこなかった。瀬名彰久も、手記の題名もない。それでも何の話かは読んだ全員に分かるはずで、感想欄には賛同が並んでいた。彼女の連載の感想欄の常連読者の名前もいくつも見えた。
体温がある、という言葉で彼女は私の短編を褒めてくれた。その言葉が、このエッセイでは彼女の意思表示に使われている。
それから、ルールは破っていない、のくだりを読み直した。あの言い回しがどこから来たのかを知っている読者は、たぶん一人しかいない。返事は、来ないのではなかった。これが返事だった。
***
エッセイに感想は書かなかった。メッセージは書きかけて、消した。弁明になるか、蒸し返しになるかの文章しか出てこなかった。
改稿は続けた。第二話は、第一話より直す場所が少ない。
夜、受信箱を遡って、祝福のメッセージを開いた。おめでとう、悠希さん、で終わる長いメッセージはそのまま残っている。書店の棚の前で知らない人に自慢するのだと書いてある。来年の秋まで、一年余りある。
その下には自分の返事も残っていた。最初の読者は、これからもましろさんです。送ったときは、そのとおりになると思っていた。
ヒロインが初めて名前を呼んだ回の感想は、ファイルに残ったままになっている。




